風巻 隆「風を歩く」から vol.44 大磯「すとれんじふるうつ」
text by Takashi Kazamaki 風巻 隆
春ともなれば陽光がまばゆく輝きサーファーが波と戯れる大磯海岸の程近く、大きな松の木のそびえる国道沿いに「すとれんじふるうつ」というジャズスペースがあった。緑とオレンジの車体の「湘南電車」に乗って品川から小一時間、七夕で有名な平塚でどっとお客さんが降りると、大磯はもう田舎の駅といった風情だ。緑の深い山が駅裏にそびえ、夏には蝉時雨が出迎えてくれる。ホームから改札まで跨線橋の階段を昇り降りしなければならないので、楽器を背負わなければならないしんどさはあるのだけれど、駅を出ると小高い所にあるにもかかわらず、どことなく海風を感じられて心地よい。
以前は小田急線の「鶴巻温泉」に小さな店を構え、「オーちゃん」と皆が呼ぶマスターの小黒さんと、「ピピちゃん」と呼ばれていたママさんの河井さん夫婦と、娘のもきちゃん飼い犬のホッペが店を彩り、東海大学の常連の学生たちがライブともなればカウンターに入ったり写真を撮ったりとスタッフとして活躍する…、そんな若い活気に溢れるお店だった。狭い店には不釣り合いな特大のお手製のスピーカや自慢のサウンドシステムは、アナログレコードに刻まれた音楽をミュージシャンの息づかいが聞こえるほどクリアーに再現し、ジャズの魅力や演奏が持っている力をストレートに伝えていた。
カウンターと椅子席で10席あまりの小さな店に、80年代にはデレク・ベイリーやペーター・ブロッツマンなどのソロでは満員電車なみの密度でお客さんが詰めかけ、エリオット・シャープやサム・ベネット、ジョン・ゾーンなどのニューヨークのダウンタウンのミュージシャンもいち早く紹介された。82年から85年にかけてボクが作った3作の自主製作LPは「すとれんじふるうつ」のライブだったし、84年には、初めてニューヨークへ行くことを後押ししてくれた。95年、「すとれんじふるうつ」は新しく大磯に、自分達で設計した船のように湾曲した壁面を持つ3階建てのビルを建て店舗もかなり広くなった。
1階が「ぐりんぴいす」という無農薬野菜を販売する自然食の店で、外階段を上り、遮音の2重扉の奥の2階がジャズスペース「すとれんじふるうつ」になっている。新しくグランドピアノが備えられ、少し立ち上げた客席の下は、アンプや楽器などの収納スペースになっている。ライブのときにステージとなる部分は吹き抜けとなっていて、天井が高く音の響きがいい。内階段を上った3階はギャラリーとしても使えるようになっていて、ライブのときは楽屋としても使われていた。人の温もりを感じる陶器のビアマグで飲む生ビールの味も格別で、細部まで考えられた理想の店として立ち上がった。
95年4月から大磯で営業を始めた「すとれんじふるうつ」は、99年にNPO法人「ホット・クラブ・オブ大磯―湘南」を立ち上げて演奏家と観客の組織化を図り、当初は春と秋2回の「ジャズイン大磯」、2000年代からは毎年7月に「大磯音楽祭」というフェスティバルを企画していく。出演した多くは普段「すとれんじふるうつ」でライブをしているフォーク、ブルース、ジャズのアマチュアバンドだったけれど、98年5月のフェスティバルには大熊ワタル(cla)、坂本弘道(cello)、サム・ベネット(per)との「ホンキートンクアンサンブル」で、11月のフェスティバルには梅津和時さんとのデュオで出演している。
長年にわたって渋谷「アピア」の歌姫として活躍してきた、シンガーソングライターでギターの弾き語りをする火取ゆきさんとは、折に触れてコラボを続けていた。多くはアピアでの彼女のライブにゲストで出演するといった形だったけれど、世紀が変わった2002年頃から、大磯の「すとれんじふるうつ」でもチェロの坂本弘道さんとのトリオという形で何度かライブを行った。鶴巻温泉の店ではジャズと即興演奏に特化していた「すとれんじふるうつ」も、大磯に移転してからは歌モノのライブも増えていて、火取さんとのトリオのような実験的な歌モノのライブも普通に出来ることはとてもありがたかった。

2003年から数年間、ボクはバリトンサックスの宇梶晶二(UKAJI)さんとのデュオで何度かライブを行う。抑制のきいたモノトーンの世界の中で、かつて「精神性」という言葉で語られていたような神聖な世界や、孤独へと踏み込んでいく力強い意志。破滅的なニヒリズムや、アングラという仲間内のなれ合いに脱げ込むことなく、日本のフリージャズの世界から屹立した独自の地平を切り拓く宇梶さんの音楽は、よけいなものが何一つないピュアな音楽だった。二人で「大磯音楽祭」に出演したときには小学校2年のときの同級生が来てくれ、それは、インターネットが結んだ38年振りの再会だった。
2004年、アメリカ・フィラルデルフィアでトシ・マキハラの名で即興演奏家として活躍してきた牧原利弘さんが来日した際、サックスの松本健一さんとともに都内を中心にいくつかのライブを企画したなかで、大磯の「すとれんじふるうつ」ではボクとのデュオが行われた。彼の片面のスネアドラムとシンバル1枚だけのシンプルなドラムから繰り出される音楽は、26年住んだフィラデルフィアの芸術環境や、「新しい音楽」を担うニューヨーク・ダウンタウンのミュージシャンとの共演から培ってきたもので、シンプルなセットからは「私=音楽=演奏」という彼独特の音楽観そのものの音が立ち上がった。
その年の夏にはピアノの新井陽子さんと初めて共演し、その流れるようなパッセージに圧倒される。しばらくしてデュオでのライブを彼女から打診されたボクは、自由律俳句の山頭火の句を選んで、そのイメージをもとに即興演奏する「空から木の実、音をたたいてゆく~playing山頭火」という企画を提案し、すぐ実現することになる。プロジェクトは「すとれんじふるうつ」で2004年9月に始まり、その後、渋谷「アピア」の10時からの枠に移って翌年6月まで断続的に続けられた。山頭火の句の言葉の力を感じながらの即興は音楽に方向性を与え、作品というものを意識した演奏になっていた。
2006年7月、「大磯音楽祭」のオープニングとなる「フリーミュージックナイト」は、ボクの発案で、8人のミュージシャンがさまざまな組み合わせを変えていくセッションを行った。地元の飯塚知(sax)、館野鴻(sax)、蓑宮俊介(dr)、東京周辺の新井陽子(p)、しばてつ(pianica)、名古屋の臼井康浩(g)、ベルリンの千野秀一(p)といった顔ぶれは、それぞれ個性に溢れ、いくつものいい演奏がそこから生まれてきた。なかでも、千野さんと新井さんによるピアノの即興連弾では、初めはそれぞれ互いの領域を尊重していたのに、次第にその境界を侵犯してバトルの様相を見せ、とても楽しい演奏になった。
その年の10月、韓国から来日した若きピアニスト、パク・チャンスとともに飯塚知、入間川正美(cello)、千野秀一、新井陽子といった面々と「すとれんじふるうつ」でセッションを行った。この時は企画者の千野さんの発案で、ミュージシャンの出入りを予め決めた構成の下に即興で演奏した。ジャズよりもむしろ現代音楽に近いパクさんの演奏に引きずられるように、演奏は抽象へと彷徨っていくようだったけれど、唯一のホーンセクションの飯塚さんがいい味を出して演奏を引き締めてくれた。新井さんはエレピ、千野さんはシンセと音色を微妙に変えることで、それぞれの音が際立つ演奏になった。
ある意味で音楽の実験場のようにも機能していた大磯の「すとれんじふるうつ」ではあったものの、お店を立ち上げたときの熱気はだんだん薄れ、お店を取り巻く環境はだんだんと変わっていった。まず、1階の自然食の店「ぐりんぴいす」が撤退してギャラリーに様変わりしたのだけれど、誰かがそこを切り盛りするわけでもなく、フェスティバルの際は2階の映像がモニターで見られ、受付や、軽食やグッズ販売のためにスタッフが集まるサブルームになっていた。古くから「すとれんじ」をサポートしていた人達が店から去るのは、それだけ「すとれんじ」が孤立することで、店の運営にも影をさした。
さらに追い打ちをかけたのが、家族の不和だった。鶴巻温泉の頃から「すとれんじ」の魅力は、オーちゃん達家族の元気さやたくましさ、何よりもジャズのミュージシャンへの思いの深さから来る、心の豊かさや、社会の不条理に立ち向かう勇気といったものを大切にする「生き方」を、家族で共有し実践していることが、他ではなかなか見られないお店の魅力としてあった。ただ、アメリカ西海岸の美術系の学校に留学していた娘のもきちゃんが、9.11の同時多発テロ事件の後に、アジア系への露骨な差別の中で帰国を余儀なくされたことから、「すとれんじ」の歯車が狂っていったことは残念だった。
小黒さんから「もう店を続けることが体力的に難しくなった」という知らせを受けて、2018年2月、店の40周年を記念するコンサートとして、森順治(sax)、竹田賢一(大正琴)、大熊ワタル(cla)、鈴木シンメイ(el-vln)、臼井康浩(g)、照内央晴(p)、風巻隆(perc)というメンバーで、「IMPROVISORS NETWORK」というライブをボクが企画し、吉本裕美子(g)も飛び入りで参加した。それは、かつて「大磯音楽祭」で行っていた、出演者が共演者を指名していくつものセットで即興演奏を行っていくというもので、即興演奏の面白さがそれぞれのセットで形になっていった。その演奏は録音・録画され、その動画はYouTubeにアップされている。「すとれんじふるうつ」は、その直後、3月末に今のオーナーに引き継がれ、地域密着のライブスペースとして賑わっているようだけれど、ジャズや即興演奏からは遠い所にいる。小黒さんは知人の誘いで伊豆の伊東に越し、2020年には伊豆高原のライブハウス「JIRO」で、「音楽のピクニック」という歌とピアノの林ミカさんと、いぶし銀の即興演奏家とのライブをボクと共に企画したけれど、新型コロナの蔓延の影響で、その企画も頓挫してしまった。

