風巻 隆「風を歩く」から vol.46 明大前「キッド・アイラック・ホール」~CD『ジグザグ/zigzag』
text by Takashi Kazamaki 風巻 隆
京王・井の頭線の「明大前」は、新宿や渋谷といった都会の喧騒を離れた静かな学生街だ。2000年前後に駅前の再開発が進む前は、駅から甲州街道へ向かう道などはほとんど住宅街だったし、古本屋などの文化の香りがするものはほとんどなく、あるのは雀荘やビリヤード、大衆食堂に安い飲み屋だった。もちろん、明大の正門に程近く、壁面に漫画が所狭しと並ぶ「ぐずぐず」という喫茶店は劇団の人達のお店だったし、暗く狭い階段を登るジャズ喫茶「マイルス」や、東京のインディーズの拠点だった「モダーン・ミュージック」というレコード店など、知る人ぞ知る店もまたこの町にはあった。
60年代~70年代のロフト・ムーヴメントの趣を残し、多くのミュージシャンやダンサー、パフォーマーの自主公演に場を提供してきた「キッド・アイラック・ホール」(後に「キッド・アイラック・アート・ホール」と改称)もこの明大前に長くあって、流行やトレンドで栄枯盛衰を繰り広げるトーキョーの文化シーンのなかで、自分の表現を社会に問うことができる良心的なスペースとして多くの表現者に慕われていた。もちろん、フリージャズや即興演奏といったマイナーな音楽にも門戸を開いていて、77年E・E・Uのワークショップで初めてボクが即興演奏に挑んだのも「キッド・アイラック・ホール」だった。
「キッド・アイラック」のオーナーの窪島誠一郎さんは、長年、長野県上田市にある夭折の画家の作品を集めた「信濃デッサン館」の館長としておもに美術畑で忙しく、「キッド」のことはスタッフが切り盛りをしていた。1984年に3ヶ月ほどニューヨークで思いのほか音楽活動をしてきたボクは、「キッド・アイラック」を拠点として「音の交差点」というシリーズのコンサートを始めることになる。当時は、南陽子さんという女性スタッフが主に運営していて、「風巻さんですよね、知ってますよ。」と初対面のときからボクの活動に興味を持ってくれ、その後、金銭面も含めてさまざまな形でサポートしてくれた。

家族と東京郊外で暮らしていたダニー・デイビスや、来日して「DUOS」のプロジェクトでさまざまな音楽家と共演を重ねていたペーター・コヴァルト、即興だけではなく「ピジンコンボ」というユニットで篠田昌已、大熊ワタルらとそれぞれ曲を持ち寄って活動していたトム・コラをはじめ、ハンス・ライヒェル、篠田昌已、大友良英、大熊ワタル、菅波ゆり子、天沼ロリイ、香村かをり、竹田賢一、向井千惠らも参加した即興のセッション「音の交差点」は、普段はバンド活動をしているミュージシャンを即興の場に引き出すという実験的な活動として始まり、その後毎回ゲストが変わる即興演奏の場となった。

デュオやトリオで、毎回違ったメンバーを集めてコンサートを行う「音の交差点」だったけれど、ヨーロッパでカーレ・ラールやクリストフ・ガリオと4~5人で演奏する機会もでき、アンサンブルへの興味がわいてきたこともあって、92年頃からクラリネットの大熊ワタルさん、チェロの坂本弘道さんらと「ホンキートンク・アンサンブル」などとして何度かライブを行った。梅津和時さんとの「アクースティック・デュオ」では、1987年ニューヨークの「KITCHEN」で共演した二人が、90年から2003年頃まで、「キッド・アイラック」や新宿の「シアターPOO」を舞台に、風通しのいい即興音楽を作り上げていった。
ダンスの神蔵香芳さんとは、1989年の「ダンシング・イメージ」(共演:大友良英)以来、91年「ATMOSPHERE」(共演:ジューン・シーガル)、92年「DUOS」、93年「空に近づく方法」(共演:アトゥ・パイネンブルグ)、95年「月と遊園地」(共演:大熊ワタル、沢田穣治/坂本弘道、しばてつ)、2000年の「カフェ・カーニバル」(共演:火取ゆき、ホンキートンク・アンサンブル)、2004年「月と遊園地」(共演:クリストフ・シャルル)などの多くの作品をここで作ってきた。その多くは「キッド・アイラック」との提携公演として照明などもサポートしてくれ、照明スタッフに坂本明浩さんが入ってくれることも多かった。
甲州街道沿いにあった古い「キッド・アイラック・ホール」は天井の高い漆黒のスペースだった。1階が小さなギャラリーでエゴン・シーレのデッサンが掛かっていたりする。階段のわきに細長い楽屋があって、奥の階段からは2階の舞台へ上がっていける。2階のスペースの片隅に平台が山積みになっていて、その平台でまず階段状に客席を作り、雑巾がけをする。受付と売り物のスペースを作り、調光やPAのある舞台を見下ろす調光室からパイプを交差させた天井に登って照明を調整し、階段下のスペースから座布団を取り出し平台に並べ共演者と観客を迎えるという手作りのコンサート。
天井の高い「キッド」の空間は、楽器の内部にいるように音が響き、音そのものが持っている力を感じさせてくれていた。「カザマキくんの音は、目をつぶって聴くといろんな音が聞こえ、いろんなものが見えてくる。」と友人の美術家が評してくれたけれど、そうした音を作品として残すことはボクにとって長年の夢のようなものだった。2001年、「キッド」のスタッフにもなっていた坂本明浩さんから、KID AILACKレーベルからCDをリリースしないかとのお誘いを受ける。その頃明大前では再開発の計画が進み、「キッド・アイラック」は新しくできる駅前の大通りに移転・改築することが決まっていた。
甲州街道沿いにあった古い「キッド・アイラック・アート・ホール」で2001年に開始したソロの録音は、観客を入れずにスタジオ録音のような形式で始まった。坂本さんと、友人の新井輝久さん(テリー)が録音を担当してくれ、「キッド」の機材ではダイナミックのマイクしかなかったので、ボクがコンデンサーのマイクを2本持ち込み、小さなミキサーを2台使って、MD4という機材でデジタルに録音する手作りの作業。また、「PERCUSSIO」というタイトルのソロを何回か行っていき、シンプルなドラムセットでの演奏と、セットから離れて個々の楽器に向かうアプローチも併せて、ソロを録りためていった。
スペースが移転してからは西アフリカの木琴・コギリも使うようになり、何度も録音の機会を作り選曲や編集にも時間をかけ、写真を清水ミチルさんに、ジャケットデザインを新井陽子さんにお願いし、2005年にKID AILACKレーベルからソロCD「ジグザグ/zigzag」がリリースされた。このCDは60分の長さに全21曲、短い断片を組み合わせる作風は、かつてのニューヨークの「新しい音楽」の作風とも重なる。仔牛や山羊の革のヘッドを取り付けたドラムからナチュラルな音色や豊かな倍音、揺らぎやズレをともなう変幻自在なリズムを繰り出して、「自由律」のような音楽を作り上げていった。
肩から下げたタイコ一つで演奏された「未知の記憶」、シンバルのうなるような低音が印象的な「トワイライト」、韓国のドラ、ケンガリが宙を舞う「満天の星」、珍しく日本的な間を使った「俳句」、コギリをカウベルで叩く「ミッドサマーナイト」、マラカスを縦横無尽に振り回す「虫」、円筒形のブリキのバケツを鳴らす「遠い空」、シンバルカップの倍音をコントロールする「小さな宇宙」、アフリカのムビラがオルゴールのように響く「子守り歌」…、独特の語るようなドラミングやさまざまな音色と倍音へのアプローチで、自分というものの深みと向き合っていく「どこにもない場所の音楽」を作り上げていた。
ライナーノートには、「未知の記憶」と題して、こんな文章が掲載されている。
「タイコを叩いていると、ある奇妙な感覚にとらわれることがある。ひとつの音から次の音へと楽器がひとりでに語りだすような瞬間、自分が演奏しているという感覚がなくなって、音楽がひとりでに出来上がっていく。そうして演奏しながら、その演奏をボクはむしろ聴いているとすれば、その音楽は自分のものではない。タイコという楽器が語りはじめたとき聞こえてくるのは、その楽器のなかに記憶されている音だ。そうした音は、はじめて耳にする音なのにどこか懐かしい。」
「耳をすませば、いろんな音が聞こえてくる。工事現場の杭打ちの音、遠くでふとんを叩く音、公園のブランコがきしむ音、町工場の機械の音、蛇口から水滴が落ちる音、こども達の喚声…、音を聴いていると、いつのまにか記憶の中に引き込まれ、自分が今どこにいて、何をしているのかわからなくなる。今・ここにいるということから自由になったとき、自分でも知らなかった未知の記憶が心のなかに、ふとよみがえってくる。」
「風の吹く秋の日に、高い木の梢からパラパラッとドングリが降ってきた。坂道をころがるドングリを見ながら、ボクは、その光景を音楽のように感じていた。この日常という時空を切りさいてもうひとつの世界へ通じる道がある。そうした場所に立ったとき、自分というものは、もうどこかに消えてしまい、ただ、そこに音楽がなり響いている。」

2005年12月5日、明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」で、ソロCDの発売記念コンサート&パフォーマンスが行われた。一部がソロ「ショート・ストーリー」、二部が神蔵香芳さんと新井陽子さんをゲストに迎えた「ハッピー・ミーティング」。舞台を見下ろすバルコニーには南さんがいて、調光室には坂本さん、カフェ「槐多」での打ち上げでは早川誠司さんが腕を奮ってくれた。自分の音楽世界が形になったその日は、キッドのスタッフと長年作り上げてきた信頼関係が、一つの作品に形を変えた日でもあった。「キッド・アイラック」という場はいつもここにあると、その時は信じて疑わなかった。
編集部注:
風巻 隆ソロCD『ジグザグ/zigzag』はBandcampから入手可能です。
https://takashikazamaki.bandcamp.com/album/zigzag/


