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風巻隆「風を歩く」からNo. 336

風巻 隆「風を歩く」から vol.47 宇梶晶二さん~音を書くということ    

text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

 

まだ20代だった1984年、ボクは初めてニューヨークへ行き、小杉武久さんと共演したLPを持ってヴァイオリンのビリー・バングの自宅を訪ねると、一緒にデュオでライブをしようという話になり、イーストヴィレッジのトンプキンススクエアパークに隣接する「LIFE CAFE」でライブができることになった。ニューヨーク在住の杉山和紀さんに情宣の仕方を尋ねると「プレスリリース」というものを作って、新聞社や雑誌、音楽評論家に郵送することを勧められる。自分のこと、自分の音楽についてHeを主語にして書くことを教わって、短い文章ではあったけれどボクは自分の音楽と向き合うことになった。

Takashi Kazamaki is a uniquely original percussionist in Japan. He uses only a few instruments – self-made drums with skin-heads, a Korean-gong, a Chinese-gong – and makes a lot of sounds from these small instruments. He suspends the drum from his shoulder and holds the Korean gong in his mouth. Playing and moving these instruments, some mysterious sounds will come out.

もちろん、ライブの詳細を伝え、またボクのディスコグラフィの記述のなかでは、小杉武久さんがジョン・ケージやマース・カニングハム舞踊団と活動を共にしているヴァイオリニストであることも紹介していた。おそらくは、その「コスギとレコードを作った男」が、楽器の一部を手作りして、誰のものでもない独特の音楽を演奏する打楽器奏者であるということが、当時の「New Music」という新しい音楽の潮流と合致するものでもあったのだろう、6月6日発売の週刊新聞「The Village Voice」の1週間のお薦めイベントの中で、「LIFE CAFE」でのビリー・バングとのライブがチョイスされていたのだった。

Billy Bang & Takashi Kazamaki
The Japanese percussionist, who makes his own drums, will improvise duets with the highly engrossing violinist. June 9, Life Café, Avenue B at 10th Street, 673-7421. (Giddins)

初めてニューヨークに行き初めて自分で企画したライブが「The Village Voice」に取り上げられ、多くの聴衆が集まってくれる。東京で自主製作のLPを作ったときに「これは音楽ではない」と酷評されたボクが、ニューヨークでは、自分でも驚くほどに注目され、思いのほか音楽活動を展開できた。このライブの少し後、アスタープレイスの路上で一人演奏しているときに、初老の黒人のサックス奏者から一緒に演奏してもいいかと問われ、彼のシャーナイとしばらく一緒に演奏すると黒山の人だかりになる。音にジャズの魂のようなものを感じさせる彼に名前を聞くと、デューイ・レッドマンと名乗った。

こうした経験はとても大きなものだったので、ボクはそれ以降、自分の企画するコンサートがあると毎回「プレスリリース」を作り、チラシに簡単な文章を書いて自分の音楽のことを広く伝えるようにしてきた。始めはチラシの表面に手書きで文章を書き、ワープロを使うようになってからはB5判のチラシの裏に文章を書くようになった。2003年、バリトンサックスの宇梶晶二さんと大磯「すとれんじふるうつ」でデュオの活動をはじめ、2006年からは明大前キッド・アイラック・アート・ホールの企画する宇梶さんとのデュオのシリーズ「SOUNDSCAPE」では、「ジャズ」や「音楽」と正面から向き合っていく。

沈殿する時間のなかで、サックスに息が吹き込まれていく。それは木の葉を揺らす風のように、あるいは狼の遠吠えのように遠く響き渡っていく。木琴とカウベルが同時に鳴る。二つの楽器が、互いに互いを奏でていくとき、何かを語るようなリズムが、そこに立ち現れてくる。余韻や間が音の強さを際立たせ、途切れのないフレーズがむしろ静寂を感じさせるとき、宇梶晶二は余計なものが何ひとつないピュアな音の風景を作り出す。二つの違ったリズムがズレをともなって叩きだされるとき、風巻 隆は、いつかどこかで見た風景を作り出していく。音の深遠な森に分け入っていったサックスの宇梶晶二とパカッションの風巻 隆が、新しく始めるシリーズ「SOUNDSCAPE」。宇梶のバリトンのさまざまな倍音が空間に揺らぎ、風巻のメロディアスなリズムがさまざまな記憶を呼び起こすとき、そこにはただ風景が広がっている。

(scene 1 : 2006年7月12日 キッド・アイラック・アート・ホール)

宇梶さんの作る音楽は、抑制のきいたモノトーンの世界で、かつて「精神性」といった言葉で語られていた演奏へのひたむきさがあり、ブレスをコントロールして倍音を響かせ、息が楽器から抜ける音を使い静寂や孤独へと向き合っていく。

ステレオのヘッドフォンを着けレコードに針を落とすと、部屋の明かりを消して椅子にもたれかかる。目を閉じて音楽を聴いていると、自分のからだの中に音楽が浸み込んでくるのがわかる。音楽に包まれて、自分というものさえも消え入りそうになる時間。毎日の生活や、さしせまってやらなくてはいけないことから離れて音楽が投げかけているものを見ようと、次から次へとあふれてくるイメージを追いかけているうちに、いつのまにか「どこにもない場所」へとたどりついている。音楽とのそうした出会いはあまりに鮮烈だったのでヘッドフォンで音楽を聴きながら街を歩くことなどとてもできなかった。冬ともなると、街には電飾があふれ、音が洪水のようにあふれているけれど、音楽を渇望する人はどれだけいるのだろう。一枚のレコードを探して、いくつものお店を見て回ったクリスマスイヴもあったけれど、今にして思えば、そうして何かに自分を駆り立て、期待と不安を胸にして一人冬の街を歩くということが、「音楽」そのものだったのだ。

(scene 3: 2007年1月26日 キッド・アイラック・アート・ホール)

70年代、日本のフリージャズ黎明期の中心的なメンバーの一人だった宇梶さんだったが、その頃は他のミュージシャンとコラボすることはほとんどなく、キッドでのソロを「ライフワーク」のように続けていて、その音楽への姿勢は、どんなジャンルにも依りかからない孤高のものだった。その音の裏側には、世にはびこる「ジャズ」や「フリージャズ」への言説に、たった一人で叛逆するゆるぎない姿勢があり、その音楽には、「ジャズ」という巨人と闘う、「刃」のようなものがあった。

「ジャズは都会の夜の音楽だ。」と訳知り顔で話す人がいる。ジャズの雑誌を読み、いくつもの名演を聴き込めば、ジャズの歴史がわかった気にもなる。楽器を手にして教則本を手にすれば、アドリブフレーズだって吹きこなせるかもしれない。そうしていくつものイミテーションを生み出しながら、ジャズはどんどんジャズから離れていく。「ジャズ」と名づけた人達がいて、その歴史を、理論を作った人達がいる。そうした人達は、ジャズという音楽の匂いとか、その音の中のやるせなさとか、声にならない叫びといったものを形にしただろうか。ジャズというものに受け継がれている、黒人の「智」といったものに耳を傾けようとしただろうか。楽しさのなかに悲しさが、陽気な笑いのなかに激しい怒りがあり、沈黙や静けさのなかに明日への希望がある…、ジャズという音楽には、矛盾を生きている人達の、そうした「うた」があったはずだ。

(scene 4 : 2007年10月20日 キッド・アイラック・アート・ホール)

宇梶さんのバリトンサックスには、ジャズの神髄といったものが見てとれるのだけれど、ジャズのジャーナリズムは彼をどこまで理解していただろう。フリージャズと言うと、破滅的な匂いを漂わせてニヒルに社会に背を向けるか、アングラという何でもありの文脈へ逃げ込んでいくフリーキーな人が多いような気もするのだけれど、そうしたニヒリズムや、アングラという仲間うちに守られた世界へ逃げ込むことをかたくなに拒絶しながら、宇梶さんは、ジャズから屹立した独自の音楽地平を切り開いてきた。宇梶さんとのデュオは2007年まで数年続き、そして突然、あっけなく空中分解してしまう。

音がただ音そのものとして輝いているとき、そこにヴィジョンが現れる。それは見知らぬ町の駅に降り立つときのように、ここではないどこかへと自分を向かわせ、その見知らぬ風景のなかで人は「自分」というものと向き合う。音楽が自分を忘れてただ時を楽しむエンターテイメントだとしたら、宇梶晶二と風巻 隆の奏でるものはそうした音楽ではけしてない。サックスが風のように響き、タイコがさまざまな記憶を呼び起こすとき二人の音楽は、人をどこにいるのかわからない場所へと誘っていく。キッド・アイラックという漆黒の空間の中で、深く沈殿していく時間がある。自分が何をしているのかわからなくなり、さまざまな記憶が立ち現れては消えていく。卓越した演奏技術や、斬新なアイデアといったものを感じさせないほど、宇梶と風巻は楽器と自分というものを同化させてしまったかのようにして、ただそこに立っている。そこで生まれる音楽は余計なものがないピュアな音の風景だ。二人の音楽の行き着く先には、ただ音が広がっていて、きっと誰もいない。

(scene 2 : 2006年10月27日 キッド・アイラック・アート・ホール)

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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