#51 風巻 隆 「風を歩く」から~綱島「Namak Café/ナマック・カフェ」
text: Takashi Kazamaki 風巻 隆
若い頃の友人にキンダイチさんという人がいた。カーリーヘアの長髪でヒゲをたくわえたいかにも自由人と言った風貌と、楽器を演奏することに上昇志向がまったくなく、「ミュージシャン」という括りでは捉えきれない変わった人だった。一緒に仙台へ行ってライブを行った際、「カザマキさんに、ちょっと紹介したい人がいるんですよ。」と言って美術家のダダ貫さんのご自宅を訪ねたこともある。ダダ貫さんも美術界の異端児で、大きな作品を残すことよりもメールアートという手作り品で多くの人と交流していて、その「何者にもならない」という生き方を、キンダイチさんもまた、かたくなに貫いていた。
70年代が終わる頃、吉祥寺の「マイナー」という店に、一風変わったミュージシャン達が多く集まっていて、キンダイチさんもその中の一人だった。その頃はチェロを弾き、力の抜けた演奏をしていたのだけれど、物腰のやわらかさや、雑学の博識ぶりは群を抜いていて、多くの人がキンダイチさんを慕っていた。国立の自宅にはよくミュージシャンが集まっていて、興が乗れば演奏が始まったりもした。そこでのセッション「真白き富士の嶺」には、渡邉浩一郎(vln)、3C123(vln)、西村卓也(el-b,チャルメラ)、工藤冬里(p, recorder)、大塚正(per)、竹田賢一(el-大正琴)といった音楽家達が集まっていた。
そこでの3C123という人を食ったようなネーミングはキンダイチさんで、それ以前はヤタスミと名乗っていた。音楽との距離の取り方ということでは、ゲソやONNYKを名乗っていた「第五列」の人達ともどこか通じるものがあるけれど、カセットの作品を自主製作し、自主流通していた「第五列」のように作品を作ることへの執着もキンダイチさんは持っていなかった。ボクがニューヨークへ行ったり、ヨーロッパをツアーするようになってからは、キンダイチさんと会うことはなくなっていたし、ボクはボクでニューヨーク、タリン、大磯等で録音したものを海外のレーベルから次々とCDにリリースしていた。
海外へも行かなくなり、ソロのCDも作り、長年住んだ吉祥寺界隈から実家のある東横線の元住吉へ引っ越してしばらくたった頃、友人から「キンダイチさんがカザマキさんと連絡を取りたがっている。」とのメッセージがSNSで届く。連絡先を伝えると、キンダイチさんから電話が入り、「カザマ
キさーん、こんど木股さんの写真展やるんですけど、そこで久し振りに一緒にやりませんか?」と誘われる。会場は綱島の「Namak Café/ナマック・カフェ」というところで、ボクは知らない店だった。打ち合わせがてら二人で店を訪ね、カウンターの中の店主に、「カザマキです、初めまして。」と挨拶をする。
40代か、独特の重厚感を漂わせている彼が、「やだなー、カザマキさん、ボク猿島に行ってますよ。」と言う。30年ほど前、ボクもまだ若い頃、横須賀沖の猿島という無人島で日がな一日音を出して遊ぶというイベントを企画したことがあり、当時高校生だった彼が友人と参加してくれたという。久し振りに会った彼は、若い頃の旅で培ったグローバルな感性を身に着けた頼もしいマスターになっていて、インドや中近東を思い起こすような泥壁の内装の小さな店を実家の一角に手作りした。シシカバブなどのエスニックテイストの料理も美味しく、飾らずに素のままの自然体でいられる心地よさがある。
思えば、若い頃、一時期だけれどインドのタブラを習っていたことがある。大学生だった79年から3年程のことだったけれど、吉祥寺の南口、丸井の近くにあった「羅宇屋(ラオヤ)」という店でシタールを弾く若林忠宏さんというマスターからタブラを習い、そこで北インドの古典音楽を毎週ライブで演奏していた。「羅宇屋」でインド音楽を習っていた何人かと一緒に、北インド・ラクナウというムスリムの古都へでかけて、80年はバテカンデ音楽大学のサマーコースで、81年はウスタド・ムンネイ・カーンという巨匠から直接一対一でタブラを習う機会を作ってくれ、それはなかなか得難い経験だった。
キンダイチさんが企画した木股忠明という写真家の写真展は、綱島の「Namak Café/ ナマック・カフェ」と新宿ゴールデン街の「裏窓」で開催され、その写真の多くはおもに80年前後に撮影された吉祥寺「マイナー」に集まる無名のミュージシャン達のけだるい雰囲気が印象的な写真だった。ステージの上で躍動するような姿ではなく、居場所がなくストリートで所在無げに佇む若者のけだるさ…、そのけしてカッコ良いとは言えない若者たちの姿を見ていると「カッコつけるのはカッコ悪い」という木股さんの美学が透けて見える。彼もまた、どこからともなく現れていつもニコニコしている人だった。
80年代、まだCDという媒体が世に出ていなかった頃、自分たちの感性をより所に自主製作のレコードを作ったり、手作りのカセットレーベルで自分達の音楽を発表する若いミュージシャンが多くいた。「ぴあ」や「シティロード」という情報誌がコンサートやライブの情報を無選別で掲載し、ジャズやロックという既成の音楽の枠にとどまらない時代に風穴を開けようとする情動や、個人的な趣味をネットワークしていくオタク的な四畳半文化が世にはびこり、即興やパフォーマンスが新しい表現として注目される…、そんな、何でもありの時代とその裏のけだるさを、木股忠明の写真は写しだしていた。
「Namak Café/ナマック・カフェ」は細長い店の造りになっていて、泥壁はゆるくカーブをしていてエキゾチックな空間を作っている。カウンター席の奥に3畳ほどの桟敷席があり、そこがライブの際には舞台になる。桟敷の奥にも小さな窓があり、近くの鶴見川からの川風が入って来て心地よい。その舞台は二人で演奏するには狭いということもあったのか、キンダイチさんは客席から演奏するという。ボクは舞台にアフリカの木琴コギリや、細長いブリキのバケツ、革のヘッドを張ったミニスネアやシンバルをセッティングし、肩からタムタムを下げるいつものスタイルでソロのように演奏をはじめた。
デュオのライブの冒頭、3C123 は「マ・キ・シ・ン・ジ」と、数日前に多摩川の丸子橋から入水自殺したコメディアンの名を切れ切れに叫ぶというパフォーマンスからライブに入っていった。都内に住むキンダイチさんは渋谷から東横線で綱島へ向かう途中、多摩川を鉄橋で渡る際、すぐ近くに丸子橋が見える。ウクレレを弾きながら「あーあ、やんなっちゃった、あ
ーんが、驚いた。」と時事問題をお笑いにしていた牧伸二さんや、その「軽み」への共感が彼にはあったのだろう。西洋の僧侶のような扮装と頭巾を被り、音はほとんど出さずに、客席全体を使って、水を使ったパフォーマンスを展開した。
後半でも、3C123は客席でクラリネットを演奏していたけれど何か音楽を作っていくわけでもなく、またステージへ上がるようなこともしないで、ボクの出す音へずっと合いの手を入れているような演奏だった。そうした展開は予想してはいなかったけれど、キンダイチさんが「何かをしよう」と必死になる人ではなく、いつも飄々とたゆたっている人だということは知っていたので意外ではなかった。彼は、風巻を自分の場所に引きずり出したかったのだろうし、それができたことで目的はもう達成されていて、あとはご自由にというのが彼のスタンスなのだろう。何もしないという「軽み」が、そこにある。
ライブの休憩時、鶴見川から吹いてくる風を心地よく感じながら、1メートル程のブロック塀の上に腰かけて大きく息を吸い込む。意外と集まってくれたお客さんの多さと、思っていたより響きがよく、細かい音までクリアーに聞こえる店の音環境に久し振りの充実感を覚えながら、ボクは店の外でおいしい空気を吸っていた。ここでのライブは投げ銭制となっているので、お客さんも気軽に集まってくれるのだろう。休憩の最中はオーダーが集中するのでマスターの「シンちゃん」はカウンターの中で大忙しだ。ライブとしてはかなり変則的で、音楽も風変わりだけど、お客さん達は楽しんでくれている。
終演後、携帯でキャフェの壁面の写真展を撮影した。木股忠明という写真家が見ていたものが「存在の軽さ」といったものだとしたら、その視点はただ 80年代を回顧する凡百のリメイク企画とは意を異にする。吉祥寺「マイナー」や、「ぎゃてい」といった店に集まっていたアンダーグラウンドの音楽家たちを「地下音楽」などと称して再評価する動きが確かにある。それも、フランスやイタリア、オーストラリア等のインディーズの担い手たちが、その頃のトーキョーの地下音楽シーンに興味を持ち、自主製作のLPを買い求めたりリメイクをしたりして、海外のインディーズシーンに紹介する動きがある。
「Namak Café /ナマック・カフェ」のマスターの「シンちゃん」も、その頃のアンダーグラウンドの音楽シーンの聴き手の一人だったようで、キンダイチさんのような一風変わった表現についても理解が深い。「JAZZ ART せんがわ」のプロデューサーの一人であるチェロの坂本弘道さんや、入谷「なってるハウス」で長年「新・即興の日」というワークショップを主宰してきたサックスの松本健一さんが、この「Namak Café/ナマック・カフェ」で演奏してきたことは後から知ることになる。
丸みを帯びた泥壁は、アコースティックな音の細かいニュアンスをキレイに響かせてくれるのだろう。都内から少し離れたこの店が、音楽シーンの隠れ家のようなものになっているのかもしれない。キンダイチさんとのライブの後、ボクがそこでソロを続けることになったのも自然なことだったし、エストニア・タリンから友人のギタリスト、マルト・ソーが来日した2018年には、たった5日の準備期間で「Namak Café/ナマック・カフェ」でデュオのライブを行い、多くの人が集まった。
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