エッセイ「風を歩く」から vol.2「ライフ・キャフェ LIFE CAFE」風巻 隆

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text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

1984年のニューヨーク、まだ20代だったボクは、イースト・ヴィレッジの小杉武久さんのアパートにツアーの留守を預かる形で住まわせてもらい、1日のほとんどを音楽とともに過ごす喜びと、自分の可能性といったものを受け入れてくれるこの町の「風通しのよさ」というものを肌で感じていた。毎週水曜日に発売されるタブロイド紙「ヴィレッジ・ヴォイス」をストリートの新聞スタンドで買い、センターページに見開きで紹介される1週間分のイベント欄を真っ先に読む。またCHEAP THRILLSというコーナーの無料や廉価のイベントや、紙面に掲載されているジャズクラブなどの広告をチェックすることで、ニューヨークで何が起きているのかがよくわかる。1週間は水曜日から始まるという感覚がボクにはあって、毎週、センターページに何が取り上げられるのかということを、いつも楽しみにしていた。

もちろん、キャフェや公共施設での自主的なライブや、無名のミュージシャンの活動などは、なかなかそうしたところには取り上げられないので、そうしたレアな情報を得るためには、街を歩いて、中古レコード屋やキャフェの店頭に置いてあるチラシや、地域限定のフリーペーパーをチェックすることになる。そうした情報を得られる場所としてよく足を運んでいたのが、イースト・ヴィレッジのLIFE CAFEで、路上に張り出したテラス席に座って、1杯1ドルほどのコーヒーを無料でおかわりしながら、これから何をしようか、ここで何ができるのかよく考えていた。

緑の多い、イースト・ヴィレッジの人達の憩いの場といったトンプキンス・スクエア・パークに隣接しているLIFE CAFEは、近くに住むミュージシャンやアーティストもよく顔を出す場所で、ちょうどその頃は西ドイツのベーシスト、ペーター・コヴァルトが企画するSOUND UNITYというフェスティバルのプレイベントとして、毎週日曜日の午後4時から、デュオのシリーズのライブを続けていた。5月6日の演奏は、ヴァイオリンのビリー・バングとサックスのチャールズ・タイラーで、もちろんペーター・コヴァルトもそこに顔を出し、どっしりとした存在感を放っている。Beck’sというドイツビールの小瓶をラッパ飲みしてライブを聴き、終演後、テーブル席でくつろいでいる彼らに挨拶をしにいった。

ペーター・コヴァルトと会うのも、ビリー・バングと話すのもそれが初めてだったけれど、ペーターがその前年に来日したときに、鶴巻温泉の「すとれんじふるうつ」で、ボクが自主制作した LP『風を歩く』を聴いてくれていて、その話をすると「君の音楽は、よく覚えていますよ。」と言ってくれた。新しくヴァイオリンの小杉武久さんと LP『円盤』を作ったことを二人に話すと、ビリーは聴いてみたいから明日家に来ないかと誘ってくれ、ペーターは 6月にどこかでコンサートをやってみないかと提案してくれた。ライブの終わった LIFE CAFEで、何かが始まろうとしていた。

翌日ビリー・バングの家を訪ねると、この界隈では珍しい新しく建てられたきれいなアパートで、リヴィングも広い。さっそくレコードをかけると、彼は小杉さんのヴァイオリンを真剣な眼差しで聴き、「いい音楽だね、気に入ったよ。」と言ってくれる。「以前、トシノリ・コンドーとのツアーで日本に行ったときはとても楽しかったし、うまれた娘の名前を HOSHI(星)にしたんだ。」という話もしてくれる。思い切って、一緒にライブをやってみたいという話をすると、「LIFE CAFE ならできるかもしれないよ、デイヴィッドというマスターに聞いてみればいい。」とアドヴァイスしてくれる。

それからは忙しかった。6月9日土曜日の夜9時からのライブが決まり、チラシを作るのにホシちゃんの絵を借りることにした。「こんなのは、どうかな?」とビリーさんが見せてくれたのは、絵の具を指でこねまわしたような作品。コピーで作るので白黒になってしまうのがもったいないけれど、力強い、思い切りのいい線はとてもいい。文房具屋でインレタを買ってきてデザインを作っていく。チラシのことをフライヤーというのだけれど、だいたいが大きめのハガキかA5ぐらいのサイズ。コピーショップへ原稿を持っていき、いったんコピーしたものにホワイトをかけて、浅黄色のカード用紙にコピーをお願いする。そうして出来上がったフライヤーを、キャフェやレコードショップに置いてもらう。

ライブができるようになったという話を、その頃何かと世話になっていた、ニューヨーク在住で音楽シーンのことにも詳しい杉山和紀さんに伝えると、プレスリリースを作ったらいいと教えてくれた。自己紹介とコンサート情報の文章を考え、杉山さんに見てもらいタイプで打ってもらう。自分のことを He で書いていく文章のスタイルは杉山さんから教わったのだが、自分の音楽の独創性、演奏の特徴、自分のやってきた演奏活動などを客観的に書いていくという作業は、今までしたことのないとても新鮮な経験だった。自分を謙遜するのがあたり前の日本語では考えられないほど、「タカシ・カザマキは、誰のものとも違う、唯一無二の音楽を演奏するパカッショニスト」だと押し出していく。そうしてできたプレスリリースを、ニューヨークの新聞社や出版社、独立のラジオ局や批評家に郵送した。

ライブを目前にした6月6日の水曜日、いつものように「ヴィレッジ・ヴォイス」を買ってきて、まず、始めにセンターページを広げる。ブルックリンの BAM で行われる、ピナ・バウシュの「春の祭典」が写真入りで大きく報じられるなか、ビリー・バングとタカシ・カザマキのLIFE CAFEでのライブが、小さな扱いだったけれど取り上げられていた。「自作のタイコを演奏する日本人のパカッショニストが、魅惑的なヴァイオリニストと即興のデュエットを繰り広げる。(ギディンズ)」これには、びっくりした。ニューヨークが、ボクのことを注目しているのだ。

ライブ当日、6月初めから続く猛暑で、夜になってもうだるような暑さだ。エアコンが壊れたというLIFE CAFEの店の中もかなり暑い。「ヴィレッジ・ヴォイス」を見たのか、この暑さの中でも多くの観客が集まってくれ、店は熱気に包まれている。中には店の中に入れない人もいて、その多くは通りからガラス越しに店内を伺っている。立ったままタイコを肩から提げ、韓国や中国のドラを併せて使うボクの演奏スタイルは独特のもので、滝のような汗をかきながら、初めてのニューヨークのライブに集中していく。エアコンが壊れて開けっ放しの窓やドアからは、通りに向かって音が広がっていき、ドラとタイコの作り出すボクの演奏は、祭囃子のようにイースト・ヴィレッジに鳴り響いていく。

一部では、お互い手探りする中で、「抽象性」の中で音を遊ばせているような演奏になっていた二人だけれど、休憩を挟んだあとの二部では、お互いのやりたいことがわかってきて、演奏がダイナミックに展開していく。ジャズでもない、和太鼓でもない、独特のうねるようなグルーヴに乗っかって、ビリー・バングのヴァイオリンも自在に演奏を展開していく。60年代のフリージャズや、70年代のインプロヴィゼーションが次第に定式化し、力を失っていくなかで、この日の二人の演奏は、既存のスタイルに依りかからない新しい音楽のあり方として、ニューヨークの聴衆には受けとめられていたのだろう。ボクのニューヨーク・デビューは、こうして、思ってもみなかった形で華々しく終わった。

このときの体験から、ボクはずっと、ニューヨークという町を、新しい可能性に対していつでもオープンな、懐の深い場所だと思い込んでいた。ただ、今から振り返って考えると、80年代のニューヨークというのは、現代音楽の音楽家から生まれた「新しい音楽 (New Music)」という音楽の革新運動が、ジャズや即興音楽をも巻き込んで、さまざまな新しい実験的な試みが繰り広げられていた。既成のジャンルを横断し、コンピュータやサンプラーといった最新の機材を駆使し、世界の民族音楽や伝統音楽に影響されながら、定式化されない音楽を作ろうとする…、そうした大きな潮流の中に、ボクは、知らずと飛び込んでいたのだということ知ったのは、ずいぶん後になってのことだった。

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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