風巻 隆エッセイ「風を歩く」から vol.4 「ペーター・コヴァルト」  

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Text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

SOHO, Downtown NY

ニューヨーク一人暮らしの夜、その日の路上での稼ぎで、韓国人の経営するグロッサリーで買った食事を食べ、バーボンをチビチビやっていると電話が鳴る。日本語で「もしもし、ピーターさんです。飲みませんか?」近くのバーにいるから一緒に飲もうと、西ドイツのベーシスト、ペーター・コヴァルトからだった。英語読みのピーターを好んで使っていた彼は、1984年、SOUND UNITYというフリージャズと即興演奏のフェスティバルを、僚友のベーシスト、ウィリアム・パーカー夫妻と企画していて、その頃、さまざまなライブに顔を出したりしながら精力的に活動していた。

ペーターさんから「ここにいるから」と言われた、ファーストアベニュー・セヴンスの角にあるバーに行くと、サックスのペーター・ブレッツマン、ピアノのイレーネ・シュヴァイツァー、フレッド・ヴァン・ホーフ、トロンボーンのポール・ラザフォードなど、ヨーロッパからこのフェスティバルに駆けつけたミュージシャン達が集まっていた。ブレッツマンは両切りのラッキー・ストライクをくゆらしながら、コニャックを飲んでいる。ボクはBeck’sというドイツのビールの小瓶を片手に、少し気持ちを背伸びさせながらフロアで彼らと話をする。バーはカウンターだけで椅子席はなく、立ち話だ。

ビールを飲み終え手持ちぶさたにしていると、ペーターさんが「何か飲みますか?」とバーボンをおごってくれる。「コスギさんのアパートはどう?」と聞かれ、今は一人だと言うと、「フェスティバルの期間中。知り合いを泊めてもらってもいいかな?」とFMPのヨスト・ゲーバース氏を紹介される。FMPはベルリンを拠点とするミュージシャン組織/レコード・レーベルで、フェスティバルなどもオーガナイズしている。思わぬことでルームシェアすることになったヨスト・ゲーバース氏は、ボクの自主制作レコードにも興味を示し、LP「風を歩く」と「円盤」を5枚ずつ買い上げてくれた。

5月30日の水曜日、サマータイムでまだ外は明るい午後7時半、「CUANDO」という公共の文化施設の、学校の体育館のようなホールでSOUND UNITY フェスティバルが始まった。毎日5時間5日間行われたフェスティバルを、ボクは、ニューヨーク在住の杉山和紀さんのご好意で録音スタッフとしてすべて見ることができた。SOUND UNITYにはジョン・ゾーンやデヴィッド・モスといったニューヨークの新しいミュージシャンや、アジア系のアツコ・ユマ、サン・ウォン・パクらも参加していたが、全体としてはサックスがブローし、ベースがうなり、ドラムがグルーブするというフリージャズの流れをくむものが多く、ヨーロッパのミュージシャンも、ジャズに敬意を払うような演奏に終始していた。

SOUND UNITYというフェスティバルは、A.R.ペンク氏という西ドイツの美術家が、個人的に得た資金を企画者に託して短期間に実現されたものだった。この手作りのフェスティバルをめぐって、ペーター・コヴァルトがニューヨークで展開していた自主的な活動は、ヨーロッパで長年培ってきた「自分たちの場所を、自分たちで作っていく」という経験に基づいた、ゆるぎない方法だったのだろう。こうした動き方を肌で感じたボクは、ニューヨークから帰国すると、明大前「キッド・アイラック・ホール」を拠点に、「音の交差点」というシリーズのコンサートを企画していくようになる。

84年春、ニューヨークのソーホーにある「INROADS」というギャラリー/コンサートスペースでは、Flying PANDA Musicというシリーズのコンサートが毎週土曜日に催されていた。中国系のヴァイオリニスト、ジェイソン・ホワンが、ベースのウィリアム・パーカーとともにプロデュースしたこの企画は、ジャズと現代音楽の接点を探るような、ミュージシャンによる自主的なコンサートだった。ペーター・コヴァルトから一緒にコンサートをしないかと声を掛けられて、チェロのトム・コラと三人で6月末にコンサートをしようと思った時、会場として考えたのはこの「INROADS」だった。

いつだったか、「INROADS」で行われたコンサートの休憩時間に、ロビーでワインを飲みながら知り合いと談笑していたチェロのトム・コラを見かけ、自己紹介をしたことがある。彼も参加した83年和光大学での「反日アンデパンダン」にボクも出演していたことなどを告げると、もうそれだけで、古くからの知り合いのようになっていた。フレッド・フリスとの「スケルトンクルー」というバンドで世界を股に活躍していたトム・コラは、ニューヨークでは即興演奏家としても活躍し、長い手足と、大きな手、さまざまなアタッチメントや小道具を駆使して、チェロの音の可能性を広げ、重層的な音を作り上げていた。ベースのペーター・コヴァルトと、「INROADS」を会場に三人でデュオとトリオを行うコンサートの企画を伝え、出演を依頼すると、「それはとても面白そうだね、やろうよ。」と、即OKの返事をもらった。

6月29日、「INROADS」でのコンサートの当日は、ちょうど大きなジャズフェスティバルの期間中で、同じ日に、ミルフォード・グレイヴスや、韓国のサムルノリのコンサートも重なっていた。それでも、今回も「ヴィレッジ・ヴォイス」の見開きページにとりあげられたこともあって、若いミュージシャンや、熱心なファンの人達が、さほど大きくない会場に詰め掛けてくれた。トシ・マキハラの名前でフィラデルフィアを拠点に活躍していたパカッションの牧原利弘さんや「INPROVISOR」という雑誌をアラバマで毎年出版しているギターのデイビー・ウィリアムスもそこに来てくれていた。

コンサートは、まずトム・コラとボクのデュオが行われ、その後にペーター・コヴァルトとボクのデュオ、そして最後に全員のトリオが行われた。チェロにコンタクトマイクを付けて、ディレーなどのアタッチメントとフットペダルを駆使して多層的な音をだしていくトム・コラは、ジャズからは遠く離れ、ヨーロッパ・フリーと呼ばれる即興演奏のフィールドからも離れた、「新しい音楽(New Music)」と称されるニューヨーク・ダウンタウンの新しい音楽潮流を感じさせてくれる演奏家だ。変化し続けることで自分の演奏をも異化していく…、今この時を最高にしようとする都会的な音楽だ。

ペーター・コヴァルトにはジャズの伝統への敬意があり、また、そこから離れて抽象性へと向かう意思もある。ニューヨークで風巻がジャズと出会ったことを目撃してきたこともあって、初めて共演したのにも拘らず「キミの音楽のことはわかっているから」という懐の深さや、演奏の幅の広さを見せてくれる。即興であるにも拘らず、演奏に方向性を定めてその場で音楽を形作っていく…、この即興の方法論はその後ボクの音楽の作り方になっていった。デュオの演奏の後、ペーター・コヴァルトがそっとボクに耳打ちする。「ボクらのデュオの方が、いい演奏だったね。」

このコンサートを終えてうれしかったのは、ダウンタウンの音楽シーンでは有名な、ストーンさん夫妻が来てくれたことだ。もうとうに定年を過ぎ、年金で暮らしているというこの初老の夫婦が、ほとんど毎日のようにどこかのコンサート会場に現れる。ボクも、いろんな会場でよく一緒になったので、もうそのときには顔見知りだったのだけれど、帰り際に、ボクのところに歩み寄って、こんなことを言ってくれた。「タカシさんよくニューヨークに来てくれました。今まであなたのコンサートに行けなくて、本当にすみませんでした。今日の演奏はとても素晴らしかったと思います。」

ニューヨークの新しい音楽シーンを支えているのは、こうした市井の音楽ファンなのだろう。ペーター・コヴァルトのように、フリージャズを60年代から続く音楽を革新する一つの潮流だと認める考え方と、トム・コラのようにジャズの伝統から全く離れたところで「新しい音楽(New Music)」を指向する潮流が、奇妙に同居していたのが当時のニューヨークだった。ボクはストーンさん夫妻に感謝を述べ、お二人と固く手を握りあった。来週には東京へ帰りますと伝えるとこう話してくれた。「いつ頃ここへ戻って来るんですか、ニューヨークは、あなたのことをいつでも待っています。」

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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