青年は荒野をめざすか? 第二回
■アメリカのニュ―ロックとデザイン ■コミュナリズムの終焉
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃
■ はじめに
「ラグランジュ・ポイント」として、諸テーマの引力関係の均衡点を考えるコラムを書いて来た。
脇道に逸れ、メディアとしてのレコード、特にそのジャケットアートを通して、個人的な視座から歴史と文化を考察したい。
その渉猟範囲として、1970年代後半のパンク、ニューウェーヴ、米西海岸のLAFMS、レジデンツなどの作品以降はカバーしていない。
その理由は多々あるが動画の役割が大きくなったことがある。筆者の意図する考察の範囲を超えているのである。
なお、関わるデザイナー、画家、イラストレーター、写真家などはあまりにも多く、個々に言及すると煩雑なので、今回は筆者がどうしても記しておきたい以外の存在は、説明を省いたことをお断りする。非常に心苦しい決断だった。
稿全体の構成は以下のようになっている。
第一回<ビートからヒッピーへ、ビバップからサイケへ><概観>
第二回<アメリカのニュ―ロックとデザイン><コミュナリズムの終焉>
第三回<英国のニュー・ロック><日本のロック>
第四回<ふたたび英国へ><ヴァージンとECM>
第五回<ジャズのジャケットデザイン><コンピュータ時代、そして西ドイツ>
第六回<結び>+α
■ アメリカのニュ―ロックとデザイン
通称CSNY(=クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)というバンドがあった。ザ・バーズ、ホリーズ、バッファロース・プリングフィールドなどの主要メンバーが集合した。
最も有名なアルバムは『DEJA VU』 (1970)。そのジャケットは、メンバーが西部開拓時代のコスチューム、セピア色モノクロームの古写真が、これまた旧い額縁に収まったようなデザインである。
古写真のようなジャケットは、これも同時代を代表するバンドのひとつ、グレイトフル・デッド(以下、デッドと記す)にもある。
デッドのアルバムジャケットでは『ANTHEM OF THE SUN』(1968)、 『AOXOMOXOA』(1969)などはまさにヒッピーアートの典型だ。
またデッドのライブでは素晴しいデザイン、美麗な印刷のポスターが事前に貼り出されたが、すぐに盗まれる程人気があった。もっとも、デッド・ヘッズ(熱狂的ファン)はいつライブがあるかを告知より先に知っていたのだが。
当時のポスター・デザインにも独特の雰囲気がある。
その一つの手法は、ある不定形の枠の中に、アルファベットを無理に押し込んだ形でバンド名を嵌め込む方法だ。
有名なのはモンキーズ(典型的商業バンド)のバンドマークである。エレキギターの外形の中にTHE MONKEESと文字がはめこまれている。英国のクリームもファーストアルバムのロゴにこの方法を用いてバンド名を現している(CREAMの文字が泡の中に)。
この文字の嵌め込みデザインの起源は、ルーン石碑(8世紀から)にあると思われる。
ヴァイキングは自然石を建て、そこに墓誌や功績などをルーン文字で刻み込んだ。画面(石碑の文字面)に余白が少ない。古代芸術(絵画、壁画、寺院装飾など)やアール・ブリュットに見られるような空白恐怖があるのだ。類縁の装飾には『ケルズの書』(9世紀)として知られるアイルランドの福音書写本がある。この文字デザインを使ったジャケットアートも少なく無い。
文字の余白無し埋め込みを補色関係の色彩と組み合わせ、極彩色、蛍光色の組み合わせ、空白恐怖のように画面を細かいモチーフで埋め尽くす等を用いると、すぐに60年代後半のサイケデリック・アートの様式に成る。
デザイナー達は、ヒッピイズムのベクトルとして、古代宗教への憧憬を隠さなかった。
旧い看板をイメージして成功したもう別の例。ブラス・ロックないしジャズ・ロックとしてデビューした、シカゴのファースト『THE CHICAGO TRANSIT AUTHORITY』 (1969)、そして五枚目の『V』(1972)を挙げよう。
シカゴのロゴは、1930年代あたりの看板にあったような凝った装飾文字である。最初は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」というバンド名が、クラシカルに固まって描かれ判読しがたかった。後にバンド名はシカゴだけになり、ファーストの看板文字の中から抜き出した形で使われ、シカゴの歴史を通じて最後のアルバムのジャケットにまで使われた。
シカゴは、五枚目あたりまでは、バンドのイメージ戦略として、若い世代としての主張、反戦、自由、独立記念日などをテーマとした。それを反映した歌詞のメッセージ性の高い曲をヒットさせた。「自由になりたい」「長い夜」「流血の日」「サタディ・イン・ザ・パーク」「クエスチョンズ67&68」などはその例である。
70年頃から、各バンドは自分達の独自のロゴデザインを重視してアルバムに用いるようになった。あるいはまたバンドのCIというべきキャラクターやマークを頻用した。これは現在に至るまで、バンドには独自のシンボルがあるべしという定型になった。
その典型はローリング・ストーンズの舌を出した真っ赤な唇のマークである。またマイナーなところではジェントル・ジャイアントの、微笑む巨人の顔もある。近年ではエイフィックス・ツインズが、バンド名でもなく象徴的図形でもないCIを用いているのが有名だ。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL)は、同時代の他のバンドよりも、泥臭く、ブルーズとカントリーの風合いを持ち、シンプルで分かりやすい演奏と癖のあるボーカルで人気を得た。彼らのファーストアルバム、『SUSIE Q”』(1968、原題はバンド名そのものだった)もまたクラシカルな看板風の枠組み、そして森に憩うメンバーという典型例である。
またラストアルバム『MARDI GRAS』 (1972)のジャケットも、ジプシー少女の古写真の趣である。
巧みなバイオリンを配し、男女のボーカルでコーラスが印象的なデビューアルバム、『IT’S A BEAUTIFUL DAY』(1969)は、ジャケットも非常に有名で、色々に引用される。そのイラストも戦前のコマーシャルアート的なものである。
その図柄はこうだ。よく晴れた空を背景に、岩の上に立つ少女が風に吹かれて飛びそうな帽子を抑えている。実に爽快な雰囲気だが、演奏はかなりサイケデリックな面が在る。
クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス(QUICKSILVER MESSENGER SERVICE)の名作、『HAPPY TRAILS』 (1969)のジャケットでは、疾走する馬にまたがったカウボーイが手を振っているが、その先に上記の、帽子を抑える少女がいるのだ。こうしたバンド達は相互の引用をすることで、同時代の連帯を謳っているのだろうか。
伝説的ボーカリスト、ジム・モリソンのいたドアーズは、『STRANGE DAYS』 (1967)のジャケットで、旧い街路に、サイドショウ(見せ物小屋)の芸人達が迷い出てきたかのような一瞬を写真に捉えている。これは、彼らの詩に、それ以上の物語性を付与している。
F. F. コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」(1979)への挿入で、再度有名になった収録曲「ジ・エンド」は、エディプス・コンプレックス的な歌詞とインド音楽的モーダルな演奏の相反が印象的である。
ドアーズが他のバンドと一線を画しているのは、その破滅的ポエジーにある。もし破滅があるとすれば、それはどこから来るのか。モリソンを始めとして、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズなどのロック界の象徴的存在を次々に失わせたのは何か。
今一度考える。何故、彼らのデザイン感覚はレトロ志向だったのか。ヒッピイズムに未来はあったのか。
ロックバンドの演奏は次第に巨大なPAシステムや電子楽器の登場で派手になって行く。ボブ・ディランがエレキギターを持った時の反発はどこから来たのか。
ロックとヒッピイズムの志向する所が、過去の自給自足世界をモデルとするならば、その矛盾をどう解消しようとしたのか。イデオロギーと現実の乖離は大きくなるばかりだ。
■ コミュナリズムの終焉
ヒッピーの生活スタイルの理想としてのコミューンは、最初から挫折を孕んでいた。それはアナーキズムの実践に似てはいるが、成熟した個人の良心に従うという意味ではルソー的でもある。
自由な個人の集散だけでは、いずれ生産力が失われる。そこで決定を運営委員会やら評議会(ロシア語でソヴェートという)に託す。老人、傷病者、子供、妊産婦などの存在を労働の代価で保証するのは「調整」が必要になる。いつしかそれが権力となる。コミュニズムとコミュナリズムは表裏一体だ。
そこまで成長できるならまだ存続できそうだ。しかし現実的にはどうだったのか。
60年代後半、北米には二千のコミューンがあったという。
キャサリン・キンケイドは『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』(明鏡社、2003)で、世界で最も成功したコミューン「ツイン・オークス」の創設から現在まで(!)の苦難の詳細を、その創設者の一人として報告する。
当初数人で始まった生活は、居住者が増えて行くに従って様々な問題に直面する。それは元々家族でも部族でもない、論理も感情も異なる自由な個人が集まって、共同体を維持するという極めて困難な課題である。
思い出そう。バンドとは部族の意味だ。ロックバンドも小さなコミューンであったのか。
また、現在世界中で、災害と戦乱と迫害から、難民、避難者の受け皿、アサイラム=避難所として、また生活再建の場としてのコミュニティ建設が必要であり、為されている。それ故、この問題は決してアメリカ現代社会学だけのテーマではない。
ツイン・オークスは、外部の社会と経済関係を保ちながら、その体制を常に反省しながら生かし、持続発展して来た。そこにはイデオロギーや宗教的な基盤はない。彼らは、行動主義心理学者スキナーの著書『ウォールデンII』(1948)に触発されて、その実践形態としての共同生活を始めたのだ。彼らは或る程度インテリであり、自律的に生産する生活者としての尊厳があった。夢と幻想とロックでは喰えない事を知るべきである。
成員が相互に批判しあう場を持っていたツイン・オークスは、優等生であり成功例といっていい。そこでは農業や牧畜、木工などの労働、育児、衣食住の充足、性的欲求、精神的安定、創造力発揮などが、何度も危機を孕みながら継続できた。そこには規律が求められたのだ。
一方消滅していったコミューンでは時折メンバーが町に出て、食料品のスーパーマーケットの残飯を漁って持ち帰っていたり、売春まがいの行為で現金を得たりもした。こうした「堕落していくコミューン」の内情を垣間みる書籍がある。
マーク・ヴォネガットの書いた『エデン特急』(みすず書房、1979)はコミューンの生活を描いている。著者は、ヒッピーに絶大な支持を得た著明なSF作家カート・ヴォネガットの息子であり、コミューン生活はドラッグの摂取で精神的な破綻で壊滅した。治癒後に彼は精神科医となった。
『ザ・ファミリー』(草思社、1974)は貴重なドキュメント。「女優シャロン・テート惨殺事件」で有名になったカルト教祖、チャールズ・マンソンを中心としたカルト集団の生活詳細を描く(コミューンには当たらないかもしれないが)。彼は絶大な人気バンド「ビーチボーイズ」とのドラッグによるコネを利用して、シンガーとしてメジャーデビューを図っていた。著者エド・サンダースは、これも特異な風刺精神のバンドTHE FUGSのメンバーだった。
また、コミューンの雰囲気を感じる映画が在る。
それが非常に有名な作品『イージー・ライダー』(1969)である。これは巷に言われるようなヒッピイズムの映画ではない。その終焉の物語だ。
麻薬で儲けた二人のバイカーは、西海岸からニューオリンズの祭、マルディ・グラへ向かう。最初は安定した農園に世話になる。ヒッチハイカーを拾った二人は、彼の暮らすコミューンに送り届ける。その集団はもはや崩壊寸前である。最後に彼らは、長髪であるとか、地元民でないというだけで嫌悪され、遂に殺されてしまう。
バンド「シカゴ」のプロデューサー、ジェイムス・W・ガルシオは、1973年に『エレクトラ・グライド・イン・ブルー』(邦題『グライド・イン・ブルー』)という映画を制作した。その中でシカゴのメンバーが、農場を運営するコミューンのメンバーとして登場する。
ガルシオはもう一つの「イージーライダー」、あるいはそれへの裏返しとして「グライド・イン・ブルー」を作った。
主人公は二人の白バイ警官。最後に、誤解された警官はヒッピーに射殺されてしまう。
どちらの映画もヒッピイズムを称揚している訳ではないことは確かだ。
ジャズ・ミュージシャンは、被差別意識と黒人であることの尊厳に、また経済的成功と様式革新の矛盾の中で足掻(あが)いた。ミンガスやマイルスの自伝はその葛藤を教えてくれる。
片や、新たな商品音楽たる白人のロックはジャズ、ブルース、R&B、カントリー、ブルーグラスへの憧憬を隠さず、ヴァリエーションを輩出した。
また、一方でラテン、ヒスパニックのルーツを持つ一派が台頭して来た。ウッドストック・ライブで評判をとったサンタナがその代表である。エル・チカノ、マロ、アステカなども続いた。
残念ながら北米先住民のロックへの参入はさほど多くはない。4人全員が先住民居住区出身であるレッド・ボーンは健闘したひとつだ。マザーズ・オブ・インヴェンションのドラマーだったジミー・カール・ブラックは、自らのインディアン性をセールスポイントに活躍したが、音楽性がそうであった訳ではない。
ロックは多様なルーツミュージック、民族音楽そして古楽やクラシック、さらに電子音楽、現代音楽、フリージャズの実験的要素とも融合して行く。それらは後にプログレッシヴ・ロックと呼ばれる事になる。
マイルスが、フリージャズなんて評論家が作ったようなものだと言うなら、プログレッシヴ・ロックもまた評論家諸氏とレコード会社の宣伝部の努力の結果ではある。
フリ―ジャズが、アメリカでは商品価値を認められず、ミュージシャン達はヨーロッパへ向かった。
そしてアメリカのニューロックは予め失われたルーツを求めて彷徨い、コミュナリズムから去って行く。しかしヨーロッパでは事情が違っていた。
第二回終わり。
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング, コミュナリズム, ジム・モリソン, クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル, ローリング・ストーン, The CHICAGO, ルーン碑文, モンキーズ, CSNY, ドアーズ, ニューロック, ヒッピイズム, グレイトフル・デッド, イージー・ライダー, 地獄の黙示録, プログレッシブ・ロック





