青年は荒野をめざすか? 第三回 <英国のニュー・ロック><日本のロック>
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃
「ラグランジュ・ポイント」として、諸テーマの引力関係の均衡点を考えるコラムを書いて来た。
脇道に逸れ、メディアとしてのレコード、特にそのジャケットアートを通して、個人的な視座から歴史と文化を考察したい。
その渉猟範囲として、1970年代後半のパンク、ニューウェーヴ、米西海岸のLAFMS、レジデンツなどの作品以降はカバーしていない。
その理由は多々あるが動画の役割が大きくなったことがある。筆者の意図する考察の範囲を超えているのである。
第一回<ビートからヒッピーへ、ビバップからサイケへ><概観>
第二回<アメリカのニュ―ロックとデザイン><コミュナリズムの終焉>
第三回<英国のニュー・ロック><日本のロック>
第四回<ふたたび英国へ><ヴァージンとECM>
第五回<ジャズのジャケットデザイン><コンピュータ時代、そして西ドイツ>
第六回<結び>+α
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<英国のニューロック>
アメリカのニュー・ロックのアルバム・ジャケットが、田園回帰と懐古傾向にあったと書いた。
が、農場を使ったジャケットで最も有名なのは、英国のバンド、ピンク・フロイドの『原子心母』(1970)である。これはかなり衝撃的デザインだった。現在でも何かと引用される事が多い。
ジャケットの表にも裏にもバンド名、タイトルがなく、どアップのホルスタインが、よだれを垂らしながらこちらを向いている。見開きジャケットだったから背中と内側にはデータがあった。しかし内側もモノクロの牛達ののんびりした姿。
その内容と相まって大いに話題になった。つまりクラシック・オーケストラとロックバンドの共演である。
しかしこれ自体は彼らに始まった事ではない。ムーディ・ブルース、ディープ・パープル、マザーズ・オブ・インヴェンションなどが先駆的だった。ただ、それぞれのバンドやオーケストラや指揮者がどのような意図で共演をしたか、その成果は如何という問題は措く。
もしジャズにおけるサードストリームを、ジャズとクラシックの癒合と考えても良いなら、ピンク・フロイドに代表されるプログレッシヴ・ロックはロックとクラシックの折衷とも言える。
サードストリームの退潮に比して、プログレッシヴ・ロックは新たな商品戦略として進展した。サイケデリック・ロックがアメリカを主に展開したならば、プログレレッシヴ・ロックは英国で開花した。
プログレッシヴ・ロック(以下プログレとする)なる呼称もまた評論家的、レコード会社戦略的「造語」といえばそうなのだが、社会的な認知度は『原子心母』のヒットにより、一気に高まった。
中高の音楽鑑賞の時間にこれをかけた教師も少なく無かった(筆者の中学では黒人霊歌を聴かされ、歌わされたが)。
『原子心母』は、タイトル、ジャケットが齎す異化効果が大きかった。原題 ”Atom Heart Mother” の由来は、ある女性が、原子力電池のペースメーカーを心臓に装着成功したという新聞記事にヒントを得た。タイトルは音楽には関係なく、あとから付けたものだ。
このデザインを担当したのはデザイナー・チームのヒプノシス(1968~1983)である。ヒプノシスのデザインを集めただけでも美術展を開催できるだろう。その多くは写真をシュールレアリスティックに加工している。
ダリの描いた最高の超現実的作品を、「パン籠」(1926)と言う人は多い。ただ、パン籠にパンが収まっている。それだけの絵だが、それだけに見えないダリの技術と魔術がある。
そのようにヒプノシスの最高傑作を、何の変哲も無い農場の牛をそのまま撮影した「原子心母」と言ってもいいだろうか。勿論ただの写真ではなく、考えない者には見えて来ない苦心の成果なのだが。加工されていないように見えるのが、最高の加工かもしれない。それを演出という。
が、正直言って私はこのアルバムをあまり好きではない。
A面で、やたら壮大なハリボテの伽藍にだらだら響くピンク・フロイドの演奏。後に彼らは実際に古代劇場で演奏もしてみせるのだが。プログレ・バンドにありがちな事大主義。メンバー裡からの批判もない訳ではなかった。
むしろB面の、アシッド・フォーク調の小曲、あるいは具体音で構成した<アランズ・サイケデリック・ブレイクファスト>の遠慮がちな実験が心地よい。
私は二枚組の前作『ウマグマ』(1969)の各面に横溢する前衛的なエネルギーの方を評価する。そこにクラシック・コンプレックスは一切無い。
シュルレアリスムとの関連で言えば、米国のバンド、モビーグレープ『ワウ』(1968)のジャケットは、巨大な葡萄の房が浜辺に漂着したといった風だ。
これはシュルレアリスムの巨匠ルネ・マグリットの絵画とか、英国SFのニューウエーブと言われたJ.G.バラードの短編「溺れた巨人」(1963)を思い出す。
米国のジャズロックバンド、ドリームスのファースト・アルバム(1970)においても、マグリットの描いた山高帽の男が雨粒の代わりに降って来る作品を引用している(降ってくるのはバンドメンバーだが)。ドリームスにはビリー・コブハム、ブレッカー・ブラザース、ジョン・アバークロンビーが在籍していた。
70年代最も売れたクロスオーバー・グループ、ウェザーリポートのサード・アルバム『スウィート・ナイター』(1973)のジャケットも、雲がメンバーの顔に見えるマグリット的イラストである。
あるいは部屋一杯の巨大な林檎が描かれたマグリットの作品もある。これはジェフ・ベックの『ベック・オラ』(1969)のジャケットに引用された。
おそらく、マグリット風デザインのジャケットを集めたら十や二十では済まない。私の知人のバンドも自主制作アルバムで無許可で作品を使っている。
ヒプノシスの作品群が、シュルレアリスム的であるという事に異論を唱える人はいないだろう。
何故「超現実主義」がこれほど好まれたか。
再び問う。プログレとは何か。端的にはリズム&ブルース構造や、ブルース・コードによるアドリブ、ロックンロール的なダンスの伴奏から脱した、多様なジャンル、スタイルの影響を受けた「ロック」である。それらはクラシック、民族音楽、フォーク、ジャズ、現代音楽、電子音楽といったところだろう。
デラシネのロックにはそれら全てに対しての憧れと劣等感がある。
その超克のため演奏も高度なテクニックを要し、楽器も多様化し、キーボードの比重が高くなり、リズムや転調も複雑化していった。
また歌詞もおいてもドラッグ的、性愛的、ラブソング的な内容から、また哲学的な、あるいは幻想的、衒学的な、複雑なものに変化せざるを得なかった。
つまりロックは揺籃期を脱し、背伸びした思春期的マニエリスムが始まった。
ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマーを、最も成功した四大プログレ・バンドというのは異論を俟たない。
これらのバンドの曲で、男女がペアになってリズムをとりながら踊るのは難しい。もはやサウンドに身を任せるしかない。いや精神を委ねるしかないだろう。丁度ビバップでダンスをするのが難しくなったように。
これは踊る音楽ではなく、聞きそして思考する為の音楽だ。
その意味では、プログレは、クラシックもどき、多様なスタイルのキメラであってはならず、サウンドの構築、運動性を通して意識に沈潜しながら、意識の外へ向かう現代芸術であるべきなのだ。
しかし果たしてそうなのか?
デレク・ベイリーが著書「即興=インプロヴィゼーション」(1981)の中で、ロックの即興演奏家として選んだのは、当時イエス在籍のギタリスト、スティーヴ・ハウであった。確かにハウのギター・テクニックは、ブルースをベースにしたものとは異質だった。
イエスのアルバムと言えば、実に人気のあったイラストレーター、ロジャー・ディーンにも触れたいが、彼の手になるアルバム・ジャケットも数多く、画集も出版されているとだけ書いておく。
その画風はパステルカラーの、広大な空間と浮遊感のある、重力を感じない幻想的風景だ。イエスの成功は彼の絵を使った事にあると言ってもいい。ディーンもまたある種の夢幻的シュルレアリスム画家なのだ。
重量感のあるサウンドを軸に、最も成功したロックバンドのひとつとして、レッド・ツェッペリンを挙げる事に異議はないだろう。
デビュー・アルバム(1969年1月)のジャケットには、爆発して炎上落下する飛行船を、モノクロームのコントラストを強調して点描イラスト化した図柄である。
が、これはツェッペリン号ではなく、実際にアメリカ到着時に事故を起こしたヒンデンブルク号の写真を用いている。この墜落は1937年のことだ。
そしてセカンド(1969年10月)では第一次大戦のドイツ空軍部隊の写真にバンドメンバーの顔がまぎれている。
サード・アルバム(1970)のジャケットはかなりトリッキーなオモチャっぽい物だがデザイン的に優れているとは言いがたい。メンバーにも不評だった。
四枚目、通称『フォア・シンボルズ』(1971)では、またレトロなイメージが用いられる。まず表では古い壁紙の上に額縁がかかっている。その中には柴を大量に背負った田舎の屋根葺き職人の彩色写真。この画像が喚起するのはなんだろうか。
しかし見開きの裏側を見て驚く。その壁はもはや崩れて行く廃屋の一部だった。その壁の向こうには最新の高層ビル群が曇り空の中に聳えている。
そして二つ折りの内側を見てさらに驚く。それは丁寧に描かれた鉛筆画だろうか。高い岩山の上にランタンを掲げ、フードとマントを被った賢者か隠者風の人物がいる。その灯りを目指してか、1人の男が岩山をよじ上っている。その背景には彼が居たであろう中世風の町。
またレコードの入っている紙袋にはラテン語聖書のような文字で、アルバムで最も有名な<天国への階段>の歌詞が書かれている。メンバー四人を現しているという四つのシンボルは、これまた中世の錬金術かカバラーの記号のようである。リーダー的存在のジミー・ペイジが魔術に凝っていたというのは事実である。
これと対照的なのは『プレゼンス』(1976)のシンプルなオブジェ写真であるが、その置かれている環境はやはり近過去、1950年代のTIME誌から引用された写真だ。ヒプノシスの作品である。
また『イン・スルー・ジ・アウトドア』(1979)のジャケットでは、レトロな酒場の写真を四方向から撮影して都合6種類のジャケットが作られ、外袋を開けるまでどのジャケットか分からないという仕様。これもヒプノシスの作品だ。
アンティークというよりもさらに、英国圏内での古典的美を辿ると「ケルズの書」(8~9世紀)や、「リンディスファーン聖書」(13世紀。この名前のロックバンドもある)に行き着く。その各頁の文字配列は過剰と思える装飾に満ちている。
この稠密な装飾性をアルバム・ジャケットに使ったのは、キング・クリムゾンのサード・アルバム『リザード』(1970)である。
このジャケット・アートには美麗で知られる「ベリー公の豪華時祷書」(15世紀)の引用も見られる。
中世や古代への憧憬を隠さない例は多い。
デビュー当時、グラム・ロックと言われ、(ブライアン)イーノらの派手なメイクで話題を浚ったロキシー・ミュージックは意外にも80年代に入ってから懐古趣味となり『アヴァロン』(1982)ではアーサー王伝説からイメージを借りた。アーサー王も実在の人物ではないが、その伝説は一人歩きして英国民はその遺跡を探し求める。シャーロック・ホームズと同じだ。
フォーク・ロックの新星だったが一枚で終わったフォザリンゲイは、中世ファッションを意識したイラストがアルバム・ジャケット(1970)を飾っている。
ウィッシュボン・アッシュも『百眼の巨人アーガス』(1972)では中世の騎士の後ろ姿が近景にあり、空には円盤が飛んでいる。
ロックバンドというにはあまりに特異なグループ、サード・イアー・バンドは単調なリズム、全て生楽器でのミニマルな演奏で、意外にも人気を得た。チェロ、バイオリン、オーボエ、ハンドドラムというシンプルな編成である。アルバム『アルケミー(錬金術)』(1969)、では、まさに錬金術の象徴的図像のひとつを用いている。
また『天と地、火と水』(1970)、では全面が、昔風の粗いドットによる雲の写真、それが紫色で印刷され、バンド名が、やはり「ケルズの書」のようなデザインで描かれているだけである。これも私的には最高のジャケットと評価している。残念ながらCDでは同じデザインながら、その粗いドットの効果が全くないのが悲しい。
英国のこの時期のジャケット・デザインは懐古趣味だけでなく、一種の幻想志向、物語性を込めたセンスが感じられる。ヒッピイズムが希薄な英国風土、国情のなかで、ロック・ミュージシャン達は過去に理想というより幻想、物語を見いだしていたのではないか。
コナン・ドイルが妖精の存在を信じ、イェイツがケルト、アイルランドの妖精譚を蒐集し、また英国ではいまだにオカルティズム、降霊術が盛んであることを思い合わせておこう。
英国のプログレはレトロ趣味と幻想的物語に裏打ちされたスタイルだったともいえる。
<日本のロック>
日本に目を移そう。
通称「ゆでめん」は、はっぴいえんどの一応ファースト(1970)とされているが、そのジャケットに大きく「ゆでめん」という看板が描かれていることから、こう呼ばれる事になった。
この店の雰囲気も絵のタッチも、戦後の日本のどうということのない風景である。しかし、このアルバムで彼らは日本語のロックを確実に把握したと述懐している。
セカンドアルバム『風街ろまん』(1971)は、メンバー四人の顔が上下左右に配置されただけの、しかし白地のバックから浮き上がる印象的なジャケットだった。若き日の大瀧詠一、細野晴臣、松本隆の顔も懐かしい。
見開きの内側は、都会の生活を庶民的な視線で象徴するような、路面電車の走る街路であり、同時代でありながら近過去になった世界だ。画風によってそのレトロ感は強調されている。
レコード袋には、当時多くのバンドが採用したような手書きの歌詞があり、歌詞と相まって近過去への憧憬と同時代への希望と失望のないまぜになった感が表現されている。
ニホンの美学を象徴する「はな」と「たび」を冠したフラワー・トラヴェリン・バンドは、はっぴいえんどの対極的な位置にあった。
ファースト『ANYWHERE』(1970)では、全裸でバイクに跨がり疾走するメンバーがジャケットになっている。ヒッピイズムというより安易な反社会的風体。キング・クリムゾンのカバーもしている。
しかしセカンド『SATORI』(1971)は完成度が高い。歌詞こそ英語だが、そのサウンド、リズム感は、非西欧的ロックバンドのイメージを確固たるものにしている。この当時非西欧的な雰囲気のロックバンドといえるのは西ドイツのCANくらいだったろうか。そのカンのボーカリストもまた、日本人ダモ鈴木だったのだが。
また「SATORI」のジャケットは、結跏趺坐する仏陀のシルエットに様々な東洋的イメージがちりばめられており、例えば、はっぴいえんどのアルバムジャケットと比較した場合、あまりにもオリエンタルであることを強調し過ぎているのではないかとさえ思える。
そして彼らがメジャーからリリースしたアルバムのタイトルは『メイド・イン・ジャパン』(1972)。全て露悪的にニホンを強調する。それによって自虐的に開き直るイメージが浮かび上がる。別に雅楽や民謡や演歌をやる必要はないのだ。
後には、ファー・イースト・ファミリー・バンドや、喜多郎のように海外から見た音楽的イメージとしてのニホンを売るバンドも登場した。その方が受けは良かった。
カルメン・マキ&OZのファースト・アルバム(1975)は、音楽性とジャケット・デザインが、不思議に合致した例だろう。
その図柄は、格子状の平面が地平線まで広がり、その上に西欧的なアンティーク玩具やレトロ風俗・遊戯が関連性も無く、しかしいわくありげに散らばっている。もし動画にしたら楽しいかもしれない。バンド名のロゴもやはりレトロだ。
カルメン・マキが声をふりしぼり、OZのハードかつセンチメンタルなサウンドに拮抗している。いまのシンガーならスーパーフライに近い(この名前も、同名の1972年のブラックスプロイテーション映画からきている)。
ジャケットには日本的な要素は全くないのだが、アンティークなオブジェへの郷愁と、変わりゆく都市の孤独を歌うロックが物語を作っている。
日本のロックにおけるジャケット・アートは、全く傾向が見いだせない。見いだせないという意味で、まさに日本の同時代の現状を表現している。あらゆる影響を受けながら、どこに向かうのか。
70年安保闘争の敗北、左右過激派の引き起こした事件、経済成長のかげりと見せかけの繁栄、コンピュータ、ワープロ、コピー機、ファックスなどオフィス・オートメの浸透があった。短小軽薄とパロディ全盛。またミニコミ、カセット、ウォークマン、シンセサイザー、ビデオの普及も。こうしたガジェットの意識への侵入は、個々の在り方を変えて行った。
日本の60年代から70年代前半辺りまでのロックの変化は、海外と軌を一にして激しいものがある。その成果も模倣の段階を越えて、決して見劣りはしないレベルに達している。
が、この時代日本の音楽産業やメディアでは、いわゆる「フォーク」が隆盛であった。
もちろん誰もが知るようにこのフォークの意味は、民衆音楽や民族音楽の意味ではない。それはプログレが進歩的という意味でないのと同じだし、フリージャズはフリーではなかった。
現在でも、この当時のフォークは、ニューミュージック、シティポップと並んでよく歌われるが(筆者のカラオケ印象)、ロックで歌われるのはおそらくモップスくらいではないだろうか。
日本のロック史を概観した書として、自らロックシンガーであった英国人ジュリアン・コープが「ジャップロックサンプラー」(2007)を上梓しており、その詳細も興味深いのだが、かなり誤記も多く、ロック通には評価が分かれる。
海外のタレントをメインにした、稀に企画される大きなイベント(1971年の箱根アフロディーテ、1974年の郡山ワンステップフェスティヴァルなど)では日本の名だたるロックバンドが出演している。しかし彼らはフォーク歌手達、フォークのフェスティヴァルに比較して知名度も商業的にも低迷していた。
ここで一つの断絶がある。それは1978年にデビューしたイエロー・マジック・オーケストラの出現だ。
「テクノポップ」いう新しいジャンル、スタイルによって流行に敏感な青年層を掴んだ。彼らの音楽とファッションとほぼ無意味に近い歌詞は、新たなモードとなり、街にはそのエピゴーネンが溢れた。またその音楽スタイルも、プラスティックス、ヒカシューなど、シンセサイザーとリズムボックスによる「ピコピコサウンド」として人口に膾炙した。ここでは彼らの領域までは踏み込まないでおこう。
またこの時期には世界的にパンク、ニュー・ウェーヴが話題となり、世界各地でインディーズと呼ばれる自主制作レコードの配給が始まる。ジャズや即興の世界でも同様の傾向が見られたのである。
争乱と怒濤の60年代が終わり、虚しく「人類の進歩と調和」を謳ったEXPO ’70と、よど号ハイジャックと、三島由紀夫事件で始まった70年代。
強くニホンをイメージし、それを必要としたのは、ロックで狂乱する若者ではなく、大阪万博では何も出来なかったジャズメンだっただろう。
以前ニホン沼に浸かったジャズという視点から幾つかのアルバムを挙げた。
欧米を追いかけたジャズが、時代の転換期に、従来以上にニホンを意識するのは当然なのだ。
山下洋輔トリオは『木喰』を録音した。70年の1月の事だった。
第三回終わり。
プログレレッシヴ・ロック, イエロー・マジック・オーケストラ, カルメン・マキ&OZ, フラワー・トラヴェリン・バンド, サード・イアー・バンド, ロキシー・ミュージック, イエス, ルネ・マグリット, ヒプノシス, プログレ, はっぴいえんど, ピンク・フロイド, ジェフ・ベック, キング・クリムゾン, レッド・ツェッペリン