青年は荒野をめざすか? 第四回
ふたたび英国へ〜ヴァージンとECM
text by Yoshiaki Onnyk Kinnno 金野 Onnyk 吉晃
「ラグランジュ・ポイント」として、諸テーマの引力関係の均衡点を考えるコラムを書いて来た。
脇道に逸れ、メディアとしてのレコード、特にそのジャケットアートを通して、個人的な視座から歴史と文化を考察したい。
その渉猟範囲として、1970年代後半のパンク、ニューウェーヴ、米西海岸のLAFMS、レジデンツなどの作品以降はカバーしていない。
その理由は多々あるが動画の役割が大きくなったことがある。筆者の意図する考察の範囲を超えているのである。
第一回<ビートからヒッピーへ、ビバップからサイケへ><概観>
第二回<アメリカのニュ―ロックとデザイン><コミュナリズムの終焉>
第三回<英国のニュー・ロック><日本のロック>
第四回<ふたたび英国へ><ヴァージンとECM>
第五回<ジャズのジャケットデザイン><コンピュータ時代、そして西ドイツ>
第六回<結び> +α
■ ふたたび英国へ
1.幻想と伝説
再び英国に目を転ずる。
アメリカのジャケット・デザインが、レトロ志向に、農業や自然回帰に向かうとして、英国のデザイン志向はそうならなかった、なれなかったと書いた。
では代わりに彼らが選んだ方向性は。既に書いたように、中世やケルト、ドルイド教、つまり古代への志向がある一方で、英国の庶民伝統の中には様々な、妖精譚やら降霊術、アーサー王伝説、ナーサリーライム(マザー・グース)等のファンタジーが息づいている。
W. B. イエイツの妖精物語蒐集、ルイス・キャロルのアリスの世界、コナン・ドイルの心霊主義、映画でヒットした「エクソシスト」「オーメン」「ロード・オブ・ザ・リング」、「ハリー・ポッター・シリーズ」など、英国民には幻想の世界が、歴史と平行して連綿として生きている。
リック・ウェイクマン(イエスのキーボード奏者1949~)は、「ヘンリー八世の六人の妻」(1973)、「アーサー王と円卓の騎士たち」(1975)を発表し、世界的セールスを記録した。
2.ブルース・ブームの後で
英国にはブルース・ロックと呼ぶべき、シンプルかつハードでタメの強い演奏をする一派がある。それは確かにブルースとリズム&ブルースに根を持っている。ハードロック、ヘヴィメタル、パンクなどのスタイルは、全てそこから派生してきたと言えよう。
アレクシス・コーナー(1928~1984)、ジョン・メイオール(1933~2024)らが祖となり、盛んにアメリカの黒人ブルースマンとのセッションが繰り返され、そのエッセンスを吸収した。
その結果、初期ムーディ・ブルース、初期ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、スペンサー・デイヴィス・グループ、キンクス、ハンブル・パイ、スモール・フェイセスなどが輩出した。
中でも平均年齢が若い4人組フリーは、その名の如くシンプルで力強く、重い。アルバム「ファイヤー・アンド・ウォーター」(1970)からヒット曲<オールライト・ナウ>も生まれた。
デビュー・アルバム「トンズ・オブ・ソブス」(1969)。そのジャケットは実に英国らしい暗鬱さを感じさせる。墓場に置かれた透明の棺。その中にはミッキー・マウスが横たわっている。画面全体は、薄明なのか黄昏なのか仄暗い青みに沈んでいる。アメリカのポップ・カルチャーを象徴するミッキー。棺に入ったそれは何を意味したのか。

「フリー/トンズ・オブ・ソブス」
ブルース・ロック系のバンド群はアメリカでも人気を呼んだ。その筆頭はと言えば、アニマルズであり、ザ・ビートルズに他ならない。この、「ポップ化したブルース逆流現象」を「ブリティッシュ・インヴェイジョン」(1964~)と言う。
3.ブリティッシュ・フォーク
英国の別の流れであるアコースティックなロック、あるいはブリティッシュ・フォークともトラッドとも呼ばれる一派がある。フェアポート・コンヴェンション、ペンタングル、フォザリンゲイなどを挙げよう。
そんな中でコウマスはかなり特異な存在だった。そのサウンドは、アコースティック・ギターがかきむしる激しいリズムに、苛立つような旋律をうめく歌声である。
名作と呼ばれるファースト「ファースト・アタランス」(1971)のジャケットは、神経質なペン画で描かれた筋肉剥き出しの、叫びながらのたうつ男のイラスト。しかし見開きの内側は、パステルカラーの不思議な世界である。この表裏のあまりにも違う印象を、リスナーはどう受け止めるだろうか。
ジェスロ・タルも、ジャズ的、フォーク的な風合いを取り入れながらレトロ感のある曲と歌で人気を博した。時に生ギター中心の歌もあるが、コウマスよりはずっと聴きやすく、時にジャズ的でさえある。特にヴォーカリスト、イアン・アンダーソンが時折吹くフルートは明らかにローランド・カークを真似ているし、モントルーはじめ、多くのジャズ・フェスティヴァルにも出演している
アルバム・ジャケットはどれもアンチ・モダンというべきデザインである。
彼らの代表曲のひとつは「リヴィング・イン・ザ・パスト」というのがあるほどだから無理も無い。彼らのベスト盤(1972)のタイトルでもあるが、そのジャケットもまた旧い革装書籍を模している。
ファースト・アルバム「日曜日の印象」(1968)では、老人に扮したメンバーを俯瞰している写真。セカンド「スタンド・アップ」(1969)では旧い木版画風。「ベネフィット」(1970)では、切り抜いた人物を立たせる仕様、「アクアラング」(1971)ではこれもレトロなしかし達者な油彩でメンバーを描く。次の「ジェラルドの汚れなき世界」(1972)は話題を呼んだ。歌詞を書いた少年詩人ジェラルドが受賞した日の新聞をそのままジャケットにしている。勿論全てフェイクである。彼らのジャケット・センスは常にサタイアとユーモアに溢れている。
4.ブリット・ジャズとロック
幾らでも興味深いアルバム・ジャケットは紹介できるが、筆者の評価として「これほど酷いデザインはない」と思われる例も挙げておく。
それはソフト・マシーン「ヴォリューム2」(1969)のオリジナル盤ジャケットである。バンド名が、ウィリアム・バロウズの小説から来ているのは有名だが、当初はサイケデリックなポップス的要素が強かった。ギタリストのデヴィッド・アレン(後にフランスでバンド、ゴングを結成し活躍)が抜けて、キーボード・トリオになった。バンドはいったん解散したがファーストの評価が高く、メンバー入れ替えをしてセカンドを作った。
そのアルバムのジャケットこそ、最低のデザイン。その意味で非常に印象的だ。
ぐちゃぐちゃのラメをふりかけた稚拙な女性型の粘土人形に機械部品を埋め込み、顔だけ可愛らしい少女の写真になっている。読みにくいロゴでタイトルとバンド名が横断している。内容が素晴しいだけに粗雑さに驚く。誰しもが同感だったようだ。何度も再発され、その度にシンプルなデザインに変更された。
さて、ソフト・マシーンを語るととても紙幅が足りない。英国の非常に重要な位置にあるジャズ・ロック・バンドであり、またかなりプログレッシブな要素を含んでいる。結成時点から、現在に至るまで、関連するバンドや人脈(カンタベリー・ツリーと呼ばれる)は錯綜し、完全に語り尽くすのは至難だ。
つまり、英国ジャズ、そして英国ロックの狭い世界は、稠密であり網の目のように絡まりあっている。ロックといわず、ジャズといわず1人のミュージシャンが実に多くの録音に参加している。その組み合わせは無限かもしれないというほど。
即興演奏界において、世界初の無伴奏トロンボーン・ソロ「ジェントル・ハーム・オブ・ブルジョワジー」(1975)を発表し、デレク・ベイリーと「イスクラ1903」(1972)を作った、ポール・ラザフォード(1940~2007)も、実はロック界での重鎮だった。
キース・ティペット(1947~2020)というピアニストを紹介する。
英国ジャズ・シーンの代表的ミュージシャンといっていい。筆者はJT誌上に追悼文を書いた。
キング・クリムゾンのロバート・フリップが彼のファンで、何度も加入を要請した。が、果たせなかった。50人以上が参加したティペットのビッグバンド、センティピードによる二枚組「セプトーバー・エナジー」(1971)、またクィンテット編成の「ブルー・プリント」(1972)などをフリップはプロデュースしている。まだ他にもある。
私が紹介したいアルバムは「デディケイテド・トゥ・ユー、バット・ユー・ワーント・リスニング」(1971)である。3管編成、3人ドラマーを含む11人編成のアンサンブルはファンキージャズから、ブラスロック、さらにはフリージャズまで、変幻自在だ。メンバー何人かは、同時期のソフト・マシーンとも重複している。特にエルトン・ディーンのアルトとサクセロは聴きもの。
そのジャケットは、真っ黒な背景に女性の横顔のイラスト。彼女の脳には胎児が浮かんでいる。臍帯は脊髄の中へと繋がっている、と書くとグロテスクに思えるが決してそうではなく、映画「2001年宇宙の旅」のラストシーンを脳内で想起しているかのようだ。見開きの内側では、膜翅目昆虫と化した女性が闇を飛び交っている。

「The Keith Tippett Group/Dedicated To You, But You Weren’t Listening」
■ ヴァージンとECM>
~VIRGIN RECORDS~
1.ブランソンとオールドフィールド
ヴァージン・レコード(1972~)というレーベルは、その発達において、ジャズでいえばECMに近いものがある。
立ち上げたのはリチャード・ブランソン(1950~)で、当初は小さな中古レコード販売のチェーン店だった。
彼はメジャーなレコード会社の、商業的成功を狙うことを主にした音楽を販売する事に疑問を感じ、ユニークであるがゆえにマイナーな立場にあるミュージシャンに、レコード製作の機会を与えた。
そのための専用のレコーディング・スタジオも確保した。これによって録音にかかる経費の問題は削減した。その他、ジャケット・デザインや、ディストリビューション、宣伝においてもヴァージンが担当し、ミュージシャンはプロダクションに縛られず、自由な創作が可能になった。
当初は経営に苦労したが、ミュージシャン・サイドに立った制作姿勢は歓迎された。そして転機があった。
録音エンジニアでもあった、マイク・オールドフィールド(1953~)が千回以上の多重録音を繰り返して作り上げた「チューブラー・ベルズ」(1973)が世界的なヒットとなったのである。
そのジャケットも印象的だ。波の押し寄せる海、その水平線を画面の下部に置き、上空に折れ曲がったクロームメッキの中空のパイプがくっきり浮かんでいるというものだ。

「マイク・オールドフィールド「チューブラー・ベルズ」
「チューブラー・ベルズ」の一部は、映画「エクソシスト」(1973)の音楽として採用された事で、さらなる話題を呼んだ(オールドフィールドは、それをあまりよく思わなかった)。しかし続くソロ・アルバムも大きなセールスを得て、これによりヴァージンは経営の安定を得る事が出来た。
オールドフィールドは、ケヴィン・エアーズ(元ソフト・マシーン、1944~2013)のバンド、ホールワールドに若干16歳でベーシストとして参加している。このバンドには、英国ジャズ界のレジェンド、サックス奏者、ロル・コクスヒル(1932~2012)もいた。ロルはデレク・ベイリーの「カンパニー」にも招待された。
ヴァージンからリリースされたロバート・ワイアット(元ソフト・マシーン、1945~)のソロ「ロック・ボトム」(1974)、「ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャード」(1975)のジャケットアートはアルフレダ・ベンジの作。ロバート・ワイアット夫人であるが、画家としても知られる。
前者は、下半身不随になったワイアットの復帰第一作として有名。後者のタイトルのリチャードは、ブランソンを指している。
ベンジは他にも多くのアルバム・ジャケットに絵画を提供しており、その童画的な柔らかい水彩、ユーモラスで幻想的なモチーフのコンビネーションは類を見ない。彼女は後に言及するフレッド・フリスの幾つかのアルバム、「グラヴィティ」(1980)などにも作品を提供している。
2.最後のロックバンド、ヘンリー・カウ
ヴァージンからリリースされたバンドの中でもヘンリー・カウは特筆に値する。フレッド・フリス(1949~)とティム・ホジキンソン(1949~)が始めた活動は、多才なメンバーを集め、英国ロックの歴史に新しい潮流を加えた。それはリズム&ブルースやロックンロール的な、黒人音楽的ポピュラーとその変種ではなく、またガレージバンド、パブロックの気楽さでもなく、パンクの粗さでもなく、ましてプログレ傾向のマニエリスムでもない。
ヘンリー・カウは、敢えて言えばソフト・マシーンの影響を受けつつ、ジャズ・ロック、ブルース・ロック、フォーク・ロックではないインテリジェントなスタイルを創出した。「クラシック音楽の影響を受けたロック」がプログレなら、或る意味ではそうでありまた、それらを批判的に超越する音楽、その演奏力がヘンリー・カウの重要性である。
そのファースト・アルバムのジャケットは「レジェンド」(1973)である。多色のワイヤー(電線)が編み込まれて靴下になっている。この靴下シリーズは三枚目まで続いた。
ファーストのタイトルは、英文ならLEG-ENDとなり、まさにレッグのエンドなので靴下なのだろうか。このユーモアはいかにも英国的だと思うのは私だけか。
また、彼らは当初から英国即興演奏のシーンに関わり、非イディオマティックなインプロヴィゼーションもライブで行った。それはピンク・フロイドのような一定のモードや電子的効果に依存しない、アンチ・ロマンティックな演奏だった。
ヘンリー・カウは「デスパレイト・ストレイツ」(1975)で、ドイツから来たポップ・バンド、スラップ・ハッピーとの共作を開始し、「イン・プレイズ・オブ・ラーニング」(1975)で融合し、バンドとしての思想と歌の確立が出来た。それはスラップ・ハッピーのシンガーだったダグマー・クラウゼ(1950~)が、ブレヒト・ソングをライフワークにしていたせいでもある。
ブレヒト・ソングは左翼作家・演出家のベルトルト・ブレヒト(1898~1956)が作詞した一連の歌曲である。ハンス・アイスラー(東ドイツ国歌の作曲者、1898~1962)やクルト・ヴァイル(1900~1950)が作曲している。日本でも高橋悠治や劇団「黒テント」がよく取り上げた。
スラップ・ハッピーはヴァージンから「カサブランカ・ムーン」(1974)をリリースしているが、奇妙なセンスと多様な音楽スタイル、そして何より特徴的なダグマーの歌声が話題になった。か細く、力強い、このアンビバレンツを同時に現す声。このアルバムでは同じくヴァージンが何枚かリリースしたジャーマン・ロックの重鎮ファウストが共演している。
ヘンリー・カウは、スイスのフリージャズ重鎮、イレーネ・シュヴァイツァー(p)と共演をした後、発展的な解消をした。彼らの影響を受けた各国の多数のバンド群「反対派ロック:ROCK IN OPPOSITION」の流れや、それを推進したレコメンディド・レコードについても触れたいが紙幅を考慮して措く。それはカンタベリー・ツリーとヴァージン・レコードのような関係だった。
3.一角獣は処女の前に
私にとって、あらゆるジャケット・アートの中でも最高の一つが、ヴァージンからリリースされたハットフィールド&ザ・ノースのファースト(1974)である。彼らはカンタベリー・ツリーの代表的存在である。
そのデザインはこういうものだ。
ダンテの地獄篇を思わせるような、喘ぐ裸体の群像が淡いピンクの単色で雲の中に浮かんでいる。その下には、まだ曙のなかにまどろんでいる住宅街の写真が地平まで見えている。あたかも人々の夢、無意識が、屋根を越えて滲みだし、天空に投影されているかのようだ。
英国ロックのジャケット・デザインは、懐古的のみならず幻想と物語性に富んでいる。英国大衆音楽界に新たな音楽の砦を築いたヴァージン・レコードもまた、そのセンスを固守していると思うのである。
その後、ブランソンはヴァージンレーベルを売却し、航空会社ヴァージン・エアラインを立ち上げ成功した。その後飲料水、宇宙産業にも参入し、ヴァージン・グループを形成した。カー・レース、冒険好きも有名で、爵位を得た。
あまりにも行動的、多面的な彼の生き方は、レコード製作に賭けたマンフレート・アイヒャーの静謐な人生とは対照的である。
〜EDITION FOR CONTEMPORARY MUSIC〜
ジャズ・ベーシストとしてのキャリアがあったマンフレート・アイヒャーは、1969年、ミュンヘンに小さなレーベルを立ち上げた。その名はECM(エディション・フォー・コンテンポラリー・ミュージック)。創立当初、FMP、ICP、INCUS同様、欧州のマイナーな自主レーベルの一つだった。
本サイト、JazzTokyo をご覧になる読者に、改めてECMを紹介するのも憚られるのだが最低限書いておきたい。
その特徴は初期から明確だった。ソロ、デュオなどの小さなフォーマットの音楽、そしてフリージャズ的要素の強い、高音質の録音であった。しかし、その内容のユニークさはセールスに繋がらず、厳しい経営を余儀なくされた。
しかしチック・コリア「リターン・トゥ・フォレヴァー」(1972)のメガヒットで一躍知られる事になり、続いてキース・ジャレットのソロ・シリーズが、ジャズファンを越えて広く評価され、盤石と成った。
ヴァージンのブランソンに似て、ECMもアイヒャーのワンマン体制で、録音からジャケット・デザインから彼の美学が横溢していた。また配給、海外販売契約も独自だった。
カーラ・ブレイ、マイケル・マントラーらが運営していたNEW MUSIC DISTRIBUTION SERVICEは、世界のマイナーレーベルと契約し、ECMの流通を手配していたが「リターン・トゥ・フォレヴァー」の供給が追いつかず破綻してしまった。
初期ECMのジャケットは文字のデザインと配置だけで完成する、あたかもバウハウス的なセンスが秀逸だった。
写真の場合もミュージシャンのポートレイトやモデルではなく、そのまま独立した作品として通用する写真作品だった。
テリエ・リピダルの「シルヴァー・バード(原題”WHENEVER I SEEM TO BE FAR AWAY”)」(1974)の写真は白夜の氷河であろうか。日本特別編集盤のECM SPECIAL I(1973)およびII(1974)のジャケットも玲瓏なる写真だが、これらは日本人写真家、内藤忠行の作品である。
ラルフ・タウナーの「ダイアリー」(1973)、「ソルスティス」(1976)も音楽とジャケットが止揚した世界を作っている。そこにはジャケット・サイズの宇宙があり、心身に染みわたるサウンドがある。
エグベルト・ジスモンチの「輝く水」(1976)や、バール・フィリップスの「マウンテンスケイプス」(1976は壁を写したような写真である。それは具象でありながら抽象でもある。壁の画家、アントニ・タピエス(1923~2012)ならばどう評価するだろうか。あるいは佐伯祐三(1898~1928)ならば…
またドローイングでも、私は初期のデザインに惹かれる。
バール・フィリップスとデイヴ・ホランドのデュオ「ベーシック・ダイアログ(原題”MUSIC FROM TWO BASSES”)」(1971)の、コクトー(1889~1963)を思わせる一筆描きによる素描は、即興演奏家の心理と呼応するだろう。
デイヴ・ホランドとデレク・ベイリーのデュオ「チェロとギターのための即興」(1971)は、両者がともに大きく転換点を迎えた時点でのライブであり、貴重な記録だ。ホランド自身の手になるドローイングは、アルプ(1886~1966)かマチス(1869~1954)の切り絵のようだ。

「デイヴ・ホランド、デレク・ベイリー/チェロとギターのための即興」
悪趣味ジャケットとして有名なヴォルフガング・ダウナー「アウトプット」(1970)も一度見たら忘れられない。私は演奏もジャケットも大好きだが、アイヒャー師は?

「ヴォルフガング・ダウナー/アウトプット」
ECM美学を視覚的に堪能するよすがとして格好の一冊「ECMカタログ」(東京キララ社、2019)がある。言うまでもない事だが。
ヴァージンとECMに言及したのは何故か。
ブランソン、アイヒャーという類い希なる、そして対照的なプロデューサー、つまり彼ら独裁者の王国にこそ、かりそめの自由があるのではないかということだ。その王の施政に集うミュージシャンがあり、その風土にこそ咲く「ジャケットの美意識」がある。偽りの民主主義体制よりも、いつかは滅びゆくその王国を私はとる。爛熟の甘い果汁を発酵してこそ酒はできる。死してこそ美は完成する。ローマ帝国の廃墟、エジプト王国の遺物は、その継承者よりも永く生き延びるだろう。
第四回終わり。
ECM, マンフレート・アイヒャー, キング・クリムゾン, ヘンリー・カウ, キース・ティペット, ヴァージンレコード, フリー, ブルース・ロック, ブリティッシュ・フォーク, ジェスロ・タル, 日曜日の印象, ソフトマシーン, リチャード・ブランソン, マイク・オールドフィールド



