青年は荒野をめざすか? 第五回
<ジャズのジャケット・デザイン><コンピュータ時代、そして西ドイツ>
text: Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
第一回<ビートからヒッピーへ、ビバップからサイケへ><概観>
第二回<アメリカのニュ―ロックとデザイン><コミュナリズムの終焉>
第三回<英国のニュー・ロック><日本のロック>
第四回<ふたたび英国へ><ヴァージンとECM>
第五回<ジャズのジャケット・デザイン><コンピュータ時代、そして西ドイツ>
第六回<結び>
<ジャズのジャケット・デザイン>
1. 二冊のジャケット写真集
60年代のジャズではジャケットの傾向がロックほど多様に展開しなかったと書いた。しかしご存知の通り決して地味なデザインだけではない。
手元に、アルバム・ジャケット写真集が二冊ある。
「ジャジカル・ムーズ」(向田直幹:編著、佐藤秀樹:寄稿、瀧口秀之:協力、美術出版社、1993)と、「12インチのギャラリー」(沼辺信一:編著、梅田英喜、松本侑三、竹屋鉄平:協力、美術出版社、1993)の二冊だ。
さらに同出版社から「ブルーノート」、「ジャズ・ウェスト・コースト」なるジャケット・アートの写真集も出ているが、これは未見である。
これらは数あるレコードのジャケット・アートの最適の資料と言える。
「12インチのギャラリー」はジャンル、レーベル、期間が広範囲で、デザインの様式も多岐である。
1948年の世界初のLPのジャケットから、LP全盛期といえる80年代後半までカバーしている。
ソ連、東欧、オリエント、インド、中央アジア、中国、東南アジア、オセアニア以外の地域を網羅している。日本の作品はわずかながら収録されている。
この写真集はあまりに広範な視野のため、ジャズのジャケットを語るには過剰かもしれない。
「ジャジカル・ムーズ」の収録範囲は、米国から原盤がでた50年代から60年代までに限られている。例外的に一枚だけ1984年の『THAT’S THE WAY I FEEL NOW』がある。ハル・ウィルナー編集の、モンクへのトリビュート・アルバムだ。レーベルも多数に渡っている。ミュージシャン別ではなく、デザインの主眼別になっているのも面白い。一部を挙げてみよう。
MONOTONE & TINT
TYPOGRAPHY & LETTERING
PORTRAIT
MONTAGE & PASTICHE
PAINTING & ILLUSTLATION, etc.
分類はこれだけではない。実によく考えられている。勿論ミュージシャンも索引で探せるし、デザイナーや画家でも検索できる。
エレクトリック・マイルス以降は無いが、むしろそこから先は、ジャズのジャケット・デザインがロックの傾向と同化して行く過程、つまり音楽もビジュアルも融合(フュージョン、クロスオーヴァー)していったというべきか。
「ジャジカル・ムーズ」の収録範囲をみると、第二次大戦後のシンプルなデザインから、極端な奇を衒わずに印象的なイメージを追求できるか、という発展の歴史を感じる。
それはロックのジャケットの多様性、レトロ性(懐古趣味)、サイケ志向、幻想嗜好とはベクトルが違う。
ジャズは個人表現であり、そのレコードは、あくまで演奏のドキュメントである。それに対してロックは集団表現であり、そのレコードはマルチトラック録音や電子的な効果を多用したスタジオ・ワークの成果であり、創作されたフィクション、ドラマであると言えよう。
そしてロックではコンセプチュアル・アルバムと称して、全体を一つのストーリーに仕立てにしたものが増加して行った。
だからこそ、ジャズのアンサンブルはコンボであり、ロックはバンドと言い分けるのだ。
2. ジャズと現代美術
「ジャジカル・ムーズ」のジャケット・アートにも、20世紀初頭の現代美術からの影響がかなり見受けられる。現代美術といってもロックのジャケットが、よくシュルレアリスムに走るのと対照的だ。ジャズのそれにはシュルレアリスム的な傾向があまり無い。
50年代には無名時代のウォーホルもジャケット・イラストを描いている。まがいものも含めてデフュィ、マティス、ベン・シャーン、モンドリアンなどもある。どれも決して幻想的なイメージをモチーフにする画風ではない。

幻想的なのを、というならデ・キリコ、アンリ・ルソーは使われたし、ダリやタンギーを彷彿とするイラストが使われている例もある。
カーティス・フラーの『IMAGINATION』 (1959)や、『BLUES-ETTE』(1959)の方が有名かもしれない。ペリー・ロビンソンの『FUNK DUMPLING』(1962)なども同工異曲。
オーネットの問題作『フリー・ジャズ』(1960)では、ポロックの作品が特殊ジャケットを開くと現れる。これはオーネットの意志が反映しているだろうか?
ポロックはアメリカ抽象表現、アクション・ペインティングの頂点のひとつだ。60年代ジャズのジャケット・デザインには抽象的傾向がロックよりも強い。
ミンガスの『OH YEAH』(1962)や、NEW YORK JAZZ SEXTETの同名アルバム(1966)あたりは具象的形態や文字をあしらう中途半端な抽象化である。
ジョージ・ラッセルの『STRATUS PHUNK』 (1960)や、コルトレーンの『JOHN COLTRANE PLAYS THE BLUES』(1962)のアルバムでは、ジャケット表に演奏家の写真はなく、純粋に抽象的なデザインである。
これらは演奏家よりもむしろ純粋にデザイナーの意志が反映しているだろう。
ではこの例はどうだろうか。
フレディ・ハバードと、イルハン・ミマロールー(トルコ系の電子音楽作曲家)の共演アルバム『シング・ミー・ア・ソング・フォー・ソンミ』(1971)は、ベトナム戦争中、米国陸軍の複数部隊によるソンミ村ミライ部落住民の無差別虐殺事件をテーマにしている(犠牲者数は300~500人とも)。この現場の報道写真によりベトナム反戦の機運が一気に高まった。
このレコードはジャケットにピカソの作品を用いている。
使われた絵は彼の「朝鮮戦争の虐殺」(1951)であった。ピカソの反戦的作品としてはナチスの爆撃によるゲルニカの虐殺に基づいた「ゲルニカ」(1937)は有名だ。
「朝鮮戦争の虐殺」では、構図がゴヤの「マドリード、1808年5月3日」(1814)に基づいている。この絵は「ゲルニカ」よりも具象性が高く分かり易い。

この演奏について、私は躊躇無く賛辞を贈る。
ハバードのコンボ、イルハンの飛び交う電子音、そして現実音や言葉のコラージュが、暴虐、戦争、社会状況を抽象的なサウンドの物語によって非難する。それが可能であったことが驚嘆に値する。
時代を考えるとメジャーがこんな反戦メッセージを出す事は大きな挑戦だった。アトランティックがトルコ系資本だったから可能だったのか。同社は元々リズム&ブルースをメインにしていた。
しかしベトナム戦争時代に黒人が反戦を表明する事は二重の差別を受ける怖れがあった。だからサッチモも決して直接的に反戦を歌った訳ではない。人種差別の枠の中で、サッチモも、エクスタインも、キング・コールも、エリントンも、ベイシーも、万民に愛される表現を洗練してきた。
マイルス、ローチ、ミンガス、シェップは壁に亀裂を入れることに成功しただろうか。彼らも反戦は訴えなかったが。
白人であるチャーリー・ヘイデンは反戦を訴え続けライフワークにした。では、今反戦を訴えるジャズ・ミュージシャンはどれだけ居るのか。
さてジャズにおいて、シュールレアリスティックな傾向のジャケットが現れたのはいつか。
まさしく70年代のジャズの方向性を決定づけたと言われるマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』(1969)だ。
このアルバムはロックの録音手法を取り込み、フリージャズやインタープレイといったジャズ的アドリブ観念を、電化サウンドとロックリズムをベースとしたオルタナティヴな方向に変えた。それは英国でキース・ティペットやソフトマシーン、ニュークリアスなどが追求してきたハイブリッドなジャズ・ロックとは似て非なるものだった。『ビッチェズ・ブリュー』の特筆すべき点は、ロックのスタイルを取り込んだことではない。スタジオワークだからこそ生まれたという事にある。その問題はここでは取り上げない。
『ビッチェズ・ブリュー』のアルバム・デザイン、いやイラストは、シュルレアリスムというよりは、ルドルフ・ハウズナーら、ウィーン幻想派に近いかもしれない。
『ビッチェズ・ブリュー』は、そこにSFイラストの巨匠ヴァージル・フィンレイ(1914~1971)のテイストが加わり、モチーフをアフリカの部族的美学や宇宙的イメージを見事に結実させ、この新しいジャズの創世記に相応しいヴィジョンとなっている。
この印象的イラストの作家、マティ・クラーワイン(1932~2002)は、サンタナ『アブラクサス』(1970)、マイルス『ライヴ・イヴィル』(1971)、ハービー・ハンコック『セックスタント』(1973)などの傑作も描いた。

が、マイルスは、その後のアルバム『オン・ザ・コーナー』(1972)以降で全く違うポップなコーキー・マッコイの絵を用いて、またリスナーの度肝を抜いた。
日本でのマイルスのライブ・アルバムでは横尾忠則のデザインも話題になった。当時、横尾はサンタナ、ポール・モーリア、一柳慧のアルバムも担当した。
マイルス・スクールから出発したウェザー・リポートのファースト(1971)も、そのサウンドの新鮮さと、ジャケット・デザインでは科学写真のような冷徹な美が共鳴した。それはガラスかアクリルの塊に入った割れ目が偏光させる光、虹の効果を美しく捉えた傑作である。
しかしセカンド『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』(1972)は、また変わった。そのタイトルがSFドラマから採られていることもある。半透明の人造人間が宇宙に飛翔するかのようなイメージが美しかった。
ちなみにそのドラマは日本では「ミステリー・ゾーン」として放映された「トワイライト・ゾーン」の一話で、米国SF界の巨匠、レイ・ブラッドベリの脚本による。ウェイン・ショーターはSFファンで自分でも書いているという。
サード・アルバムでは、マグリット的シュールなイラストになったことは前章でも触れた。
ギル・メレ(1931~2004)は、エレクトリック・ジャズの先駆者の一人である。
メレの『トーメVI』(1968)では、自作楽器の電子回路がジャケットになっている。後のデヴィッド・チュードア(1926~1996)を先取りしている(かもしれない)。が、そのサウンドは、エレクトリック・ジャズというにはあまり成功していない。
彼はSF映画「アンドロメダ病原体」(1971年公開、1981年にリメイクもされた)のサントラでは全面的に電子音を使い、これは映画にマッチしている。
また画家としてもジャケット・イラストを提供している。
セロニアス・モンク・トリオ(1954、1956)のアルバムに、メレはちょっと正体不明のオブジェを描いている。が、これがモンクのサウンドと呼応しているとも思えない。不思議なセンスのアーティストである。

3. ニュージャズのジャケット・デザイン
電子音と言えば、いち早く電子オルガン、シンセサイザー、リズムマシンまで使ったサン・ラ(1914~1993)を思い出す。
土星から来たと称する彼はスペース・ジャズを提唱していた。自分の演奏は宇宙からの通信なのだとも言った。
有名なESPレーベルでのサン・ラのアルバム『HERIOCENTRIC WORLD VOL.1』(1965)のジャケットでは、宇宙空間に聳えたつ神のようなイラストだったり、同『VOL.2 』(1965)では太陽系模式図と、名だたる天文学者(ピタゴラス、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ガリレオら)に並んでサン・ラの肖像がある。画面をよく見ると、多分ケプラーとプトレマイオスが消され、サン・ラとダ・ヴィンチを入れてしまったのだと思える。
サン・ラの、その他のレーベルからリリースされたアルバムのジャケット・デザインについては、あまりにも多様なので割愛する。
ESPといえばアルバート・アイラー(1936~1970)のアルバムを立て続けにリリースしたことでも有名だ。バーナード・ストールマンが個人で創設したアメリカのレーベルである。
ESPと並び、1960年代のフランスのレーベルBYG(のアクチュエル・シリーズ)といえば、フリージャズの発信源としてあまりにも有名だ。
ちなみにESPは人工言語エスペラントの略、BYGはビューティフル・ヤング・ジェネレーションの略、ではなく創立者三名の頭文字である。
BYGのデザインは統一されている。表は白くタイトルとミュージシャン名、シリーズ番号、そしてさほど大きくは無い写真やイラスト。だが、ジャケット裏側はいつもリーダーの顔が全面アップされている。だから、昔はレコード店の廉価盤コーナーでガサガサと盤を漁っていても、BYGはすぐ分かる。そしてフリージャズ・マニアとしては「とりあえず」買うしかない訳だ。僅かに邦盤もあったが当時は希少だった。
いずれESP とBYGは、同時代のジャズ・アルバムのジャケットとは全く違う異彩を放っていた。それはFMP(西独)、ICP(蘭)、INCUS(英)といったフリー・ミュージックのレーベル群も同様だった(断っておくが、私はフリージャズとフリー・ミュージックを一緒くたにする気はないので、後者のアルバム群のデザインについては触れないでおく)。
4. ジャケット・デザインにおける写真
ここまで、敢えてジャズ・レコードのジャケット・デザインにおける写真について、言及しないで来た。
が、ジャズ・アルバムというと真っ先に浮かぶのは、ミュージシャンのポートレイトである。演奏をしている、打ち合わせをしている、ポーズをとっている、タバコをふかしている、何気ない一コマが生き生きと映し出される。レーベルを超えて同様の傾向だ。
大方はシンプルなモノクロで、タイトルとアーティスト名がくっきりとレイアウトされている。Jazz Tokyoの読者に実例を示すまでもなかろう。So, what?
それで十分だという気持ちになる。それはジャズのドキュメント性、個人的表現の横溢こそがレコード=記録の意味だからだ。ジャケットは容れ物に過ぎない?いや、レコード盤だってサウンドの容れ物ではないか。
料理は皿で喰わせろ、ならばジャズはジャケットに独自の価値を見いだす必要は無い。とはいえそれを如何に印象的にするかがデザイナーの手腕だ。
ロックの場合はバンドのメンバーの意識が反映したジャケットが作られる事が多いが、ジャズの場合、それはレーベル側の意向や、デザイナーの意志で決まってしまうようだ。
そのせいか、ジャズのアルバム・ジャケットの写真は裏焼きになっているものが少なく無い。デザイナーは楽器がどう構えられるのかよりも、絵として巧く使えるものが欲しいのだ。
(捕足:現代音楽の場合)
前述の「12インチのギャラリー」には、現代音楽の名作ジャケットが多数紹介されている。
現代音楽を、シェーンベルクの12音主義以降と捉えておくが、その傾向は抽象性にある。
現代音楽のレコード・ジャケットはジャズ・レコードのそれと似た印象がある。
特定の調にも協和音にも依存しない、音律も超越し、音の運動性と構築を追求した音楽は、モダンジャズ、フリージャズ、フリー・インプロヴィゼーションに近いのは当然であろう。ただ、現代音楽では作曲という過程、つまり作曲家の優越性がある。
現代音楽のレコードのジャケットもまた、現代芸術、抽象表現になるか。
ところが意外にも抽象絵画、現代彫刻などを、そのまま引用している例は多く無い。それは音楽自体が抽象的、立体的であるからかもしれない。絵画の抽象表現とは主張が相容れなかったり、屋上屋的な冗長を感じるからだろうか。
実際、ヴェーベルンのピアノ曲集に、立体派の絵画を引き合わせても違和感しか無いだろうし、ましてやロスコーやラウシェンバーグでもない。ケージの曲集にニュー・ペインティングもないだろうし、禅坊主の描く円など引用したら牽強付会というべきだろう。
モホリ・ナジ、マレーヴィッチ、カンディンスキーなどは、シェーンベルクの12音主義との同時代性もあってよく使われている。
またクリムト、ビアズリー、広重といった、19世紀としては斬新な構図を描いた画家達は印象派、後期ロマン派に食傷気味なほど用いられる。
戦後の現代音楽ジャケットのデザインは、オプチカル・アート、CGなどが多用される傾向もある。それはミニマル・ミュージックでは整合性があるだろう。スティーヴィ・ライヒの『18人の音楽家の為の』は、ジャケット・イメージと音楽が抽象的次元で合致した好例ではないだろうか。

現代音楽専門レーベルのWergoや、Edition RZでは、具象的イメージは一切排除され、シリーズを通して徹底した文字配置主義を貫いている。文字のレイアウトこそが最重要である。というのはそのレコードを買う者は、既にその音楽の何たるかを把握しているからだろう。
<コンピュータ時代、そして西ドイツ>
1. コンピュータ・グラフィックのデザイン
70年代になる頃、コンピュータ・グラフィックが発達した。その斬新な図柄は、早速現代音楽、ことに電子音楽のレコードに用いられた。
モートン・サボトニックの『TOUCH』(1969)はその典型である。またワルター・カーロスの『スウィッチト・オン・バッハ』(1968)は裏ジャケットに、文字で描かれたバッハの肖像が使われた。後にはこの手法は常套手段となっていく。
アンソニー・ブラクストンとの驚くべき共演でも知られる脳波音楽研究者デヴィッド・ローゼンブームの『オン・ビーイング・インビジブル』(1977)はその典型。
コンピュータ・グラフィックはジャズの方面ではあまり使われなかったが、それはあまりに機械的、無機的なイメージが、人間的ドキュメントとしてのジャズにはそぐわないと思われたからだろうか。いや、しかし面白い例がある。
幾何学図形だけで構成され、美しく、また内容とも呼応するような作品が、双子のように存在する。
短命に終わった「最後のフリージャズ・コンボ」にして「最初のフリーミュージック・コンボ」と言われるサークルの二枚『ギャザリング』(1971)、『ライヴ・イン・ジャーマン・コンサート』(1971)である。円を斜めから見た楕円が規則的に排列され、全体はあたかも球体、地球の緯線だけを、前者は白地に黒だけ、後者は黒地に白だけの線で描いている。この二枚は日本のCBS-SONYでリリースされた。デザイナーは石岡瑛子(1938~2012)であった。彼女はマイルスの『TUTU』 (1987)のデザインも担当した。
2. 西ドイツのロック・アルバムのデザイン
電子音楽、コンピュータ技術の先進国、西ドイツでは、ロックに新たな潮流が生まれた。後に「ジャーマン・エレクトロ」「エレクトロニカ」と呼ばれる一派である。
60年代の西ドイツでは、ジミ・ヘンドリックスやブルー・チアー、MC5、イギー&ザ・ストゥージーズ、13th・フロア・エレベーターズあたりに影響を受けた、大音量でヘヴィーな演奏をするバンドが続出。タンジェリン・ドリーム、バース・コントロール、グルグル、アシュラ・テンペルなども、こうしたサイケデリック・ロックであった。
その頃、ピンク・フロイドがセカンド・アルバム『神秘』(1968)を発表した。その音楽、特に収録曲<太陽讃歌>を聴いたタンジェリン・ドリームは、ブルーズを基盤とした定型リズムのロックを演奏する事を止めた。ファースト・アルバム『エレクトロニック・メディテーション』(1970)でそれが聴ける。まだシンセサイザーは使われていない。
ギターは延々とエコーをかけてグリッサンドを出し、電子オルガンが延々鳴り響き、パーカッションはリズムをキープすることを止めた。
そのジャケットは、首の無い少女の人形に多数のコードが差し込まれ、パンチングボードに固定されているという、思春期の工作レベルの写真だ。
その後モーグ・シンセサイザーを手にした彼らは、続く『アルファ・ケンタウリ』(1971)、『ツァイト』(1972)、『アテム』(1973)でさらに瞑想的、神秘的、宇宙的な電子サウンドを開発した。
1974年、わずか6~8音だが、電子音のリフレインを延々と継続する「シーケンサー」を得て、彼らはひとつのプラトーに到る。ヴァージン・レコードから傑作『フェードラ』を発表したタンジェリン・ドリームは、英国のELPと並んでシンセサイザー・ミュージックの代名詞となる。
初期のタンジェリン・ドリームのジャケットは、リーダーたるエドガー・フレーゼ(1944~2015)が描いている。その図柄はシュールレアリスティックであり、マックス・エルンストを思わせるものがある。
フレーゼは初のソロ・アルバム『アクア』(1974)、続く『エプシロン・イン・マレイシアン・ペイル』(1975)のジャケットも作った。タンジェリン・ドリームとは異なり写真を用いた。

初期のタンジェリン・ドリーム、そしてアシュラ・テンペルでドラマーとして活躍したクラウス・シュルツェ(1947~2022)は、ソロ活動に入りキーボード中心の傑作『イルリヒト』(1972)を発表する。続くアルバム『サイボーグ』(1973)、「ブラックダンス」(1974)、「タイムウィンド」(1975)ではシンセサイザーの比重が強くサウンドは重厚になる。そのジャケットは、タンギー、キリコを思わせるが、どこまでも暗く重い。
このように70年代初頭から、電子音の繰り返し、つまりシンセサイザー、リズム・ボックス、シーケンサーを基調とする音楽が発展して来た(2019の仏映画「ショック・ドゥ・フューチャー」も参照)。タンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツェ、あるいはポポル・ヴー(フローリアン・フリッケ)のような音楽はロマン派的と言えよう。シュルツェはリヒャルト・ヴァーグナーへの思慕を隠さない。
3. テクノポップとレトロ・フューチャー
もっとシンプルな構築的音楽を旨とする集団が台頭して来た。KRAFTWERK(クラフトヴェルク=発電所の意味)である。彼らは20世紀を代表する天才作曲家、K. シュトックハウゼン (1928~2007)の弟子でもある。
タンジェリン・ドリーム一派がシュールレアリスティックとすれば、クラフトヴェルクはバウハウスにも比されよう。
彼らの音楽はいつの間にか「テクノポップ」と呼ばれ、日本でのYMO登場に影響を与えた。
世界的にヒットした『アウトバーン』(1974)は、アメリカでも受け、ディスコ・ミュージックとして定着した。
ナチス・ドイツの正の遺産(?)たる高速道路を疾走する(今聴けばなんだかのんびりしているのだが)自動車の乗員の体験を電子音で模倣するギミックだ。
さらに次のアルバム『放射能』(1975)では旧いガイガー・カウンターをジャケット全面に出し、演奏もそのノイズから始まる。
レトロ感をイメージにした『ヨーロッパ特急』(1977)では、ヨーロッパを縦断してモスクワまで行く超特急をテーマにする。その動画イメージはまさに、戦前に想像されたプロペラ推進の高速列車のちゃちな模型を使用している。それに乗り込むバンド・メンバーも1920年代の服装だ。
『コンピューター・ワールド』(1981)では、既に時代遅れとなった70年代型コンピュータのCRTに、懐かしい緑色の輝線で、メンバーの顔が描かれている。このアルバムは多言語のヴァージョンがあり、日本語の「デンタク」も有名。
傑作と名高い『人間解体』(1978)(と邦題がついているが、原意としてはマン=マシーン、人間と機械の融合をイメージしている)では、ジャケットのみならず、コスチュームから、ビデオ・クリップから、アート・ディレクションまで明らかにロシア構成主義、ロシア・アヴァンギャルドの様式を用いている。

彼らが、何故ここまで執拗にレトロ・フューチャー、「過去に想像された未来」というイメージにこだわるのか。それは簡単に説明できる。
もし、最新のコンピュータ・テクノロジーに依存したサウンドやイメージに依拠するならば、加速化する技術革新により、数年と言わず一年以内に、それらは陳腐化するだろう。
しかし作品イメージがレトロ・フューチャーであれば、現在であれ未来であれ、現実の時間線の中には無い、もう一つの世界、ないしファンタジーである。現実に存在したレトロ感というより、現在作られた幻想、物語なのである。従って物語として鑑賞するには、テクノロジーの変化とは無縁でいられるのだ。
新しいものはすぐ古くなるが、古いものは発見されるたびに新しくなる。
こうした、したたかな商業的戦略はジャズには見られない。それはロックが、ドキュメントよりもフィクションの性格が強いからだろうか。
いや、もしジャズも「発見されるたびに新しい」というなら、その視点はどこにおくべきだろうか。それはリスナー個人の中にしか無いのだろうか。
60年代から現在まで若手のロックバンドに影響を与え続けるCAN、FAUST、そしてブライアン・イーノとのコラボレーションでジャーマン・ロックのイメージを一新したクラスター、レコードというメディアを逆手にとったNEU!、80年代に突如巻き起こった潮流 NEUE DEUTSCHE WELLE などについて書けないのが残念だが、マニアによる書籍も多々出版されている。
(第五回終わり。)
ピカソ, マティ・クラーワイン, 石岡瑛子, ジャジカル・ムーズ, 12インチのギャラリー, ポロック, ヴァージル・フィンレイ, コーキー・マッコイ

