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小野健彦の Live after LiveNo. 326

小野健彦の Live after Live #468~#473

text & photo: Takehiko Ono 小野健彦

#468 2月8日(土)
合羽橋なってるハウス
https://knuttelhouse.com/
原田依幸 (p) 藤巻鉄郎 (ds)

お馴染みの合羽橋なってるハウスにて、私自身この時期に及び今年初となった原田依幸氏(P)のステージを聴いた。w.藤巻鉄郎(DS)
毎月恒例となっている同所での原田さんによるDUOシリーズであるが、今宵が初の手合せとなった藤巻さんは、私自身にとっても初体験となる表現者だけに、事前から目論んでいた「自由席」の利を生かし藤巻さんのドラムセットを横から俯瞰で眺められる位置に座り芋焼酎のお湯割を片手に開幕の時を待った。果たして、1st.セット:約50分、2nd.セット:約40分とここのところ接して来た原田さんの音創りに比べやや長めのセット構成となった今宵のステージでは、1st.セット中盤~後半並びに2nd.セットほぼ全般に亘り原田さんの持ち味とも言うべき88鍵を完全に掌中に収めた鮮烈な高速パッセージと印象的な強打美和音のコントラストが際立って改めてこの表現者の比類無き美的構成力の高さを痛感させられることとなった。一方の藤巻さんにしても同様に、ここで私の今日の座席が功を奏することとなったのだが、太鼓類とシンバル類を低めの同じ位の高さ且つコンパクトに配置したセットを無駄の無い動きで鳴らし切りながらシャープな打点とカラフルな音色のコンビネーションで原田さんの動きに同期して行く音の創り方には刮目させられること度々であった。そんな今宵のステージ全般を振り返り、そこでは聴覚のみならず視覚的な効果も十二分に影響したように思うが、音の出ていない瞬間を「間(ま)」と言うより「切れ目」としてそこに瞬時果敢に切り込んで行ったと感じられたおふたりの音の交歓からは、高度な技術に裏打ちされた居合いの所作を強く想起させられることとなった。互いに音数の多少に対する周到な配慮を施しながら緩急の自在に亘ったその柔軟で痛快な殺陣さばきからは、一旦動き出したからには後には引けない「一筆書き」の持つ大胆さと清廉さに似た印象を強く感じることの出来た充実の下町の宵の現場だった。

 

#469 2月10日(月)
西荻窪 ClopClop クラップクラップ
http://www.clopclop.jp/
「The Duo!」:さがゆき (vo/ag) 石渡明廣 (eg)

‘23/8以来の訪問となった西荻窪ClopClopにて待望の「The Duo!」を聴いた。
さがゆき(VO/AG)石渡明廣(EG)
過日、ありそうでこれまで無かったというこのおふたりの共演が実現するとの報に触れ、私の心は踊った。そうして更に本番が近づきゆきさんのSNS上に現れた『未発表曲含む「さがゆきオリジナル曲」を初デュオで!! 』の文字に私の胸はおおいに高鳴った。果たして、迎えた今宵本番。実質約2時間を使った本編では、前口上通り全曲実に16曲に及ぶゆきさんの実体験に基づくオリジナル曲が披露されることとなったが、それらはいずれもゆきさんが感じた甘酸っぱさ、ほろ苦さ、切なさ等を帯びた遠い日の想い出乃至は何気ない日常の中に観た印象的な(時にユーモラスな)景色等々を彼女ならではの「設定の細かさ」で丁寧に掬い取り平易な言葉とさりげないメロディに乗せて仕立てたものばかりであった点は実に好感の持てるものであり、そんな「回顧」や「憧憬」等の叙情の機微を余すことなく受け取り、多彩色の素地を設えながら各楽曲の世界観をみるみると拡げて行った石渡さんの音創りも、ご自身稀代のメロディメイカーならではの流石の手際と言えた。そんなゆきさんオリジナル曲を介したおふたりの音創りでもうひとつ興味深かったのはそのギター対談だった。ゆきさん曰く「この数ヶ月、かなり痛かった左手、親指の根本の骨が砕けてしまっている部位も、(同所ご亭主)タカさんに教えてもらった置き針と松クリームで、ガットギター弾いてもだいぶ大丈夫になった」ようで、果敢なコードワークが石渡さんによる変幻自在のメロディラインに絡んで行く様は今宵のもうひとつの聴かせ所だった。まあ、それはそうとして、今日のゆきさんはそれこそ十数年振りの全曲オリジナル曲によるプログラムとのことであったが、何より私が感心したのは、各楽曲が彼女が暮らしたあの時代とリンクして其々に思い入れのある作品であるのだろうが、そこにそれらを殊更に良く聴かせよう、上手くやろうとする「欲」や「衒い」のようなものが感じられる瞬間が皆無だったことだ。日頃私が感じている彼女の良さである「唄の中を自分らしく素直に生きようとする」そんな等身大で自然体のさがゆきが上手いこと引き出された実に噛み応えのある初の交歓の現場だったと言えた。

#470 2月11日(火)
上野公園内東京文化会館大ホール
https://www.t-bunka.jp/hall/large.html
都響スペシャル:『ショスタコーヴィチ没後50年記念』

祝日のマチネーライブはクラシック。上野公園内東京文化会館大ホールにて、「都響スペシャル」『ショスタコーヴィチ没後50年記念』公演を聴いた。

〈演奏〉東京都交響楽団
水谷 晃(コンサートマスター)
〈指揮〉エリアフ・インバル(桂冠指揮者)
〈バス〉グリゴリー・シュカルパ
〈合唱〉エストニア国立男性合唱団/ミック・ウレオヤ(合唱指揮)
(曲目)①ラフマニノフ:交響詩《死の島》
②ショスタコーヴィチ:交響曲第13 番 変ロ短調《バービィ・ヤール》(日本語字幕付)

先ずは会場となった東京文化会館であるが、モダニズム建築の巨匠:ル・コルビジェ直系の日本人三高弟のひとり前川國男氏(他は、坂倉準三氏と吉阪隆正氏)の手によるものであり、そのキリリとして瀟洒な佇まいは場内に一歩足を踏み入れるだけでどこか居住いを正さずにはいられない大好きな空間であり、そこに私にとっては現在のクラシック界において最も信頼出来るインバル=都響のコンビと来ては、まさに行かない手はない公演と言えた。まあ、それはそうとして話を先に進めよう。先ずは①だ。スイス・バーゼルに産まれた画家であり、20C前半、ヒトラー、レーニン、フロイト、ヘッセ等々の著名人から庶民に至るまで人気のあったアルノルト・ベックリンによる不気味な幻想性と神秘性を感じさせる同名の絵画から受けた印象に基づき作曲された約20分程の小品。続いて②であるが、20C半ば、スターリン没後の所謂「雪解け」の時代に当時タブーとされていたソ連国内のユダヤ人問題を扱った反体制派詩人:エヴゲニー・エフトゥシェンコの詩作「バービィ・ヤール」に感銘し着想した第一楽章を基に更に構想を膨らませ同じ詩人の作品を用いつつユダヤ人問題にとどまらずソ連の諸問題に触れたバス独唱とバス合唱付きの5楽章からなる通常約1時間を要するシンフォニーを書き上げたというのが経緯だったとの事。さて、肝心の音だ。上述のようにいずれも扱うテーマの暗い曲想を並べただけに、場内は全般的に重く不穏な空気に包まれた。しかし、ここでマエストロの手腕が光ったと感じたのは、そんな暗澹たるムードの中に時折現れる希望へと繋がるような瞬間の萌芽を丁寧に掬い取り描き出した点だった。特に②において、緻密で重厚感のあるたっぷりとしたオケの交響と伸びやかなグリゴリー氏のバスのコントラストを巧みにデフォルメした、そのまるで薄陽さすような瞬間の取り扱い方の妙味が物語に絶妙な濃淡の抒情を生み出して我々利き手に暫しの安息の時間を与えてくれたのは流石当代随一の実に巧妙な楽曲読解力と構成力のなせる技だと感嘆せざるを得なかった。しかし、そうした音創りに対する印象とは別に、実は、今日は、私にとって「推し」のマエストロだけに音の届き方に対する一抹の不安は度外視して、運良く空きのあった場内最前方・6列目で「アイドル」の一挙手一投足を見守った私であったのだが、腰をやや後ろに引き前傾になりながら弧を描くようにしなやかにオケを誘った右手のタクト捌き、予想以上に随所でオケに細かいニュアンスを伝えていた物言う左手、更には感極まったか、合唱と共にテキストを唄うに及んだ場面等々遠くから眺めていてはとても感じとれないマエストロの現場における実相に触れられたのが何よりも嬉しかった。。最後に、今日の演奏についてはマエストロ自身の達成感も相当なものだったようで、数度に亘るカーテンコールの後、オケが殆ど舞台上から退いた後も、独り乃至はグリゴリー氏及びミック氏を伴い登場し満場からの盛大な拍手に応える姿があったことを書き漏らしてはなるまい。

注1)本稿中の史実記述に際して、公演パンフレット中の解説(①増田良介氏、②寺西基之氏)を参考にさせて頂きました。

注2)添付写真について、終演直後のオケ全員の起立部分は、なんだか気後れしてシャッターチャンスを逃してしまったため、許可の告知がされていたカーテンコールの場面を中心に掲載させて頂きました。


#471 2月16日(日)

結・yuiコミュニティホール〈小さな木のホール・逗子〉
https://www.facebook.com/yuihall.zushi/
『美しきサンバの世界』:中西俊博(vln)加々美淳(g/vo/スルド)加々美アレン皓太(g/vo/baj)

結・yuiコミュニティホール〈小さな木のホール・逗子〉にて、『美しきサンバの世界』公演を聴いた。中西俊博(vln)加々美淳(G/VO/スルド)加々美アレン皓太(G/VO/Bj)

穏やかな晴天に恵まれた日曜日の昼下り、中西さんとは昨年末に別処でご縁を頂いていたものの、加々美さん親子並びに今日の会場は私にとって初体験となるだけに大きな期待を胸に意気揚々と同じ湘南の地の西側(辻堂)から東側を目指した次第。果たして、所謂ライブハウスよりも地域に根差したホール公演に活動の主軸を置いているという淳さんのサンバの裾野を地道に拡げようとする日頃の成果が如実に現れたのか、約80席に及ぼうかという客席にほぼ満員のお客様が詰めかけた今日のステージでは、そのヴェルヴェットヴォイスも印象的な淳さんとどこか異国情緒を漂わせる中西さんの妖艶なヴァイオリンの絶妙なコントラストにアレンさんの冷静沈着で丁寧なバッキングが絡み織り成した三者の緊密な纏まりの中、途中休憩を挟まずにワンステージ約100分に亘る熱演が繰り広げられることとなった。そんなステージで披露された楽曲は、本編だけでも実に12曲に及んだが、そこではこのユニットならではの構成力の妙味が光った感があり、聴き手であるこちらがダレる瞬間は皆無な中ステージ全般に亘りクライマックス的局面が随所に訪れた。先ず前半のそれは4曲を連ねたジョビンメドレーにあったが、そこでは〈chega de saudage〉や〈the girl from ipanema〉等の著名曲が含まれたもののリズムとハーモニーに対する周到なアレンジが用意されていたことによりこれ迄聴き慣れたメロディが別の顔をして立ち現れたのには正直驚きを隠し得なかった。そうして時が流れ中盤。淳さんの旧作〈時のアルバム〉をアレンさんが日本語で唄い、続けてこのユニットでは初となったという淳さんのスルドを交えたNカバキーニョ〈花と棘〉に繋げたくだりは、音場に新鮮なアクセントを与えると共に、地球の裏側に在って「血の系譜」の中にサンバが脈々と生々発展している姿が色濃く観て取れてそこに微笑ましい感を抱いたのは決して私だけでは無かっただろうと確信した。さて、最終盤。常道であれば、この辺りから盛り上げにかかろうという処であるが、数寄者達の描いた流れはやはり違った。ここで淳さんにとっては盟友とも言える巨匠Dカルバーリョ関連の佳作二品を並ベ(内、二曲目は最晩年のデウシオが淳さんオリジナル曲のために書き下ろしたという〈suas palavras:あなたの言葉〉)音場を鎮めた後に本編最終曲を繰り出し、それがやがてご存知のAバローソ〈brazil〉に転じ自然と満場の手拍子を誘い大団円に至るという構成は実に胸のすくような流れだったと言える。最後に今日のステージ全般を通して、そこでは採り挙げられた楽曲の多くが比較的穏やかな楽想だった影響もあろうが、我々が一般的にサンバという言葉の響きに対して想う華やかさ、賑々しさというものから離れて、「美しさ」の中に潜むどこかやるせない切なさ、哀切の抒情を感じる瞬間が多かったように思う。それは言い換えれば、サンバの旨味は案外その辺りにあるのではないかと感じたということである。これはひょっとすると、熟達者達だからこその巧みさで既成概念をひっくり返そうとする目論見があったのではないか、と。今改めて振り返りそんなことを強く感じているところである。

#472 2月23日(日)
東京文化会館大ホール
https://www.t-bunka.jp/
「東京二期会・オペラ劇場」『カルメン』〈ワールドプレミエ〉

晴れ渡る冬空の下、12日振りの東京文化会館大ホールにて、待望の「東京二期会・オペラ劇場」『カルメン』〈ワールドプレミエ〉公演を観た、聴いた。

[演目]カルメン 〈新制作〉
全四幕日本語及び英語字幕付原語(仏語)上演
・原作:プロスペル・メリメ小説「カルメン」
・台本:リュドヴィック・アレヴィー及び アンリ・メイヤック
・作曲:ジョルジュ・ビゼー
[指揮]沖澤のどか
[演出・衣装]イリーナ・ブルック
[装置]レスリー・トラバース
[振付]マルティン・ブツコ
[演奏]読売日本交響楽団
[歌唱]〈カルメン〉加藤のぞみ
〈ドン・ホセ〉城宏憲
他多数(配役:初日:2/20と同じ)
[合唱]二期会合唱団及びNHK児童合唱団
〈合唱指揮〉河原哲也

私自身、中学三年生だった’83、先代・十二代目市川団十郎翁襲名披露興行以降これ迄に慣れ親しんで来た歌舞伎の世界を離れ、近年では演奏会形式のオペラ作品にはいくつか接して来てはいたものの、本格的なオペラ体験は今日が初めて。オーケストラピットの指揮台には昨年セイジ・オザワ松本フェスティバル史上初の首席客演指揮者に就任した(生前の小澤征爾氏からの熱烈オファーにより推挙された)沖澤氏が立ち(小柄な彼女は演奏中はその頭部しか見えなかったが)、総演出をかの巨匠Pブルックを父に持つ気鋭のイリーナ氏がつとめる注目の連続四公演(歌唱陣は日替Wキャスト)の三公演目が今日であったというのがことの次第である。

果たして、先ずは演出面。今日の公演では細かなセリフ・ト書き部分はほぼカットされ、ナンバー付の部分が次から次へとテンポ良く続けて演奏されて行くという方式が採られたが、そこでは、舞台左右の日本語字幕ガイドの手助けも幸いして、私の様なオペラ初心者にとっても話の筋から置いてけぼりをくらうことは無く、その分演技と演奏に集中出来たのは好ましい形態と言えた。次に声楽/演奏面。最初は声楽陣から。勝気で奔放な性格を持つジプシー娘:カルメンを軸にした愛憎が織り成された群像劇の中にあって、主要なソリスト達はいずれも高い技量を遺憾無く発揮して、個々の役どころが持つ人格の輪郭を鮮かに縁取る演技と共にこじんまりとは纏まらずにいずれも伸びやかな表現を心がけて歌唱する姿とが相まって、舞台全体に無理の無い拡がりと奥行きを感じさせられることとなった。さて、続けて演奏面。やはり、「乗りに乗っている」表現者は違った。冒頭のお馴染み「前奏曲」が始まった瞬間から、我々聴き人は冲澤さんから発せられる瑞々しい活力ととめどもない推進力に惹き込まれることに。更にその後も、前述した演出の妙もあり、これでもかこれでもかと次々に繰り出される馴染みのあるメロディの中にあって、緩急の自在に亘りマエストロの手綱捌きはキレの極みを描いて行くこととなった。終わってみれば間に約30分の休憩を挟んだ3時間の長丁場(第一&第二幕:約90分、第三&四幕:約60分)となった今日の舞台であったが、そこでは、周到に準備された飽きのこないスピード感をベースに、声楽と演奏陣が渾然一体となって各場面設定と登場人物の感情の機微が華やかな音楽とドラマティックな物語の内に丁寧に浮き彫りにされることとなった。私にとって「お初」のオペラは、約40年前のあの「初歌舞伎」の瞬間に受けた衝撃と同様に、視覚・聴覚の全方位からこちらの心根を強く突き動かされるものとなった。当に総合芸術が持つ圧巻の醍醐味に酔わされた日曜日の昼下がり。

#473 3月1日(土)
新宿PIT INN
http://pit-inn.com/
羽野昌二(ds)w.スガダイロー (p) 中尾憲太郎 (b) 太田恵資(vln)
キャル・ライアル(g)

日中は薄っすらと汗ばむ程の陽気に恵まれた弥生一日。新宿PIT INNにて、今日目出度く古稀の誕生日を迎えられた羽野昌ニ氏(DS)のSPライブを聴いた。w.スガダイロー(P)中尾憲太郎(B)太田恵資(vln)キャル•ライアル(G)

’24/2にご縁を頂き、以来何度か触れて来た羽野さんの現場であるが、これ迄は比較的小さな編成を中心に、中には盟友である(今年も3月に再来日した)Dフェイラー氏を含む3管フロントクインテット等にも接して来てはいたものの、今宵のような所謂「コード楽器」に囲まれての音創りは初めてだっただけにその行方に大きく期待膨らませ幕開けの時を待った。果たして、冒頭の羽野さんMC曰く「ドラムを叩いて50年、今夜は出来るだけやれることは全て出し尽くしたい」の力強い宣誓に引き続き仕立ての良いワイシャツを思わせる羽野さんのスムーズ且つ簡潔なドラムソロを皮切りにこの夜の共演者達が順にステージに迎え入れられながらそれがいつしか激烈なる混沌へと転ずる展開を見せ45分後に音が止んだ1st.セット。続いて暫しの休憩の後、冒頭から5人全員がトップスピードで疾走し、片時もその高いテンションを落とす事なく脅威的な集中力で様々な局面を持つに至った「轟の杜」の中を駆け抜けながら、年齢にかけた実にノンストップ「70」分!に及んだ2nd.セット。と、その全編に亘り羽野さんから繰り出された、肩の力も程良く抜けたドラムセット全体を余す事なく響かせ合わせたしなやかで強靭なドラミングのコンビネーションからは、この楽器の持つ「リズム楽器」としての特性を超え彩りのあるハーモニーを生み出す「コード楽器」としての趣きを感じさせること度々であった。一方の並居る共演者達もコードの間に間にアタックの強い撥音乃至は打音の楔打ち込む瞬間が随所に垣間見られ、それがサウンド全体に奥行きと「停滞を阻止する」推進力を生み出すことに繋がって行ったように思う。門外漢の私故、所謂楽典的な解釈はさて置き今日私の眼前に迸り出した音の流れは、コードとリズムを其々に司る表現者達の交歓の中から自発的に生まれた極く無理の無いハーモニーの饗宴を強く感じさせられるものがあり、それは「投打」の両面に鮮やかなコンビネーションを見せる(であろう?)大谷翔平選手の様な「鋼〈ハガネ〉」の体幹を持つ脅威的な「二刀流」の顔を持つキレ味鋭い「音像」として私の眼には鮮烈に映った。そんななんとも痛快な夜だった。


尚、演奏中の写真はピットインスタッフのご厚意により撮影頂いたものを掲載しております。

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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