小野健彦の Live after Live Ex.1~9

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text by Takehiko Ono 小野健彦

前口上
本誌前月号の更新以降、緊急事態宣言の解除に続き、都道府県を跨ぐ移動自粛の緩和、さらには東京都の休業要請解除を経て、未だ次なる「感染の波」への懸念を日々孕みつつも、極めて徐々にではあるが従前の日常生活がほぼ戻りつつあり、多くのライブの現場でもその活動が徐々に再開されている昨今ではあるが、こと筆者の置かれた個人的状況としては、本業の職場にて、この数か月間推進されたテレワーク等の新しい生活様式 (働き方改革) の実効性と課題等をさらに慎重に見極めるべきとの判断のもと、基本的には在宅勤務状態が継続されることとなった。
かかる状況下においては、当然晴れ晴れとした気持ちで、Live after Live という訳には行かず、結果ご紹介するライブも無く、はたと困惑していた。それは、握るネタの無い冷蔵ケースを前にした寿司職人の状態であった訳だから。そこで、編集部サイドと忌憚のない意見調整を行った結果、本号のレポートはいささか飛び六法的な内容でお届けすることと相成った。
ライブの現場に行けないこの期間、自らのフラストレーションから、私は度々、夜な夜な ÝouTube の森に分け入ることが多くなっていた。
そこで、今回は、ÝouTube 映像にアップされているものの中から、特に80~90年代にかけて行われたパフォーマンスの内で、一部の例外を除き私が実際にその現場に居合わせたもので強く印象に残る日本人表現者が軸になったものを中心にお届けすることにした。実際の映像を観て頂く訳であるから、そこには余計なレポートを付すことは極力避け、その代わりと言ってはなんだが、当時の私のそれらのライブに触れた際の極私的想い出話等にも大幅な紙面を割いてご紹介することをご容赦願いたい。尚、映像の一部には、市販商品化されているものもあり、その情報も付したので、参考にして頂ければ幸いである (ご紹介する映像は出所の性格上その一部分であるため)。
では、「タイムマシーンにお願い」して、懐かしのライブの現場に連れて行って貰いましょう!

 

#Ex.1
小澤征爾指揮 ボストン交響楽団 w/ジェシー・ノーマン(ソプラノ)@タングルウッド音楽祭

最初にご紹介するのはクラシック。小澤征爾氏&BSOによるG.マーラーの「復活」だ。
これは今年9月に85歳を迎える氏の50歳時を捉えて制作されたドキュメンタリー “Ozawa” のクライマックスに使用されている映像。私は、今でもこの作品を初めて観た時に得た衝撃を忘れられない。綿密な譜面読みという地道な準備をベースとして世界有数のオーケストラと共に自らの目指す美を仕込んで行くその過程は勿論のこと、本番に臨んだ際の、氏のまさに真骨頂である、斎藤秀雄、カラヤン、バーンスタイン師直系の「魅せる」指揮振りに、鳥肌が立ったものである。それは、歌舞伎の大看板が魅せる見栄に似た型を感じさせて、同じ日本人として誇りだ!と単純に感動したのを今でも覚えている。この曲は、3.11 の後でも、ベートーベンの第九交響曲と共に各地で演奏されたが、今の世情下にあっても、そう遠くない (と願いたいが) 将来、満場の聴衆を前にして、ライブの現場において高らかに鳴り響いてくれるに違いない。
ここで少々横道に逸れる想い出話としては、征爾氏の甥はシンガー&ソングライターの小沢健二氏 (通称オザケン)。実は筆者と彼とは高校時代の同級生であり、互いの実家が近かったこともあり、一時期は頻繁に行き来をしていた。初めて彼の自宅に招かれて行った際にはリビングのアップライトピアノの譜面台に無造作に置かれたタクトを見つけ、彼に意を決して「これ、叔父さんの?」と聞いたら、軽く「そうだよ」と返された時は、興奮しながらも、なんとも拍子抜けしたのを、今でも良く覚えている。もっとも、彼がトイレに立った隙に、こっそり触って振ってみたのは言うまでもないのだが、それはやはり、笑。憧れとの距離感は大事なものだと実感した一幕ではあったが、あれももう30年以上も前の話になってしまった訳だ。

市販DVD情報:『ドキュメンタチOZAWA小澤征爾 デヴィッド&アルバート・メイズルス監督 (1985年)』

#Ex.2
1985年 エルヴィン・ジョーンズ他@新宿ピットイン「20周年記念コンサート」

続いては、ジャズ。それも大層重量級のジャズだ。
1985年12月、2夜連続で新宿厚生年金会館大ホールで開催された新宿ピットイン20周年記念コンサート第1日目大トリのエルヴィン・ジョーンズ スペシャル・セッションの模様。司会者の相倉久人氏も含めて同店所縁のなんとも豪華な面々の中に、私にとっての不朽のアイドル、武田和命氏の姿もある。黒縁眼鏡に白いワイシャツ、ブルージーンズに黒ブーツという氏のトレードマークでの演奏姿は何度拝んでも惚れ惚れとする。「動く武田さん」の映像は、他では1988年の柳川ファンクールでのライブ DVD しか私はお目にかかったことはないので、この映像はかなり貴重なものである。客席からの拍手の中には16歳の私のそれも含まれているが、満場の拍手におじぎひとつしない武田さんとそのタフな演奏に度肝を抜かれたのがついこの間の気がする。


#Ex.3

1984年 ゲイリー・バートン4feat, 小曽根真 @バドワイザー・ニューポート・ジャズ・フェスティバンル・イン斑尾

80年代半ば前後〜90年代前半にかけては大企業がスポンサーとなりその資金力をベースに招聘した海外ミュージシャンを中心としたサマー・ジャズ・フェスティバルが関東近郊でいくつか開催されていた。
ここからは、その代表である三大フェスの中から、ライブ会場の雰囲気も上手く捉えられているものを選りすぐり、ご紹介したい。
この斑尾フェスは何といっても客席のリケーションが極めて心地よく、このステージの時も、斑尾高原スキー場のゲレンデ下に特設されたステージをスロープの上の方から見下ろしていた我がオヤジと私の顔に何とも言えない涼風が吹いて来たのを今でも良く覚えている。この年も、プロデューサーである、フェスティバル王ジョージ・ウィーン氏の企画が冴え、大層バリエーション豊かなラインナップが組まれた。それは、スパイロ・ジャイラに始まり、M. ペトルチアーニ(この時が初来日の筈)、F.ハバード、K.バレル、R.コール、さらには、B.ハートやあの B.マクファーリンまでが顔を揃えた斑尾オールスターズ、加えて、これまたなんと、.Aコブ、B.テイト、I.ジャケーがフロントに勢揃いしたテキサステナーズ、そうして、大トリにブルーズ界の王様B Bキング・グループと、まあ、今、書いていても、ヨダレが出るような豪華な面々であった。そんな厚切りステーキ・フルコースの中にあったのだから、今日ご紹介するセットは、なんとも言えない清涼感を我々聴き人達に与えてくれた訳だ。おっと、興奮して、随分と前置きが長くなってしまった。さあ、そろそろ登場してもらいましょう。ステージは、ピアノ小曽根真、ベース.S.スワロー、ドラムス、M.ハイマンと共にお送りするG.バートン4で、曲は、スワロー作の佳曲、<レディース・イン・メルセデス>です!
と、コールしてから、やはりここで、もうしばらく私の想い出話にお付き合い頂こう。
この時私は彼の滞在先の斑尾高原ホテルエレベーター前で、BBに遭遇している。15歳中学生の私にとって、初めて会話した外国人らしい(ってなんだか変な言回しだが)外国人が氏だと言うのを思い出すとさらに感慨深さが増す。とにかくその迫力たるや半端無かった。

 

#Ex.4
1988年 渡辺貞夫vs ジャッキー・マクリーン@マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル wブルーノート

続いては、三大ジャズ・フェスの内、山中湖畔特設ステージで開催されていたこちらのフェスティバルから。
渡辺貞夫氏と、J.マクリーン氏によるアルトバトルのステージをご覧頂こう。しかし、この当時のサマーフェスは、質量共に本当ウーノートに凄かった。、この日のステージも、昼の部だけで、実に5セット!それも、R.ロスネスや(現サンタナ夫人の)C.ブラックマンら女性ばかりのトリオを従えたJ.ヘンダーソン4に始まり、G.アダムス & D.プーレン4や、G.ピーコック& R.ヘインズを擁した M.ペトルチアーニ3、更には、T.ウィリアムス5まで。今思い出しても、贅沢過ぎるほどの夏の終わりの午後であった。そんな並居る重量級セットの中にあって、本日の番組であるアルトバトルは何の遜色もなく、ストレートアヘッドのジャズの愉しさを外連味無く提供してくれた点で、数多く接したマウントフジのステージの中でも印象の特に強いものである。


#Ex.5 

1992年 富樫雅彦@ ライブ・アンダー・ザ・スカイ

この映像は1992年7月、読売ランド・オープンシアターイーストでの15th LIVEUNDER THE SKY における富樫雅彦&J.J.SPIRITSの演奏。田園コロシアムでの開催時から欠かさず通ったこのフェスティバル。万雷の拍手の中に、この年に社会人になった私と、当時還暦間近だったオヤジのそれも含まれる。私の実家は百合ヶ丘だったため、読売ランド前は小田急線で隣駅。大概の観客は、小田急ランド前駅からバスか、京王ランド駅からのエスカレーターで行くのが常識的だったが、我がオヤジは、なぜか毎年、実家からイーストまでの全工程約2時間を徒歩で行くことに拘った。会場での節約のためにと大量に買い込んだオヤジ用の缶酎ハイの重さに閉口しながらも、炎天下のアスファルト地獄とランドへの登り坂をとぼとぼ歩いた先にあった、余りにも創造的で深淵にして静謐なる音場。苦しみの後にこそかけがえのないものがあるんだ、とでも言いたげなオヤジの満足げな横顔を想い出しつつ、この映像にもぐっと引き込まれてしまう。だって実際のところ、現場で観たのは、豆粒大の富樫さん、峰さん、井野さん、佐藤さん、だったのだから。因みに、このステージの模様は、verve labelからCDが出ているのも有難い。

市販CD情報:『富樫雅彦&J.J.SPIRITS LIVE』

 

#Ex.6
1996年 西條孝之介@浜離宮朝日ホール「ザ・キング・シリーズ」

これまで、野外でのサマー・フェスのご紹介が続いたが、ここからは、場所を屋内に移して日本のスイングジャズの匠達の演奏を二本続けてご覧頂こう。
まずは西條孝之介氏だ。洋の東西を問わず、テナーサックス好きの私であるが、本邦に限ると、「間に合わなかった=生で聴けなかった」気になる表現者が少なくとも2人いる。もう1人の小田切一巳氏は、私がジャズを聴き始めた11歳の1980年にわずか31歳で夭折されているので、その演奏は、録音源で聴くより致し方なかった。それに比してこの西條氏は、その活動の最晩年期に時間軸では間に合っていただけに今さらながら口惜しさが残る。氏は、2008年、盟友のピアニスト前田憲男氏らと共に『’THE GOOD LIFE’』盤を吹き込み、氏曰く、そのライナーノートの中で「最後に気障なことを言わしていただきます。”老テナーサックスプレイヤーは、死なず.,ただ、消え去るのみ…”(D.マッカーサー的?)とのコメントを残してシーンから忽然と姿を消してしまった。ここでは氏が1956年に結成した名バンド、ウエストライナーズを去来した豪華な面々と共に、これまた、私のフェイバリット・チューンのひとつであるルイス・アントニオスによる<ミニナ・モサ>を快演している。(この曲は、菅野邦彦氏の旧TRIOレコードNadjaレーベ『live!』盤のバージョンも秀逸)西條氏の演奏は、とかく、S.ゲッツのそれとの類似で語られる事が多かったように想うが、’和製ゲッツ’の称号は、成る程、もしそれが我が国の湿度を纏いながらその憂いをより帯びているという意味も含めて与えられるのなら首肯できるものだと思う次第である。しかし、失礼ながら、御存命であれば89歳のこの圧倒的な迄にセクシーで(恐らくクールでニヒルな)スタイリストの御姿だけでも、一度で良いから拝見したいものだ。

市販CD情報:ザ・キング・ウィズ松本英彦&西條孝之介/キング・オブ・ジャズ

 

#Ex.7
1887年 北村英治 藤家虹二 鈴木章治クラリネット・トリオ@オール・ジャパン・ジャズ・エイド

読者の中にはかつて、我が国を代表するジャズ・ミュージシャンによる“オール・ジャパン・ジャズ・エイド” なるチャリティ・イベントが数年連続で日本武道館で開催されていたことをご記憶の方も少なくないと思う。このイベント、なかなかに興味深い企画セットもあり、日野皓正氏作曲の名テーマ曲<Do & Be Life>を数十名のボーカリストと本邦三大ビッグバンドが競演したり、山本剛さん、八城一夫さん、益田幹夫さん、佐山雅弘さん、鈴木宏昌さんらのピアノ・プレイハウスがあったり、ジョージ川口さん、猪俣猛さん、大隈寿男さん、日野元彦さんらのドラム・バトルがあったりと、単なるお祭りに止まらないピリッとしたひとときも楽しみであった。こちらの映像もそんな好企画と思ったうちのひとつ。我が国のジャズ界を牽引した名クラリネット奏者の共演による<素敵な貴方>。スイング趣をベースにしながらも、時にモダーンに、時にダーティーに掛け合う様がなんともスリリングで、私、これ大好きなんですわ。

 

#Ex.8
1988年 大野一雄「愛の夢」@さがみ中央テアトルフォンテ

今回は音楽を離れて舞踏の世界に分け入ってみたい。
2010年、103歳でこの世を去って行った大野一雄氏が踊る、氏の代表作のひとつ「わたしのお母さん」のその最終章として配置されていた「愛の夢」である。
1990年代前半、湘南に暮らし始めた私の生活圏と、横浜市保土ヶ谷区に居を構えながらの氏の活動圏が近かったこともあり、この時期は、多くの現場で、氏の舞踏に直接触れる機会を得た。それは、いずみ中央テアトルフォンテや湘南台文化センター、時には、横浜赤レンガ倉庫3号上屋でまで。概ね、何の舞台装置も無いステージでの独舞であったが、氏の動きに合わせて舞い上がる数多のチリホコリがライトに照らされてキラキラと輝いていた景色が強く眼に焼き付いている。余りに優雅で美しい生けるマリオネットの手足が雄弁に物語る様は、いつも圧倒的に音楽的叙情であった。

市販DVD情報:『大野一雄 美と力 大野一雄舞踏研究所企画・研修』

※尚、本稿の執筆に際しては、私の曖昧な記憶を修正し、その細部の正確性を期するため、大野一雄舞踏研究所事務局長/ダンスアーカイヴ 構想理事の溝端俊夫氏に電話取材を行った。その際に頂いた貴重なアドバイスとご協力に対して、この場を借りて深くお礼申し上げたい。

 

#Ex.9
2016年 大友良英  山崎比呂志@欧州ツアー パリ公演

さて、いよいよ、最後の映像である。最後は賑やかなジャズで締めよう。
しかし、ジャズはジャズでも、一般的にはフリージャズと言うのか?いや、そもそも、フリージャズと言うものが一般的ではないのだろうから、それはおかしな言い回しなのだろう。とにかく、稀代のふたりの表現者が作り出した余りにも美しい音場である。
しかし、思い返すと、所謂ジャズを聴き出してから約40年。50歳の声を聞く段になって、自分にとってアイドルと呼べる表現者に出会うとは思いもよらなかった。それも相手は、若い女性でもなく、私からは30歳も年上の男なのだから。
と、前置きが長くなってしまった。映像はドラムの山崎比呂志氏とギターの大友良英氏によるO.コールマン作曲<ロンリー・ウーマン>をモチーフにした演奏。2016年、冬のパリでの記録である。今でも、通常のライブではブレイク無しの約1時間のセット×2を協働者と共に鮮やかなストーリー仕立てで瞬時に構成する山崎氏であるが、本演奏は、7分強を圧倒的な密度でまとめ上げた短編(encore部分?故にか)とでも言えるドキュメントである。しかし、意外に氏のドラミング姿も上手く撮影されており、(例の三菱製トラック・ホイールキャップもばっちりフレームイン) 惚れ込んだアイドルを愛でる逸品としてはありがたい。当時76歳にして、これ程迄にしなやかにドライヴしながら創造性に富んだパフォーマンスを見せるとは驚異的としか言わざるを得ない。
2019年2月に直接のご縁を頂いてから、ほぼ毎月の交流を通じて、最早オヤジの様な存在になった感もある山崎氏とは、ほぼ毎日のように電話で会話をする現状であるが、新型コロナウイルス騒動の行く末が全く見えてこない今、氏のスケジュール表は依然年内はほぼ真っ白のままである。ライブの現場が開き始めていることは百もご存じではあるが、やはり自らの80歳という年齢も考慮の上、最大級の慎重さを持ってして、自らの内なる高揚感と来るべき佳き日取りとのマッチングを慎重に図っているのが実情である。それでも先日は、「今日は自宅からほど近い鹿島アントラーズ・スタジアム横の草原に行って、ドラムセット組んで存分に叩いてきたよ」と話す電話口の向こうの声は、久しぶりに弾んだ調子であった。
虎視眈々とその時に狙いを定め、精進を重ねられているご様子にはほとほと脱帽せざるを得ない。
このLive after Live 連載の間違いなく最多登場人物の再登場がなんとも待ち遠しい今日この頃である。

小野 健彦

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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