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小野健彦の Live after LiveNo. 307

小野健彦の Live after Live #354~#360

text & photos by Takehiko Ono 小野健彦

#354 9月8日(金)
Foods & Jazzy Bar 仙台 MONDO BONGO
https://www.mondobongosendai.com/
原  大力 (ds) 池田篤 (as) 米木康志 (db)

本稿及び次稿は肝心のライブレポートに入る迄の前置きがかなり長くなる点をどうかご容赦下さい。それ程までにこの前日を含めた3泊4日での私自身初の仙台訪問は、新幹線に乗れば東京から約2時間前後で到着する近さとはいえ、一生の想い出に残るであろう貴重な時間の連続であった由。

さて、前口上でも少し触れたが、私が海外赴任中のジャカルタの地で脳梗塞に倒れてから今年3月で丸10年が経過した。帰日後リハビリを継続的に行ってきてはいるものの、この病気の性格上劇的な回復に至っていないのが現状である。しかし、リハビリの効果もあり、杖を使えば独力で行動できるまでになったことは幸せであることは確かである。一連のLALもそれ故に継続出来ているという訳だが、実際問題これまでその行動範囲は首都/関東圏に限定されてきた。唯一その圏外に出たという点では、甲府・桜座があったにはあったが、この9月、遂に更なる拡大の一歩が実現した。杜の都・仙台への独り旅が叶ったのである。その契機は、次稿のライブ訪問が中心ではあったものの、サイドストーリーとしては、ひとりの男との直接のご対面を実現させたいという強い想いがあった。その人こそ、有難くもこの LAL の熱心な読者のおひとりであり、SNS上でのみご縁を頂いていた現在は仙台在の熱心なジャズ愛好家・東北学院大学経済学部准教授松前 龍宜氏であり、この方の存在なくしては今回の仙台訪問は成しえなかったのである。松前さんは諸事お忙しい中、私の仙台滞在中フルアテンドをして下さり、気の利いたいくつもの河岸へのご同行と、仙台ジャズの名士各位とのご縁を繋ぐことに腐心をして下さった。氏のご厚意にはこの場をお借りして、最大限の謝辞をお伝えしたいと思う。まさにこれまでにご縁を頂いた表現者の皆さんは勿論のこと多くの聴き人仲間及び各所のハコのご亭主/サポーターの方々あっての私のLALであることを痛感した次第である。

さて、9/8の話である。ライブの前呑みに松前さんがセッティングしてくれたのは、隠れ家的居酒屋「酔亭よっちゃん」。気になるメニューは数あれど結果的にはほぼ最初に発注した各種刺身の盛り合わせで通した。ご亭主から塩で食すことを勧められた時にはビックリしたが (話は全く変わりこの時私はエアジン・梅本さんからとんかつは塩だよとお聞きした時に驚いたことを思い出した)、この新鮮な刺身に塩の取り合わせはかなりイケた。米所は酒所というけれど、前述の鮮魚にあわせて重ね続けたふたりの盃もきりがなくなりそうになったため、後ろ髪を引かれつつも今宵の現場へと向かうことにした。

ここからがいよいよライブの現場の話である。今宵訪問したのは念願のMONDO BONGO。
そう、ご近所にあるKABOと共に、首都圏で活動するミュージシャン諸氏が東北方面のツアーに多く組み込むのを見るにつけ、いつかは必ず伺いたいと思っていた仙台を代表するジャズのハコのひとつである。

そんな今宵のステージには原大力氏のトリオが登場した。
原  大力(DS) 池田篤(AS) 米木康志(B)
首都圏でもなかなか聴くことの出来ないこの組み合わせは、聞けば仙台の名コーディネーター:キムタクさんこと木村卓也さんのアレンジとのことであったが、生憎と当の木村さんは所用があり当日はご不在だったため、丁度ご来店されていた奥様にだけご挨拶させて頂いた後は同所の名物マスター:チュウサンこと河野隆一郎さんとお話をさせて頂きつつ、いきなり仙台の地に現れた私に驚かれた既にご縁のある演者諸氏と談笑しつつ開幕の時を待った。

果たして、多くのお客様が詰めかけるなか定刻19:30に幕開けした当夜のステージは、冒頭に据えたミディアム・テンポ゚の<come rain or come shine>を皮切りにアンコールに応えた<old folks>に至るまで全8曲が披露されたが、原氏と米木氏による重心を低く抑えたステディなビートが池田氏の一刀彫りを思わせるシャープに切り込むアルトの軌道を十二分に引き立たせながら所謂著名なジャズ・スタンダードに加えてB.パウエルやJ.コルトレーンにゆかりのある佳曲も取り揃えつつ起伏に富み、飽きの来ない構成を採った点で老若男女に亘る幅広い客層にジャズの楽しさを十二分に伝えられる味のあるステージになっていったと強く感じた。

<仙台の現場訪問は次稿に続く>

#355 9月9日(金)
藤崎一番町館 「第4回 楽都仙台と日本のジャズ史展」
https://www.fujisaki.co.jp/
山崎比呂志 (ds)  纐纈雅代  (as) Duo

仙台滞在実質二日目は、今回の旅の主目的であるライブ当日。

そのライブ゙は、本誌でも既報の通り、9/7~12にかけて仙台の老舗デパート・藤崎一番町館で開催された「第4回 楽都仙台と日本のジャズ史展」[企画・監修・資料協力は、‘21/6高柳昌行氏没後30年追悼ライブ@越生・山猫軒の際にご縁を頂いていた力作「仙台ジャズ物語」の著者・岡本勝壽氏(近代仙台研究会)]の目玉のひとつとして企画された「阿部薫追悼」(当日は阿部氏没後45年目の御命日)インプロヴィゼーション・ライブ:

山崎比呂志 (DS) 纐纈雅代 (AS) DUO だった。

ライブ゙から遡ること数か月前、とある関係者からこのライブのことを教えて頂いた際、私は俄かに信じがたかった。私にとってはジャズ界のオヤジともいうべき存在の山崎さんは現在茨城県鹿嶋市在住であり、定例の首都圏方面のライブには自らハンドルを握り出張ってこられるが、慣れない初の仙台行きとなると、失礼ながら83歳の年齢を考えるとかなり難易度は増すと思ったからである。しかし、纐纈さんとの完全DUOは私も未体験であり、もし事実だとすれば絶対伺いたいと思った私は早速山崎さんに電話をかけてみた。開口一番「情報早いねえ」続けて「色々迷いはしたのだけれど、阿部の命日に捧げるライブとあっては行かない手はないよ、息子に運転を協力してもらって行くことにしたよ」との嬉しいコメントが返って来て、私の今回の仙台行きが即決定的になったという次第である。

果たして、当日は台風15号の関東地方接近影響等もあり、鹿島から約7時間もかかり開演17時の約2時間程前に現地入りした山崎さんではあったが、長旅の疲れは微塵も感じさせず追悼の意を込めた白ワイシャツにブラックタイのいで立ちでの登場となった。当日のステージ設営はイベントスペースに仮設されたものであったが、客席は事前に用意された50席では到底足らず、12~13席が急遽追加され、更には立ち見の方も10名以上出るなどフリーフォームのジャズライブとしては異例の盛況振りを見せた。ステージ゙は会場の都合等もあり、約1時間1本勝負の予定で開始されたが、結果的には、1stセット約25分、後述するサプライズを含めた休憩約15分の後の2ndセットは約15分で纏められたが、普段時間の経過と共に内的衝動を昂めて行く両者にとって時間の制約があった分激烈の度合いは抑えられていたように思う。それでも、山崎さんが時折繰り出したスティックによるオーソドックスなシンバルレガートは生粋のスゥインガーとしての横顔を、対する纐纈さんが2ndセットで引用した<lover come back to me>やO.コールマン<dancing in your head>や<lonely woman>からはオーソドックスとフリーフォームの両面に軸足を置きながら独自の道を貫かんとする革新者としての矜持のようなものが感じられて夫々満場のお客様にも強い印象を残したのではないかと思う。

まあ、それらはそうとして、本稿では、休憩時間に起きたサプライズを絶対に書き漏らしてはなるまい。以下ではそのくだりについて簡単に触れてみたい。

『事件は、まさにそのインターヴァルに訪れた。』

休憩時間に入り早々に司会の岡本勝壽氏から「今日はサプライズがある」とのコメントが。岡本氏は、現在でも川崎に暮らすご高齢の阿部氏のお母様(坂本喜久代氏)と親交があり、そのお母様から「岡本さんがこの人と見込んだ表現者であれば、薫の楽器を(新しい生命を吹き込むべく)譲って欲しい」との依頼を受けていたと。そのような経緯もあり(岡本氏は橋渡役に徹した上で纐纈さんのこれ迄のご努力、才能、ジャズに対する思い等をお母様ご自身が十二分に汲み取れるよう諸々のやり取りを経た後に)、この日のライブの休憩時間を使い阿部さんが実際に使用されていた複音ハーモニカが纐纈さんに(雅代さんは当初は「吹けるかわからない」と躊躇われたようではあるが)受け継がれることとなった。プレゼンターは、「阿部は遥か50年前の大切な友人です」と語った山崎さんが務められた。阿部さんが使った実際の楽器を吹くなんて恐れ多いと語ったという雅代さんのコメントを考慮した岡本さんは同機種のレプリカを用意されていたが、纐纈さんは意を決して半世紀振りに阿部さんの息に自らの息を重ねて行き、そこにしなやかなタッチの山﨑さんのドラミングが織り込まれた。そう、これが2023年9月9日に起きた日本のフリーフォーム・ジャズにとってのエポックメイキングな継承の一頁のドキュメントである。

#356 9月21日(木)
茅ヶ崎 Jazz & Booze ストーリービル
http://www.jazz-storyville.com/
ビリー・ジーン(as/vo)市川空(p)

約10カ月振りの訪問となった隣町茅ヶ崎のストリービルにて目下昇り竜の若手注目株の表現者達によるDUOを聴いた。

ビリー・ジーン(AS/VO)市川空(P)

このお二人、実はビリーさんとはプライベートでもお付き合いがあり、ご一緒に落語に行ったりしたことさへあるものの実際のプレイは未体験であり、一方の空君も、3〜4年前に菊地雅晃氏のセッションで度々お聴きするも(中にはかの近藤等則氏とのセットもあったが)それらは常にKeyのプレイであり生ピアノは未体験であったことから、現在一方で冨樫マコト君(B)と林頼我君(DS)との協働カルテット『Death Rabbit』で、また一方では幅広く名うての先輩達から請われ共に充実した活動を繰り広げているこの時期に、言わば裸一貫、DUO編成のバトルを通して自らをどう主張してくれるかに大きく期待も膨らんだ。果たして、A. ジャマル〈night mist blues〉で幕開けした当夜のステージは、本編全10曲がその構成の妙もあり、片時もダレることなく私は予想以上に楽しませて頂いた。先ずは、これはある程度予想通りと言おうか、耳馴染みのあるジャズ・スタンダード曲は1曲のみ〈good morning heartache〉に絞られたが、それでもこの一曲でのおふたりの胸のすくような伸びやかな吹きっ振り、弾きっ振りには清々しい印象を強く受けた。

次に特筆すべきは当夜の中でも異彩を放っていたビリーさんのボーカルをフィーチャーした彼女自身の詩作による3つの楽曲群であり①宇宙船の旅を唄った〈william song〉②てんとう虫になりたかった自分を素材にした〈little ladybug〉③〈elephant〉等々で見せてくれた独特の詩情と、その世界観をふたりで協働して拡げて行こうとした果敢な音創りの在り方は今日のステージをふたりで分けた意味合いがより良く伝わってくるものでありおおいに好感が持てた。

さて、話を前に進めよう。

私個人的に当夜のクライマックスだと感じたのは、休憩時間を挟み配置された新旧ASの逸材による作品群だった。それらは具体的には ’80「M-BASE」ムーブメントの寵児:S.コールマン〈micro move〉であり、彼らに影響を与えたとされるシカゴ出身の伝説的名アルト:B.グリーン〈little girl i miss you〉、更には時代遡り’50の名ハードバッパー:J.マクリーン〈song for queen〉であった。これら幾何学的で抽象/幻想的な曲想を畝りのあるアルトと縦横無尽に駆け抜けた強靭なピアニズムで見事に描き切った一連の流れからは、特にビリーさんの自らの来し方をしっかりと踏まえながら行く末を見定めている表情とそれを十分に咀嚼しながら当意即妙のサポートに徹した空君の優しさと手際の良さが感じられて、おおいに微笑ましく、且つ頼もしい想いを頂いたのは私だけではなかったように思う。さて、今夜のステージでは、他にジャズ・ジャイアンツの佳作二品が採りあげられたが、D.エリントン〈sunset and the mockingbird〉ではこの作品の持つ気品を見事に表現していたと感じたが、一方のT.モンク〈bemsha swimg〉については、モンク臭が希薄であり、それはこちらのモンク趣を期待し過ぎる点を差し引いたとしても、ステージの俎上に乗せる時機という点でやや疑問が残る部分であったことは確かだと感じられたのが率直なところだった。

以上、当夜に対する私なりの雑感を書かせて頂いたが、総じて言えたのは、このふたりだからこそ創り得るショーケースがそこに在ったということである。過去と未来を俯瞰して見ながら現在を率直に語ってくれる姿には溜飲が下がる想いを強くした。その意味では、今後更に自分自身であがき、諸先輩方に揉まれまだまだ進化して行くだろうふたりとの再会が待ち遠しいという感を強くしたひとときだった。


#357 9月23日(土)

町田 Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/
吉澤はじめ(p/vo) 高梨道生(B)井上功一(ds)

町田ニカズにて、今宵、急遽の組み合わせとなった初顔合わせのピアノトリオを聴いた。

吉澤はじめ(P/VO)〈私はお初〉 高梨道生(B)井上功一(DS)

今宵は当初、上記トリオを率いた秋山一将氏のカルテットがクレジットされていたが、秋山氏が酷い腰痛によりやむなく欠席となり、上記のトリオがその穴を埋めたというのがことの次第。
実は秋山氏の欠席は、前夜に元岡マスターから連絡を頂いており、秋山・吉澤両氏の珍しいコンビネーションを期待していた私は暫し思案したが、ハプニングが命のジャズ、また、異才の呼び声高い吉澤氏を中心としたトリオの化学反応を期待して予定通り町田へ駆けることにした。

果たして、定刻19:30からややあってご機嫌にサウンドさせたC.ウォルトン〈holy land〉で幕開けし猛烈な急速調でスイングさせた B.パウエル〈cleopatra’s dream〉で締めた今宵のステージでは、全11曲中、半数以上を吉澤氏のオリジナル曲が披露される(中には吉澤氏のVOをフィーチャーした、秋山氏の腰痛快復を祈願したおふたりには想い出だという〈幻想の摩天楼〉と〈the edge of universe〉を含む)展開となったが、華やかさのある右手の高速パッセージと的確な左手の和音のバランスも至極快調な吉澤氏のピアノと重心が低くビートの締まりが際立った高梨・井上両氏によるリズム隊とのコンビネーションは申し分なく、そこではピアノトリオに欲するダイナミクス、弾力性、疾走感、抒情性そうして寛ぎが高次元で随所に感じられるおおいに噛み応えのある音創りが展開され、ワタシは大満足のひとときを味わうことが出来た。

 

#358 9月24日(日)
横濱エアジン
https://www.airegin.yokohama/
shezoo (p/comp)presents「七つの月」第七夜(最終夜)「新月の向こうに隠れて見えし透明の月」w/カルメン・マキ

横濱エアジンにて、クラシックからジャズまでを軽やかにかつ鮮やかに越境する表現者:shezooさん(P/Comp)presents「七つの月」その第七夜(最終夜)「新月の向こうに隠れて見えし透明の月」を聴いた。

shezooさんが「どうしても自分が音を描きたい7人の詩人の詩〈うた〉を、どうしても歌ってほしい7人の歌手に歌ってもらう」企画において当夜招かれたのは、shezooさんがそのひとの可愛らしさをより引き出したいと目論んだカルメン・マキさんだ。

冒頭の MC で「七つの月では私は新人で」とおどけてみせたマキさんにとって「今年の大仕事」のひとつを目撃しようと詰めかけた店内 sold out の満員の聴き人の見守るなか張り詰めた雰囲気にて開幕した今宵のステージは、それこそ幾度となく重ねたリハーサルと選曲に関するやり取りを経た楽曲群が広く披露されたが、それらは〈星に願いを〉(ディズニー映画『ピノキオ』より〈日本語訳詞版〉)、shezoo詞曲〈moons〉、萩原朔太郎詩作〈白い月〉、カルメンマキ詞ファルコン曲〈月夜のランデブー〉等々月に因んだ作品をひとつの軸としつつも、今後永く歌い継がれるべき日本語のスタンダード・ナンバー:童謡から〈月の砂漠〉[オープニング](加藤まさを詞 佐々木すぐる曲)や〈赤とんぼ〉[アンコール](三木露風詞 山田耕作曲)を組み入れたり、意表を衝かれた選曲ながらよくよく聴き進めると味わいが増したポピュラーソングから〈白いブランコ〉(小平なほみ詞 菅原進曲ビリーバンバン歌唱)や〈哀しみのボート〉[ダブル・アンコール!](松本隆詞 大久保薫曲 松田聖子歌唱)等々を披露したり、懐かしいところでは〈マキの子守唄〉(寺山修司詞 スペイン民謡)を加えたり.更に本編最後には、このシリーズで毎回 shezooさんによる宛て書きの書き下ろし作曲が恒例になっている中、今回はマキさんの歌唱用に 書き下ろされた金子みすゞ詩作〈ふしぎ〉までが披露されるなど圧巻のステージが展開された。

当夜のステージに接していて、私が終始強く感じたのは、キラキラとして想像力を掻き立てられる言葉の数々とメロディとが高次元で溶け合いそれらがこちら聴き人の身体に染み込み一体となれた感覚であり、そこではまさに壮大な唄(今宵の場合は詩の方が妥当か?)絵巻に接することが出来たという充足感を強くした。

まあそれらはそうとして、いずれにせよ、今宵を充足の時のうつろひに導いたのはそれら言葉とメロディの間にあって触媒として屹立したマキさんの圧倒的な存在感であり、その約束された最適な触媒たりうるマキさんを今宵招集したshezooさんの目利き力であったと今振り返り強く実感している。最後に、これまでの七つの月を通してshezooさんにより書き下ろされた楽曲達のその後の変遷は各々の表現者によりまちまちだとお聞きした。さあ、賽は投げられた。

〈ふしぎ〉を今後マキさんがご自分の表現活動の中でどう深化させて行くかには僭越ながら興味が尽きない。そんなことを考えながら今日もエアジンの強力サポーターT 野さんに自力ではとても降りられない急な下り階段を昇り同様介助頂きながら安全に帰路についた。

#359 9月30日(土)
町田 Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/
駒野逸美(tb)大徳俊幸(p)

一週間振りの訪問となった町田ニカズにて、おおいに興味深いDUOを聴いた。
駒野逸美(TB)大徳俊幸(P)
それこそ年中ジャズの現場に脚を運んでいる私ではあるが、トロンボーンとピアノのデュオ編成は初体験であり、ハコのスケジュール表にこの組み合わせを見つけ早くからこの日この刻に狙いを定めたという次第である。

果たして、世代の違いこそあれ、共に名うての表現者の共演は、後述するように、全11曲をジャズ・スタンダードを中心に著名曲を題に採り、終始聴き応えのあるステージが展開されることとなった。

以下では各々の表現者について私が印象に残った点を中心に点描してみたい。

先ずはMCもつとめた逸美さんである。ふくよかで力強いトーンが特に印象に残った。そうして、そのトーンから導き出される余裕のある節回しは単なる心地良さだけにとどまらず、攻めるところは攻める緩急自在の手際が際立って、輪郭もハッキリとした立体感のある音の流れを演出していた点はおおいに好感の持てるものであった。さて、一方の大徳氏である。私が氏のナマに触れたのは2回目であったが、当夜もその抜群の趣味の良さに惹かれた。決して派手やかさは無いものの、微塵の外連味も感じさせることなく、粒立って流麗な音の連なりをこちら聴き人になんの気負いも無く確実に届けてくれるその所作の数々は流石の匠の手腕と言えた。そんな2人のアンサンブルである。いわずもがな総じて快適の極みを描いたことは言うまでもない。しかし、そこで私が感じた快適さは、単なる心地良さということではない。押すところは押し、引くところは引くといったような当意即妙のバランス感覚が際立っていたということである。兎に角ハーモニーの重量感が申し分の無い趣味の良いふたりの当夜がとても初共演とは感じられない呼吸感もピッタリの親密な語らいであった。

【セットリスト】

(1st.set〉
①but not for me
②darn that dream
③no more blues
④there is no greater love
⑤stablemates

〈2nd.set〉
⑥polka dots and moon beams
⑦ba-lue boliva ba-lues-are
⑧wave
⑨tenderly
⑩satin doll〈org.Hジョーンズver.〉

enc:my little suede shoes


#360 10月1日(日)

新宿ピットイン
http://pit-inn.com/
纐纈雅代(as)原田依幸(p)

新宿ピットイン昼の部にてスペシャルなDUOを聴いた。

纐纈雅代(AS)原田依幸(P)

私自身、このおふたりのDUOをお聴きするのは、’22/10の合羽橋なってるハウス以来2度目であったが、それでは何故スペシャルなのか?その辺りの経緯から紐解いてみたいと思う。最早時代の寵児として精力的な活動を続ける雅代さんは、ピットインへの出演も少なくなく、それは夜の部のみならず昼の部にも及んでいることは広く知られるところであるが、一方の原田氏のピットイン出演はかなりのレアケースと言える。ここ最近で私が想い出す範囲では、’22/8の「鈴木勲さんを送る会」と’19/11の「ニュージャズホールを知ってるか?」(急逝した沖至氏の代演)くらいしかなく、それだけにこの稀代のインプロヴァイザーおふたりががっぷり四つのDUO編成で、ピットインの、それも昼の部に出演されることは、スペシャルな出来事だったと言える。

まあ、それはそうとして、実際に蓋を開けた今日のステージは、前後半のセットを約30分ずつと濃密の内に纏めあげた後で、ごく簡潔にレクイエム調に仕上がったアンコール迄を繰り出す熱演が披露されることとなった。

神妙かつ黙思的な原田氏のピアノに導かれ、雅代さんがサックスに吹き込む息吹はどこまでも思索的であり、その哀切と寂寥の情感に満ちた息吹の撥烈とした揺らぎが、原田氏のピアニズムの煌めきと弾性をより増幅させる呼び水となり、伝家の宝刀とも言える鍵盤全体を掌中に収めた美しい高速パッセージを引き出して行く様は如何にもスリルに満ち溢れていた。

そこに在ったのは、まさに世代を超えて静かにスパークする情であり、鮮烈なる音の連なりの中に確固として屹立するフリーフォーム・インプロヴァイザーの業〈ゴウ〉であったと感じた。セクシーかつエレガントな音創りにかけては人後に落ちない稀代の表現者ふたりの刹那に咲いた構築と解体のひとときは、暑過ぎた今夏に別れを告げ、少しずつ秋の気配も感じられるようになって来たこの神無月初日には極めて似つかわしい清々しさをもったものとして私の心に深く染み込んできた。

最後に、今日の音とは全く関係ない話題にて恐縮だが、私の夕飯の一コマをひとくさり。

今日は昼公演とあって、終演が17時前になったため、私は学生時代に通い詰めた新宿駅西口「思い出横丁」にある馴染みの中華料理店岐阜屋に立ち寄り自慢の煮込みや韮レバ炒めで空腹を満たした。当然御神酒を冷やで合わせたが、これが少しく効いたため、ほろ酔いの帰路の電車は少し贅沢をして、小田急ロマンスカーを使い湘南の家路へと着いた。なんだか少し早めの秋の小旅行をしたような充実の一日だった。実に愉快で楽しい一日だった。

 

尚、ライブ演奏中の写真はピットイン・スタッフのご厚意により撮影頂いたものを掲載しております。

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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