JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 66,098 回

Jazz Meets 杉田誠一ColumnNo. 235

JAZZ meets 杉田誠一 #101「庄田次郎」

text & photo by Seiichi Sugita 杉田誠一

 

2017年12月1日、横浜白楽Bitches Brewは、開店10年となる。で、先立つ頃9月20~21日、大倉山記念館で10周年記念コンサートを開催する。想えば、音楽=ジャズの「いま」を問い続けた10ではあった。
最初の企画は、(1)竹内直(ts)が、循環呼吸世界一に挑戦する。(2)日野皓正に中学生にして認められた18歳のドラマー林ライガのレコーディング。でありったのだが、主たる理由は、結局のところ、資金難で実現するには、いたらなかった。CDに関して、現在残されている最高記録は、あのローランド・カークの120分。竹内と話したところ、YAMAHAに循環呼吸しやすいテナーを用意してもらい練習すれば、1時間は可能とのこと。それならば、ギネスの記録、ケニーG(ss)の世界記録は破れることになる。ただし、1件の申請に70万円もかかる。またもやドブに金を捨てるようなもの。僕自身にとっては、なんらメリットもギネスの権威も興味ない。

というわけで、招聘したミュージシャンたちは以下の面々です。

9月20日
「映画音楽とJAZZ」

金剛督 (ts,fl) 林あけみ (p) 杉田誠一(トーク/実は、淀川長治先生のゴーストをやっていた)
渡邊雅祥 (as, etc)ソロ

金剛督 (ts) 蜂谷真紀 (vo,voice, p) 不破大介 (b) 林ライガ(ds)

9月21日
「ジャム・セッション」(スタンダード)
山口友生 (g) 佐久間優子 (p) 大西悠斗 (ds)

「ジャム・セッション」(フリー〜インプロ)
ニュージャズ・シンジケート/庄田次郎 (ts,as)

纐纈雅代 (as) ソロ

Bintang Asia(アジアの星)
小泉ちづこ(バリ舞踏)城田有子(p,vo) 河原厚子( vo,語り) 松浦賢二(perc) 内田光昭(tb) Tommy G(ss,fl).

後日、下田の庄田次郎より手紙が届く。庄田は、1949年4月16日、下田生まれ。下田駅前にジャズ喫茶&バー「チェシャー・キャット」を1977年に開店。本年正月、さまあずの番組で紹介された。「杉田様 大倉山は最高でした。スピーチも感激しました。6年間お世話にんり有難うございました。前衛のみならず、いつも全体をみている姿に影響されました。これからも、厳しいお言葉よろしくお願いします。庄田」

この6年間、毎年、庄田次郎の誕生日4月16日を挟み、7 Days@Bitches Brewを敢行してきた。ぼくの志向は、月に4回7Daysを演ることだったけど、残念ながら、タマ不足であり、リスナーの層もそこまで育っていないというのが現実である。

ニュージャズ・シンジケートは、1974年、法政大学のバリケード内で、原尞 (p)と二人で結成され、現在に至る。

ぼくが原尞とよく出会ったのは、新宿「ニュージャズ・ホール」ではなく、渋谷リキパレス下にあった「学生バンドのメッカ OSCAR」であった。いつも寡黙で、ひとりハヤカワ・ミステリをむさぼるように読んでいた。演奏は、バルトーク〜セシル・テイラーよりもセロニアス・モンク固有のメソッドをイメージさせた。

原尞は、1946年12月18日、佐賀県鳥栖市生まれ。九州大文学部美学部卒後、上京。フリー系ピアニストとして、高木元輝(ts)、阿波薫(as)らと活動するも、ハードボイルド作家に。代表作『私が殺した少女』(早川書房)。ジャズの記録としては、『幻野』(テレビマン・ユニオン)がある。出演は、高木元輝、高柳昌行(g)。

現在、原尞は、鳥栖に。兄の経営するジャズクラブ「コルトレーン、コルトレーン」に時々出演。モンクやエリントンを演奏しているときく。

庄田次郎/ニュージャズ・シンジケートは、現在に至るまで、1970年代前後に日本で独自に台頭したフリー/ニュージャズを未だ一貫して志向している。来る者は拒まず、去る者は追わず。

少なくともこの6年間、Bitches Brew for hipsters only は、庄田次郎にとってもホーム=根拠地ではあった。出演日は必ず寝袋で、店内に寝泊まりしていく。どんなに飲んでも、ジョギングとストレッチは欠かさない。ボディビルダーとしては、毎年静岡県で5位以内を維持してきている。自己に厳しいストイックな姿勢は、ニュージャズ・シンジケート、以来のもの。口ぐせは、「演るまで死ねるか、君も来い!」である。

演奏の場は、全国各地のライヴハウスに限らない。ときには、新宿歩行者天国アルタ前だったり、NYCやパリの街角であったりする。いつも楽器は、ポケット・トランペットとアルトが中心。ポケット・トランペットは、フリーの旗手オーネット・コールマンの相棒ドン・チェリーを標榜してのこと。フェイス・ペインティングハ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ。モヒカンは、ロリンズを想わせる。それらは、いつも庄田次郎の深い内省面の在りどころを凝視させずにはおかない。

そのこだわり続けているポケット・トランペットを最近、新しい手づくりのものに変えた。それも、アサガオが、45°上を向いている。そう、原型は巨人ガレスピーのラッパだ。今までになく、よく鳴り、音がデカく、スケールが広がり、滑らかによくセンシティヴにうたうのである。庄田次郎は決して留まることはないであろう。絶対に死ぬまで演る男だ。

9.21の共演者で、最高に突出していたのは、細田麻央(舞踏)、完全なヴィーガンであり、芥正彦(劇団「駒場」)の弟子でもある。(指の先端ですら舞踏する麻央は、晩年の大野一雄すらだぶる)。芥正彦は、阿部薫をソロで自らの「産業革命の歌」@天井桟敷でデビューさせた男。

さて、Bitches Brewは、来たる12月末をもってピリオドを打つ。
10月29日(日)庄田次郎X森重靖宗(cello) DUO
11月26日(日) 庄田次郎X浦邉雅祥(as,etc) Xレンカ(おどり)

庄田次郎の「人生は即興である」

なお、代表作に以下がある。
『ニュージャズ・シンジケート@法政大学館』(フジ企画/3枚組LP)
『@グッドマン』(マイナー/LP)
『庄田次郎X野中悟空@チェシャー・キャット』(マイナー/LP)
『和童』(おーらいレコード/CD)
『明』(おーらいレコード/CD)

『九州ツアー with 波多江宗行』(マイナー/CD)
最後に、2日間のBitches Brew10周年記念コンサートにあってめくるめくひとり席巻したのは庄田次郎であると加筆しておきたい。

「フリージャズ・ジャム」は、もちろんのこと、大トリの「Bintang Asia(アジアの星)」にも参画。またたくまに、ヒエラルキーのトップの座に位置する。

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください