JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 4,281 回

Reflection of Music 横井一江No. 318

Reflection of Music Vol. 99 ジョエル・レアンドル


ジョエル・レアンドル @アトリエ第Q藝術   2024
Joëlle Léandre @Atelier Dai Q Geijutsu , Tokyo, August 03, 2024
photo & text by Kazue Yokoi  横井一江


ジョエル・レアンドル (1951~) が19年ぶりに来日した。

コントラバス奏者、作曲家であり、即興演奏家としてもアンソニー・ブラクストン、デレク・ベイリー、バール・フィリップス、ジョージ・ルイス、エヴァン・パーカーなどの著名なミュージシャンと共演してきたジョエル・レアンドルが最初に来日したのは1996年に遡る。きっかけは1994年にフランス、アヴィニョンで開催された国際ダブルベース・フェスティヴァルでの故齋藤徹との出会いだった。「日本に行きたい」とレアンドルが3回言ったことから、齋藤は招聘のために動き始め*、ツアーが実現したのである。その時、横濱ジャズプロムナードに出演した際の音源は『Joëlle et Tetsu: Live at Yokohama Jazz Promenade Festival 1996』として音楽評論家北里義之(当時、現在は主軸をダンス評論に移している)の個人レーベルOmba RecordsからCD化されている。その後、1998年には京都にあるフランスの文化機関ヴィラ九条山に滞在、2000年と2005年にも来日している。来日する度に日本人ミュージシャンとの共演も行い、音楽学者で演奏も行う若尾裕との即興演奏、若尾久美 (p)とのジョン・ケージ作品、また作曲家でピアニストである三宅榛名との『Short Tracks』(Egg Farm, 1998) 、佐藤允彦 (p)との『Voyages』(Baj Records, 2005, >>>CDレヴュー) など様々なミュージシャンとの共演盤を残している。だが、交流が途絶えたことから、もう日本でその演奏を観ることはないだろうと思っていたが、再びそのライヴを体験出来たことは貴重だった。

今回、レアンドルが来日出来たのは「Maxサマースクール・イン・藝大」の「INPROTEC CONCERT」(一般非公開)出演のためだった。そもそも彼女はパリ国立音楽院で学び、ブーレーズの「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」にも参加。1970年代半ばに奨学金を得てアメリカに滞在した際にジョン・ケージなどと出会い、その時にニューヨーク、ダウンタウンの音楽シーンを知り、即興演奏とも関わりを持つようになったという。その後、ケージやモートン・フェルドマン、ジャチント・シェルシなどの楽曲を演奏する傍ら、ジョージ・ルイス、ペーター・コヴァルト、カルロス・ジンガロなどと共演するようになる。だから、藝大の企画で招かれるのはなんら不思議はない。そして、自らミュージシャンや関係者にコンタクトをとって即興演奏のライヴを行ったということもまた自然な流れだった。

私がジョエル・レアンドルを知ったのは、1987年のメールス・ジャズ祭での「カネイユ CANAILLE」のステージだ。出演者はイレーネ・シュヴァイツァー (p, ds)、アニク・ノザティAnick Nozati (voc)、マリリン・マズール (perc)、アンヌマリー・ローロフス Anemarie Roloeffs (tb)、コー・シュトライフ Co Streif (reeds)、 ジョエル・レアンドル (b)。彼女とシュヴァイツアーは1978年に既に出会っており、1983年にはシュヴァイツァーが立ち上げたヨーロピアン・ウィメン・インプロヴァイジング・グループに参加。前年のメールス・ジャズ祭にはIntakt Records の第一作となった1984年のタクトロス・フェスティヴァルで演奏したメンバーで出演している。1986年にスタートした「カネイユ」という女性即興演奏家が参集したフェスティヴァルにも参加。このフェスティヴァルはフランクフルトでスタートし、続いてチューリッヒで開催された。1987年のメールス・ジャズ祭に当時の音楽監督ブーカルト・ヘネンが「カネイユ」というプロジェクトで舞台に登場させ、その年のテーマが女性特集だったのも納得がいく。日本にいるとこのような動向は見えなかったが、今で言うところのジェンダーの観点からも時代は動いていたことをブーカルト・へネンは見逃さなかったのである。その1987年のステージでのレアンドルは、ベースをくるっと回転させたり、パフォーマンス的な動きが印象に残っている。この頃レアンドルはドイツでも注目され初めていたのか、ミュンスターのジャズ祭のポスターに彼女の写真が使われていたのことを記憶している。その後、1991年にはイレーネ・シュヴァイツァー、マギー・ニコルスとのユニットLes Diaboliquesをスタートさせ、即興音楽シーンでのレアンドルの活躍がいろいろと伝わってくるようになった。そのようなことも1996年の初来日に繋がったといえる。

2005年の来日以降もレアンドルの動静は伝わってきたが、なかなかその姿をライヴで観る機会はなかった。直近では『Zurich Concert』(Intakt) のソロ演奏に聴き入っていたので、今回の来日は嬉しかった。行くことが出来たのは、アトリエ第Q藝術での内橋和久 (g, daxophone) のみだったが、空間に広がっていく弦楽器のサウンドを体感するのはいい。現代音楽とのボーダーを歩んできたレアンドルの芯のあるサウンドやコントラバスの響きそしてヴォイスと、内橋のギターとダクソフォンとのダイアローグには即興演奏ならではの必然性と創造性がある。即興演奏ならではの音が立ち上がってくるその瞬間を共有できた貴重なひとときだった。

Joëlle Léandre & Kazuhisa Uchihashi @Atelier Dai Q Geijutsu , Tokyo, August 03, 2024

スライドショーには JavaScript が必要です。

【注】

* 『Joëlle et Tetsu: Live at Yokohama Jazz Promenade Festival 1996』(Omba Records) 北里 義之のライナーノートによる。

【関連記事】

#43 女たちのムーヴメント in 1980’s: フェミニスト・インプロヴァイジング・グループ、イレーネ・シュヴァイツアー、カネイユ
https://jazztokyo.org/monthly-editorial/post-98950/

#45 イレーネ・シュヴァイツァーを偲ぶ
https://jazztokyo.org/monthly-editorial/post-102932/

CD Review #289 『ジョエル・レアンドレ~佐藤允彦/ Voyages』
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-4454/

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

Reflection of Music Vol. 99 ジョエル・レアンドル」への2件のフィードバック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください