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Reflection of Music 横井一江No. 228R.I.P. ミシャ・メンゲルベルク

Reflection of Music vol. 52 ミシャ・メンゲルベルク


ミシャ・メンゲルベルク@メールス・ジャズ祭 1992
Misha Mengelberg @Moers Festival 1992
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江

 

ミシャ・メンゲルベルクも歴史上の音楽家となってしまった。

1990年のメールスで撮影した彼の後ろ姿を見る度に私はセロニアス・モンクを、デューク・エリントンを幻視する。1982年のICPオーケストラ初来日時のステージでピアノを離れて動き回るミシャの姿が、ビデオで見たセロニアス・モンクがモンク・ダンスする姿に重なったという記憶があるからかもしれない。ましてや、そのステージで取り上げたのはデューク・エリントンだった。

ミシャ・メンゲルベルクとは一体どのようなミュージシャンなのか。イギリスのガーディアン紙は、その訃報で「1960年代アメリカン・スタイルから脱却する第一段階で登場した最も創造的なジャズ・ピアニストのひとり」とキャプションで形容していた。確かにそうである。だが、それ以上に彼はヨーロッパの音楽シーンにおける60年代のパラダイム転換を象徴するミュージシャンだったと私は考える。ミシャ・メンゲルベルクという音楽家そのものがパラドックスだったのだ。「同じ耳でベートーヴェンもICPオーケストラも聴く」と彼は言い放つ。戦前の大指揮者ウィレム・メンゲルベルクが大おじ、伯父は作曲家・音楽学者、父は指揮者・作曲家、母もハープ奏者というアカデミックな音楽エリートの家系に生まれた彼が、ジャズを演奏し、フルクサスという既成の芸術概念に対抗する運動に参加した。そして、インスタント・コンポージング Instant Composingなどという造語を生み出したのである。作曲に対する即興、それをこう言ってしまう。インスタント・コンポージングとは言い得て妙、愉快な言葉である。

だが、彼が率いたICPオーケストラの、特に近年の演奏に接する度に思ったのは、アメリカ的なジャズを徹底的にアナライズし(これ自体アカデミックな手法である)、そこに独自の発想で新たな命を吹き込んだライヴ・ミュージックとしてのジャズ、一回性の演奏であることの自由と冒険である。ICPオーケストラやジャズを演奏する時のミシャのピアノは、往年のジャズ・ピアニストのようなまあるい音色がなんともいえない。反面、即興演奏する時のタッチはまた違う。彼の中にあるユーモアや笑いと透徹した知が垣間見えるのだ。

「ユーモアとは可笑しな言葉だ」
ミシャ・メンゲルベルクが呟く言葉は、箴言のようであり、禅の公案のようでもある。そこに通底するのはユーモアであり、笑いを積極的原則にしている。彼の音楽も同じ、「笑いは重要」なのだ。

単独で来日した時に2回ほどインタビューを試みたが猫のように逃げられた。たぶん、インタビューなんて嫌いだったのだろう。その頃、私が目にした彼のインタビュー記事はカナダのジャズ雑誌『CODA』に掲載されていたものだけだった。3度目の正直で彼を捕まえてインタビューの約束を取り付けたのは、どんよりとした空の11月のベルリン、トータル・ミュージック・ミーティングの会場だった。1998年のことである。会場のあるポーデヴィルのカフェで言葉を交わした時、コーヒーを飲みながら、テーブルの砂糖入れを見てこんなことを言い始める。
「砂糖と塩、その両方が必要なんだ」
その語りは既に始まっていたのかもしれない。

翌日、誰もいないホテル・ペンションのダイニングで延々2時間以上、話は思わぬ展開をし、ころころ転がっていく。邪魔をしたのはホテル・ペンションのオーナーの愛犬の真っ白な秋田犬だけだった。私の仕事は、ひたすら耳を傾けることのみ。ミシャ・メンゲルベルクという知の迷宮に入りこんだようで、愉しかった。こんなに愉しいと思ったインタビューは他にはない。たぶん、これからもないだろう。

インタビューを切り上げたくなった時、彼はこう言った。
「マテリアルは既に沢山あげたよ。これをどう書くかはあなた次第。あなたが書いたものを読んで、それがよければ私は「笑う」のさ。コーヒーを飲みにいかないかい」

6年前に『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)を書いた時、そのマテリアルを大いに使わせてもらった。そして、表紙はミシャ・メンゲルベルクにすることに。ハン・ベニンクに本を手渡しした時、ミシャが表紙であることをことのほか喜んでくれた。ミシャは既にアルツハイマーを病んでいた。「ミシャ(の健康状態)はよくない。でも、この本は必ず見せるよ」と。

果たしてミシャは「笑った」のだろうか……

November 05, 1998 at Total Music Meeting, Berlin

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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