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Reflection of Music 横井一江特集『JAZZ ART せんがわ』特集『ピーター・エヴァンス』No. 246

Reflection of Music Vol. 63 ピーター・エヴァンス、そしてJazz Art せんがわ


photo & text by Kazue Yokoi 横井一江

【Part 1】
ピーター・エヴァンス @JAZZ ART せんがわ/公園通りクラシックス 2018
Peter Evans @JAZZ ART SENGAWA, September 15, 16, 2018 / Koen-Dori Classics, September 19, 2018

 

ピーター・エヴァンスの評判をあちこちから耳にするようになって、もう10年くらい経つ。ヨーロッパのミュージシャンの間でも彼の評価は高く、また欧州即興に通じている人からも「ピーター・エヴァンスってスゴイね」という言葉を耳にするようになって久しい。在ニューヨークのミュージシャンだが、ニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンでの活動に限らず、ヨーロッパのミュージシャンとの演奏活動も少なくない。だいいち、彼の最初のアルバム『モア・イズ・モア』(2006) はエヴァン・パーカーのレーベルpsiから出ていた。そのソロ演奏を聴いた時、エヴァン・パーカーの『サキソフォン・ソロ』(Incus 1976) から『モノセロス』(Incus 1978) を録音していた時期のサウンド探求、それは楽器探求と密接に結びついたものだが、その音と向き合う姿勢が重なって見えたのである。

それはさておき、この数年の彼の活躍ぶりは目覚しい。CDリリースも多く、リーダー作以外にもマイク・プライド、ティム・ダールとのPulverize the Sound やエヴァン・パーカー、クレイグ・ティボーン、サム・プルタとのRocket Scienceなど参加プロジェクトの作品も含め、次から次へと出ている。即興演奏家の常ではあるが、共演者の数だけ、プロジェクトの数だけ、異なった側面が現れるから興味深い。というのも、一筋縄にはいかないミュージシャンゆえだろう。

そのピーター・エヴァンスが遂に単独で来日した。「Jazz Art せんがわ」ではソロおよび石川高 (笙)、今西紅雪 (筝)とのセット、千野秀一 (p, etc) と坂本弘道 (b)とのセッション、また最終ステージでも再びソロそして坂田明 (sax, cl)、藤原清登 (b)、レジー・ニコルソン (ds)、藤山裕子 (p)と共演した。とりわけ彼が希望したという石川と今西の共演は、精緻な響きが耳をうるおわせてくれた。和楽器の特色に合わせエヴァンスも音量を抑えたアプローチで弱音ながらも繊細かつ多彩な音を繰り出す。笙特有の揺らぎや筝の撥音とあいまってサウンド・テクスチャーがレイヤーのようにが重なり、変化しつつ豊穣な響きとなって空間に広がる貴重な時間だった。このユニット(あるいはその発展系)は是非とも継続してほしい。

ソロには個人の音楽感や資質が如実に現れる。CDにおいても彼のソロが進化していることは認識していたのだが、実際にその演奏を観て、さらに進化/深化していることを目の当たりにした。ピストンの特殊な用い方といい、改めてそのテクニックとアイデアの豊かさに驚かされた。そしてまた、マイクの巧みな使用。彼にとってはマイクもまた楽器の一部なのだろう。とはいえ、公園通りクラシックス ではソロでもマイクなしで演奏したように、演奏する環境に合わせて対応できるだけの即興演奏家としての資質の高さ、引き出しの豊かさがある。技術力がある即興演奏家だと、ソロ演奏でテクニックのお披露目的なことにも陥りかねないのだが、彼はそれを回避するだけの語法と構成力の持ち主である。そしてまた他のトランペット奏者の即興演奏にはない、まるでサックス奏者の演奏を聴いているような錯覚さえ覚えるようなアプローチにも驚かされたのだった。

「Jazz Art せんがわ」を締めくくった最終ステージはフリージャズ。坂田、藤原、ニコルソン、藤山との熱量溢れる演奏がなぜか微笑ましかった。ファインダー越しの立ち姿がふとリー・モーガンの若い頃の写真に重なったり、サウンドの中にある種素朴なトランペットの響きを感じたり、アメリカのミュージシャンだなということ、つまりそのバックグラウンドをもまた感じたのである。

他にも今回の来日では、来日中のジョン・ラッセル、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグを始め、ケヴィン・マキュー、巻上公一などとのセッションが各地で行われた。私が観た中で面白かったのは、公園通りクラシックスでの巻上とのマイクなし(テルミンなし)でサシで渡り合った短いセットである。まるで巌流島だなと、巻上の底力を思い知らされた瞬間でもあった。

ピーター・エヴァンスは現代の音楽シーンの最前線にいるミュージシャンだ。日本でライヴを観ることが出来たことを喜びつつ、次に観る機会にさらなる期待をしている私なのである。

(一番上の写真は「JAZZ ART せんがわ」、その下の写真は公園通りクラシックスで撮影したもの)

 


【Part 2】
JAZZ ART せんがわ 2018
JAZZ ART SENGAWA 2018

 

8月末、衝撃が走った。総合プロデューサーである巻上公一の「Jazz Art せんがわ 今年でラストになります」というツイートを目にしたからである。それはまだ決定事項ではないが、来年度からせんがわ劇場が指定管理者制度になるため、今まで通りの開催は難しくなるだろうというのが大方の見方だ。奇しくも今年の「Jazz Art せんがわ」は、せんがわ劇場に新たに指定管理者制度を導入するための条例改正案が提出された市議会真っ最中に開催された。そして、その条例は9月25日に認定されている。

「Jazz Art せんがわ」はどのようなフェスティヴァルなのか。日本では多くのジャズ祭が開催されているが、「Jazz Art せんがわ」は他のジャズ祭とは異なっている。「東京JAZZ」のように大手スポンサーがつき、国内外の著名なミュージシャンを招聘する大規模な興行でも、地域の町興し的なローカル・イベントとも違う。プロデューサーがいて、あるコンセプトに基づいてプログラミングしている「Jazz Art せんがわ」は、音楽監督にプログラミングの任に当たらせるヨーロッパのジャズ祭に近い。それにはわけがある。2008年に出来た調布市せんがわ劇場の初代芸術監督(〜2011年、その後芸術監督制度は廃止)に選任されたのがドイツ人演出家ペーター・ゲスナーだったからだ。せんがわ劇場の主催事業として「JAZZ ARTせんがわ」を開催するに際して、音楽監督の役割を担うプロデューサーを置くという発想は、ヨーロッパ出身者ならではなのだ。それにしても音楽の専門家ではない彼がジャズ祭をスタートさせたのはなぜだろう。2010年第3回のプログラムに彼はこう書いている。

「ヨーロッパの多くのジャズ・フェスティヴァルをみると、必ず一人は、あるいはもっと多くの日本のミュージシャンが関わっています。彼らの多くは、東京やその周辺に住んでいます。私はこういったミュージシャンたちの、東京でのホーム・グラウンド・フェスティヴァルがないのを残念に思い、一昨年この仙川で、その開催を実現しました」

ゲスナーの意図は「日本人のジャズ・アート・ミュージックを発信し、地域が一体となってフェスティヴァルを盛り上げ、その輪を広げていくこと」にあった。彼の発想の基になったジャズ祭は、ヨーロッパ(特にドイツ)のそれだということは想像に難くない。何度もヨーロッパのジャズ祭を訪れた経験から、私には彼の思うところが実感としてすごく伝わってくる。ジャズ評論家の故副島輝人氏とも「Jazz Art せんがわ」で顔を合わせる度に、「日本ではここしかないからね」とどちらともなく言っていたことが思い出される。

しかし、3人のプロデューサーが協働でプログラミングを行うという例は「Jazz Artせんがわ」の他には知らない。巻上公一、坂本弘道、藤原清登の3人がどのようないきさつで「Jazz Artせんがわ」のプロデューサーになったのか、第3回のプログラムに坂本弘道が書いている。演劇畑の仕事もやっている坂本がペーター・ゲスナーからジャズ・フェスティヴァルを設立したいという話を聞かされた時に、「所謂「ジャズフェス」を超えて真の音楽のフェスティヴァルであること、日本の「枠」に収まりきれない優れた多くの日本人音楽家に光を当てること、僕はその方向性をより説得力のあるものにするため、日本の音楽シーンを俯瞰でき、リーダーシップのある巻上公一さんをペーターに紹介した。そして二人の握手からフェスは現実的に踏み出していく。ペーターはメインストリーム・ジャズにも対応出来る藤原清登さんに声をかけバランスをとり、フェスの骨格が固まっていった」。相互に音楽的な知見、人脈などを補い合うという意味合いがあったといえる。蛇足だが、「Jazz Art せんがわ」のプロデューサーを務めることで彼ら自身も変わっていったように思う。その最たる例が藤原で、11年前に彼と灰野敬二が共演することを想像できた人がいただろうか。

肝心のプログラミングのコンセプトだが、JazzとArtという命名が絶妙だった。Artという言葉があることで、お定まりの「ジャズ」のイメージからの逸脱も他分野との共同プロジェクトも大いに可能になったからである。ここでは毎年詩人と音楽家とのコラボレーションも行われ、白石かずこや吉増剛造などが出演している。写真家の細江英公、舞踏の大野慶人が出演した年もあったし、黒田征太郎と荒井良二がライヴ・ペインティングを行った年もあった。音楽的には、メールス・フェスティヴァルやチューリッヒのタクトロスやウンエァホェルト、今年交流プログラムが実現したケベック州のヴィクトリアヴィルにあるFestival International de Musique Actuelle Victoriaville (FIMAV) などに近い。一度、巻上がMCで「簡単じゃない、楽しくない音楽、たいへんな音楽をやっている」フェスティヴァルなのだと言っていた。つまり商業的な音楽ではなく、より本質的な表現行為を追求している音楽家を集めたフェスティヴァルだということだ。「Jazz Art せんがわ」独自のプログラムも組まれている。そしてまた、連動するかたちでLAND FES が同時開催されていることも、ダンスという要素が入るということ、ミュージシャンが「街へ出る」という意味で大きな意味があった。

しかし、そのような内容では地域住民には敷居が高い、あるいは何をやっているのかわかりづらいという声が上がってきてもおかしくない。さまざまなノイズもあるだろう。ドイツの有名なジャズ祭のひとつにメールス・フェスティヴァルがある、その始まりは1972年、まだ20代だったブーカルト・ヘネンがメールス市の古城裏の広場でフリージャズ・ミュージシャンを集めて開催したフェスティヴァルだ。その個人主催のフェスティヴァルが活況だったことから、市が動いたのである。その時に市側が出した条件は「君のフェスティヴァルを、毎年、市が資金を出してやってもいい。だが一つだけ条件がある。他のジャズ祭とは違う、メールス独自のプログラムにしてくれ。そうでないと観客は他のジャズ祭に行ってしまい、遠方から来る者はいない。そして出来れば、前衛的な志向でやってくれ。我がメールス市は、世界の文化を先駆けたいのだ」ということだった(*)。もし独自のプログラムを持つジャズ祭がなければ、私を含め多くの音楽ファンがメールス市の名前を知ることはなかっただろう。調布市とケベック州が文化・芸術などの文化的交流を視野に入れた包括連携についての共同宣言を行ったことから、2年前にケベック州の人が調布市に視察に来たときに「Jazz Art せんがわ」が話題に出たこと自体、このフェスティヴァルの成果なのである。どこにでもあるようなジャズ祭なら話題に出ることはなかったに違いない。それだけではなく、海外から出演依頼がどんどん増えている。調布市なり仙川という街の存在をフェスティヴァルを通じてたとえ音楽関係者といえども世界的に認知されていることがどれほどの価値なのか、調布市は考えてほしいと思う。

せんがわ劇場のコンサート以外にも目を向けてみよう。プレイベントとして「CLUB JAZZ 屏風」をデザインした長峰麻貴による子供たちを対象にしたワークショップ行われ、作品はせんがわ劇場のホワイエで展示されている。すごく可愛いので、それを見るのも個人的な楽しみのひとつだった。一般参加者も含めて行われる「自由即興ZOO」、時々自動による「子どものための音あそび」、せんがわ劇場で定期的に行われている「サンデー・マチネ・コンサート」の「Jazz Artせんがわ」バージョン。いまや地域イベントとしてしっかり馴染んだ感のある「CLUB JAZZ 屏風」と「公園イベント」。「CLUB JAZZ 屏風」は最初の頃は、道ゆく住人から「変な人が変なことをやっている」という冷たい視線をそれを眺めている我々も浴びていただけに、子供たちが積極的に参加している姿を見るにつけ、これまでに培われたものの大きさを感じるのである。このようなイベントはローカルから次世代へ繋ぐプログラムだということももっと認識されるべきだ。

当初ゲスナーの意図は十分に達成された。メインのプログラムの内容は十分世界レベルで通じるものであり、なおかつローカルという視点に立ったイベントも併せ持つ「Jazz Art せんがわ」は日本の数多いジャズ祭の中でも意義のある存在である。本来ならばFIMAVとの交流も始まった11回の今年はさらなる10年へ向けての最初の年になる筈だった。それなのに、来年以降今まで通りの開催は難しいというニュースが入るとは。だが、平成29年度の調布市せんがわ劇場運営委員会議事録(要旨)を読んだが(→リンク)、「Jazz Art せんがわ」という事業をきちんと理解してもらうのはなかなか難しいのだなと痛感しつつ、さもありなんと思った。ジャズに対する認識、文化・芸術に対する公共の考え方にはヨーロッパと日本の落差を感じる。きちんと説明できる人がいないということが原因のひとつに違いない。音楽事業は興行と情操教育だけではない筈だ。日本国内あちこちで現代美術祭が開催されている昨今なのに、音楽事業における認識の差はいったい何なのだろう。また、公共の利益は企業の損益とは別種のものである。必ずしも数字に還元されるものとは限らないし、長期的な見地に立つべき事案もある。そういう意味でも「Jazz Art せんがわ」が今年で終わりとなる、あるいは継続しても内容が凡庸になるのならば非常に残念としか言いようがない。

 

今年の「Jazz Art せんがわ」は、まさにその「Jazz Art」を実感させる内容だった。誰よりも存在感を示したのは白石かずこである。日本を代表する詩人でポエトリー・リーディングではパイオニアの彼女がステージに登場し、マイクをつかみ「Thank you…」と口火を切った瞬間に空気が変わった。87歳の詩人が読んだのは「ピーカブー 」。

ニコラが歩くから わたしも歩きますよ
ミストラルが吹く カメレオンの土地を
・・・

その詩を知らない人のほうが多かったと思うが、詩が言霊となり、その地へと、その不思議な空間に我々を導く。そして、もうひとつ短いがチャーミングな詩「眼の窓」。白石は言葉のパフォーマーである。音楽家とのコラボレーションの中で実は即興していたのだ。それは長年の友人であり、ロッテルダム詩祭を始めとして国内外で共演してきた沖至、また2011年に「Jazz Art せんがわ」で同じステージに立った巻上公一(その時のことは →リンク)、また藤原清登という彼女が信頼できるミュージシャンが揃っていたからかもしれない。

ヴィジュアルアートとのコラボレーションも「Jazz Art せんがわ」ならではの企画である。ヒグマ春夫(映像)がローレン・ニュートン (vo) ×ハイリ・ケンツィヒ (b) ×山崎阿弥 (vo) ×坂本弘道 (cello) ×花柳輔礼乃 (日本舞踊)のステージ で、Alive Paintingの中山晃子がルネ・リュシエ・クインテットのステージにそれぞれ視覚的が効果を生み出していたのが印象的だった。

各ステージについては、他のLive Reportで書かれているので(→リンク)ここには記さないが、それぞれ写真をスライドショーにまとめたのでご覧いただきたい。

また、本会場の公演と重なっていたため少ししか観られなかったが、公園イベント(キュレーター:大隈健司)でミュージシャンがのびのびと楽しそうにパフォーマンスしていた姿が印象に残っている。そこでの主役は実は子供たちだった。その姿を見るにつけ、「Jazz Art せんがわ」の存在価値がここにもあると思ったことを最後に付け加えておこう。

【註】
* 副島輝人「ヨーロッパのジャズ祭めぐり」 (ジャズ批評 No. 55、1986)


9月13日 

スペシャルライブ
大友良英 (g) ×ルネ・リュシエ (g)  Duo

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9月15日

詩 × 音楽
白石かずこ (詩)、沖至 (tp)、藤原清登 (b)/巻上公一 (詩)、ヴェルナー・プンティガム (tb)、有本羅人 (tp, bcl)/三角みづ紀 (詩)、近藤達郎 (p, etc)

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坂本弘道ディレクション
ピーター・エヴァンス (tp) × 石川高 (笙) × 今西紅雪 (筝) /千野秀一 (p, etc) /坂本弘道 (b)

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巻上公一ディレクション
ヒカシュー × SAICOBAB

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9月16日

坂本弘道ディレクション
ローレン・ニュートン (vo) ×ハイリ・ケンツィヒ (b) ×山崎阿弥 (vo) ×坂本弘道 (cello) ×花柳輔礼乃 (日本舞踊) ×ヒグマ春夫 (映像)

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Quebec/Japanプログラム
ルネ・リュシエ・クインテット/原田節 (ondes martenot) ×巻上公一 (theremin)  Alive Painting: 中山晃子

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藤原清登ディレクション
坂田明 (sax, cl) × ピーター・エヴァンス (tp) × 藤原清登 (b) × レジー・ニコルソン (ds) × 藤山裕子 (p)

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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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