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Reflection of Music 横井一江No. 274

Reflection of Music Vol. 77 ジョン・ラッセル


ジョン・ラッセル @デラックス2001 & 公園通りクラシックス 2018
John Russell @ Tokyo, April 2001 (above) & Koen-Dori Classics, September 19, 2018
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


イギリスの即興ギタリスト、ジョン・ラッセルが1月18日に亡くなった。1954年12月19日生まれなので享年66。かねてより闘病中だったとはいえ、寂しいものがある。訃報はSNSでは瞬く間に広がったのだろう。Facebookの彼のタイムラインを覗いてみたら、死を悼む書き込みで溢れていた。日本では一部の音楽ファンの間では知られていたものの地味な存在だっただけに、イギリスのみならず世界の即興音楽のコミュニティで愛されていた人物だったことに改めて気がついたのだ。エヴァン・パーカーも彼の死の翌々日にロンドン・ジャズ・ニュースに追悼文を寄稿している(→リンク)。

ロンドンで生まれ、ケントで育ったジョン・ラッセルは17歳の時にロンドンに移り、リトル・シアター・クラブで演奏を始める。リトル・シアター・クラブ はその名のとおり小さな劇場だったが、1966年からジョン・スティーブンスのスポンテニアス・ミュージック・アンサンブルの拠点となっていた。芝居の上演後に若いミュージシャンがそこで演奏できるように取り計らってもらい、それは数年に亘って続けられる。国外からもミュージシャンが訪れるなどそこに出入りした即興演奏家は多い。謂わばミュージシャンにとって出会いの場にもなっていたのだ。ジョン・ラッセルはロンドンに出てきた後、デレク・ベイリーに師事している。具体的にベイリーから何を学んだのか、とても興味深いところなのだが、聞きそびれたことを悔やんでいる、

ジョン・ラッセルは、スティーヴ・ベレスフォード、ロジャー・ターナーなどと共演を重ねていく。彼らはよくフリー・ミュージックの「第2世代」と言われる人たちである。ミュージシャン・コープやロンドン・ミュージシャン・コレクティヴなどのコンサート、そしてまたパブで演奏していた。そのような時期の録音には1979年にイギリスを訪ねた近藤等則との『Artless Sky』(CAW) もある。1980年にはギュンター・クリスマンのVARIOに参加、80年代にはフィル・デュラン、ジョン・ブッチャーとのトリオ、さらにこの3人にパウル・ローフェンスとラドゥ・マルファッティを加えた「ニュース・フロム・ザ・シェッド」というグループで数年活動を行うなど、行動範囲が広がっていく。

1981年には即興演奏家が様々な組み合わせで演奏を行うプロジェクト Quaqua を始めている。Fete Quaqua はデレク・ベイリーのカンパニー・ウィークのように3夜に亘って行われた。そして、1991年にはジョン・ラッセルの功績が語られるときに必ず出てくるコンサート・シリーズ Mopomoso をクリス・バーンと始める。Mopomoso は “MOdern POst MOdern, SO?” の略ということだ。この Mopomoso について、彼は The Wire Issue 437 (July 2020) で自身の役割を「プラットフォームを提供することで即興演奏の発展を促し、そして可能であれば人々に知識と理解を深めるのに役立ててもらう」ことだと語っている。2013年には Mopomoso Tour ということも行なっており、 その音源による4CDボックスセットをリリースしている。また、コロナ禍の昨年はMopomoso TVをYouTubeで配信することも行なっていた。

ジョン・ラッセルは、2001年に jazz & NOW の招きでシュテファン・コイネ と共に初来日し、ツアーを行なった。その後、豊住芳三郎関係で6回ほど、2018年にもjazz & NOW がストーレ・リァヴィーク・ソルベルグ とのツアーを行なっている。2018年は武蔵野美術大学でジョン・スティーブンスが自身の経験からまとめた著書『Search and Reflect』を教材にワークショップ行ない、好評だったと聞いている。ジョン・ラッセルはスティーブンスを知る人であり、そのメソッドを熟知しているだけに一味違ったレクチャーだったのだろう。ちなみに巻上公一と清水一登は『Search and Reflect』を和訳したものをテキストに『探求と熟考』と題したワークショップ・シリーズを続けている。2019年には武蔵野美術大学の訪問教授として招かれているが、これが最後の来日になった。ジョン・ラッセルの来日時には日本人ミュージシャンとの共演も行なっているが、特に印象に残っているのが豊住芳三郎とのデュオで、数ある音源のなかから2013年の大阪と稲毛でのライヴが『豊住芳三郎&ジョン・ラッセル/無為自然』(ちゃぷちゃぷレコード)としてCD化されているのは嬉しい。The Wire に追悼記事(→リンク)を書いたロス・ランバートは「極東からの影響」に言及している。もしかすると来日時の経験によるものも幾つかあるのかもしれない。

ジョン・ラッセルのサウンドには、デレク・ベイリーほどの鋭角さはないものの、繊細さと豊かさがある。それを感じたのは彼を始めて観たFMP主催のトータル・ミュージック・ミーティングでのソロだった。それから彼のギターへのアプローチはどんどん深められていったといえる。即興演奏家の常とも言えるが幅広いミュージシャンと共演を重ねてきたが、近年はエヴァン・パーカー、ジョン・エドワーズとのCDが多くリリースされている。ご冥福をお祈りいたします。

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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