Reflection of Music vol. 2 ドン・チェリー
ドン・チェリー @メールス・ジャズ祭1990
Don Cherry @ Mores Festival 1990
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
ヨーロッパで周縁部の地域音楽に視線が向かい始めたのは、今考えれば1990年頃からではなかったかと思う。
メールス・ジャズ祭のプログラムでもそのようなミュージシャンの名前を見るようになった。メールス・ジャズ祭というとフリーや前衛ミュージシャンが出演するジャズ祭という印象が強いが、90年代以降いわゆるワールド・ミュージックやルーツ・ミュージックの動向も実はしっかり追っていたのである(註1)。そんな時代の変わり目の1990年、メールス・ジャズ祭でいちばんの話題となったのは、なんとイヴォ・パパソフ&ブルガリアン・ウェディング・バンドだったのだ。そして、その年のトリは「ドン・チェリー~ハッサン・ハクムーン~アブル・ジャジル~アダム・ルドルフ」(註2)。二人のアメリカ人、ドン・チェリーのトランペット、アダム・ルドルフのパーカッションと三人のモロッコ人、ハッサン・ハクムーン、アブル・ジャジルともうひとりによるグナワとのコラボレーションだった。
モロッコの地域音楽でもジャジューカはかなり以前から知られていた。70年代、オーネット・コールマンもウイリアム・バロウズとその地を訪ねた時にジャジューカのミュージシャンと共演、それは『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』に収録されている。しかし、グナワが知られるようになったのはこの十年くらいだろう。私も1990年にメールスのステージを見た時は、ベースのような弦楽器ゲンブリを弾きながら歌い、カルカベという鉄製カスタネットを鳴らし、コーラスの掛け合いが繰り広げられるこの音楽がグナワと呼ばれるモロッコの音楽とは知らなかった。フェスティヴァル・プログラムにさえグナワという文字はなかったのである。それからしばらくしてから、あの時に聞いた音楽はグナワというのだということを知ることになる。メールスのステージでは、手にカルカベを持ち、房のついた帽子を被った頭をぐるぐる回してトランスへ向かうという伝統的なパフォーマンスはなかったが、グナワとドン・チェリーの吹くトランペットのサウンドもそのフレージングの相性がとても良かったことは記憶に新しい。
考えてみれば、ドン・チェリーは60年代から世界を旅し、マージナルな地域にも赴き、そこのミュージシャンと共演してきた。フリージャズ畑では珍しく、そのボーダーを身軽に越境するミュージシャンだったのである。それゆえ、時代の変わり目にこのようなプロジェクトでドン・チェリーが登場したのはとても象徴的な出来事だったように思う。奇しくもこれは私が最後に見たドン・チェリーのステージとなったのだ。
註1:メールス・ジャズ祭を始めたブーカルト・ヘネンは長年に渡って音楽監督を務めていたが2005年を最後に退任した。それ以降はジャズ中心のプログラムになった。
註2:写真は、チェリー(左端)、ハクムーン(右端)、ジャジル(中央)、ルドルフ(右から二人目)。ステージで演奏したのは5人のミュージシャンだったが、プログラムに出演者として氏名が記載されていたのは4人のみで、もう一人の名前は不明