Reflection of Music Vol. 75 沖至
沖至 @JAZZ ART せんがわ 2014
Itaru Oki @JAZZ ART SENGAWA, September 06, 2014
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
沖至を最後に観たのはいつだろう。記憶の糸をするすると辿っていくと、2018年の「NEW JAZZ HALLアニバーサリー50」にむけて「邂逅 佐藤允彦 X 沖至DUO」というイベントに行き着いた。その年の帰国ツアーの最後で、少し前にJAZZ ART せんがわでも観ていたせいか、翌年もきっと仙川で会えるような気がしたのである。しかし… その日は来なかった。
最後の数年間は、毎年のようにJAZZ ARTせんがわに出演していたので、フェスティヴァルや場所と結びついて沖至が思い出される。いつもどこかで会う度に、沖至はパリの空気を纏っているような気がした。彼の醸し出す雰囲気が、日本の男達とはいささか違っていたからだろう。ミュージシャンとしての生き様がその姿から立ち上がってくる稀な人だった。
演奏家としては、ブリリアントな音色で吹き上げる、あるいはビュービューとトランペットを鳴らすようなタイプではなかった。日本におけるフリージャズのパイオニアではあるが、独自の音色とジャズとかフリージャズに拘泥しない本来の自由な精神に基づく独自性がスタンダードを演奏する時にもあった。そして、トランペットという楽器に対する探究心では敵うものがなかったのではないだろうか。トランペットを修理する技術も学び、古い音が出なくなったトランペットを修理して音が出るようにしているうちに、コレクションがどんどん増えていったようだ。その数は、実際400を超えるとも言われている。このようなところも、世のトランペッター達に尊敬されている理由ではないだろうか。かのジャズの10月革命で知られるビル・ディクソンも評価していたのである。
これまで何回となく沖至をライヴで観たが、詩人白石かずことの共演が最も多かった気がする。日本のポエトリー・リーディングのまさに草分けの白石だが、70年代にそれを始めて間もない頃からの付き合いである。沖が帰国した時に共演するばかりではなく、現代詩祭として名高いロッテルダムのポエトリー・インターナショナル・フェスティヴァルなど海外でも2人のコラボレーションは評判だった。白石のユニバーサルな感性との相性もよく、沖は彼女のポエトリー・リーディングのかけがえのないパートナーだったといえる。というのも、沖が自己主張の強いタイプのトランペッターというよりも、場、空間を創るのに長けていたからではないだろうか。そのためかダンスなどとの共演も少なくない。
最後にJAZZ ART せんがわで見たステージが、白石かずことの共演だったことは偶然ではないかもしれない。彼女がまず読んだのは「ピーカブー」だった。
ニコラが歩くから わたしも歩きますよ
ミストラルの吹く カメレオンの土地を
・・・
と始まる詩の世界、リヨンにも住んでいた沖はミストラルに吹かれた経験もあっただろう。他の共演者、巻上公一 (テルミン)、藤原清登 (b) の好演もあり、その空気感が音とともに立ち上がるようで、この詩の朗読は何度か見ているがその中でも稀有な出来だったと記憶している。
白石かずこはかつて沖至についてこう書いていた。
二千年の歴史をもつ太古のトランペットを必ず教会で天使は吹いているか、かかえている。沖至はトランペットをかかえているが天使にみえない、悪魔にもみえない。パリの野武士である。(『ロバにのり、杜甫の村へゆく』芸立出版、1994)
確かに野武士のように、異国の地でミュージシャンとして生き抜いていくしたたかさもまた彼にはあった。果たして、天国ではトランペットをかかえた天使たちに沖至はどのように迎え入れられたのだろうか。ご冥福をお祈りします。
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白石かずこ (詩)、沖至 (tp)、藤原清登 (b)、巻上公一 (テルミン)、