断章『オト・コトバ・ウタ』(1) 金野Onnyk吉晃
text: Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃
シューベルトは友人と談笑中、急に曲想が浮かんで、カフスに譜面を書き出した。それでも足りずテーブルクロスにも五線譜を書き付けた。
モーツアルトは驚異的な記憶があったので書かずに済んだ。いや記憶する必要さえ無かった。あらゆる作曲技法、構想、音色が曲想と一体化して溢れて来た。どんなに長いものであろうと、完成された音楽が、熟れた果実の皮を剥くように現れた。
彼の自筆譜には書き直し、書き損じがなかった。乾かなかったインクのシミ、にじみが、その速さを伝える。
アマデウスは脳内で、譜面とペンによって即興演奏していた。必要なクリシェ、イディオム、サウンドはそこに全て揃っていた。
作家レーモン・ルーセルは、列車旅行中も観光する事無く執筆を続けた。ペン先から溢れ出る輝きが外界に漏れないように、個室に閉じこもり、窓もしっかり閉めたままにして。彼は、小説は全て想像力で書かれるべきだと考えていた。
彼の戯曲が上演されたとき、大半の客がブーイングをし、シュルレアリストの一群がこれに対抗した。ストラヴィンスキー『春の祭典』の初演と同じ状況である。
違うのはルーセルの戯曲がおそろしく退屈だったことだ。それはルドルフ・シュタイナーの神秘劇に似ている。
1983年、ジョン・ゾーンがルーセルの小説『ロクス・ソルス』(「孤立の場所」の意、1914年発表)というタイトルを冠して、ロックの脱構築を行った。彼のバンド、ペイン・キラーや『レン・ツェ』は圧倒的支持をされたのに、これは殆ど理解されなかった。
漱石が、きわめて短期間で『坊ちゃん』が書き上げたとき、書き損じはたった一枚だけだった。この小説は書く前に完成されていた。しかし二度とそういう奇跡は起きなかった。
漱石は次第に健全さを損ない、神経衰弱になった。彼には優れた英語力と漢学の素養があった。脳内の複数のCPUがぶつかりあって胃を病んだ。
明治の作家達は皆そうなった。身体と作品を交換した。しそこなって客死した二葉亭四迷。彼こそは日本文学の転換点だった。
明治の作家達は、幼少期から漢文を叩き込まれ、また母語の他に西欧言語やロシア語を、かなり深くまで理解していた。彼らは外国文学を盛んに翻訳し、それが明治文学を生み出し、日本文学の不幸の始まりとなった。闇は病み。結核は思考者の資格。おそらく梅毒も。
勧善懲悪ではなく心理描写を、戯作ではなく小説を、文語ではなく言文一致の新たなニホンゴ、自然主義から私小説、そして社会主義へ。
音楽では日本的和声という課題が、明治の作家達の不幸に匹敵するだろう。
日本的和声? この言葉自体は箕作秋吉が提唱した概念だが、明治期に海外へ留学した多くの音楽家、山田耕筰、滝廉太郎、伊澤修二らにとっても「日本人の音楽を普遍化させる」ためには乗り越えなければならない課題だった。元来、日本には音楽という概念が無かった。音楽は西欧の学であり、その基盤は(西欧的)音律と和声にあった。日本という弧状列島には、中国由来の音律はあった。しかしそれは西欧のものとは相容れなかった。日本人作曲家は、古来の楽・唄を、「西欧的音楽」という解析格子で再構築していかなければならなかった。つまりそれは古来の音曲を破壊するに近い、と言えなくも無い。シヴァ神のごとく創造は破壊と一対である。
戦後、状況は変わった。和声構造に基づく作曲の相対的地位は低下し始めた。
12音主義、具体音楽、クラスター、セリエール、民族主義、電子音、コンピュータ音楽、テープ音楽、確率論的音楽、スペクトル主義、ミニマリズム、ライブエレクトロニクス、集団即興等々。
やがてそれらも陳腐化した。その大きな要因はメディアの電子化とその急速な普及、性能の向上である。作曲技法だけでなく、演奏方法と聴取環境が大きく変化したのだ。それはエジソンにもレフ・セルゲイビッチにも考えられなかった。
ゴッホの画面をよくよく見ると、絵の具が乾くのを待ってはいられなかった焦り、つまり変わりゆく光線と色彩をいかにキャンバスに定着するかの闘いを感じる。
ピカソは懐中電灯で空中にデッサンしてみせた。
ダリは柔らかい時間を、マグリットは静止した時間を可視化した。
床にカンバスを広げ、缶から絵の具をとめどなく次々にドリッピングしてゆくジャクソン・ポロック。その速度は、オールオーヴァーな画面を、ノイズミュージックのように生み出して行く。
それより控えめだったマックス・エルンストやブルジョワ日曜画家マチュー。そしてもっと大胆だった日本人たち、パンチの篠原有司男とキックの白髪一雄。彼らはそれを即興とも表現とも言わなかった。ただ行為、アクションとだけ。
時間と存在のあわいをピンで留めるような技、書跡と俳句について書く余裕は無い。そう、存在と時間について。
私もまた22、3才の頃にそういう、つきあげる性欲のような表現衝動をもった。しかし詩やテクストを書く事は早々に諦めた。
友人から楽器を借り集め、部屋に閉じこもって多重録音を続けた。1時間で三曲はできた。
阿部薫は小説を諦め、アルトサックスを選んだ。
ジョン・ゾーンの初期プライベート録音”First Recordings 1973”を聴くと、間違いなく衝動を感じているのが分かる。彼もまだ二十歳だった。
みんなブラクストンの無伴奏アルトソロ二枚組『フォー・アルト』を聴いた。
ジャン・デュッビュッフェの多重録音作品を聴いたときも、共通の衝動の匂いや味を見いだした。稼業のワイン販売をやめたデュッビュッフェはそのとき既に50を過ぎていたが。
インドでは50を過ぎたらサドゥー(遊行者)になってもよい。彼らはバラナスィーを目指し、そこで焼かれて聖なるガンガーに流される。岸辺では誰もがその水を浴びている。
私は恥ずべき素人演奏者にして、才無き物書きであるが、ある種の「作曲家」である。三島由紀夫が音楽家であるように。
三島由紀夫『裸体と衣装~日記』(1958~59)より。
・・・言葉が花火のようにはじけ、一瞬にして拡散し、対象の上にふりかかって、それを包み込もうとする動きを感じるとき、ほとんど書く手が追いつかず、次の行に書くべきことを忘れないために、欄外にいそいでメモを書きとめなくてはならぬ。このときの速度は、一体どんな種類の速度なのであろう。何故なら、書く手が追いつかぬほど言葉が先に走ってゆく感に襲われながら、実際のところ、筆の速度は大したものではなく、書ける枚数も二、三枚、多くて四、五枚で終ってしまう。こんな昂奮は決してそれ以上持続しないのだ。こういうときアメリカの或る作家たちのようにタイプで原稿を書き、もし又タイプに熟達していれば。書く作業によって抑制されることなく、言葉の走る速度にぴったり合った文章が出来るかもしれない。・・・
(ちなみにこのとき三島は33~34歳である)
三島の衝動が、古典的作曲家のそれと似ているからといって、彼を作曲家だというのではない。むしろ即興演奏家に近いのかもしれない。
引用文中の「言葉」は、インプロバイザーの奏する<フレーズ>に匹敵しよう。「ああ、間に合わない! もっと早く!」性感のようなその焦りと喜び。
キャプテン・ビーフハートの音楽をご存知だろうか。複雑極まりなく、比類なき強度。それにのせて彼自身の奇妙なビジョンをダミ声で突き付けて来る異形のリズム&ブルース。
彼は全ての曲のパート譜を口唱歌(くちしょうが)で完全にバンドメンバーに伝えた。それはヘッドアレンジではなかった。脳内で完成されていた作品だった。
彼はいつも紙袋を持っていて、そこに詩や絵を書き付けた。ライブ中でさえ思いつくと書いた。飛翔する<鳥>のような音楽の欲情。
小型テレコが普及して以降、思いついたフレーズを口ずさんで録音するという話は希ではない。ボイスメモの音質も向上した。経験からいえば、思いついたフレーズは、後で聞き直してみると大した物でなかったり、どこかで聴いたフレーズが記憶に残っていただけだったり。凡人の限界。
仮にドラッグを摂取して、その瞬間には素晴しく思えるモチーフが生まれても、醒めてみれば「惨めな奇跡」(H.ミショー)となる。
タイピングするように鍵盤演奏も、それ以外の楽器でもパソコン入力が可能になった。そのデータはいかようにも加工できる。フランク・ザッパもシンクラヴィアに希望を見た。そして諦めた。とはいえ傑作『ジャズ・フロム・ヘル』(1986)が残された。
天才とは99%の努力と1%の才能だとエジソンが言ったのは間違いらしい。彼は1%のひらめきがなければ無駄だというのだ。つまりその1%を得られるのが真の才能である。この1%は小さく無い。チンパンジーとヒトのゲノムの差は2%しかない。チンパンジーが努力してもヒトにはならない。どんなに進化した電子的ツールを持っていても凡庸な作品しか残せない者ばかりだ。
一方、時代遅れとも言える自動演奏楽器ピアノロールで、驚くべきソノリティと音律構造の異化を具現化した作曲家コンロン・ナンカーロウもいる。
あるまとまったテクストは作曲作品に匹敵する。
文字は音符であり、その連なりは単語と文章、つまり旋律になる。文章は組み立てられて段落となる。段落ごとに排列されて、楽章ができる。そして一つのテクスト、曲が完成する。全体はなにがしかのテーマ、ライトモチーフによって統一されている。三島のようにかなり膨大なフレーズが溢れて来るなら、それは既に全体の構想、構造、設計図のなかの一部である(登場人物が一人歩きする事もあるのだが)。
それは即興演奏の在り方とは異なる。
個人的行為としての即興では、不確定な響きの複数性(敢えてハーモニーとは言わない)は想定し得ない。
集団即興では、アンサンブルが一種のチャンス・オペレーション、ハプニング、アクシデントである。
もし、ある楽曲的テーマを自ら用意した即興ならば、全体、総体と呼応して何らかのモチーフを維持したり、そこから離れてまたテーマへ戻って行くことで緊張と弛緩を生み出せるだろう。
これは微小化して、和声のレベルで考えれば、トニック、サブドミナント、ドミナントという標準的構造と相似する。
しかしサンプリングを主とした音楽では考えられない。
『音楽の捧げもの』vs<プランダーフォニックス>乃至<アート・オブ・ノイズ>。
スティーヴ・レイシーのサックス・ソロは、テーマ、変奏、そしてもはや変奏とも言えないようなサウンドの彷徨、そしていつかまたテーマに返って来る。彼はそのテーマをソングと呼ぶ。
しかし、エヴァン・パーカーのサックス・ソロにはテーマがない。息継ぎも無い。だから変奏もなく、いつそれが終わるのか予想も出来ない。数秒後か、一時間後か。聴く者に常に緊張を強いる持続。彼だけが終わりを知っている。
なぜ、エヴァンのようなサックス・ソロが生まれたのか。それは後述する事になる。(続く)