和歌と音楽—式子内親王とキース・ジャレットの美学—
text :Shinobu Yamada 山田詩乃武
花は散りてその色となくながむれば
むなしき空に春雨ぞふる
三十一文字に流れる静謐な通奏低音が脳裏に木霊する。和歌の解釈はそれぞれあって構わない、とうのが自論である。この和歌は映像より、むしろ音が響く形而上的哲学詩である。日本では美的哲学は和歌の中に秘かに込められ表現されてきた。言葉そのものが音であり、言葉には霊的な力が宿ると信じられ言霊信仰が生まれた。日本古来の伝統として、願いを声に出して実現化をはかることを「言挙げ」という。皇室が催す宮中歌会始における披講は独特な節を付けて詠みあげる。
広く知られる読誦経典である大乗仏教の精髄を示す般若心経の「色即是空 空即是色」の一節を大和言葉で表現するとすればこの和歌になるであろうか。
この和歌の作者は式子内親王で平安後期、後白河天皇の第三皇女として生誕。賀茂神社に奉祀する斎院(巫女)として生涯独身を通し四百首ほどの和歌を残し五十三歳で薨じた。「恋の歌」を詠わしたら右に出る者はいないと言われるほど美しい和歌を数多く残している。今上天皇の長女、敬宮愛子内親王は学習院大学を卒業するにあたり『式子内親王とその和歌の研究』と題し卒業論文を執筆された。愛子内親王は式子内親王の和歌について、「美しい歌ばかりで …… 」と、述べられている。
冒頭の和歌を音で喩えるとすればドビュッシューあるいはキース・ジャレットの音が浮かんでくる。…… やはり、キース・ジャレットの完全即興演奏による音が相応しい。2005年9月、ニューヨーク、カーネギーホールでのキース・ジャレットの完全即興ソロ・コンサート『THE CARNEGIE HALL CONCERT』中の「Part VIII」、丁寧に優しく包み込むようなピアノの音が静寂な暗闇に鳴り響き目を閉じれば清泉な心が表れ5分間の魔法にかかる。
式子内親王は斎院として神と感応することにより美しい和歌を次々と紡ぎ出し、キース・ジャレットは即興演奏によりミューズの神々を降臨させ心奥に響く音を奏でる。両者には自らの作品に対する静かだが確固たる美学が存する。
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