2025年、東京。「即興」シーンの最前線を求めて
text by Kotaro Noda 野田光太郎
新しいものは辺境からやってくる
即興演奏、その中でもとりわけアブストラクトなものを「インプロ」(インプロヴィゼーション)と言ったりもするが、それらはジャズ、とりわけフリージャズと実験音楽に端を発し、プログレッシブ・ロックやノイズ・ミュージックなどをも生みながら、現在も拡張と発展を続けている。特に東京は世界でも稀なほどこの手の音楽が盛んらしく、演奏家が多いだけでなく、ライブハウスや演奏スペースも無数にあり、電子機器を用いたノイズやアンビエント等をも含めるとその内容も多岐にわたり、もはや全体像を把握できている人間はいないと思われる。
それでも一般のロックやジャズに比べればかなり特殊な音楽であるため、一定の範囲で「即興シーン」を考えることは不可能ではない。たとえばインプロが出る代表的な店のスケジュール表を眺めていれば、現在の即興シーンの主流を形成している演奏家を概観できる、と考えていた時期が私にもあった。ところが新しい動向はいつも辺境から生まれるものなのだ。より小さくマイナーな店や、日頃はロック中心のライブハウスなどで、出し抜けに卓越した演奏家に出くわすことがある。未知の演奏家の出現と、ベテランの新たな動向を併せて、私が立ち会った現況の一端をアトランダムにここに記す。
また、即興演奏と即興的なダンス、舞踏など身体表現とのコラボレーションが非常に盛んに行われており、すでに一つのジャンルとして確立していると言ってもおかしくないほどだ。狭い知見の範囲ではあるが、こういったダンサーにも言及しておく。また優れた即興演奏家のうちには歌手の伴奏をしたりロックバンドに加わっている者も少なからずいて、中には歌手でありつつ自ら即興演奏をやる、という人もいる。こういった歌手やロックバンドにも折に触れ言及したい。
最も注目すべき新興勢力はこれだ
まず特筆すべきは斉藤圭祐という若手アルト・サックス奏者の台頭と、飛躍的な成長だ。三年前に私が出会って以降、「渋さ知らズ」に入団して今や知る人ぞ知る実力者。しかしその本領は無伴奏でのサックス・ソロにある。阿部薫の色濃い影響をそのままに、さまざまな要素を取り入れて先達を乗り越えようとしている。また1970年代から活動するドラマーの山田邦喜とのコンビでは誰よりも激しく、また危うく甘美な演奏をする。今年、私の企画では斉藤に河崎純(contrabass)や本田珠也(ds)、今井和雄(g)といった一流の演奏家と共演してもらい、一歩もひけをとらない見事な力演を見せてくれた。またノブナガケン(ds, per)やtsubatics(eb)、アバシリ (ds) といったアンダーグラウンドの実力者、はたまた斉藤とほぼ同世代の若手の逸材である永見怜大(ts)やCody Ruth(eg)、鎮目更紗(dance)とも共演してもらった。限界に挑むような激烈な演奏だけでなく、間合いや沈黙を活かしたプレイでも妙味を発揮するあたりはさすがだ。妥協を知らない硬派なポリシーゆえに孤立し勝ちだが、もっと積極的にさまざまなタイプの演奏家と火花を散らし、自分自身の音楽を見いだしていってほしい。
ノブナガケンは即興演奏家やダンサー、舞踏家の中では知られた存在。長いキャリアを持ち、そろそろベテランの域に差し掛かる。即興演奏だけに特化したプレイヤーでここまで確かな技量を持つ人は珍しく、その音楽観は独特だ。彼には即興ヴァイオリンの達人、喜多直毅と共演してもらったが、空をつかむがごとき玄妙なインタープレイは滋味あふれ、幽玄とさえ呼べるものだった。また、話してみると意外な経歴を経ていることがわかり、1990年代から2000年代の時代背景や音楽シーンと相まって興味はつきない。私は彼へのロングインタビューを敢行し、インターネット上への掲載を目指して作業中である。
tsubaticsはエレクトリック・ベースによる即興ソロを定期的に行っている稀有なプレイヤー。複数のロックバンドに所属しつつ、自分自身の他にも即興ソロを行うミュージシャンを四、五組集めたライブを自主企画しているほどの熱の入れようだ。彼のライブを通じてロック界にも即興に取り組む強者たちが多数いることを教えてもらった。もちろん彼自身のプレイも卓越したもの。エフェクター類やルーパーには基本的に頼らず、エレクトリック・ベースという妙味の薄い楽器の可能性を引き出すために、身体能力を用いたあらゆるテクニックを駆使するのだが、特に極限に挑むような速弾きは驚異的だ。またソロでは声を使うなどの思索的なプレイを持続している。
アバシリはジャズ研出身だが、ロックやテクノポップのバンドを経て即興の世界に入ってきたドラマー。正直言ってこれほどの技量を持ったドラマーはめったにいないだろう。まったくの無名だが、長いキャリアを持つ一流の即興演奏家ともいきなり互角のプレイをやってのける。フリージャズ的な手数で畳み込む乱れ打ちのみならず、ポリリズムやポリメーターを用いた浮遊感のあるプレイもこなす。もちろん定型的なビートの引用も得意だが、何よりもそれらのすべてが即興的かつ的確に用いられ、しかも共演者の動向に歩を合わせつつ、自らの主張も積極的に打ち出しているという点が尋常ではない。
筆者はドラムが好きなせいか優れたドラマーとの出会いが多い。山田邦喜は1970年代前半が録音デビューという大ベテラン。経歴不詳という謎めいた人物だが、裂帛の気合に満ちた一撃は客席にいても身がすくむほど。静寂の間合いと祭囃子のような盛り上がり、そのコントラストを活かしたプレイはきわめて日本的であり、古武士のごときたたずまいに「まだ自分の知らないこのような演奏家がいたのか」と驚かされた。またダンサーや舞踏家との交流も多くあり、「阿佐ヶ谷天」という店を拠点に多彩なメンバーで精力的に活動している。自身の企画によりさまざまな演奏家とのライブを実現しており、私が見た中ではピアノのテルピアノ(照内央晴)とのデュオ、あるいは加藤一平(g)やtsubaticsとのデュオなどが印象に残っている。私の企画したライブでは日本を代表するサックス奏者の林栄一と共演してもらった。その時のサイドを固めたのは、最近山田と組むことが多いエレクトリック・ベースの高橋直康と、私が推挙した新人ダンサーの鎮目更紗だ。
高橋直康は江古田の「フライング・ティーポット」を拠点にしてコンスタントにいくつものユニットやソロを並行して展開している、アンダーグラウンド界のキーパーソン。エフェクターを駆使した奥行きのある音響は、単なるベースというより漆黒の空間と呼ぶのがふさわしい。バンドによって役回りを自在に変える縁の下の力持ちであり、さまざまなタイプの音楽に通じた知性派でもある。
即興ダンサー群像
鎮目更紗は「fourth floor Ⅱ」という店で、音楽との即興コラボで踊っている若手ダンサー。その技の切れ味、音に対する反応の感度、尽きせぬインスピレーション、変幻自在に動き回るバイタリティ、妖しいまでの存在感はただ者ではない。基本はコンテンポラリーダンスなのだが、振り付けより即興が面白いとライブ・シーンに飛び込んだ変わり種。もちろん自分の振り付け作品を作ったり、他人の作品に出演もしていますが。最近はその山田とのコラボレーションを重ねて一層スケールを増している。ジャンルを超えて「即興」の担い手としてもっとも注目すべき新人の一人だ。
私が知る限り、ライブハウスに出てくる即興ダンサーのバックボーンは大きく分けて、コンテンポラリーやモダン、舞踏、ヒップホップやベリーダンスなど明確な型のある既存ジャンル系、そしてそれ以外の基礎となる技術を持たないアウトサイダーな人の四パターンだ。自分の企画に出演してもらった演者を中心にざっと紹介しよう。
小玉陽子は舞踏出身でありながら今やその枠を超えた活動を行っており、多様なバックボーンを持った人たちを集めた不定形なグループ「くにたちダンサーズ」の一員として、ライブハウスのみならず路上などでも出演を行っている。ゆるやかなネットワークやローカルなコミュニティを徐々に醸成しながら表現の場を広げていく彼女らの取り組みは、商業化したアートに対するオルタナティブな行き方として興味深い。また小玉個人としての踊りは、今ここには無い記憶や空間を知覚させる、身体化されたアーカイブの中への旅ともいえるもので、じつに味わい深く奥深い。
舞踏のことは門外漢の私にはよくわからないのだが、久世龍五郎はその世界では知られた存在らしく、力のこもったソロ作品を作っている実力者だが、音楽とのコラボレーションにも折を見て取り組んでいる。西洋的なダンスとは異なる発想から出てくる動きには度肝を抜かれる。人外の者に化けてしまい、その哀しみをも演じてしまえるとは、舞踏にしかなし得ない仕業と思え、私の理解を超えており、ここは専門家の評に譲るとしたい。
コンテンポラリーダンスのステージでさまざまな作品を踊ってきた田中直美も、最近はライブハウスでの活動に進出。恵まれた体格を活かした力強いスケール感と、オーガニックなしなやかさ、経験により培われたバリエーションの豊富さはずば抜けている。ステージングにおける演出という面でも工夫が見られ、彼女には全体を俯瞰する美術的なセンスが備わっているのも強みだ。
祖師ヶ谷大蔵にある「ムリウイ」というスペースは、オーナーがその方面に造形が深いのか、ダンサーと演奏家のコラボレーションに積極的だ。そこで遭遇したのが今井琴美というダンサー。基本は西洋的なダンスなのだが、下半身の粘りが強く、舞踏を思わせるほど生々しいうねりを生み出す。独特の衣装と相まって、その強烈なエロチシズムと毒気は見る者をじわじわと魅了するが、当人は映像作品に興味を持っていることもあり、それらはかなりに視覚効果を計算された演出でもあるという。
ロック界の実力者たち
ドラムに話を戻すと、ロック界の猛者たちの波がインプロの世界にも押し寄せている。たとえば、日頃はパンク・バンドやノイズ・ユニットでバイタリティあふれるプレイで猛威を振るっているが、即興においては独自の考え方で「間」を活かしたプレイをする「川サキ」。その切れ味や「当て勘」、演奏の流れを読みつついきなり楔を打ち込んでくる意外性には、既存のフリージャズや変拍子ロックとは異質な、まさに即興ならではのスリルがある。また、さまざまタイプのロック・バンドで叩きながら、「バテレンズ」という即興ユニットにも参加しているヨシエジュンヤは、現代ロックにおいて重要な決め手となっている複雑で変則的なリズム・パターンを、手くせのはめ込みではなく、オーガニックなグルーヴとして鳴らすことができる逸材。と、このように挙げていけば枚挙にいとまがない。
ロック界でチェロという珍しい楽器を駆使している奏者がその名も「チェロしおり」。ロックバンドでエレクトリック・チェロを弾くかたわら、アコースティックによる即興ソロもやるが、ノイジーな特殊奏法に頼らずに、流麗にメロディアスに楽器そのものを鳴らしきるあたりに独自の美意識が感じられる。クールで麗々しくありながらも、どこかほの暗く沈み込むような色彩感。また他者との共演ではもっと荒々しく歪ませるような奏法も見せるが、あくまで音楽的な演出としてであり、即物的なノイズに傾斜しないあたりはユニークだ。私の企画ではソプラノ・サックスとディジェリドゥを吹く安藤裕子とドラムのアバシリとトリオでやってもらったのが印象深い。室内楽フリージャズとでもいえるような、典雅さと崩壊性が組み合わさったサウンドは、このチェロの介在あってこそのものだった。即興において一時期ブランクがあった安藤も、今は演奏を再開してじょじょに調子を上げつつある。ソプラノの弱点を強みに転化するようなプレイはじつにユニークだ。
ロックでは花形楽器のエレクトリック・ギターだが、即興ではその大音量や手法のパターン化により難しい面が多い。ロック系の即興ユニット「ゴイゾン」のNiraはその点、音数を絞りつつ、自然な流れでボルテージが上がってくるまで気配を読む、というスタンスが好ましく、いざという時のアグレッシブさにも間欠泉のごとき複雑さと説得力がある。彼に出てもらった私の「七針」での企画では、やはりロック系の即興演奏で名実ともにトップクラスといえるエレクトリック・ベースの内田静男、最高にミスティックなボイス・パフォーマーである本田ヨシ子、後述するサックスの植川縁、前述のアバシリ、ダンスの今井琴美らと卓越した演奏を繰り広げてくれた。
これは、オランダから来日した植川縁を軸に、現時点で考えうるベストの組み合わせのメンバーを結集し、それぞれ異なる顔ぶれで二日にわたって「七針」で開催したうちの一つだった。もう一本は日本屈指のコントラバス奏者の河崎純、先述のノブナガケン、鎮目更紗、久世龍五郎、そこにジャズ・ドラマーの三科律子にも加わってもらい、静と動の驚くべきドラマが繰り広げられた。
あくまでオーソドックスなモダンジャズを本領とする三科だが、田中信正(p)とのデュオではかなり大胆で自由な演奏を繰り広げており、その驚くべき精密なリズム感覚、音色の美しさ、「活きた」ビートを生み出すのびやかさに注目して、即興のライブに参加してもらったものだ。私が思うに、三科こそジャズ本来のダイナミズムをよみがえらせてくれる逸材に違いない。今回ほとんど初めてに等しい、まったくトータルな即興演奏に挑戦してもらったが、「即興慣れ」していないがゆえの演奏に対する深い洞察力と、全体を俯瞰したかのような冷静、かつエネルギッシュなアプローチは、演奏にスペシャルな「揺らぎ」をもたらしてくれた。
本田ヨシ子についてはどうしても一言触れておかねばなるまい。彼女ほどの「声」の持ち主はめったにいない。そのボイス演奏を聴くと私はタロットカードの「ワールド」の絵柄を反射的に思い浮かべてしまう。言葉を関わらせない「声そのもの」に一種の世界観までをも宿らせることができた人間はほとんどいないのではないか。少なくとも私が知るかぎりこの国で最も驚くべきタレント=特異能力を持った、注目すべき演奏家の一人だ。余人をもって代えがたいヒプノティックな音色の作用ゆえ、ダンサーたちからの信望も厚い。
海外からの来日ミュージシャン勢
それにしても、現代音楽のイディオムを独自の経験則で強化・拡張した植川緑の演奏は、即興シーンにおいて真に驚くべき達成の一つであり、技術の高さはもとより、展開の読めない、自分にとってはかなり不可思議なものでもある。すでに本サイトでも詳述したことがあるが、さらにその謎に迫るべく、今回彼女にインタビューを敢行したので、これもいずれ公開するべく作業中である。
今年来日したミュージシャンの中で自分が触れえたもののうちでは、日本在住のフィリップ・ゲイル (Philip Gayle)がアメリカから来たベースのThomas Helton と「阿佐ヶ谷天」で行った演奏はショックだった。さりげなく始まった「即興」というモノの水準、精度がここまで違うのかと。非常にトリッキーな奏法とか、既存の音楽の要素が断片的に飛び出したりもするのだが、それらがまるで自然にやり取りされ、湧き出すように紡ぎ合わされ、パロディのごとき遊び心が感じられるほど軽やかに、さりげなく、しかし鮮やかに「プレイ」されていく。自由闊達な「遊び」の高度さ。特に微細なピッチの変化や響きのミュートのグラデーションを多用しており、爆音の演奏がそうであるように、これもまた目の前で味わわないと感得できないものがある。しかもこの二人、共演するのは十数年ぶりとのことだったが、まるで長年一緒にやってきたかのように息が合っており、ようするに方法論や「言語」が深層で共有されているのだと思われる。日本の演奏家で似たようなことをやっている「つもり」の奏者でも、彼らのような普遍性を獲得している人は少なく、その質に埋めがたい差が歴然とある。こういう面では日本の即興の全体的なレベルはまだまだだと痛感した。
同じ「阿佐ヶ谷天」で見た、よりオーソドックスなジャズに近い Kenji Lee’s Fortune Teller Trio にも心底驚かされた。複雑なリズム感覚を前面に押し出した、まさに今のアメリカのジャズであり、本来の意味でのポスト・フリージャズといえる。スティーヴ・コールマン以降の「幾何学的でクールに沸騰する」イディオムを完全に消化したうえで、それをフリージャズの前傾姿勢の精神に注入した、とでもいうような音楽。自分が知る範囲では、こういうタイプの演奏は日本にはまったく見られない。とりわけドラマーのテクニックがすさまじく、ぐうの音も出ないほどの完成度だった。かつて若かりし頃のバリー・アルトシュルやデイヴ・ホランドがやっていたことの、「その先」の風景を見せてくれた。
自分の関わったライブでは、やはり「阿佐ヶ谷天」で見た、イタリアから来た Økapi(Filippo Paolini)のエレクトロニクスの使用法のユニークさと、長大な映像のすさまじい緻密さにも感嘆した。その日は日本在住のエレクトロニクス奏者のChristophe Charles (クリストフ・シャルル)にも出てもらったが、正直言って彼らのアクトは他でいろいろ聴いたその手のサウンドとは「スケールが違う」ほどのインパクトがあった。音の「厚み」、それを生み出す蓄積のなせる業か。国外から来たミュージシャンからは音楽に取り組む姿勢の違いを否応なく思い知らされることもある。「有名・無名」ということにばかり気を取られていては見逃すことが多すぎる。時間がなくなったのでここで筆を置くが、今回はどちらかというと「無名」のほうに焦点を当ててみたものである。
tsubatics, Christophe Charles (クリストフ・シャルル), Økapi(Filippo Paolini), Kenji Lee’s Fortune Teller Trio, Thomas Helton, リップ・ゲイル (Philip Gayle), 植川緑, Nira, 安藤裕子, 久世龍五郎, 鎮目更紗, 小玉陽子, 本田ヨシ子, ノブナガケン, 山田邦喜, 高橋直康, 斉藤圭祐, 三科律子