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GUEST COLUMNNo. 340

「どこかで〜中村八大という人」 第1回 さがゆき

photos: from Saga’s private collection

1931年1月20日、青島 (チンタオ) にて大音楽家誕生す。戦後の荒れ果てたとんでもなく貧しい日本に、元気の源になるような<上を向いて歩こう><明日があるさ!>…等をはじめ、魂が震える名曲を次から次へと白黒TV番組『夢で逢いましょう』から産み出してくれた人。幼少期から東京音楽学校(現・東京藝術大学)の附属児童学園でピアノと作曲の英才教育を受け、上京したばかりの頃からすでにベテラン奏者を驚かせる腕前を持っており、その自信を裏付ける、余り知られていない意外な話が…実は色々ある。

これは一般的にはほとんど知られていない話。フリージャスの先駆者、SAX奏者のOrnette Coleman (オーネットコールマン) の演奏に八大さんは興味を持っており、ある日、彼の演奏に直接触れようと渡米。オーネットが出演しているジャズクラブへ出かけ、自分は日本のジャズピアニスト。何か一緒にやりましょう!と…今で言うシット・イン。八大さんが弾き始めたらめちゃくちゃカッコよくて、オーネットはビックリ!日本のハチダイ素晴らしい!と大喜び!熱いハグをして、ひと晩中一緒に演奏した…!オーネットをも唸らせちゃう八大さん…凄い!!!

そんな側面は、今の若い人達はまず知らないかも。
私は八大さん作曲の美しい曲を八大さんのピアノで歌っていた時、ジャズ・ナンバーを歌う時と同じような、何にも縛られない自由な気持ちで歌えていた事が嬉しく蘇る。
日本に溢れるほどの名曲を残してくれた…だけでは無い…トンガリまくった硬派なJAZZミュージシャン、でもある…んですよね。だから何年経っても色褪せる事のない「スタンダード・ナンバー」として未来永劫、多くの人に愛され続ける曲ばかりを作曲されたのではないかな…。八大さん、あの曲はきっとこんな風に演奏したかったのかな…って一緒に音楽やってた者だから分かる事が…ある。

学校出たての若かりし頃の八大さんの話をひとつ。 ある日バイト探しに都内のとあるキャバレーに出向き、自分の演奏聞いてもらえませんか、とバンマスに道場破り。「おー、ぼうず、ピアノ弾けんのか?なんかやってみろ」、とバンマス。「はい」…と、もの凄い演奏を披露した八大さん。
「おー、ぼうず、なかなかやるじゃねぇか!じゃ明日から来な!」すると八大さん、「お兄さん方、幾らもらってるんですか?」
バンマス「おぅ、2千円だぜ」
八大さん「じゃ僕、3千円貰います。お兄さん達と音楽違うんで」(金額はハッキリ分からないので当てずっぽうイメージ)
お兄さん…「お…おぅ…分かったぜ。よろしくな!!」
パチパチパチパチ…….素晴らしい!
世の中、こうあるべきって見本!
中村八大、こんな人です!最高!!!

スマホの写真をどんどん繰って行くように時代は遡り話は前後するけど…私が八大さんとご一緒するようになって、いつだったか、FMだかTVだか覚えていないが、何かの生収録でスタジオで演奏、という時の忘れられない思い出。
曲も何だったかなぁ…とにかくジャズのナンバー。行き方はまずボーカルがワンコーラス、テーマを歌い〜アドリブは……など、おおよその構成は予め決まっていたのだが、何だかその時もの凄くいい演奏になり、皆んな乗っちゃって!私はサビから歌詞でエンディング行く感じじゃなく、ワンコーラス、アドリブ取って…結局サイズがオーバーして番組に最後まで入らなかった…。
終わったら当時のマネージャー渋谷さんが、「さがさん酷いじゃないですか〜!お尻切れちゃったじゃないですか。なんで決まった通りにやってくれなかったんですか〜!」そしたら八大さん、珍しく大きな声で、「バカやろう!何年俺の音楽聴いて来たんだ!あの時音楽が最高に膨らんだだろう?それが一番大切な事だ!ケツなんか切れたって構わない。切ればいいんだ!いい音楽は何にも縛られちゃ駄目なんだ!イキイキ自由にやらなきゃジャズじゃないんだ!!」って!カッコいい〜っ!全く仰せの通りです!!大尊敬〜っ!! 八大さんは<上を向いて歩こう>、とか<遠くへ行きたい>だけの人じゃない。オーネットを唸らせたジャズマンなんだからね!

中村八大さんとの最初のご縁を紐解くと、私がまだ中学2年生になったばかりのある夏の日に遡る。その頃、鎌倉由比ヶ浜の自宅からよく出かけて いた「江ノ島ヨットハーバー」などのパーティーや「赤坂プリンスホテル」のラウンジ、「Venus」というレストラン…などで、独学で身に付けたジャズボーカルを大人のプロやアマチュアのミュージシャンたちのバンドで歌っていた。あの頃の自分はまったく化粧もせず  (子供ですものね)  恐れをまだ知らない生意気で硬派な女の子だった。歌だけは誰にも負ける気はしていなかったけど…。 湘南の海が一望できる「Tic-Tac」というレストランで大学生のバンドの人達と定期的にライブをしていた。ギター、ベース、ドラム、サックス、それにボーカルは私、という編成だった。レパートリーはジャズとボサノバ。いつもラストには大好きな曲<目をとじて>が自分たちのバンドのテーマソングだった。
※後に八大さんとご一緒するようになって、<目を閉じて>って知ってる?と言われた時に、「あ、この曲、私のバンドのテーマソングなんです」、と私。八大さん…「これ、僕の曲なんだよ」…って笑ってらした。恥ずかしかったな〜!

「Tic-Tac」に場面は戻る。
子供がジャズを歌ってると評判を聞き、色々な人が聴きに来てくれていた中にある日、中村八大さんがスカウトにいらした…らしい。(知らなかった) 八大さんは直接私にではなく、バンマスだったドラムの”T氏”に、歌の子を紹介して欲しいとおっしゃったのだと…(知らなかった!)
メンバーたちは、自分のバンドの目玉である看板娘のボーカリストを取られたら困るからと、私を楽屋に隠して、なんと八大さんと私を会わせないようにしてしまったのだと (知らなかった…)
だいぶ時が経ってからドラムの”T氏”から、実は…と、恐る恐るその時の話の顛末を初めて聞かされ本当に驚いた。こともあろうに天下の中村八 大さんとのご縁を揉み消してしまうなんて…しみじみ申し訳ない話。
もしあの時、ちゃんと八大さんと会えていたらどんな人生になっていたのかな……。 その後当時のメンバーもバラバラになり消息も途絶え、その話は風とともに どこかへ消えてしまっていた…。
でも、神様はご縁のある方とは、たとえどんなことがあっても、忘れずにご縁をつないで下さるのだ。のちに私はそれを身をもって体験することになる。

さがゆき

さがゆき Saga Yuki [ボーカリスト、ボイスパフォーマー、シンガーソングライター、ガットギター及びLapTopギター、パーカッション、インストラクター] 東京出身。5才にして歌手になることを決意。 一切のジャンルを超えた言葉を伴う”うた”を歌う歌手であると同時に言葉の伴わない”声”を楽器としたフリーキーで幻想的な”完全即興”を歌う稀有な存在。フランス、ドイツ、オランダ、インド、シンガポール、韓国、アメリカ、中国、台湾など世界各国から招かれ、フェスティバル等に数多く出演。内外のライヴ。コンサートの他、完全即興ワークショップも定期的に20数年間行っている。 様々なアートにも自在に出入りし、共演者には(故人を含む)、中村八大(p). 小川俊彦(p). 高橋悠治(P). 富樫雅彦(perc). Shih Yang-Lee(P). 潮先郁男(g).沢井一恵(箏). 金大煥(perc). 姜泰煥(sax). 菅野邦彦(P).鬼怒無月(g). 加藤崇之(g). 内橋和久(g).渋谷毅(p).林栄一(sax).Elliott Sharp(multi). Anil Eraslan(cello) .大野一雄(舞踏). 谷川俊太郎(詩人) .白石かずこ(詩人). Heinz Geisser(ds),石原雄治(ds).森順治(Reeds).タップ・レオナ(タップ)…等とボーダレス。 アルバム多数。最新アルバムは、ハーモニカの八木のぶおとのデュオで『中村八大作品集』(地底レコード)。

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