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GUEST COLUMNNo. 248

小説「ゴースト」(上) 金野吉晃

text by Yoshiaki Onnyk Kinno  金野ONNYK吉晃

 

<登場人物には実在の人物名を用いていますが、性格や言動は想像上のものです。また歴史的な事実や時系列と合致しているわけではありません。>

 

1970年7月24日、アルバート・アイラーは、南仏サン・ポール・ド・ヴァンスのマグー近代美術館に居た。
彼は、バンドのメンバーの1人、マリー・パークスと並んで展示されている作品を眺めつつそぞろ歩きをしていた。明日は、ここで彼のライブ公演があるのだ。
突然、アイラーはある絵の前で、何かに打たれたかのように立ち止まった。
「マリー!、この絵を見ろ! この空を飛んでいる男は、逆さまになって飛んでいる男は俺だ! そして抱いている、お前を!」
というと、彼はマリーを抱きすくめた。そして視線はずっと絵に釘付けのまま、うっすらと涙を浮かべているのだった。
絵の作者はマルク・シャガール。ユダヤ系ロシア人で、その一生を、望郷の幻想を描き続けることに捧げた画家である。

汗が冷たい。コルトレーンは演奏しながら、情熱が冷めていくのを感じた。
その感じに身震いがした。もはや熱演を続けているふりしかできないのだ。
以前、彼の演奏は「神懸かりだ」と言われたものだ。
「俺がやっているのじゃない。誰か、そう天の方からやってきた何かが俺をそうさせるだけで、俺自身は何もやっていないのだ」。
かつて人にもそういい、自分でもそう思っていた。
しかし、今は違う。必死で演奏を続ける俺がいるだけだ。
ラシッドもアリスもジミーもがむしゃらにやっている。
あいつらにはあの次元が見えているのか?いや見えていないだろう。
おそらくそれを見たのはエリックだけだ。そして、もしかすれば、この俺の隣にいる若者、ファロアは見るかもしれない。
こいつは傲慢だ。しかし才能はある。こいつを俺の下につかせることができたのは幸いだった。もし、こいつが、俺を見限ったエルビンやマッコイと一緒にやったらどうなっただろう。
こんなことを考えながらも俺のサックスはよく鳴っている。客席からはいつものように熱い視線が注がれ、俺はそのひとつひとつを感じる。俺に聞きほれているのだ。
どうやったって誰も俺より前に出ることはできないだろう。かつてのバードが居た位置まで俺は駆け上がる。いやもうそうなったのかもしれない。バードは素晴らしかった。しかし俺のサウンドより浅い。軽やかな分だけ響かないのだ。
俺のサウンドは肺腑をえぐり、脳髄を揺さぶる。ソプラノだろうとテナーだろうと、俺にはそれができる。俺も傲慢だろうか。いや、事実を言っているだけだ。
しかし、もうやめたい。なんだこの虚脱感は。そして俺はそれをたった一つの音を連続させることで代弁させてみた。
(やめたいんだ、もうやめたいんだ、いいかげんにしてくれ、たすけてくれ!)
それは咆哮となって響き渡った。聴衆は興奮している。俺のサウンドが祈りに聞こえるのだ。神よ、神よとひたすら叫ぶ預言者の声を聞くのだ。
やめた。
やめようと思えばこんなにあっさりやめられる。
拍手など聞きたくも無い。疲れた。楽屋であれを打つか。どうしよう。もう限界に来ているのはわかる。酒でもいい。
ファロアがしゃしゃりでてきた。勝手にやれ。
俺は何分ソロをとった?大体20分か。あいつは若さに任せてもっとやるかもしれない。あとでアリスはごねるだろう。私達のソロはどうなるのって。何、奴には好きなだけやらせりゃいい。無伴奏でな。それでいいじゃないか。それも素晴らしい。誰にも支えられずどこまでやれる?お手並み拝見といこう。
俺はファロア以外の皆に目配せした。
ラシッド以外はわかったようだ。あいつはある意味ばかだし、ファロアのことで頭に来ていたから、煽ってやろうというんだろう。ファロアが、もう少しドラムの位置を下げてくれと言ったからだ。
ピアノとベースが抜けた途端にラシッドのドラムがうなりをあげて、ファロアに襲い掛かった。一瞬たじろいだがファロアは一息吸い込むと反撃を開始した。
そうか、二人は『惑星空間』を意識しているのかもしれない。俺とラシッドの二人だけでやったアルバムだ。それを乗り越えるか?それもいいさ。俺は先駆者だ。奴らがどんなに頑張っても二番煎じだ。
さて、やはり楽屋に行こう。二人で始めたからには、30分は少なくとも休めるはずだ。

「ジョン、今日の流れは全然違ってたわ。貴方のソロのあと、テーマにもどるはずだったじゃない。それをいきなりファロアが」
「いいじゃないか。流れってのは決めておくものじゃなくて、そのとき起こるものだ」
黙々とベースを拭いてケースに入れたジミーが言った。
「じゃあ、お先するよ。明日はオフだな」
「ああ、じゃあ来週、月曜にスタジオで」
相変わらず奴は冷静だ。ベースを抱えて楽屋から出ようとしたそのときドアが開いた。
ファロアとラシッドが肩を組んで戻ってきたのだ。上機嫌だ。
「いやあ、囲まれて動けなかったよ」
「若い子が体を押し付けてくるんだから逃げたくもなかっただろう、ファロア」
「はははは、白人娘も俺たちのサウンドには骨抜きさ」
「いや、お前の今日の音はすごかった。俺はいつ音をいあげるか追い込んでやろうと思ったが、逆になりそうだったよ」
「アリ、あんたには感服だ。エルビンもすごかったが、あんたとは違う」
お互いを誉めそやしつづける二人。ビールを片手に泡を飛ばしながらしゃべっている。
ジョンは言った。
「じゃあ、俺も帰る。今日はたしかによかった。二人がハイライトだったな。また頼むぜ。じゃ、アリス、行こうか」
とジョンは立ち上がったところでふらっと来てアリスに支えられた。
「大丈夫だ」
アリスは胸の裏ポケットの硬いケースに気付いた。
「ジョン!」
小さな声だが恐ろしい剣幕だった。そしてアリスはコルトレーンの体を支えながら、彼のサックスのケースを抱え、外に出るのをうながした。

ソファに身をあずけてコルトレーンは、アリスに言った。
「俺の体は俺が一番わかってる。俺のサウンドと同じくな」
「もうやめたと言ったわね、なんでまた始めたの!」
「酒のほうが体に悪いっていうぜ」
「貴方は今両方やってるじゃない!」
「バードと同じくな」
「バードやレディや、それにバドがどうなったかはよく知ってるでしょう」
「ああ、皆、神に愛されてた」
「貴方もすぐ彼らに会いたいわけ?」
コルトレーンはコップのバーボンを飲み干した。
「俺も、もう役目は終わるんじゃないかな」
「そうやって逃げ口上ばかり。貴方はまだまだやれるわ。やり方次第よ。貴方は自分を消耗することばかり考えてるけど、生まれ変わる方法だってあるのよ!」
「どうやって」
「私にはわかるわ。貴方を愛しているから。そう、貴方だって分かってるはずじゃない。愛こそ全てを変えるパワーなのよ。そして人を、皆を愛するにはまず自分も愛さなきゃ。でも貴方は自分を捨ててるわ」
「ふふふ、なるほどな。愛か、素晴らしい」
「貴方はずっと演奏を続けたいんでしょ。だから私は、私は…」
嗚咽が続いた。
「悪かった。アリス。許してくれ。俺も演奏は続けたい。しかしな、俺だけの問題じゃない。皆が高いレベルに来ないと意味が無いんだ。そう思わないか」
「だから?どうやって」
「俺はファロアをかっている。あいつはすごい。すごい奴はいろいろいたが、皆死んじまった。あの世界をまともに見れない奴もいた。恐ろしくて逃げ帰ってしまうんだな」
コルトレーンは一息ついて、タバコに火をつけた。
「ファロアは馬鹿だ。だから全然怖がらない。それがいい。どんどん変っていく。それは今日の演奏を聞いてもわかっただろう。お前は自分のソロとかテーマとか構成を問題にするが、そんなのは関係ないんだ。だから俺は奴にもっとあの世界を見せてやりたいんだよ」
「それが貴方が体を壊すことにどう関係するの。素晴らしい演奏をするだけの体力を持たなきゃだめじゃない」
「違うんだ、アリス。そうじゃないんだ。体を、この牢獄を燃え尽きさせないとそれは見えないんだよ」
「じゃあ、ファロアもそうなるっていうの」
「さあ、どうだかな。奴次第さ」
彼は煙を吐きだすと、其の行方を見るとも無く眺めていた。

スタジオでのリハーサルが終わった後、コルトレーンはファロアに話し掛けた。
「ファロア、話がある」
「なんだい。改まって」
「次のギグではお前がリーダーになって、仕切ってくれ」
ファロアは目を剥いた。
「何を言い出すんだ。これはあんたのグループだ。俺はその一員、それでいいじゃないか」
「いや、俺はある意味限界だ。体力的にも精神的にも」
「とんでもない!あんたは凄いよ。神様だ。こないだの演奏だって、あんたは俺をほめたけど、俺にはとてもあんな演奏はできないと思った」
「俺はもう小手先でやっている。人が見れば凄いと思うことも実は演技だったりする。俺は自分の音がもう信じられない。お前の演奏を最初に聞いたとき、俺はかつて自分にもこういう音を出せたんだと思い出した。俺は何度かお前のグループを聞きにいき、確信した。こいつなら俺の後を任せられるってな」
「…ジョン、考えさせてくれ。俺も俺でやりたいことがある。俺はあんたを尊敬している。このバンドのリーダーだって!?とんでもない、身に余る光栄な話だ。俺はここでは二番手のサックスで十分だよ。俺はあんたにはなれない」
「ファロア。誰でも最初はできないと思うもんだ。しかしやってみるといろいろ分かる。そして見えてくるはずだ」
ファロアは視線を落として話しだす。
「いや、ジョン。違うんだ。さっきも言ったけど、俺はやりたいことがある。それはこのグループではできない。俺が集めたメンバーでやらなきゃできないことをやりたいんだ。わかるだろ。あんただってそうしてきたんだ。俺のことを認めてくれるのはすごく嬉しい。でもこれも潮時かもしれない。そろそろ離れてもいいんじゃないかな」
「そうか…、しかしな、ファロア、これは言っておくが、まだお前には見えていないものがある。それを見たいと思わないか。この俺と。いや俺がいなければそれは見えないぞ!」
ファロアは挑戦的な目でコルトレーンを見返した。
「ジョン、あんたは神様だ。しかし俺は別の道をいく」

それからほどなくしてファロア・サンダースは自分のバンドを結成し、コルトレーン・クィンテットを正式に離れた。そしてコルトレーンと同じレーベルから大々的な支援をうけてアルバムをリリースした。
しかし、コルトレーンには、その音楽は全く興ざめな代物だった。それはコルトレーンの精神的なイメージを模倣しながら、より大衆的に迎合するようなサウンドの音楽だった。
「アリス、レコードを止めてくれ。…こんなことをやりたかったというのか、あの若造は!」
「やめて、ジョン。人は人よ。貴方は自分の演奏を追求すればいいわ」

その晩、コルトレーンは失意のうちに放浪した。酒と薬とを求めて。
ライブバー「スラッグズ・サルーン」にたどり着くと、その片隅で酒場のざわめきを聞きながら半分眠っていた。家では寝る気にならないのだ。
体のことを心配されるほどうんざりしてくる。色々な御託を聞かされるのも面倒だ。
ここの店主は彼が片隅でじっとしているのを知って、放っておいてくれる。それがあり難い。誰にも教えないし、近寄らせない。
(もうだめかもしれない。俺を奮い立たせるものは何もなくなった。肝臓が痛む。こいつが痛み出したら終わりだってどっかの医者が言ってたな。ふふふ、そうか終わりが近づいたお知らせが届いたってことか。)
そのときだった、恐るべきサウンドが耳を襲った。朗々として、とてつもなくでかく、暖かい旋律が満ち溢れていた。テナーサックスの低音域から高音域までを駆け抜けながら、さらにその上の音をだし、そこでも歌っている。
アドリブは叫びと囁きが同居しつつ、やはり旋律を忘れない。常に歌っているのが聞こえるのだ。これはサックスの音ではない。敢えて例えれば、祝福された象が「タンホイザー」を歌っているかのようなのだ。
彼は身を起こした。目は見開かれた。よろける足で椅子にけつまづきながら、人の足を踏んづけながらステージに近寄った。
皆が、その場にコルトレーンが居たことを知って驚いている。
吹いているのはツバ広の帽子をかぶった、顎鬚を蓄えた奴だった。
他のメンバーはともかく、このサウンドの持ち主は、目を閉じながら、まさにサックスを象の鼻のようにふりあげては下ろし、それを繰り返して大きなヴァイブレーションを作っている。一曲目が終わった。
コルトレーンも息をついた。演奏したわけでもないのに全身汗をかき、ふるえている。
「ありがとう。最初はいつもやるやつ。初めて聴く人もいるかな。僕の曲、『ゴースト』でした。次は新曲です」
サックス奏者がそう簡単に説明すると、今度はマーチだ。
聖者の行進も、もとはといえばこうだったかもしれない。ああ、眼前に葬列が見えるようだ。南部の熱烈なゴスペルの響きがある。これはジャズではない。
この泥臭さ、この暖かさ、この強烈な、ソウルに突き刺さる音。ジョンが、ジャズがすっかり忘れていたものだ。
演奏は一時間ほどで終わった。客はそんなに多くなかったが、熱烈なファンがいるらしく、アンコールもあり、ステージの連中は握手でこたえていた。
コルトレーンは楽屋に足を運んだ。酒もヤクもすっかり醒めていた。汗をぬぐい、服装を直してからドアを開けた。
「やあ」
彼が楽屋に入ると、まだ熱気さめやらぬバンドのメンバーが一斉に振り返った。そして驚いた。
「こりゃあ…」
「もしかして、あんた、ジョン?」
コルトレーンは作り笑いをして朗らかに言った。
「やあ、すまんな、みんな。疲れているのは分かってるが、どうしても感想をいいたくて」
彼はそのまま、座って顔の汗をぬぐっていたサックス奏者のところへいき、握手を求めた。
「ジョン・コルトレーンだ。よろしく」
相手は、それが誰だか分かると、さっと立ち上がり手を差し出した。
「アルバート・アイラーです。お目にかかれて光栄です」
顎鬚に白髪があるのだが、意外に若く、高い声が返ってきた。玉の汗がまだ額に光っている。
「おかけください」
アイラーは椅子を差し出し、自分も向かいに座った。
コルトレーンはにこやかに言った。
「素晴らしい。言葉がなかったよ。君だったのか。噂には聞いていた」
「とんでもない。僕は駆け出しの田舎者です」
「音楽に田舎も都会も、新しいも古いもないだろう。俺は、ただただ感動した」
「そんな。恐れ多い言葉です。貴方がいるとしっていたら何もできなかった」
「はっはっは。随分と音のイメージとは違うことを言うな。まるで巨人が説教しているようだったのに」
「僕は…自分の音には自信があります。でもそれをどう使っていいかわからなくなるときがある。そうするとバンド全体が崩れるんです」
「そんなことは後で考えればいい。ところで....ひとつ提案がある。明日、私のメンバーとセッションしてみないかね」
「えっ?本当ですか。でも明日はまだここで契約があって」
「わかった、じゃあ契約が終り次第だ。ここの後の予定はあるのか」
「いや、探しているところです」
「君のメンバーにも言っておきたい。1日だけ彼を貸してくれ」

三日後、アイラーは、ファロアが居ないコルトレーン・グループとセッションをした。
「なんだと!録音してなかったのか!間抜けが!」
コルトレーンはエンジニアを怒鳴った。
「すまない、ジョン。契約していない奴が入って演奏しても、後で色々面倒なんだよ」
「まあいいさ。録音なんかメモにすぎないんだ。にしても惜しかったな。そう思わないか、アリス」
「ええ、素晴らしかったわ。噂には聞いていたけどね。ファロア以上よ」
ラシッドがスティックを握った手をぐるぐると回しながら言った。
「ぶったまげたな。この若造にはよ。こいつの音にはソウルがあるな」
アイラーはすこしうつむき加減になって答える。
「今日はありがとう。皆さんと演奏できて嬉しかった。今度、僕のグループを聴きに来てください。歓迎します。もしできれば飛び入りでも」
コルトレーンが優しく声をかける。
「アル、そう呼んでいいかい」
「はい」
「俺のこともジョンと呼んでくれ」
「はい、ジョン」
「ところで、君は自分のグループに満足しているか」
「それはどういう意味ですか」
「今の君のコンボは、なんというか混沌としている。いや、悪い意味ではない。良いところもあるが、悪いところもあるって感じだ。しかし、君のプレイは光っている。君が出てくると曇り空に雷鳴が走るみたいだな。何かを気付かせる」
「皆、僕の仲間です。昔から一緒にやってきた」
「君がいなければ、その仲間は成り立たないか。ばらばらになっちまうか」
「いや、どうでしょう。皆、僕のやり方を信じて付いてきてくれているんだけど」
「俺は思うんだが、君が俺のコンボに入れば、彼らは皆自分の道を見出すんじゃないか」
アイラーの顔が一瞬輝く。
「僕に、このコンボに入れと」

<続く>

*本作は、2011年、雑誌「アルテス」創刊号と第二号に連載した作品を全面的に改稿したものです。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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