「越境する存在、遍在する即興」-フレッド・フリス小論- 金野吉晃

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text by Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

 

<エマージェンシー・クルー(あるいはマーキング・ドッグ)>

「金野くん、申し訳ない。デレクが体調悪くて帰国したいっていうんだ」

という電話をサブ(豊住芳三郎)さんから受け取ったのはコンサートの一週間程前だったように覚えている。時は1987年12月のことだ。私はサブさんの要請を受けてサブさんとデレク・ベイリーの盛岡公演を準備していた。しかし、ハードなスケジュールのブッキングに以前からの腰痛が再発したベイリーはツアー途中で、残りの公演をキャンセルすると言いだしたのである。実は84年に仙台の故中村邦夫氏(JAZZ & NOW)の招聘で来日を予定していたベイリーは直前になって、その腰痛で来日を中止しており、その時も私は盛岡公演をフイにしていた。それもあって、ベイリーの途中帰国には落胆せざるをえなかった。

「出来ればこの後も中止しないでやりたいんだよね。だから共演を誰かえらばなきゃならないんだけど… 」
「誰かあてがあるんですか」
「今、日本に居る人ですぐ一緒に回れるのはジョン(ゾーン)かフレッド(フリス)だなあ。ジョンは去年一緒に盛岡回ったけど… 」

という訳で、急遽代役はフレッド・フリスということになった。彼は前年「スケルトン・クルー」の二度目の来日で、盛岡公演をしている。だから当地は三度目ということになる。ギタリストだから、とか前回がバンドだったからとかいうことではなく、彼を選んだ本当の理由は私にとって重要な演奏家だからだったことにある。その重要さとは、彼が多面的な音楽家であり、かつその各々の面においてユニークな問題を提示していた点である。バンド活動、ソロ活動、作曲、プロデュース業… そういう多面性では私のフランク・ザッパ観に近いものがあるのだが、フリスにはザッパが手を出さなかった側面がある。勿論その逆の面もあるのだが、私自身の活動-つまりフリー・インプロヴィゼーションの実践-と重なるが故にフリスはザッパより近い、そして注目すべき存在であったのだ。そして同じく多面性の人、即興演奏の賢人エリック・ドルフィーを思いだすなら、評価こそ高くても恵まれなかったドルフィーに比べフリスは何と軽やかに遍在していることか。

Fred Frith in 盛岡

彼の多面性を演奏家のカテゴリーから見るなら、ギタリスト、ヴォーカリスト、ヴァィオリニスト、ベーシスト、エトセトリスト(音の出るものなら何でも)ということにもなるし、また音楽家のカテゴリーならば作曲家、即興演奏家、アンサンブル内での一奏者といえる。プロデューサーというカテゴリーから言えば、自らのバンドの、ソロの、他のグループの単独またはコンピレーションの、何人かの演奏家のコンピレーションの各アルバムを引き受けている。例えば「シェシズ」、「アー・ムジーク」、灰野敬二らも収録された『ウェルカム・トゥ・ドリームランド』は彼が日本の音楽家だけを集めたアルバムだ。音楽ジャンルという面から見るならば「マサカー」、「マテリアル」、「ネイキッド・シティ」、「キープ・ザ・ドッグ」のようなハードロック、ジャズ・ロック(といってよければ)は彼のファン層を広げたし、アルバム『クァルテッツ』に聴くような室内楽も書く。三枚のギター・ソロ・シリーズ、デレク・ベイリー主催「カンパニー」への参加、様々なデュオ(灰野敬二、土取利行、H・カイザー、C・カトラー、L・コクスヒル、T・ホジキンスン、B・オスタータグ等)によるフリー・インプロヴィゼーション、『ヴォイス・オブ・アメリカ』のようなサンプリングやノイズ傾向の演奏、実験音楽ではオブスキュア・シリーズへも参加。参加しただけのアルバムを挙げるなら「レジデンツ」、「どく梅バンド」、「アクサク・マブール」、「G・パロミノス」、イーノ、R・ワイアット、L・クーパー等々… 最もディスコグラフィーを作りにくい存在だ。演奏の細部を聴けばそのイディオムにはトラッド、ポップ・ソング、ブルーズ、パンクなどを横断する彼が見える。しかし何といっても彼の名を高めたバンド「ヘンリー・カウ」、「アート・ベアーズ」、「スケルトン・クルー」といったレギュラー・グループは上記の資質が全て投入されていることで特筆に値するし、一連のソロ・アルバムに見る独自のスタイルと相まって、<カンタベリー・ツリー>と近接しながらも多くのエピゴーネン、シンパを生み、彼等は後に<ロック・イン・オポジション=反対派ロック>一派を形成していく。

フリスは、一言でいえば弦楽四重奏からハウスまで、アンビエントからサイコビリーまでこなしてしまうのだ。また見方を変えれば単に音楽シーンに限定されず、ダンス音楽、劇中曲、映画やビデオの為の音楽を提供する。だから彼のコラボレーターは、数においても、範囲にしても捕らえきれない程だ。驚くべきはその多彩さではなく、それらを同時に展開し、非常に活発かつ多作でしかも内容的には決して質が落ちる例がないという事実である。彼はまた根拠地を持たず、常に活動の地を幾つも持つ音楽家である。だから単に音楽的にマルチというだけでなく、音楽家のノマド性を具現化しているとも言えそうだ。そんな彼の活動を追ったヴィデオ・ドキュメントが『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』というタイトルなのもうなずける。

さて、マルチ人間はえてして自らを失いがちなものである。ビル・ラズウェル(彼もフリスのコラボレーターであるが)のように、話題性には事欠かないが構想はあっても展開はなく、作品・演奏ともあまり面白くもないし、相互の関連が見出せる訳でもない例や、ジョン・ゾーン(彼もフリスとは近い存在だ)のように遂にはユダヤ的回帰の下に自らのレーベルを設立してシオニズムの変形になってしまう例もある。フリスは、まず曲であれ、演奏であれ、プロデュースであれ作品にくっきりと彼自身の刻印を残している。故にいつも彼の意志を感じさせるだけでなく、アンダーグラウンドのネットワークを生身で駆け抜けていく彼の姿を確認できる。しかも、彼はどこにも帰属すべき場所やレーベルを残さないし作らないのである。作品においては凝縮し、存在においては拡散する、それが彼のスタイルであろうか。

<プロテスタンティズム・オブ・インプロヴィゼーション>

12月13日、コンサートの開始前、私は説明した。
「えー、残念ながらベイリーはツアー途中で体調を崩し、帰国しました… 」
会場内一斉に「えーっ」というどよめき…
「代りといってはなんですが、おなじみフレッド・フリスが来てくれました!」
「オーッ」(期待と落胆のこもったざわめき)

サブ、フリスのデュオが始まった。二人は非イディオマティックなテクニックを多様して、とにかく音を出さないでいることを恐れでもするように駆けていく。私は、はじめ「速度もひとつの表現か」と傍観していたのだが、暫くするうちに不安が頭をもたげててきた。おそらくベイリー、サブのデュオであればこういう速度は生れないというのは当然であるが、不安の源はその差異ではない。この二人が互いにあおりあっていることは、インタープレイによってあからさまになっていった。それへの苛立ちが不安に姿を変えていたような気がする。何故、それを苛立ちと感じたのか。

私にとって非イディオマティックな即興演奏とは、ある意味で「音楽という神秘、演奏という秘儀」の最後の砦であったようだ。サブとフリスはいわばそれを脱神秘化していくことを、その速度によって見せつけていたのだ。ベイリーであれば、本人の思惑に関わらず、いやおうなく神秘と秘儀の方へ聴覚体験を誘ってしまうだろう。それを許しているのが彼の罪であるとしても、それによって罰せらるべきではない。

サブは共演者の最も強い個性を引き出す演奏家である。フリスもそうしたところがあるのだが、共演者が受容的だったりリードを許容する時にはむしろどこまでもエゴイスティックになる傾向を持つように思う。つまり、自分が牽引してもよいかもしれない、と感じる瞬間にはダッシュしてしまうのである。私も加わったトリオではそれを容認した。

私の苛立ちはその種の言外の同意である。イディオマティックにせよそうでないにせよ、即興演奏というものは、そういう現れ方をするが故にそうであってはならないのである。言葉を変えれば、演奏かくあるべしという状況を打ち破るのが即興演奏でなくてはならない。とすれば、現に聴きうる演奏は全て否定されなければならないし、ましてや丁丁発止のアドリブ応酬などおためごかしのグルーミング以外何物でもない。フリスの即時的構築力は再び幻想を醸し出すのである。

だから非イディオマティックな即興演奏とは自己否定そのものであり、アンサンブルにおいては他者が「交感」の対象であったり、自己の投影であるなどと誤認せず、絶対的に隔絶した彼岸としていかなくてはならない(字義通りに解釈するなら「解体的交感」の逆、「統合的隔絶」とでもいおうか)。これが「音楽という神秘、演奏という秘儀」の拠りどころであった。

神秘と秘儀を暴く以外に即興演奏が出来ることがあろうか。もしその逆のドライヴを持った演奏なら既にそれは虚偽か慰めでしかないだろう。つまり私にとって即興演奏とはそのジレンマ故に不可能性そのものであった。フリスという演奏家はまさしく偶像破壊者として現れ、素早く虚偽を突き崩すことに長けている。彼の最初のギター・ソロ・アルバムは僅か数時間で録音されたが、各トラック毎に全く異る非イデォマティックなテクニックが用いられている。これらのテクニックは当初から「ヘンリー・カウ」の即興演奏パートに複合的に用いられているが、後にはキース・ロウのように卓上に置いたギターと並行して演奏する方法も取り入れる。彼のギター・インプロヴィゼーションはそれらテクニックがめまぐるしく入れ替わり、そして私の見る限りでは必ず「笑い」を誘うのだ。吹き出させることもあれば、にやにやさせること、ほのぼのさせること等を様々に組み込んでみせる。ハードなサウンドの中にマヌケな音がいきなり飛びだしたり、どうみても出てくる音と関係ない馬鹿ばかしいテクニックを必死になってやってみせたりという巧みさはヴォードビリアンとさえ言える。しかも演奏の連続性は損なわれていないのだ。

サブとのデュオでは、靴ブラシや小さなホウキに御執心で、ネックとボディの両方のピックアップからの音量を二つのペダルでコントロールしながら、やたらと絃をこすり、引掻く。まるでギターが汚れているから変な音が出るのだといわんばかりに。サブがどんどんあおるとフリスの動きはますますせわしなくなり、顔を歪めながら時に何事かを叫ぶ。しかし、全体にはよく訓練されたドライヴァーの運転で整備されていない険しく狭い山道をぶっ飛ばしているかのような気分である。フリスのソロでは一転、フルアコからソリッドに持ち替えて、全編をタッピングだけで聴かせる。それがまた素晴らしく滑らかで、調性のある美しいメロディを奏でるのである。ここではトリッキーなことは全く無い。後で色々なライヴ・テープを聴く機会があったが、この時期フリスはタッピングだけのソロをよくやっていたようである。

かつて平井玄はヨーロッパ型フリー・ミュージックの可能性についてこう述べている(『PF』no.1, 1983年/発行:法政大学事業委員会ROCKS →OFF )。六十年代フリー・ジャズにおけるフリーク・トーンが<侵犯行為>としての意味作用を失い、七十年代には効果音として消費されてしまった。つまり「豊かな表現の可能性」という「耳馴らし」になっていった訳だ。ヨーロッパ型フリー・ミュージック-つまりフリー・ジャズがバップに抗したように西欧近代音楽(そして、ここで平井は言及していないがおそらく大衆音楽としての商品音楽も含めて)の超克を志向する傾向-の担い手達は即興演奏の可能性を次の点に見出した。つまり演奏技術崇拝を脱し、さらに一定のディスクールやフォームを廃し、楽器をオブジェとして扱うようになった以上、『<即興>は初めて全面的にモノと出会うことになる。それはまた、モノと化した人間と出会うことであり、同時に人間を介して観念に憑かれたモノ、モノに憑かれた観念に出会うことでもあった。<即興>が人間の自発性の最後の拠点であり、また最後の墓場である可能性が今ここに開かれていると言えるだろう。』そして平井は当時のフリー・ミュージック・シーンに音楽と政治の互いに内包しあうようなミクロ・ポリティクスを期待していたのである。

<アート・イズ・ノット・ア・ミラー,イッツ・ア・ハンマー… >

おそらく平井の脳裏にイメージされていたのは、マルチ・アスペクトなミュージシャン達であり、具体的には「スケルトン・クルー」そしてフリスらであったことは想像に難くない。そうだからとはいってもフリスにミクロ・ポリティクスを見ることへの異論はある。が、それは彼を非難していることにもならない。フリスの演奏のあらゆるイディオムは彼の個人史に他ならないが、そこに敢えてミクロ・ポリティクスを見るというならむしろ平井の期待とは少し異る貌が現れよう。フリスは自らの参加する演奏空間においては、その反応の凄じさと早さと融和性において、いつのまにかヘゲモニーを握ってしまうことは既にのべた。彼のリードするアンサンブルは、決してアポロンやミューズ達のように天上的賛歌を歌うことはなく、地上のブリコラージュ(手仕事)となる。斧や鋸の発明者にしてクレタ島の迷宮や飛行機械をも作りあげたダイダロスの仕事に例えられよう。

それだけではない、共演者達をふりまわす彼はタイラントの素質もあるのだ。バンドにおける絶対者ならばマイルス、ミンガス、ザッパ、フリップ等々、例を挙げるのは容易いが彼等は暴君であって、フリスの如きタイラント-僣主ではない。もう少し表現を弱めるならばキャスティング・ヴォートを握っているチェアマンか、調停者なのだ。しかしそれにしては個性が勝っている。彼がゾーンの『アーチェリー』(『コブラ』で完成したプロンプター・システムの前身がこの曲にある)の演奏に当初疑問を持ったのも合点がいく。そのやり方では彼は決してタイラントたりえないのだ。逆に言えばゾーンは即興演奏をエセ民主化してみせたようなものだ。(と96年にはこの文脈で書いたものの、ゾーン、そして「コブラ」は政治的ではなく、単に音響ゲームなのだと、今なら書くでしょう)

しかし果たして我々は誰か(演奏家)が輝いていない演奏を聴きたいと思うだろうか。試みにティム・ホジキンスンのソロ・アルバム『イーチ・イン・アワ・ソウツ』に収録されている『ホールド・トゥ・ザ・ゼロ・バーン、イマジン』を聴いてみよう。この曲は「ヘンリー・カウ」の中期(76 年) にホジキンスンによって書かれ、何度かカウのライヴで演奏されたが、94年のこのアルバムに収録されるまで録音されたことがなかったという。このアルバムでの演奏者はホジキンスン、カトラー、そしてダグマー・クラウゼが旧カウのメンバーで、他に8人が参加している。この曲は非常に複合的な、緩慢であっても緊張感と重圧感のあるホジキンスンらしい仕上がりである(後のホジキンスンのバンド「ザ・ワーク」では、さらにたたみかけるような速度が加わる)。当時のカウのレパートリーとしても違和感はないが、しかし同時にここではカウらしさもない。カウがやっていないのだから当然ではあるが、逆に言えばこの(曲自体にではなく)演奏には強く「フリスの不在」を感じるのだ。この曲の流れを形造っているのは、ダグマーのヴォーカルを除けば、各楽器間の受け渡される旋律であり、その意味でまさしくアンサンブル主体なのである。もし、という仮定が許されるとしてギタリストがフリスであれば、そしてライヴであれば私の耳はもっとギターに注目させられ、全体を牽引する彼の強度に引き付けられてしまっただろう。

『イン・プライズ・オブ・ラーニング』や『ヘンリー・カウ・コンサーツ』そして最近出ている海賊盤ライブなどで、いやおうなくフリスのポジションが演奏全体の方向を牽引し、ともすれば集団即興の陥りやすい「なしくずしの構造」を異化させていることを理解するならば、私の感じた「フリスの不在」が分かろう。特に海賊ライブ『インダストリー』では即興パートでいきなりヴァィオリン(フリス)がトラッドな舞曲を弾きだす時に、その強引なアイロニーに苦笑させられてしまう。カトラーやホジキンスンならば決してそういう引用を強引にすることはないだろう。フリス=「ヘンリー・カウ」ではなかったことは確かだが、カウの解散はそうしたフリスの引力圏を無効にする手立てであったかもしれない。それは彼自身にも解毒であったが、逆に八十年代に入ってフリスの影響力はNYを中心に世界中に広まっていくこととなる。

<テリブル・アズ・アン・アーミー・ウィズ・バナーズ>

どんなアルバムでもよいがフリスの参加した演奏や提供した曲を一曲聞き直してみるべきだ。彼は最良のポジションに居るサッカー選手のように演奏の流れを組み立てる(例えば「マテリアル」の『メモリー・サーヴズ』で彼の参加した曲とそうでない曲の位相が全く異ることを指摘するのは容易い)。おそらく彼が困惑した例を幾つか拾うなら灰野、土取とのデユオ、ベイリーの「カンパニー」への参加アルバムあたりを挙げておこう。これらの演奏で彼がポジションを見失いがちになっている理由をくどくど述べる必要もない。つまりタイラントが同じ場所に二人並び立つことはないのである。

フリスはいつもアイロニカルである。逆説的なことを言って私を笑わせる。

「日本人はもっと自衛隊に入ってみなくちゃいけないね。」
「どうして?」
「君たちは軍隊ってのがどういう所かしらないだろう。どんな風に話し、どんな風に食べ、どんなことを考え、どんなことが常識としてまかりとおる所かをさ!」
「成るほど… 」
「知らないものを批判するのは馬鹿げたことだと思わないか。」
「じゃあ、早速明日にでも入隊志願しようか。」
「そりゃ、もっと馬鹿なことさ。」

『芸術家であるということは失敗することだ』とは画家ブラン・ヴァン・ヴェルデの言葉だ。彼はこう続ける。『他の誰にもまして失敗は避けられないことを承知しながら。失敗が芸術家の世界だ。そして失敗を恐れることは、芸術を放棄することに相当する。』これは確かに一片の真実を含んでいるようにおもえる。ヴェルデは芸術と生活を分離している。生活は芸術の下部構造をなしていると考えているのである。しかし、今日の音楽家にとって芸術とは演奏や作曲だけではないことは確かだ。バンドやプロジェクトを組み、ツアーをし、レコーディングし、商品を作り、売る、その方法自体も芸術とみなさなくてはならない場合がある(だからこそディレクター、プロデューサー、エディターといった存在が芸術家として認められる。これは今世紀、というより複製技術が発達した世界では当然の状況である)。芸術には「失敗」しても、音楽家として暮していくことに失敗している訳にはいかない。「失敗」を売り捌かなければならないのだ。しかしフリスはなかなか「失敗」しない。彼の欠点は失敗できないでいることだとさえ言えよう。もし芸術家にとって生のすべてが芸術ならば、「失敗」とは自己の様々な資質が裏切りあうことと言える。太陽に近づき過ぎることの危険を知るダイダロスであり、図らずしてタイラントでもあることの困難がフリスをさらなる「失敗」に誘う。はたして「失敗」は成功するだろうか。(了)

付記

<アート・イズ・ノット・ア・ミラー,イッツ・ア・ハンマー… >

ヘンリー・カウのアルバム”IN PRAISE OF LEARNING”(1975)に記されているエピグラムのような文で、作家・戯曲化ベルトルト・ブレヒトの言葉である。

<テリブル・アズ・アン・アーミー・ウィズ・バナーズ>

ヘンリー・カウのアルバム”IN PRAISE OF LEARNING”に収録された” Beautiful as the Moon – Terrible as an Army with Banners”という曲より引用

ヘンリー・カウのドラマー、クリス・カトラーも、演奏以外に著作やレーベル運営など、その後の活動が多岐にわたる重要人物だが、後に、同じくHカウのメンバーだったティム・ホジキンソンと共に、ルーマニア出身の作曲家イアンク・ドゥミトレスクに弟子入りし、其の影響がもろに表れた作品を発表している。カトラー、ホジキンスンの志向を想定していた私には驚きの音楽だった。

ブラン・ヴァン・ヴェルデについての情報

https://en.wikipedia.org/wiki/Bram_van_Velde

註:本論の初出は、G-Modern誌 vol.13 1996 Autumnです。


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アバター

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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