デレク・ベイリーを論ず(2) 金野吉晃
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text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
0.若気の至り
十年も前になるが、ジョン・ゾーンのゲーム化された音楽の論考を通じて、即興演奏という問題にけりをつけたつもりでいた。
苦労した文章だったが、その結論は実に浅はかだったと思う。
「即興演奏とは空間に儚い絵を描く事だ」
「人間の有限性が、一瞬のうちに無限を垣間みることを希求する」
「即興は不可能性である」
こんなところだ。思春期を引きずっているかのような甘いペシミズム。
しかし、本サイト編集長、稲岡さんから「デレク論を書いてみないか」というお誘いがあり、片付いた筈の即興論とは別にモノグラフを書くのも良いかもしれないと思っていた。また今年になって、伝記的映画の上映も相まってビル・エヴァンスについて話してくれという要請が地元ラジオ局の番組からあった。当初全く、この二つは交叉する事のない話題になるだろうと考えていたが、豈(あに)図らんや、2人の演奏方法論の根底にある問題意識には大きな相違がないだろうということを発見したような気がする。
それはあくまで私の直感である。入念にこれを立証しようというつもりではない。ただ、40年程、即興演奏、フリーミュージック、フリージャズ、そしてあまり顧みられない幾多の音楽様式を聴き続けた者の感慨としてお読み下されば幸いである。
1.間章の呪縛
間章の死後4年後に出版された著作集「時代の未明から来るべきものへ」(イザラ書房刊、1982)に、彼が小杉の言として書いている
『二十世紀の末期は北半球の音楽と南半球の音楽の対立によって面白くなるだろう。それはそしてインド音楽とアルゼンチン・タンゴとの闘いとなるだろう』
これは何を意味しているのか。
間は続ける。
「…それは汎リズム的ヴァイブレーションと逆立ちしたシニカルでどぎついビートとが、どこでどう切り結んでどれだけの性格破産を、修羅場を生みだしてゆくかという関心として浮かんでくる。このことは直接的にフリー・ジャズの問題であり得る。」
この間の注釈は不可解さと生煮えなものが混在している。ある意味、私のデレク・ベイリー論はこの未完成な料理を、もう少し食せるものにしたいという欲求からきているのだ。
何故アジアや中南米の演奏家が、特定の旋法や調に依存した音楽、あるいはリズムの定量化にこだわるか。それは私が聴いてきた、いわゆる「フリーミュージック」の中では排除されてしまった要素でもある(サンプリング素材としてを除く。ゲッベルス・ウント・ハルトのような「京劇」演奏もまた特殊だ)。しかし其の事はとりもなおさず、フリーミュージックが西欧音楽の発達乃至鬼子として生まれた証左でもある。
旋法やドローンへの依存、あるいはリズムの可変性。それは伝統的な大衆音楽のなかにある「持続的な即興演奏」の様式と関係し、西洋音楽、とくに作曲上の技法から排除されてきた問題である。
極端な言い方をすれば「何故インドやフィリピンやブラジルにデレク・ベイリーが出現しないか、はたまた韓国でジャズがうけないか」という疑念にもなろう。
即興演奏という問題系の全体性。そういう言い方自体を憚られる気持ちがあったのだが、ようやく見えてきた。決して上述した地域で即興演奏が無いということではない。むしろある見方からすれば発達しているとさえ言えるのだ。
コルトレーンの演奏が長くなっていったことはインド音楽の影響と考えてもよい。具体的には、彼が私淑したラヴィ・シャンカールに代表されるヒンドゥスタニ音楽、古典様式のシタール演奏にその源を求める事が出来る。
インド古典音楽は基本的に、主なる奏者(例えばシタール、タブラ・バヤ、歌手など)の即興演奏(歌唱)の展開を鑑賞するものである。
その演奏は、旋律において「ラーガ」、拍節において「ターラ」「ガット」という複合的な形式の選択によって規定される。その枠内での自由な展開かつ演奏者同士の掛け合いである。
それら形式は、思想、信仰、風土、感情、時間・季節など、ナチュラリズム、神秘主義、精神主義が支える、基本的に口承伝承として伝授される。
こうした形式は、アラブ世界の伝統音楽では普遍的であり、マカーム、ダストガーハ、タクシームなどとして各地域に見られる。そして曲名ではなく「〜のラーガ」「〜のダストガーハ」といった呼称で、テーマやライトモチーフがあるのではない。
重要なのは、その形式の中で長時間にわたる即興演奏が展開され、演奏家の技量が評価されることである。この事情はジャズに良く似ている。
コルトレーンは、即興の展開の方法論をインド音楽に感じたことから、逆にスピリチュアリズムへの傾倒を強くしたとも言えそうだ。
既にここには延々たる即興を可能にするシステム、方法が、旋法(といってもよいだろう)として存在していた。しかしアラブ世界以外にそれが無かった訳ではない。
端的な好例はジャズや、現在の音楽文化の基盤のひとつたるブルーズである。閉塞感の中の自由というか、今日世界が終わろうとまあ、呑みながら歌え、かきむしれというペシミズム、ニヒリズム。
またこうしたパッション昇華と娯楽の根源を持った音楽としては欧州各地の舞踊系音楽もそれに通じる。クレズマー、ポルカ、ホロ、コロといった形式は同時にダンスの形式でもある。
ロマ系の流れを追えば、やはり歌と舞踊を伴ったフラメンコもそうだといえる。
また身近にも、津軽三味線の延々たる即興がある。これも本来は歌と舞踊を伴っていた。
自由な即興への欲望は、通常の歌曲や楽曲ではできない。繰り返される舞曲ならば比較的容易に得られるだろう。
テーマと変奏という方法は西欧音楽の発達のなかでよく用いられた。
キース・ジャレットは、古風な旋法による変奏を用いることを発見した。コルトレーンが「シーツ・オブ・サウンド」だとするなら、ジャレットはそのシーツに刺繍する、あるいは型染めをすることで、無制限の延長を獲得した。しかしこの方法は、ある意味で「ミニマル・ミュージック」に似てくる。
2.デレク・ベイリーの座標
無限の即興を可能にする方法はまだある。
それはいわば近代音楽の閉塞感と、大衆音楽の商品化、パッション、マンネリズム、手垢の着いたクリシェ等をともに超越するものとしての「無調性」である。
しかし、何故、私は何度も、無限の、無制限の、延々たると書かねばならなかったのか。それは即興演奏の本質的な問題に関わるが、言ってしまえば、即興演奏が長時間に及ぶ必要はまったくない。
今回はその考察に触れないでおくが、ベイリーの事例を書き進める事にしよう。
デレク・ベイリーは、ソロでは決して長い演奏をしていない。その短さはヴェーベルン流とも言える。あくまで撰んだクリシェ、イディオムの排列。それが彼の即興演奏だった。
単にクリシェ、イディオムの排列というだけなら、名だたるジャズの名手らの即興もそうであるといえる。
しかし彼らとベイリーが違うのは何か。
たとえば、ジャズを殆ど聴いた事のないような人を連れてきて、バードとリー・コニッツを聴かせたとしてもどれだけ差異を感じるだろう。ビル・エヴァンスとケニー・ドリューでもいい。
しかしジム・ホールとベイリーを比較した場合、両者が明らかに異なる文脈にあることは、誰にでも容易に感得できるだろう。それはモーツアルトとシェーンベルクの差異を感じる事に等しい。
即興演奏、大衆音楽、あるいは芸術一般でもいいが、殆どの作品は相互引用の構造物であるといっても過言ではない。
極端にいえば、平均率では音は12個しか無い。しかし、その組み合わせ、配列、重ね合わせは無限である。それは言語と同じことだ。
つまり現前に瞬間毎に新たに生まれる物事は、結果的に相互引用のコンプレックスであり相似することは逃れ得ない。言語と同じく使われるシラブルは限定されるが表現は無限であり、自律的に変化して行く。通時的、共時的につまりこの意味で、即興は、完結しているが無限であるシステムの表現であり、人間の生み出す記号を保証とした体系の特徴に即しているといえる。
その相互に相似する表現形を、いかに従来の文脈から外すことが可能であるか。それが革新性となる。
それが作曲技法においてはアルノルト・シェーンベルクの、フリージャズにおいてはデレク・ベイリーの葛藤であった。
3.方法論と可能性
前回のデレク・ベイリー論をお読みになられた方に誤解してもらいたくないのは、ベイリーが12音主義やヴェーベルンにかぶれたとか、其の方法をそのまま用いたという訳ではない事である。
ベイリーだけでなく多くの、ミュージシャンが新ウィーン楽派に学んだ。サード・ストリームの連中もトリスターノ一派も、それを無視は出来なかった。ただ採用しなかっただけだ。
新ウィーン楽派の総帥であるシェーンベルクが、不特定多数の聴衆など必要としないといい、サロン内で、理解しようという耳のある聴衆だけに訴えかけようとしたように、新しい音楽を創造しようというときに決して新しい聴衆がついてくるわけではない。スティーヴ・レイシーや吉沢元治のソロコンサートで聴衆が一人だったことがあるのは夙(つと)に知られている。私の経験ではゼロもあった。
新しい即興演奏の展開の為の方法論の模索は多くのミュージシャンがしたことだ。
例えば、それをハーモロディクスと名付けたオーネット・コールマン。実際の演奏以上に、それを名付ける事は革新的だ。
オーネットは活動当初からダブルカルテットを実験し、その果てに複合的コンボとしての<プライム・タイム>を結成した。楽曲としての「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」は、彼の演奏理論「ハーモロディクス」を最も具現化しているように思う。
残念ながら私には未だに良く見えていない。理解できなくても、ある法則、理論、モデルが存在する事は感じ取れる。ハーモロディクスが彼方の銀河系の、その中心にあって渦状運動を形成したブラックホールであるかのように、オーネットの音楽の力動性を形成している事はわかる。
ビル・エヴァンスが70年代の初期に、シェーンベルクの12音主義を(決して気まぐれではなく)追求してみようと思い立ったのは残された録音で分かる(”T.T.T.”そして”T.T.T.T.”を参照の事)。あるいはその前後、旧知のジョージ・ラッセルからの理論的影響もあったかもしれない(この時期、エヴァンスはまたラッセルに接近していた)。しかし彼は、やはりそれを採用しなかった。私にはそれが大変惜しく思える。
そしてベイリーは、シェーンベルクの方法を突き詰めたヴェーベルンの音楽の響き、方法、その形式を、まるごと引き写すのではなく、自分の即興演奏意識に埋め込んで成長させた。
4.ジャズとギター
私がベイリーを聴き始めたのは1975年、18才だった。
それは間章には全く関係がなかった。引き合わせてくれたのは、マル・ディーン(トロンボン奏者でもあり<コーリアン・ウォー>というアンサンブルにもいた)のイラストだけが描かれたインカス9番のジャケットだった。この素晴しい、英国風のクラシカルな、しかもシュールな絵柄に大いに期待した。
そしてそれは見事に外れた。
全く理解できない音楽を聴いたのは初めてだった。
それから3年後にはベイリー・フリークになっていたのだが。
98年の、再結成された<ジョセフ・ホルブルック>を聴いて、全く感激が無かった。
逆に20年遡り1978年のベイリー初来日時、仙台のジャズ喫茶で録音されたソロは実に今でも新鮮なのだ。
67年までのベイリーの経験にジャズとヴェーベルンのアーカイブがあり、テーマも枠組みも共演者もなしで延々と即興を演奏し続けるという意志があった。
彼は自らの二つの影と戦わなければならなかった。ひとつはジャズであり、ひとつはギターだった。
二つの光源によって二つの影が生まれる。
ジャズという光源はアドリブ、即興演奏に重きを置く調性音楽である。それに向き合うことについては、ヴェーベルンという盾を見つけた訳だ。
ギターという光源は、ベイリーが生活する為に選んだ職と結びついている。
そこにはまた二つの音があった。アコースティックとエレクトリックである。
現在ではアコースティックであってもピエゾ・ピックアップ等で増幅される事は珍しく無い。というかそれが普通である。
しかしベイリーが演奏を始めた頃には、アコースティックギターの音を外部のマイクで拾うことのほうが普通だった。ベイリーはこの方法を好んでいた。
間章に捧げた作品「アイダ」はこの演奏の傑作であろう。
エレクトリックギターはボディやアンプのボリューム、PAの調整をすればいくらでも音が大きくなる。しかしある条件では、ギター本体とアンプの間でハウリングを起こす。これをフィードバック奏法という形で演奏に取り込んだのはロックギタリスト達だ。
ジャズでは、ソニー・シャーロックが嚆矢と思っていたが、ジョセフ・ホルブルックの聴衆に依れば、ベイリーもまたフィードバックサウンドを持ち老いる事には躊躇しなかったようだ。
もともとジャズギターでは演奏中に音量を極端に増減させる必要は無かった。アコースティックでもエレクトリックでも、ジャズギターはリズム隊の一部であったからだ。
ギターのような撥弦楽器の宿命である、弦のアタックから自然に減衰する音量を自在に変更するボリュームペダルと、ピックアップ由来の電流を歪ませることで、持続音を可能にし、アンプでの音質を変更するファズマシンいうエフェクターを用いて、ギターのサウンドをいかに変換するかが彼の即興演奏の特徴となった。無数のギタリストがそれを模倣した。
5.文化圏的視座
西欧音楽が旋法のセット音楽として出発しながら、音律の再構成によって移調を自由にできる調性音楽へと移行して行く一方、リズムの可塑性の忌避や、演奏者と作曲者の分離が即興性を減退させて行く
鍵盤楽器の優位性、音律の普遍化、作曲技法の発展(演奏より先に書かれる音楽)、大きな編成のアンサンブルと多数の歌手を同時に指揮者が制御する方法が19世紀末の後期ロマン主義までに完成された西欧音楽の特徴となる。それが印象派、ドビュッシーや、怪物ストラヴィンスキーによって綻び始める。蓋(けだ)しヴァーグナーは音楽家として評価されるべきでなく、古代妄想家(誤字ではない)として、まさに国家予算レベルの総合芸術を目指した。其の意味ではヒットラーに近く、死にゆく神々を描いた点ではニーチェに近いだろう。いずれ、これもまた「西洋の没落」だったのだ。
其の歴史に対して一つの演奏の中で移調することなく厳密な規則に則った旋法を守りつつ、主要楽器(そして声も)の即興的展開とリズムの限りない複雑化を、それぞれの演奏者の技量に依存する音楽文化があった。いや、その当事者達はそれを「音楽」という抽象化した技芸とも考えていないのだ。
この文章の前半で、<極端な言い方をすれば「何故インドやフィリピンやブラジルにデレク・ベイリーが出現しないか、はたまた韓国でジャズがうけないか」という疑念にもなろう。…決して上述した地域で即興演奏が無いということではない。むしろある見方からすれば発達しているとさえ言えるのだ。>と書いた。
これは基本的に「書かれる事が無い音楽」だった。現在では、西欧音楽理論、音律学的にも、分類し、記述し、再構成し、現地人達もそれを用いる。のみならず録音技術、サンプリングは「民族音楽/民俗音楽」という概念を無化しようとしている。
シタールを学んだ友人が教えてくれたこと。
「こんな便利なものがある」と、ネット上でとりあえず12個ほどのラーガのそれぞれの、タンブーラ(伴奏専用の弦楽器)によるドローンだけが延々と鳴るサイトにアクセスできるのだ。それを流して演奏者はインド音楽的な即興を演奏、学習できるという訳だ。
また一方、アフリカのある地域の部族集会の録画で、不思議なサウンドを聴いた。よく見るとデジタルシンセとして有名なヤマハDX7を2、3台もつかっているのだが、その使い方がすごい。必要な音の鍵盤だけに板を括り付け、両手に持ったスティックで其の板を叩く。つまり完全に自分流の打楽器にしてしまったのだ。
70年代に、ベイリーに大きな影響を受けて登場したギタリスト、ヘンリー・カイザーはマダガスカルの多様な音楽文化に魅せられ、デヴィッド・リンドレイと一緒に現地ミュージシャンと共演しているが、そこでは全くベイリーの影は潜めている。
西欧音楽の特徴として、記譜/作曲理念の先行、即興の相対的減衰、音律の固定化、移調を容易にする調性音楽としての優位と言った事が挙げられるが、それを象徴するように鍵盤楽器の発達、とくにアタックを表現できる打楽器的性格を持つピアノフォルテは象徴的存在だろう。
それ以外の文化圏(もはやそんなものがどれだけあるのか、ここでは問わない)でも鍵盤楽器や旋律打楽器も用いられるが、あくまでシーケンス・パターン、リフレイン、オスティナートの受け持ちが大きい。しかしそこでも、即興は生きている。弟子の奏する一定のパターンの上で、マスターが自在に即興をしてみせるような事例は多々ある。
また主要楽器も伴奏楽器も複雑な倍音成分を含む織物となるような表現であり、それはイディオム、クリシェのプール、セットである。ただしそれは厳密なルールに基づいていて、容易に逸脱を許さない。
またそれらセットは、師や伝統体系からの伝承であり、例えば津軽三味線ではそれを「手」という。自立した演奏者は伝承の「手」の総体に新たな、オリジナルの「手」を加え、それはさらに子弟や、周辺の演奏者に用いられる。
また大事な事は、こうした意味での即興が、歌い手の感情発露、意思表明としての歌詞創作や、それを支える文化圏での種々の機会に期待される舞踊、舞踏、ダンスに結びついているのだ。
そうした意味で、世界のあらゆる地域で、即興は日々展開する。
デレク・ベイリーは、西欧音楽の理念的発展と、抑制しがたい即興性の葛藤の間に出現し、その「引き裂かれた音楽」を他の誰よりもそれを如実に示している。(未完)
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前号の論考を読んだ友人、GESOからもらった重要な意見を付記したい。掲載については本人の許可を得ている。
・彼(ベイリー)は非西欧音楽にも興味を抱いて聴いていたが自分のギター演奏は敢えて西欧音楽の範疇に留めおいたのではないか(ある種の禁欲主義).
傍証:調弦は常にオーソドックス.
・ リズムや音色の変化は追究するが音列自体は12音の範囲にあり微分音にまで拡張しない(ヴェーベルン音列技法の即興演奏への応用).
・ ヴォリュームペダル・ハウリング・ディストーション等による音量と音質の変化領域の拡張は行うがチョーキング・トレモロアーム・ボトルネック等による音列の変化領域の拡張は行わない(微分音の不使用).
・ 後者の奏法を避けた理由にはブルーズやロックのイディオムとの紐付けが強すぎることもあったかも知れない.
・ ギター以外の楽器(クラックルボックス等)や声の使用に際しては音列を制約していない.
(金野注:クラックルボックスとは、ミシェル・ヴァイスヴィッツの製作したタッチセンサー式パームトップ・シンセサイザー。VCS3もソロアルバムで使用している)
・ 彼のギター音楽を微分音にまで拡張した即興音楽があるとすれば「感情や神への祈りを排除したラーガ」のようなものになるかも知れないがそれは通常のギターでは演奏し得ないだろう.
・ チョーキング等のポルタメントあるいはグリッサンド奏法の主目的は微分音を顕すことではなく12音中のある特定の音から別の特定の音――その音程は技法により半音~1オクターブ以上に及ぶ――に移動する際の「経過音」の面白さ/快感を演奏者自らと聴衆にもたらすことなのではないか.
・ 情緒を伴うことからベイリーにとっては即興演奏上の夾雑物という点でも排除の対象だったのかも知れない.
・ 西欧の弦楽器で12音よりも細分化された音階を演奏するためにはフレットの数を増やすか逆にフレットレスにするしかないと考えられるが通常のギターを改造してそれをやれば操作性に問題が生じよう.
・ フレットを増やせば指板の間隔が狭くなるので演奏しにくくなるしフレットレスにすれば個々の音を持続させたり音に残響を付加することが難しくなる.指ではなく弓を使う奏法も考えられるがそれであればヴァイオリン(族)を演奏したほうが手っ取り早い.
・ 通常よりも大きめな多フレットの改造ギターを開発することも考えられるが誰か実際に作った音楽家はいるだろうか?
(金野注:ハンス・ライヘルは、独自のフレットレスギターや、手持ちのフレットという装置も開発していた。)
・ 微分音に拘るのであればギターよりもフレットレスベースを演奏するほうが手っ取り早いがそれぞれの楽器には合奏上の役割分担(担当音域等)があるのでベースがギターの「代わり」になれるわけではない.
・ 音階を細分化しても切りがない.また細分化にも限界があろう.個々人の音程識別能力(聴力の分解能?)や民族的・文化的背景の影響等様々な要因によっても制約を受ける筈だ.
・ 西欧音楽における音階は長い歴史を経て12音に「整理」されたがアラブや中東の音楽においては今でも四分音以下の微小音階が生きている.
(金野注:それを採用、乃至選択してきたことと旋法音楽として発達する事は関連性がある。西欧音楽でのミニマリズムかつ即興を発展させたテリー・ライリーのような事例を参照)
・ ポピュラー音楽においては世界的に西欧の12音階が主流化している.これは西欧の文化支配力が強かったせいであろうが音列の構成が単純であるほうが受け入れられやすい向きもあったのではないか.ただし支配力が強いことと、普遍性とは別の概念であることに留意が必要.
デレク・ベイリーを論ず(2)
https://jazztokyo.org/column/special/post-40400/