デレク・ベイリーを論ず(5)

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text by Yoshikai onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

1.音楽と批評
フランク・ザッパの評伝を書いた、ベン・ワトソンの著書「デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語」は賛否両論があるが、私もちょっと、その冗長さとワトソンの我田引水に辟易するものを感じた。しかしベイリーへの長時間インタビューを核として構成し、関連アルバムなどの参照も、資料的には貴重な本でもある。
私が感想を英国、即興演奏の老舗レーベル「エマネム」主宰者、マーティン・デヴィッドソンにメールしたところ、とんでもなく長文の批判が返ってきた。要するにワトソンは肝心な事を知らないというのだ。まあそれを言い換えれば、「デレクについて書くなら、何故、英国即興演奏の歴史の生き証人であるこの俺に聴かないのか」とでも。
彼は様々な事を書いているがそれを全てここに上げる必要は無い。
ただ、ベイリーのキャリアの中でも忘れられないトリオ『イスクラ1903』(ポール・ラザフォード、バリー・ガイと)の名の由来について、マーティンは面白いことを教えてくれた。
「単にレーニンの新聞の名前じゃない。あれは1900年代の3人によるグループの意味だ」という。なるほどそれなら『イスクラ1912』もよくわかる。
イスクラの要、ポール・ラザフォードの存在は重要で、ベイリーも非常に高く評価している。トロンボーンを解体しながら演奏するのは私も、1998年、盛岡ライヴの際に目にしたが、まさにこれを脱構築といったら冗談に聞こえるだろうか。
蛇足ながらラザフォードのトロンボーンは、遺言によりキューバに送られた。

ヴァルター・ベンヤミンは、批評というのは一種の暴力であるといった。それは対象に極めて肉迫し、その本質を抉りだし、解剖台の上に並べて再構成するが如くである。もちろんそれは対象が人間であれば、組織や内蔵を並べて「さあ、これが分析された人間だ」と言うのは無意味である。そして「人間は肉の塊にすぎない、というだけで済まないのは何故か(カフカの問いをパラフレーズ)」を問う事だし、それは勿論「そこに生命が宿っているから」ということになる。だから否定的に「そこに生命が無いが故にこれは肉の塊である。しからば生命は一体どこにあったのか」を問い直すことになる。肉を演奏に、生命を音楽に置換すれば、また議論が続けられるだろう。

文芸批評家中村光夫は「批評がまず求めるのは、時代の美の理論であり、批評家の希いは、その理想を制作の規範として同時代に生かすことです」(「想像力について」所収「批評の使命」)と書く。
この文自体が1950年代、昭和30年代中盤のものであり、そこから半世紀以上が隔たっている。しかしベンヤミンが批評活動したのは一世紀前の話である。
それでもなおかつ我々は死者の音楽を聴き、ベンヤミンや中村を仰ぐ者である。中村が書いた「時代」「美の理論」「理想」「規範」という語には抵抗をもたれる方もあろう。文脈から切り離して一文を引用者の都合に合わせるのは極めて危険で、法廷がメディアを証拠採用しないようなものだし、文芸批評をそのまま音楽に当てはめるなど無意味だという見方もあろう。
しかし敢えて強引に「人間が制作する何か、想像力の所産、其の結果残る記録や物体や情報という視点」からすれば、音楽も文学もさほど変わりはないのである。
バッハは古い音楽だから現代的な意味は無いというのであれば、バードもエリントンも廃棄してよい。どこからが「同時代」であるかの線引きなどできないのだ。我々が出来るのは主観的なタイムスパンを設定し、しかもそこからはみ出した情報、データをも拾い上げつつ「時代」を記述する事である。

2.再びロゴスの問題
これまで、即興演奏の無調化、ノイズ化傾向と、それを再構築する支えとして文学、物語性、イデオロギー、宗教といったロゴスの回復があると論じた。
そこに幾つか重要な事例を追加しておきたい。
まずは、AMMを主としてリリースしている「マッチレス・レコーディング」のシリーズである。そこにはAMMの当初から変わらぬ主宰者エディ・プレヴォーの過剰なまでのある種難解とさえいえるテキストが添付されている。
AMMについては以前、カーデューとの関係も含めて、「Gモダーン」誌上に論考を連載したが、いずれ改めて論じたい対象である。
彼らが何故半世紀に亘り、独自の即興演奏を継続し、またある意味では電子音による即興〜ノイズ・ミュージックの先駆者とも見なされるか、彼らの思想的背景、無調の即興を支えるロゴスを詳しく知る必要がある。
プレヴォーとベイリーのデュオもまた、ほとんど交叉しない彼らの路線が一瞬交錯した貴重な記録である。印象で言わせてもらえば、互いに非常に高度な技術を駆使しつつ、意外な程あっさりした演奏に終始する。同じ部屋の中をぶつからないように、歩き回っている2人。
そしてまた、現代音楽の分野ではトロンボーンのヴァーチュオーソとして知られ、即興演奏集団「ニュー・フォニック・アート」を主宰した、ヴィンコ・グロボカールの方法である。
ニュー・フォニック・アートの即興は、相互の対応パターンを事前に決め、それ以外を用いない。そして演奏後に「聴衆と討論」して次の演奏を開始する。極めて直裁な方法である。これだけでもグロボカールの言語中心主義がみえるが、その後の彼の作品では、言葉や声を多用する傾向が見られた。確かに、歌ではない(言葉としての)声もサウンドではある。
ルツィアーノ・ベリオ、ルイジ・ノーノ、ジョン・ケージなどの作曲家、そしてキャシー・バーベリアン、ローリー・アンダーソンらにも通じる問題である。一般論と言えるか難しいが、女性の音楽家は(自らの)声を通して独自の方法論に達する例が多いように思う。
戦後のアカデミックな作曲領域で重視され、後にはカーデューに「帝国主義者」と批判を受けるカールハインツ・シュトックハウゼンは「直観音楽」という方法に達したが、それは短い言語テクスト自体が楽譜として与えられるものだった。彼自身はそれを即興演奏とはみなしていない。
調性を脱した音楽家達はことほど左様に言葉への信頼を表明する。音楽の可能性を、そして存在意義を、言葉が支えているかのようでさえある。

3.登頂、そして下山
イディオム、クリシェを、日本の伝統では「手」ということが多い。
「手」を沢山持つ事は上達を意味するが、それ故いつか自分の「手」に倦む事もあろう。形に入りて、形を出よ、とは古人の語る極意である。
伝統的音楽様式で即興を行う者ならいざしらず、非イディオマティックと自他ともに認める演奏家が「手」を持つというのは矛盾に聞こえるかもしれないが、決してあり得ない事ではない。それはそういう傾向の演奏を多数聴いてくれば分かる事だ。
自分の「手」を批判的に解消して行く事、如何にしてそれを克服するべきか。共演あり、電子的手段あり、指揮するもあり、作曲への移行もありうる。他のジャンルとの共同作業もあろう。
ヴェーベルンを自家薬籠中の即興手段とすること、エレキギターにおけるサウンドの変容という「手」に達したベイリーは、しかしそこでそれを脱する事を考えた。いや。そうしなくてはならなかった。彼は登頂を達成した者のように下山して来なければならなかった。そして登頂よりも下山の方が危険は大きいのだ。
吉沢元治は、ベイリーの演奏が変化したことと、それが多くの多様な共演者との共同作業を開始できることに繋がったと話している。
田中泯のような舞踏家、若い世代、黒人ミュージシャン達、タップダンサーDJ系との共演は、驚きを持って迎えられた。
いくつかアルバムを挙げたいが、J.タクーマ(b)、C.ウェストン(dr)とトリオ「ミラクル 」は最良の成果だと思われる。
しかしまた、常に好ましい結果が得られる訳ではない。空疎で不毛を感じるアルバムも幾つかある。

https://www.discogs.com/de/Derek-Bailey-Pat-Metheny-Gregg-Bendian-Paul-Wertico-The-Sign-Of-4/master/318348

https://www.discogs.com/de/The-Thirteen-Ghosts-with-Derek-Bailey-and-Thurston-Moore-Legend-Of-The-Blood-Yeti/release/770426

くどいようだが、間章は「この旅に終わりは無い」と書いた。これは後に編集された彼のジャズ論集のタイトルになった。その意味する所は、彼の愛したルイ・フェルディナン・セリーヌの小説『夜の果ての旅』等に感じられる一種のパセティックなロマンチシズムである。しかし音楽は、演奏は終わらざるを得ない。「終わらない音楽」というものがあるとしたら、それはユートピア、すなわち時間の流れない次元の観念である。
あるいはそれを終わりの無い煉獄に例えてもいいかもしれない。つまりそれは自動機械の音楽、死後の、いや生命外の音楽だ。ここでイメージする自動機械はAIではない。AIは一種のプログラムであり、その演奏、音響発生の実体は別個に存在する。であるから、エオリアン・ハープのような音響彫刻を考えてほしい。この種の自動機械は永久機関ではない。
自動機械の作動には外部からのエネルギーは必須である。そしてまた自然力に依る音響彫刻でもあろう。それはいつか廃れ、こぼたれ、破損する。

即興演奏を、何故、どこで、いつやるかということが問われる。そしてもう一つ重要なのは「演奏を終わらせるモチベーション」である。
さて、このモチベーションはAIにあるか。即興演奏という言葉を「人生」に置換すればどうであろうか。
人生は瞬間毎の即興である、という言い方はよくされる。「生きること、生き続けること」が「即興演奏を続けること」と等価に見なされるだろうか。
ミシャ・メンゲルベルクも、インタビューにおいて「ここから、あそこまで、二歩でいくか三歩でいくか決定するようなものだ」とも言った。
ここで「持続する」というモチベーションを想起してみてほしい。ヒンズー神学から言えばヴィシュヌの役割だ。
持続するということは「終わらせるモチベーション」の補完的な意志だ。ヒトは産まれるモチベーション、生を始めるモチベーションは持ち得なかった。しかし生きる、生き続けるという持続のモチベーションを持つことはできた。
では終わること、すなわち死へのモチベーションは持てるだろうか。
演奏を終わらせる事が、音楽を死に至らしめることと混同されてはならないだろうが、音楽がひとつの生、生=即興ということが言い倣(なら)わされている現状、そして現状を維持するために社会システムが作動している現実に対して、「即興演奏を終わらせる事、終わる音楽としての即興演奏を提示する事」はひとつの意義があり、異議申し立てにならないだろうか。
ひとつの生の終わりは決して不毛ではなく、再生と復活、新たな生への必然的過程である。破壊せよと言ったのはアルバート・アイラーなのだろうか。ヒンドゥーの最高神格の一つ、シヴァは、破壊の神であると同時に再生を司る。世界はシヴァのダンスであるとも言われる所以だ。

現代の世界は、特定の宗教や信条などに頼る事が困難だ。民主主義も人道主義もある意味でイデオロギーとして相対化される。価値観の乱立、世界観の多様化、文化侵略と、様式混淆と、テクノロジーの先導。
それはとりもなおさず、寄る辺無き現在と、不確実な永遠、終わりの始まりという逆説のイメージ、ベンヤミンの「後ろ向きに飛ばされて行く天使」を思い起こしてもよいだろうか。

4.音楽史の折返し点
勿論ノイズにも電子的、非電子的の区別があるが、どちらにせよ現前化するには他の音楽よりもさらに電子的デバイスへの依存性が高くなろう。それは増幅や、接近したマイクロフォンや、サンプリング、編集が用いられるからだ。
しかしまたサンプリングを多用した即興のつまらなさは何に由来するのか。単位の繰り返し、変相、変容の容易さと安易さの所為か。不確定性や予期せぬ展開が、ありきたりの蓋然性、想定内に終わる。
現代の芸術において、画像でもテクストでも音響でも、原データの集積があり、その読み出し、編集、改変によっていくらでもヴァージョンが産まれる。活版印刷、活字の発明は最初のテクストデータなのかもしれない。木版画の版木もそうだろうか。いや、古くはバビロニアの円筒型印章がある。これは後に指輪に形を変え、その印章自体が権力の象徴となった。西欧において指輪が様々な物語の中で重要な存在となることは、ハリーポッター・シリーズや、「ニーベルングの指輪」を挙げるまでもなく知られるところだ。
印章の意味は興味深い。印章による印字、印象はオリジナルが存在しないのではなく、毎回オリジナルが出現する。それが権利の保証となり、権力を生む。そしてまた印章とその印象は鏡像関係である。
勿論レコード製作の過程も、メタルマザーとプレスされる盤が、印章と印字の関係にある事はご存知だろう。
なんのことはない、遺伝子生物学的現象でさえそうである。複製する度にオリジナルが生じる。これをエピファニーと言ってよいだろうか。

エヴァン・パーカーは即興演奏の練習方法として、実際にやってみること、それについて考える事の二つしか無いと語った(デレク・ベイリー箸「インプロヴィゼーション〜即興演奏の彼方へ」第九章)。
やってみれば前者と後者に大きな距離があるのは誰しも感じるだろう。それを埋めて行く事は意志でありモチベーションとなる。では合致すればモチベーションは消えるか。そう思うのはあまりにも自動的というか本能的というか生物的反射である。

大衆音楽において、商品化された音楽家の価値は、いかに大きなイベントに多くでたか、どれだけのディスク、ソフトを売り上げたか、その見かけ上の大きさで計られる。
デレク・ベイリーはメールスには出たが、ニューポートにもモントルーにも出ていない。もとより大きなフェスティヴァル的な企画に気持ちが向かなかったのだろうが。それは探求する者に不要な煩雑さでしかない。
彷徨する演奏家達は辻音楽士として、楽器一つを携えて生き続ける。終わりある旅を行く。
国家予算、国家的支援による演奏の場の形成、国家予算で作る音楽、劇場全体が楽器。こうした権力装置に直結した音楽がある。ヴァーグナー、クセナキス、ペンデレッキ、ブーレーズらを想起してほしい。国家とは人間を支配するシステムに他ならない。はたして国民とは生命と財産を保証された存在なのか?
それに対抗する辻楽師、旅芸人としてのジャズメン達を想定するのは自然だろう。そして彼らが国家から何らかの顕彰を受けたり、あるいは助成金を申請したりという状況をどう考えるかは個々人に任せよう。

間章は、ベイリーを過剰なまでに、史上最重要な音楽家として紹介し、また田中泯も彼を招聘してツアーをした。サブ豊住もまた彼を呼んだが、ツアー途中で背中の痛みを理由に帰国してしまった(実は私も盛岡でのライブを企画していた)。
JT掲載のインタビューでは、日本での体験をどこか皮肉混じりに語っているが、彼をリスペクトしてくれる一方で、何かと気ぜわしい、また縄張り意識のある国民性、まさに湿った風土は決して居心地が良かった訳ではなさそうだ。
20世紀後半の芸術は、あらゆる分野でサンプリングという魔物が徘徊した。
かつては引用とかコラージュとかアッサンブラージュという用語、あるいは日本の伝統詩歌では本歌取りなどと言われた技法は、基本的に同じ概念に基づく。そしてこれが発展して行けば最終的には、作品は「引用の織物」として成立する。その傾向は大衆音楽には1900年代初頭から顕著であった。その理由は、大衆音楽は消費の早い、そして突出した独自性を一斉に模倣する傾向が強いからである。
そして美術はマスメディアの発達、写真、雑誌、映画の影響がすぐに現れた。戦前はパピエ・コレ、ミクスト・メディアによる美術と、商業美術、出版メディアでの写真技法の発達が顕著であったが、戦後60年代になりポップアートが同時代人の意識を変革する程の影響力をあたえた。これはアニメーション映画の流行、漫画雑誌、写真雑誌、そしてテレビ放送の影響が大きいだろう。
音楽もSPからLPの時代に移行し、あらゆるジャンルで、スタジオでのミキシング、マスタリングが音楽の質に、録音以上の影響も持つに至った。
80年代以降は、サンプリングは、ポストモダニズムとして建築で先鞭を切り、音楽ではシンセサイザーとコンピュータの能力拡大が、ハウスミュージックを出現させた(『増補 シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』ちくま学芸文庫、2001年。単行本は洋泉社、1991年)

こうした歴史の中でベイリーが、その潮流に乗らず自らの方法論を育てた意義は大きい。
しかしそこでも、毎日、レコードからコピーしたヴェーベルンを聴きつつ、採譜していたというのは、テープ・レコーダーという複製技術のひとつの成果に依存した事も忘れられない。JT掲載のインタビューにも、自らの演奏を録音したテープを流して演奏した経験を話している。
またインカスというマイナーレーベル設立も、音楽産業の一角にフリーミュージックの橋頭堡を作ったという意義がある。

5.The gentle harm of artists
ベイリーの仕事を、何人かのアーティストに比較して論じるのは、それなりに意義のある事だと思う。
例えば画家セザンヌの仕事は、画家であるが故に最後まで個人作業としての絵画、「イメージ」対「想像力」、「面」対「視覚」の戦いを追求した、固定された音楽を感じる。
彼が、ゴーギャンや若干の支持者達を得、また比較的経済的には安寧な生活を維持できたことが、彼を「絵を売って稼ぐ」という桎梏から解放して、絵画に静かな革命を起こした。
あるいはもう一人の画家モランディも、田舎に籠り、限られた愛好家にだけ理解される作品を延々と描き続けた。後半生、その作品はほとんど変わらない、自宅アトリエ内の静物画である。モチーフは全て自ら選んだ幾つかの単純な形態の容器、自ら作ったオブジェ、それらはあたかもセザンヌの言った、自然を還元した基本的立体の具体化である。そしてもうひとつは褪めた色合いの造花。
彼が対象の「生き生きとした生命感」だとか「手触りまで感じられるような質感」だとかなどを求めたのでない事は明らかだ。「遠近法、明暗、構図、立体感」といった詐欺を暴き、彼は視線の謎を、そしてそのエニグマこそが絵画の本質に近い事を知っていた。
セザンヌが、サント・ヴィクトワール山を繰り返し描いたのも、その存在感や自然の景観を写し取ろうとしたのではない。「10センチ移動すれば、別の絵が描ける」と言ったのは、絵画という虚像・仮象こそが(彼の思う)真実に通じる道であることを意味している。
彼らは理性的であり、決してアウトサイダー・アーティストのような孤立にあったのではなく、自ら進んで生と美の合致を、あるいは「理想を制作の規範として同時代に生かすこと」を求めたのである。
絵画に比較して音楽は、最初から具象ではない。
しかし音それ自体は常に具体的である。また飽きられるほど言及されたが、無音は存在しない。音量の極端に僅かな状態が、相対的関係で認知できるだけだ。音楽に空白は無い。演奏者の沈黙があるだけだ。
そして、恣意的な枠組みの中で演奏者(達)が完全に沈黙した状態を、音楽の終わりとして了解するだろう。その了解は、誰のものか。そして了解は、誰であろうと彼の意志に依るのだ。
「この旅に終わりは無い」というロマンに対して私は言おう、「演奏を終わらせる意志、それが音楽である」。(未完)

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金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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