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GUEST COLUMNNo. 260

デレク・ベイリーを論ず(6)

text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃

1.<プライドのようなものが見える。闘争の音楽を表現形とした、意志の疾走である。>
「私に逆らえ、私を強くしろ」
「不可能なことは私を引きつける。できることがすべて成された後でもがなされた後も世界は変わらなかった」
サン・ラーによる二つの発言(クリス・カトラー箸「ファイル・アンダー・ポピュラー」より)。
サン・ラーは決してフリージャズなどやろうとしなかった。彼は毎日届けられる、宇宙からのメッセージを地上の楽器で伝えただけだ。
それは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴが、フリージャズではなく、グレート・ブラック・ミュージックを演奏し続けたのと同様である。
アドヴァンスしたジャズ、それはまだジャズだろうか。

間章の呪縛を解いた気持ちで居るとまたぞろ、幽霊のように影が現れる。
デレク・ベイリー論など書き出したのが間違いだった。
間の頻用した語でも引くならば、あるいはロートレアモンなら「地獄巡り」とでも言いたくなる。いわば呪縛から脱するために敢えて、互いに信頼をおいた2人の間に割って入ろうということだったのかもしれない。しかしベイリーを軸にして即興演奏を語ろうとすれば、語る程、考える程に深みにはまる。
つまり、もう即興演奏なんてどうという主題ではないのだと言いたくて、それはイディオムとクリシェの集合に過ぎないと言い募っているのだが、それだけでは済まなくなる。
幽霊なんて妄想、幻覚ですよと否定した人間も、其の実、迷信、ジンクス、タブー、祟りなんて信じているのはよくある話。そして実際私もそうなのだ。
しかしここでは敢えて虚勢を張っている。それしかない。そうでなければ終われない。何度も終わる意志について、そして音楽とは演奏を終わらせることだとも書いた。この論考だかエッセーだかタワゴトも終わらせなければならないのだ。
(訂正を記す。間章の著作は『この旅には終りはない』であった。私は何度も「この旅に」と書いてしまった。お詫びを申し上げたい。)

イディオムもクリシェも、各個人の中にそれらは生きているが、言語と同じく、ある領域〜集団・社会〜文化の中でのみ有効である。
クリシェを、パロル〜イディオレクト〜個人の話法、癖、特徴と捕えるのは難しく無い。
各自の有するパターンのなかにはサウンド自体、音色もある イディオムはさしずめ、ラング〜ソシオレクト〜文法・語彙・音素〜共有されるパターン、楽音、音律としてもよい。

となれば、我々が論争に頻用した「非イディオマティックな」という演奏はひとつの虚構なのだろうか。
非イディオマティック即興演奏という概念は破綻している。それは「非イディオマティック即興」というひとつの括りの中にあるイディオムとクリシェのプールである。ここでは他の体系におけるイディオムやクリシェのほうが相対的に異端になるというだけである。異端というのが極端に過ぎるなら、引用される素材とでも言えば良いのか。

以前はよく、自由という概念の空しさを、水中を自在に泳ぎ回る魚が、水から飛び出して初めて自分の自由さを支えていた物が何であったかを知るという話に喩えて書いた。
すなわち自由とは、ある意味で束縛の別名だ。あるいは束縛に気づく事だと。
いまひとつ喩えてみるならば、私が自由に語りたい、文法も語彙も全てふり棄てて声を出してみる、あるいは何か図や記号を書いてみるという状況だ。
それはジャーゴン、言語サラダ、自動筆記、混沌の線に過ぎないだろう。そのままでは誰もそれを「表現」であるとは思わない。それは現象であり表出に過ぎない。
しかしまた「表現」であるから意味があるとは限らない。意味ではなくひとつの構成、構造、形式そのものとしての表現は可能だ。

例えば、素数を幾つか並べ、この数列だけを用いてリズム、ピッチ、音価、音量を決め、一つの作曲が可能だ。しかしこれは何も意味しないがエチュードとして存在できる。
オリヴィエ・メシアンはピアノ曲「4つのリズムのエチュード」(”Quatre Études de rythme”,1949-50)の第2曲「音価と強度のモード」(1949)で、そのような方法を展開し、ピエール・ブーレーズの3つのピアノ・ソナタはさらに徹底的に敷衍した。 https://www.nicovideo.jp/watch/sm8871358 https://ml.naxos.jp/album/00028947753285
もし「幾つか並べる」というときに、偶然性の選択を用いず恣意的に選択したならば、すでに作曲者の意志は反映されているのだが。
恣意性を排除しようと、例えばエリオット・シャープは「マルコ・ポーロの山羊」で、野性羊の角の巻き方における対数螺旋を曲の基本構造にしてみた。こうした例も枚挙にいとまがないが、作曲者の関心が動機となるのは否めない。 クセナキスの難曲「エオンタ」「ヘルマ」「エヴリアリ」などに達すると、音楽の生成において人間の恣意性をどこまで排除できるかという実験的かつ前衛的(この二つの概念は異なる)姿勢を見せた。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm3679621
しかし、一般に誤解されかねないのは、その作曲が決してコンピュータ任せではなく、演奏も機械仕掛けではなく、そのような手段を用いても、どこまで音楽家の意志を透徹させうるかという、「人間の弾ける最後の曲」を希求し、かつ達成したという点にある。
意志の徹底と音楽の生成における人間の介入排除という相反性を追及したのはセリエリズム一派のみならず、ケルン電子音楽派にも明瞭だ。
この矛盾、いや葛藤こそが彼等の後裔達〜テクノやDJやヒップホップまで含め〜の音楽発展の原動力になるのは皮肉、いや当然であり、実に「人間的、あまりに人間的な」といえよう。
彼等先達の音響そのものには何の意味も情緒も無い、しかし圧倒的な表現の意志がある。
意味ある表出は「表現」である。しかし其の逆は成り立たない。
人が対話して語り合うとき、ほとんどの発語は「意味の無い表現」であるといっていい。無意味な発語は、言語や会話の体系を支える構造ないしは緩衝材だ。
遺伝子のほとんどは生物学的表現形に意味の無い構造として存在している。しかしそれが、遺伝子として存在するには必要だ。
必要最小限だけの要素で存在する事は難しい。冗長さが必要である。
道が足の裏だけの面積しかないならば、歩く事は出来ない。もし歩いた面積だけが道になるというなら話は変わってくる。
出した音のつらなりだけが演奏でも、それが音楽たりうるだろうか。
音を出さなかった時間〜沈黙が演奏たり得るだろうか。
この沈黙は必要であり、それが音楽を構成する。
人が本当に語りだすのは、沈黙するときであり、おしゃべりの最中ではない。
また真実を語るのは怒りを感じたときである。笑っている人間は信じられない。

演奏は、常に表現だ。しかし意味あるものとは限らない 誰かの「アドリブ」や即興的フレーズが何を意味しているというのか。
貴方の、でもいい。貴方が即興演奏するとき、それは何か意味を持った表現であるか?
そして人は「貴方の演奏は何を表現しているのか」と尋ねる。
質問者が知りたいのは「何を意味しているか」である。表現イコール意味ではない。
それは行き渡った誤解だ 。
行き渡った誤解ほど厄介な物はない。それは善意の愚行のようなものだ。
一本の線はすでに表現だがそれが意味を持つのは、それがある場において相対的な問題だし、同時に存在するかもしれない線との相対的関係だ。
口にする音、つまり声なのだろうが、それもまた発せられた音/声の相対化、あるいはその文脈内での音達との相関関係、さらには文脈によって意味が決まれば「言葉」となる。また、意味が決まらなければ、叫び、譫言、妄語、ジャーゴン、無意味音列となる。しかしそこに情緒的な状況があれば、それは文脈的作用でその「音声」を、感情表現とみなすこともあろう。

さらにまた、文脈を根底において決定するのは文化だろう。
それは言語的な問題だ。文法、語彙があっても文脈が無ければ意味をなさない。さて、意味とは何か。ここではそれに踏み込まない事にする。では意志とは何か。まず自問すべきだろう。しかしそこに必ずつきまとうのが自由という観念である。そしてこの自由という幽霊によって我々はほとんど常に、そしてあるいは永遠に目を眩まされている。
我々はアルバート・アイラーの、あのサックスの咆哮を聴いて自由を感じるだろうか。そこには束縛された意志の苦悶も同時に聴いていないだろうか。
それが「ゴースト」だ。

2.<その扉がそこにあっても誰も開けようとしなかった。鍵はかかっていなかった。>
デレク・ベイリーは、少なくとも自らの即興演奏のイディオムを、ブルーズ、ブルーノートから脱却させた。同時にクリシェとしてギターサウンドを変更した。端的に言えばそれだけだともいえる。
それは、ある見方からすれば、怒りからの撤退だろう。また自由への闘争とも袂を分かった結果だろう。しかしその時代、60年代後半から1970年にかけての世情は、最も「自由への闘争」が、世界中で叫ばれた時期だったのだ。
イディオムの変更、クリシェの開発、パトスの撤回、そんなことはベイリーがやるまで誰も気づかなかったのか。いや気づいても実践には臆していた。
おそらくほとんど「そこ」まで近づいたのがレニー・トリスターノを嚆矢とするクール派であり、リー・コニッツ、ジミー・ジュフリーであっただろう。しかし彼等はリズムの構造を解体はしなかった。
ベイリーの方法、その扉がそこにあっても誰も開けようとしなかった。しかし、一旦それが開けば、最初はおずおずと、そして一斉にそこへ殺到して行った。 ベイリーがそれを管楽器ではなく(エレキ)ギターで行った事も重要かもしれない。管楽器よりも習熟度が低くても独自の演奏を開発できる。また鍵盤楽器よりも携帯に容易である。音量の点でも、自室で、自宅で練習が可能である(エレキギターならヘッドフォンでも)。そして音域が非常に広い。構造が可視的で容易に変更が可能である。音律の変更も容易である。こうした利点が多くのエピゴーネンを生んだ。

アコースティックギターの使用にも革新性はあった。
次第にハーモニックスの使用は多くなる。その響きを聴くと彼が通常のチューニングを常に採用しているのがわかる。
開放弦の使用も多かった。それは灰野敬二とのデュオで顕著に聴ける。 https://www.nicovideo.jp/watch/sm14067646
ベイリーの演奏を思い出すとき、いつも思い出す音がある。そのブリッジの反対側で弦を弾くという技は実に特徴的で利いている。あたかも文章の句読点のように。意味は無いが表現の分節化を齎すのだ。
他にも特殊な奏法はあった。ボディを指でこすりあげる、声をサウンドホールに反響させフィードバックをさせる。
面白いのは奏法ではないが、ベイリーの弾き語りだ。音楽について語っている。これはまたロバート・ワイアットが歌でやった方法に似ている。自分の音楽や演奏について語る。その自己言及的な姿勢は決して叙情や主張や闘争には向かわない。ひとつの叙述に留まるのみ。演奏しながらのその解説。こんな無意味なことを表現として実践する者はいなかった。
もしかすると、インカス2番でのB面でヴィレム・ブロイカーに提供された曲「クリスチァニ・エディ」が影響しているだろうか。つまりそこではベイリーがすでに録音されたギターを聴きながらそれを模倣することが何度か繰り返されるという構成である。ここにはヴェーベルンの録音を聴きながら自己研鑽したベイリー、あるいは自室で孤独な録音を繰り返したベイリーの影があると同時に、自己言及的な、あるいは内省的な即興演奏の姿を反映しているようにも思うのだが。
https://www.discogs.com/ja/Derek-Bailey-Solo/master/780888

3.<改革者の心底にはいつもある不快が横たわっている。不快が彼を強くした。> 中村光夫は書く。
「自分にとにかく絶対のもの、何が来てもびくともしないだけのものを、自分の生活に関しては、つかまなきゃいけないが、それと同時に、この生活、こういう自分の信念が、必ずしも世の中に受け容れられるとは限らない、だから他人がどう考えるということは自分にはどうにもできないことだから、それに対しては寛容になろう、その代り自分の信念は動かすまい」(「想像力について」所収「文学と世代」より)
「相対の流動する世界は彼を満足することができません。絶対の前に自分の生命のもろさを実感し、何らかの形でそれを所有し、それに合体することが、彼の主要な飢渇です。彼は人間として絶対の立場から、社会に交わり、それを批判します。
むろんこれは―ある意味では犯罪者と同じ―反社会的な立場です。芸術の天才が小児のようだと言われたり、ときには変質者あつかいされるのはそのためです。...(略)...かりに、すべての子供が外界の理法より自己の内面の論理にしたがって行動し、自分の欲望の無限の充足を可能と信じてうたがわない点で、芸術家に似ているにしても、後者(芸術家)はそのために自己を犠牲にし、少なくとも自分を賭けている点で前者(子供)とちがいます。多くの子供にとって、社会との接触は彼を社会に適合さす訓練であるに反して、芸術家にとってそれは、社会への反抗を決定する場所なのです。
むろん今日のように芸術が商業として盛大に繁盛している時代に、すべての芸術家がそうであるというわけには行きません。
しかし芸術の世界に新しい何かをもたらした人、僕らがあとから、芸術の歴史が彼らによってつくられたと見る天才たちが、このような生き方をしたことも事実です。
『改革者の心底にはいつもある不快が横たわっている』とアンドレ・ジイドがルソーについていいますが、作家の文明批評を形づくるものは、この不快の感情と言えます。」(「想像力について」所収「同時代を見る目」より)

個人は文明の中に生きて、そこに様々な形で不快と欲求を持つ。それが彼の人生であり、ある人間の人生をとやかく言う我々は、何かと彼の生まれ育ちや事件や環境や疾患を、プライバシーを無視して散々にほじくりかえし、世評との関係も批判して、彼の創作の謎を解こうとする。
しかし私は最近になり、正直言ってアーティストの実人生のほじくり返し(ディグというと誤解があるか)には興味が無くなった。そこには邪推が渦巻くだけである。
誰それが麻薬中毒、アル中、梅毒、エイズ、DV、何度結婚した、同性愛…。そんなことはどうでもいいのだ。
幸い、デレク・ベイリーについて語る時、そのようなスキャンダルはほぼない。

『とにかくすべてのことは言われて、すべてのことがなされた。歴史というものが始まって以来、人類は実に悠久なことを、いろんなことをしている。...そうすると結局、おれはおれの愚かさというもの、そういうものに殉ずるよりほかにしようがない。つまり自分というものに最後までつき合っていく』(中村による中島敦の言)

「不可能なことは私を引きつける。できることがすべて成された後でもがなされた後も世界は変わらなかった」

デレクの功績は、ブルーノートから脱却し、12音主義とくにヴェーベルンへの傾倒により新たなイディオムを開拓、ブルーズ的循環構造からの脱却して、リズム、ビートの呪縛を断ち切り、ジャズ本来のパトスを無化、ジャンルを超えて人口に膾炙したギターという楽器において新たなクリシェを齎し、エレキギターの特性を生かしたサウンドの改変を提示した、ということになろうか。

「私に逆らえ、私を強くしろ」

この「終わりの無い旅」、とりあえずここで宿に入ろう。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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