好漢・柴田浩一の死を悼む

閲覧回数 4,697 回

text by Keiichi Konishi 小西啓一
写真:「タウンニュース」提供

巨匠マッコイ・タイナーが逝き、俊才ウオレス・ルーニーもまたコロナ渦で倒れてしまったこの早春のある日、一人の好漢が癌のためにひっそりとその生を閉じた。彼の名は柴田浩一。横浜のジャズ関係者ないしファン以外には、余りその名前は知られていないかも知れないが、多くのジャズ・プレーヤーやシンガー達から絶大な信頼を集める、プロデューサーにしてジャズ番組パーソナリティー、ジャズ物書き等々、ジャズの何でも屋であり横浜ジャズ界(=ハマ・ジャズ)の裏ボス的存在でもあった。ぼくよりも2~3才年下だけにれっきとしたオールド・ボーイで、あの伝説の “ちぐさ“ に高校生の頃から通いつめ( ”ちぐさ“ の再興にも大きく貢献した)、長じて横浜JAZZ協会を立ち上げ 「ジャズ・プロムナード」誕生へと導く…と言った具合で、ハマ・ジャズと共に歩んで来た、ある意味レジェンド的存在でもあった。ぼくとの付き合いは屈指の規模を誇る、「横濱ジャズ・プロムナード」 スタート直後の頃からだけにもう本当に長い仲。担当する超長寿ジャズ番組 「テイスト・オブ・ジャズ」(ラジオ日経で50余年続く)では、毎年「ジャズ・プロムナード」の紹介をしてもらっていたが、出演する際は ”ジャズ・プロ“ に登場するメンバーを1人2人連れて来るのが通例、出演が終わるとそのまま近くの飲み屋に直行し、ジャズ話で盛り上がることが多かったが、その際も “小西さんのジャズ番組が一番気楽で愉しいよ…” などと、よくおべんちゃらもかましてくれたものだった。

ジャズの世界では黄金のスイング期からフリージャズまで、ほとんど全ての分野に通じており、その見識は担当していたNHKの横浜FM局のジャズ番組でも披歴されていたとも聞く。ジャズ本の世界でも、大部のエリントン評伝『Duke Ellington』(愛育社)本も発表、なにより凄いのは大好きなフル・バンドの世界、それを1916年からほぼ現代まで、一世紀にわたりなんと全部で600バンド、1400名のメンバーまでを網羅する、大辞典『ビッグ・バンド大辞典』(愛育出版)を数年前に刊行したこと。彼自身もかなり自信を持ってのものだったが( ”これ凄いでしょう” と送って来てくれた)、こんなジャズ本は世界でも皆無というのに今でも余り注目されていないのは大変に残念なところ。皆さんぜひ手に入れて眺めてください、資料的価値150パーセントです。

また彼の人柄、功績を偲んで、闘病中の彼を励ますため今田勝さんを呼びかけ人に、親しいミュージシャン、シンガーが20名ほど集まり、”ちぐさ”レコードから「横浜ジャズ・プロムナード・オールスターズ」名義で、1枚のアルバムが先日発表された。『ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト』。今田勝、外山喜雄などのベテラン陣から、中村恵介 (tp) や金本麻里(ちぐさ賞受賞シンガー)といった若い人達まで、彼らが愉し気に入り混じってのセッション16曲、ぼくもジャズ・ジャパン誌でレビューを担当させてもらったが、その冒頭に “これはまたなんとも愉し気で、ほっこりとしてすっきり、爽やかな味わいの旨口アルバムの登場…”と書き、“…それにしてもプロデューサー冥利に尽きますね、柴田さん” とレビューを閉めさせてもらった。1日で全16曲を録り終え “(全員の想いの込め方が)奇跡のアルバム” ともされるこの激励作。中でも彼が最も高く評価していた、ピアノの板橋文夫が自身のオリジナル〈フォー・ユー〉で、哀感と凄味のない混ざった素晴らしいソロ演奏を繰り広げ彼に捧げていること。盟友柴田氏のために弾いたこの圧巻のソロが彼への追悼として残されたことだけでも、ぼくは再度言いたい。“なんともプロデューサー冥利に尽きますね、柴田さん” と…。寂しいが、その魂へ、合掌!


編集部注:柴田浩一さん(1946年、横浜生まれ。日大法学部卒)は闘病中のところ3/31に逝去されました。

小西啓一

小西啓一

小西啓一 Keiichi Konishi ジャズ・ライター/ラジオ・プロデューサー。本職はラジオのプロデューサーで、ジャズ番組からドラマ、ドキュメンタリー、スポーツ、経済など幅広く担当、傍らスイング・ジャーナル、ジャズ・ジャパン、ジャズ・ライフ誌などのレビューを長年担当するジャズ・ライターでもある。好きなのはラテン・ジャズ、好きなミュージシャンはアマディート・バルデス、ヘンリー・スレッギル、川嶋哲郎、ベッカ・スティーブンス等々。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。