RIP 追悼ジェネシス・P-オーリッジ
text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野 ONNYK 良晃
僕が自分で演奏を開始してみようと思ったとき、二つの要素が内部で相克していた。
ひとつは、手当たり次第に楽器、非楽器構わず鳴らし、それを構築していく即興演奏の姿勢。またひとつはようやく入手も容易になってきた電子楽器、シンセサイザー、MTR機器によるアンプやノイズによる音響構成だ。
そして相反はまだあった。反復的と非反復的、また構築的と破壊的、さらに技術的と反技術的、といった要素群だった。
僕はまともに楽器を演奏できなかったが、おかしな使い方をするにかけては自負があった。それを列挙してもしょうがないけれど、現代音楽はそれを押し進めてくれた。
僕が前に進もうと決めたのもまた二つの要素だ。デレク・ベイリーとスロッビング・グリッスル(TG)。そしてTGとはジェネシス・P-オーリッジに他ならないとさえ言える。
ベイリーが押し進めた非イディオマティック即興は、今思えばやはりテクニックの集積ではあるけれど、当時はその音響から、そんな分析をできず、ひたすらに手元のフォークギターをひっかき、こすり、はじいたのだ。しかし、それだけでは満足できなかった。そこにTGが聞こえて来た。
『The Second Annual Report』(1977)。そのケイオティックな音のマッス、そこに飛び交う電子音の精子またはスピロヘータ。うめくような、かつ口説くような声、悲鳴、ラジオからなのか、様々なポップミュージックやニュース。それらが電子的なビートに乗って僕の中枢を蝕んでくるのに抗えなかった。
どこまでもエロティックで猥雑なサウンドだ!YMOやKRAFTWERKなどのテクノポップには飽きていたし、パンクはプログレの反動、ロックンロールの復権にしか聞こえていなかった。TGを聴いたとき、遂に来るべき物が来たと感じた。
そして一方で即興演奏をやりながら、そこでは絶対に用いられない要素を用いて、徹底的に世界に反抗する音響を、誰もが耳を塞ぐような「音が苦」を作ってやろうと思ったのだ。
でも、そこから先は堕ちて行くばかりだった。最初のオルガスムスが去った後、それを取り戻そうとしても常に違和感があった。いやその後だって幾つもの衝撃は訪れた。が、今それから40年以上経過して分かるのは、ジェネシス・P-オーリッジだってそうだったということ。
つまり彼もロックミュージックという商業世界に「死を生産する工場として」、75年に自らのレーベル INDUSTRIAL RECORDS を立ち上げ、TGはたった6年だけ活動して解散した。彼等の名前が男性器に由来するなら、まさにそこでコトは済んでしまったのだ。「使命は終わった」というメッセージが残された。
でも落胆はしなかった。後は僕に託されたのだと感じた。いや世界中の多くのファンがそう思っただろう。
その後23年してTGは再結成したが「再結成に良いもの無し」の通り、時代は彼等を追い抜いたし、彼等もまた洗練されてしまった感は拭えなかった。
それだけならまだしもジェネシス・P-オーリッジは、性転換してしまったのだ。それを非難するつもりは無い。僕だって時々オンナだったらなと思う事がある。しかしやってしまうジェネシスはスゴイ。彼は言っていた。「汝の欲する所を為せ」と。じつはこの言葉、稀代の魔術師アレイスター・クロウリーのモットーだった。そしてこれを為したもう一人の男。それはチャールズ・マンソンだったのである。ジェネシスはいつも二人を引き合いに出した。
僕は相変わらず楽器をひけない。しかしそのサウンドはジェネシスに学んだ。
とても愛せないような見かけになっちまった彼女。でもやっぱり愛していたんだな。グッバイ。