邦楽のパースペクティヴ (中編)「風土と現代史」
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃
日本という風土を感じさせる音楽を挙げよと問われたら、貴方は何を想像するか。
はっぴいえんどの「夏なんです」(詞:松本隆、曲:細野晴臣、1971)はどうだろう。意外にも全く和風を感じさせない演奏に、癖のある声がぶっきらぼうに、フォークの「ですます調」で歌う。歌詞には、夏の雰囲気が横溢しているのだが、「古い茶屋」なんてまだあったのか。その軒先にぶらさがる誰かさんて誰なんだろう。私は駄菓子屋で、冷えたアイスの箱を覗き込んでいた...。
日本を想起させる音楽、それは故郷というイメージ、そして春夏秋冬の季節感と結びついているかもしれない。中田喜直にはそういう詞と調和した名曲が多い。それはそれで了解できる。が、器楽曲なら私はこの二曲に極まる。
まずはNHKラジオ第一放送「ひるのいこい」のテーマである。これは古関裕而の1952年の作品だ。現在も使われているが背景での繰り返しがくどいように思う。そしてもうひとつは、やはりNHK総合テレビの番組「新日本紀行」(1963年〜)。冨田勲作曲のテーマである。冒頭ホルンの響きが意外なのだが(ウルトラセブンのテーマにも似ている)、すぐ包み込むようなストリングス、そして拍子木の響き。そしてまた管楽器が遠方の連山を想起させ、再び弦楽アンサンブルが繰り返す。祭り囃子のような笛や打楽器の配置が見事だ。
昭和期に生まれた日本人の「日本的和声」、理論的というよりも感性的な音響構造、かつてあり得なかった「日本音楽における『和声』感覚」がここにある。
富国強兵の延長にありつつ、クニとイエ意識を維持してきた大日本帝国が解体されても、高度経済成長によって徐々に崩壊していく農本主義。その残光を留めるような双方向性ラジオ番組と、動画ドキュメントのテーマ曲が、昭和世代の記憶の襞にしみこんでいる。
そしてさらに1964年東京オリンピックで「東京五輪音頭」(古賀政男)、1970年大阪万博で「世界の国からこんにちは」(中村八大)を三波春夫が、あの磨き込んだ木肌のような艶のある、浪花節仕込みの声で謳い上げる。三波のスタイルを継ぐ者は出ていない。
ここに挙げた作曲家達の顔ぶれをみても、アカデミックであるよりはポピュラーな領域に根を下ろした人々だ。それなら歌謡曲、演歌の作曲家達だってと思うのだが、こちらはあまりにも世界的な動向の吸収と急速に変化する伴奏楽器アンサンブルに目をくらまされてしまう。また曲というより歌手のスター・システムによる商品化が先行している。その背景は勿論、レコード、ラジオ、有線放送、映画、テレビというメディアの浸透があったこと、それをさらに下部で支える電子的技術の発達、通信システムの拡充がある。
この60年代的資本主義拡張は、田中角栄の「日本列島改造論」(1972)として日本人に流布したが、同時に変動相場制移行(ドル・ショック)とオイル・ショックという冷水も浴びせられ、現在にまで至る混乱の根源となっている。その乱流のなかで、「日本音楽とは」「日本的和声とは」という問題意識を持つのは、とりもなおさず「日本とは、日本人とは」という自問に他ならない。そしてそれは、常に流動的であり、決定的な答えがないが故に、アポリアというより「愚問」なのかもしれない。多くの場合、その淵原を「明治維新」に求めることが定石化している。
私もその例に漏れず、同時代の音楽を考えてきた末に「音楽取調掛」(1879)に行きあたり、そこからまたこの考察を進めて来た訳である。
もう一度、故郷に帰ってみよう。とはいえ私は生まれてから地元を離れたことがないのだが。
金山太鼓
2023年3月5日、岩手県矢巾町の田園ホールで金山(きんざん)太鼓の公演を見て来た。800人強の座席はほぼ満席。
金山太鼓は盛岡市の南、紫波(しわ)の佐比内(さひない)に本拠を置く。同時に宮古の山口太鼓、陸前高田の氷上(ひかみ)共鳴太鼓が客演。
金山太鼓のフロントである兄弟の一人は以前、メタル系バンドのドラマーとして鳴らした強者で、バンド時代から顔見知りである。
さて、東北大震災以降、地元の伝承芸能の存在意義は、コミュニティの結束とかアイデンティティ確認に強く影響している。もちろんどこからを伝承芸能というかは難しい。能登の御陣乗太鼓は由来を16世紀においているが、それ以外に付いて言えば、和太鼓合奏集団は、いかにも古くから根付いていたようにも見えるが実のところそう長い歴史がある訳でもない。
71年の佐渡の鬼太鼓座あたりが火付けとなって、プロアマ問わずどんどん増えて行ったようだ。この経緯も面白い。鬼太鼓の創成者、田耕(でん・たがやす)は全国を踏査した民俗学者宮本常一の弟子筋で、彼の影響が強く、宮本も応援したという。また田は秋田県の共同生活志向芸能集団「わらび座」にも在籍していたという。
鬼太鼓座と太鼓集団「鼓童」との分裂経緯は映画製作に由来するらしく、これもまた象徴的な出来事だ。つまり本来の土着芸能を商品音楽、上演に結びつけて発展させた挙げ句が、価値であるところの伝統的芸能ではなくなっていく問題を露呈する。これは韓国のサムルノリにも同じ経緯がある。売れれば売れる程、大義名分を失うのはパンクバンドにも等しい。
あるいはまた東アフリカのブルンジ共和国のドラム・アンサンブルが、マルコム・マクラレンの企画バンド「バウ・ワウ・ワウ」他に取り入れられて話題になったことも同様だろうか。ブルンジの太鼓集団も、一時期は世界のワールドミュージック系フェスに招聘され人気を博したものだが。
話が逸れた。
今回、矢巾で三つのアマチュア太鼓集団を見た感想を羅列しておきたい。
まずはいかにしても、和太鼓合奏はマチスモ(編集部註:男性優位主義思想)から逃れられない。というかマチスモでないと演奏できない。
ところがこの分野に女性の進出は著しい。かつては祭りの太鼓を叩くのは男性と決まっていた。盛岡でもそうだったし、私が子供時代から見ていた陸前高田の山車もそうだった。が、昭和50年代あたりから急速に、女性太鼓奏者が山車にのったり、子供達の太鼓も男子より女子が多くなる傾向がみられた。これはまたブラスバンドでも同様だし、集団行動的な保守性、そして同調圧力への順応も女性が共鳴しやすいという性格によるだろう。三つの集団ともに、意識してか女性奏者の数を4〜5割にまで伸ばし、その華やかさもひとつの演出になっている。
では男子はどうなったのか。祭りの太鼓に興味を示すようになる学童期の初期、我が子やその友人達を観察していると、遊びでも室内でゲームに没頭し、交替でコントローラーを握っている。また思春期の音楽では、男子は個人志向、バンド志向となっていく傾向が見られる。女子ではブラバン、合唱への関心が強まって行く。
かつてブルーズは男性のソロシンガーによって発達した。一方で女性達は教会に集まり、チャーチソング、ゴスペルへの熱狂的「コール&レスポンス」に参加した。この関係に似ていないだろうか。
あるいはニホンザル集団では、群れから離れて行く雄と、群れの中心に同心円的に存在する雌という構造。他の哺乳類でも、繁殖のペアをもとめ個人志向の雄と、群れの主体を形成する雌(と子供)の関係は見られる。部族(種、群れ)を保存しかつ遺伝子を他へ広める関係は哺乳類に共通する。
私が鬱陶しく思ったのは、氷上集団の責任者が挨拶で繰り返し「感動を与えるために」と強調すること。反論することさえ無為としか思えないが、そういう言葉でしか情念を総合できないというのは実に残念である。今回の金山太鼓パンフレットでも「感動の未来」という空疎な文言が大書されている。相変わらず感動や勇気を与えたりもらったりしたがる、アスリートやアーティストが絶えない。そのパフォーマンスの質に関わらず、ボキャブラリーの貧困とそれを自覚しない方々には何と申し上げればよいのか。
震災、そしてウィルス禍。その前から人口減少と地域産業衰退があった。地域おこしという掛け声に呼応して単純に、祭りの太鼓を復興や精神的支柱にするのも分かりやすい。音は記憶に響く。
このマチスモ的演奏と単純なビートの麻薬的作用が、アドルノの指摘したようなファシズムへのアクセルと維持装置になってはいまいか。しかし同調主義は地域性を維持するためには必須であろう。つまり功罪半ばするのである。
そしてまた演奏メンバー、参加者の平等主義が計られる。これは見せかけの民主主義だ。それは当然座長の権力が増大して行く事になる。
その理由は集団を、活動を維持するための資材と後援など多くのパトロネージを必要とするためである。人的コネクションや交渉力の無い存在では、どんなに演奏力があってもできないことだ。
これらのアマチュアの団体でさえ、かなりの維持費用がかかる。情報宣伝はいうまでもなく、機材移動に大型トラックが必要だし、各団体の演奏には最低でも20人からの移動、宿泊が必要だし、リハーサル時間も別枠でとらねばならない。公演全体ではかなりのボランティア・スタッフが必要となる。感染対策だのチケット販売だの経理の方も専任が必要である。通常でも、練習や指導、機材補修、管理など場所と時間を要する。個人の楽しみだけで集団は維持できない。
そして、地域の様々な企画に客演したり、自主上演企画を年に何回必要とするのか?私にはそこまで想像できない。
これはバンドやオーケストラ、あるいは地元伝承芸能(神楽など)や、一般的邦楽の流派(活発な箏曲の流派が盛岡にはある)とはかなり異なるレベルの問題を含む。
各集団、それぞれに上演の個性を出す事への努力が見られる。
金山はモダンなドラムセットと共演し、氷上は素朴ながら力強く、また七夕囃子というゆったりした演奏もある。山口は結成50年を越えて海外公演も多数あり、圧倒的な演出力をもっている。
だがしかし、結局みな大差はない。和太鼓演奏は根本が保守的であり、それ以外である必要はない。だから結局何処の演奏も和太鼓の合奏の枠の中でしかないし、それを越える事はできない。枠を越えることになったらもはや彼等の存在意義はなくなるのだ。
つまりここには前衛や実験、すなわち己を批評するような意識は生まれ得ない。また、ジャズやロックのような、スタイル相互の影響や、録音方式、PAなどからの影響、リミックス等の拡大は臨めない。あるいはリズム自体の問題がある。変拍子やポリリズムはありうるだろうが、リズムの解体(フリー化)は考えにくい。それは和太鼓音楽の本質=同期性を見失うだろう。実験や前衛は現状への批判に始まる。現状をいや、かつてあったかもしれない想い出の原郷へと思いを馳せるなら、批判より絆ということになるだろう。
金山太鼓の中心メンバーの一人は、かつて盛岡でメタル界の中心であったバンドに居た。その当時から彼のドラミングの迫力、パワー、テクニックは目を見張るものがあった。しかしそのバンドがリーダーの死去で活動停止してから、彼の演奏は金山太鼓に集中した。どこかそれは勿体ないという気持ちもあった。が、しかし今回の公演で彼の生き生きとしたビート、そして恐るべきスタミナと集中力は、メタル時代にはない喜びに溢れていたと思う。つまりライブハウスやその時々のコンサートで、かりそめの連帯を求めるより、地域の名を背負って、その興隆への象徴的なアイドルになることのほうが、ロックバンド・ミュージシャンよりも何倍も栄光を与えてくれるのだ。ロックバンドではドラマーでしかないが、和太鼓集団では彼こそがスターである。
久々に和太鼓の演奏を聴き、その振動を内蔵に受け止めて帰って来た。
(続く)
金山太鼓、山口太鼓、氷上共鳴太鼓、鬼太鼓座、鼓童、マチスモ、邦楽のパースペクティヴ