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悠々自適 アウトテイクNo. 311

悠々自適アウトテイク Vol.2「地獄の黙示録」

text by Masahiko Yuh 悠雅彦

父は職業軍人だった。母方の祖父も軍人だった。にもかかわらず、私は物心ついた時分から戦争に背を向けようとしてきた記憶が、おぼろげながらある。祖父は初孫の私をいたく可愛がったと母からよく聞かされたものだが、私には何一つ記憶がない。戦後間もなく我が家は母の実家に寄宿するようになり、朝から晩まで身近にいてその一挙手一投足を見ていた私には、祖父は厳格で人嫌いの変人という印象しかなかった。だがあるとき、母から海軍士官だった1人息子が潜水艦で沖縄沖を潜航中に米軍の魚雷攻撃を受けて戦死した秘話を聞かされて、祖父が人に胸の内を明かすこともなく、悲しみを丸抱えにしたまま秘かに心を閉ざしてきたことを思い知った。その瞬間、私は初めて戦争を心の奥底から憎悪した。おぼろげながら今だに忘れられない思い出がある。軍服に身を包んだその叔父が私の肩に手をかけて「お母さんの言うことを良く聞いてしっかり勉強するんだよ」と一言いって出征していった光景を。このときが私の見た叔父の最後の姿だった。

パイロットだった父の写真帖には、恐らくは中国か東南アジアの町や村であろう異国の上空から空撮した写真がいっぱいあって、その1枚1枚を妹や従兄弟たちに説明している父の姿を見かけたことが何度かあった。そういうときの父の穏やかな笑顔を垣間見て、写真が攻撃目標としての町や村ではなく、日本が戦争に否応なく突き進む以前の異国の町並みや平穏なたたずまいを写したものだと分かって、実は胸をなでおろしたものだった。うらやましく思えたことさえある。それは父がかつて海軍の将校だったからではなく、昔は厳格であったに違いない(戦時中は父と暮らした記憶がほとんどない)父の中に、浮きうきと冒険話をしている無邪気な少年がいることを発見して救われたような気がしたからだったろう。

そんな父が、訪ねてきたかつての部下だった知人に、「もう二度と軍人にはなりたくないね」と呟くでもなく言ったのを耳にしたとき、戦後間もなく自衛隊が発足しようとしていたころ、その筋の執拗な勧誘にも頑として首を縦に振ることがなかった誇り高い父の顔が重なった。父は生まれ変わろうとする秘めた決意を裏切るまいと、恐らくは現実の欲望と葛藤する中で本分を守ったのだ。

父の郷里は松島である。幼少時に両親と死別した父を我が子同様に可愛がった大きな製氷屋のお宅は、私にとっても故郷の実家のようなもので、どこに行くよりもうれしかった。昭和20年夏、母に連れられて弟との3人で、当時疎開していた谷地(山形県)からその松島へ向かう途中の仙台で、私は生涯に恐らくはたった一度の、決して忘れられない出来事に遭遇した。

仙台には父の妹、というより唯一の肉親、叔母一家の住まいがある。気さくな叔母の家に立ち寄るのは、私たち兄弟がいつも楽しみにしていた松島詣での序奏のようなものだった。だがこの夜、いつものように始まった団欒は、空襲警報を告げる突然のつんざくようなサイレンに断たれた。これがあの仙台大空襲の序章だとは、このとき誰1人つゆ思わなかったに違いない。とはいえ、空襲警報のサイレンには馴れっこだったさすがの私にも、この警報がもはや単なる脅かしではないとピンときた。それまでだって授業中に突如サイレンが鳴ることはしばしばあった。そんなとき、ときにはランドセルも勉強道具のいっさいを置いたまま下校し、脱兎のごとく走って家に帰るや、近くの防空壕に飛び込むことも決して珍しくはなかった。だが、不思議なことに、いや幸運というべきか、実際に敵の機影を見たことはそれまでは一度もなかったのだ。ところが、この夜は違った。

それは久しぶりの団欒が終わろうとしていたときだった。一瞬の静寂を縫って、聞き覚えのある爆音とは違う不吉な重低音のユニゾンが、夜空のどこからともなく振動してくる不気味な唸り声となって近づいてきたのだ。初めて恐怖が体中を走った。それが脳天を突き抜け、悲鳴をあげる警報のサイレンとラジオの臨時ニュースに吸い込まれた。もう一刻の猶予もなかった。私たちはいっせいに表に飛び出し、叔母や母の「山へ向かって逃げなさい」の絶叫を背に走った。

どこをどう走ったのか憶えていない。最初は母も叔母一家も一緒だった。母は弟の手を引いて私の後を走っていたのだが、気がついたとき後ろにも回りにも母や弟の姿はなかった。記憶の鏡に辛うじて消えずに残っている残像といえば、市中から外へ出て山道に差し掛かったころには地獄の使者はすでに上空にやってきていて、爆弾の雨を降らしはじめたこと………避難地に指定されていた郊外の小高い山の斜面が逃げ急ぐ人々の無言の長い列でごった返していたこと、ぐらいだ。上空からはひっきりなしに、まるで海中に漂うクラゲの傘のような焼夷弾が舞い落ちてくる。そいつは樹木や地面に触れては爆発し、市中といわず郊外といわずあちこちを真っ赤に染めた。焼夷弾に触れたら一巻の終わりだ。死の使いをかいくぐって、やっと町を見下ろせる山の頂きにたどりついたその瞬間、目に飛び込んできた余りにも鮮烈な光景!。これだけは60年以上経った今も風化することなく、鮮やかな色彩図が脳裏に明滅する。B29の絨毯爆撃で舐め尽くされた杜(もり)の都。燃え上がっている町の断末魔でもあろうか、その炎が月明かりのない夜空を焦がしていた。一面真っ赤な火の海と化した美しい杜の都を眼下に眺めながら、私は恐怖を忘れて、気が遠くなるような感覚で呆然と立ち尽くしていた。何という恐ろしい夜景、しかし人知を超えた何という美しさ。金縛りにあったように身は硬直して、言葉もない。地獄絵というには余りにも美しすぎる光景。どんなに歴史的な名画や名演奏からも、真に迫ったこれほどの感動的体験は味わったことがない。

どのくらいそこにいたのか、どうやって叔母の家へ帰ったのか、まるで憶えがない。何しろ60年以上も前のことだ。母や弟からはぐれて山道をさまよってきた不安感はとてつもなく大きかったはずだが、私の脳裏には火の海となった杜の都の変わり果てた美しさしかない。

「むなしい美しさ、って坂口安吾が言ったやつだね。もっとも、あれは灯火管制下の死んだような美しさのことだったけど………」。

東京の大空襲に遭遇した悪夢を今も忘れずにいる知人とたまたまピカソ展の会場で出くわし、久しぶりに話がはずんだ。ピカソから話がいつのまにか空襲体験へと広がって、2人とも不思議に雄弁になった。「つまりさ、人間不在ってことだろう、あれは。戦後は空襲で焼野原になった何もないところから僕らは出発した。僕らを解き放ったのはあの焦土だ。あそこで人間としての”気”が甦った。日本人の活力は、落ちるところまで落ちたあそこから生まれたんだと思う。”人間”を取り戻したんだな」。

「いま思えば、あの火の海は天の啓示だったような気がする。神の怒りがあそこにあったからとしか、この世のものとは思えないあの衝撃的な美を説明することはできない。人間の愚かしさというか、とことん堕ちたことを気づかせるべく、神はああいう形で僕らに見せてくれたと思いたいな」と、そこまで言ったそのとき、広島や長崎、あるいは沖縄の惨状が瞼の奥に甦った。神の逆鱗にふれた人類はもはや沈黙するだけでは済まないはずだろう。

「そうかもしれんな」。彼が相槌を打った瞬間、私は我に返った。「東京大空襲ではぼくがいた下町も火の海だった。数年前にピカソの『ゲルニカ』を見たときの感銘は忘れられない。だけど、猛り狂って燃えさかるあの烈火が『ゲルニカ』の美を超えるものだということは別に否定しない。コッポラが『地獄の黙示録』で示したかったのもそれかな。背景音楽のワーグナーにはちょっと引っかからないでもないけど………」。

「もしかすると、ゲルマン民族優位の基盤ともなった英雄伝説に題材をとっているワーグナーのオペラに、神を冒瀆する人間の横暴不遜な行為としてのヴェトナム空爆が二重写しになっていたのかもしれないよ、コッポラの目にはね。人間が生んだ地獄的状況の中で神が示したもの、それが神の怒りとして僕らの目には映るのだろう。つまり、”地獄の黙示録”というわけ。どうかな?」。 私が覗き込むと、彼はほんの少し間をおいた。

「映画としての効果も計算に入れてたろう。あのスペクタクル場面にバーバーじゃ似合わないもんな」。

サミュエル・バーバーは新古典主義的作風で異色の近代米国の作曲家。その弦楽四重奏曲第2番の第二楽章「アダージョ」が彼の名を不朽にした。ストリングス合奏用に編曲された「弦楽のためのアダージョ」として人気が高く、同じヴェトナム戦争を描いた「プラトーン」や「エレファントマン」の最終クライマックス場面など、映画でもしばしば用いられた作品である。

「でもね、あの曲は………」。

脳裏に火の海となった杜の都が再び広がった。「祈りだと思うよ。戦争はむろんだけど、人間至上主義が招いたこうした愚行に対する悔悟の情みたいなものが曲調を縫って聴こえるじゃないか。葬送の祈りといった響きさえ感じるんだよ。このごろではあれを聴くとあの火の海が甦る。実は、あのとき一緒に避難した叔母夫婦の1人娘がね、あれ以来精神に異常をきたして、それから間もなくだよ、逝ってしまったんだ。それ以来、叔母もすっかり人が変わってしまってね、戦争は酷いなんてもんじゃない………」

後は」長い沈黙だった。

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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