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特集『ECM: 私の1枚』

池長一美『Richard Beirach / Elm』
『リッチー・バイラーク/エルム』

まるで室内楽のような品位を保ちながら、ピアノトリオ編成での最高峰の対話が収められた名盤!

ジャズの基本要素といわれるコール&レスポンス、19世紀に北米でジャズが産声を上げるより遥か以前、アフリカ大陸では通信手段や宗教儀式などで既に対話形式でのドラミングが繰り広げられていた。現地のアフリカンドラマー達の魂が北米に渡り、ジャズという音楽に昇華してその中で今も生き続けているという事実。

このアルバムはハービー・ハンコックを敬愛する名ピアニスト リッチー・バイラークの代表作である。
’70年〜’90年代にその全盛期を過ごしたジャズ史上重要なピアニストの一人。盟友デイブ・リーブマンとのコラボでアル・フォスターやビリー・ハートを擁したグループ ”Quest” の活動でも知られている。まさにコール&レスポンス、対話する形でフレーズを積み重ねてゆくスタイルで、その中にリハモナイズされた斬新なコードが研ぎ澄まされたタイミングで刻まれ、独自のユーモアのセンスも持ち合わせている。

ここでのバイラークはまるで幼子に”お話”を読み聞かせるかの如く、分かりやすく丁寧にその語りを続けている。それに呼応するようにジャック・ディジョネットの合いの手が重なり、新たなレイヤーが次々に生まれ、宇宙への広がりを見せる。隙間から聴こえるジョージ・ムラーツのベースもその立ち位置でしっかりトリオ全体の手綱をホールドしている。

一曲目(Sea Priesters)
暗闇の地平線より朝日が立ちのぼる、そして徐々にその全貌を表してゆく。気がつくと大海をバックに航海を進める巨大船に乗っている。時に激しく、そして優しく、打ち寄せる波のように、広大な自然に見守られながら幾つもの風景が現れては消えてゆく。時の経過を普段よりもずっと敏感に感じ取る事ができる。
バイラークの奏でるメロディを聴いていると、心地よく流れるドラムスの音程がしっかりとその調にチューニングされていることに気づき、ハッとする。

二曲目(Pendulum)冒頭はディジョネットのドラム・イントロ。キット全体を使ったコール&レスポンスでメロディーを奏で「さあ、始まるよ!」と呼びかける。
バイラークが呼応し、ムラーツもそれに続く。

少しドラマー視点の話になるが、録音当時(1979年)ディジョネットはドイツ製ソナー社のローズウッドのドラムセットを愛用していた。通常打面のピッチを上げるとサスティーンは減って音は詰まって響かなくなる傾向にあるが、この木材は超硬質なため、いくら張っても音の芯はボヤけず、よりクリアーに高音が出る。しかも低域もしっかり残るので他のドラムとは全く違う独特の響きとなる。これが室内楽のようなこのトリオの音楽の雰囲気にマッチしていて独特の世界観を醸し出しているのだ。
ある経緯で実際に彼が使った後のセットを触った事があるが、通常では考えられれないくらいに打面はハイピッチで指先で触れただけでも”サッ”という音になるくらい繊細な状態。

1982年のソニー・ロリンズとの来日公演は衝撃的で、ソナーを駆使して強烈な演奏をするディジョネットに感化されて、当時ソナードラムを入手したプロドラマーは私の周りにも大勢いた。
しかしこれは常人ではなかなか扱えないシロモノ。案の定、何年か経過すると殆どの人がギブアップして国内の中古市場に多くの同モデルのセットやスネアドラムが溢れた。
コントロールが難しく誤魔化しが効かない”厳しい楽器”という印象。上手く扱えないとピッチの外れたバイオリンを聴かされているかのようになってしまう。

御多分に洩れず私もローズウッドのセットを一台所有しているが、この楽器でしか表現できない独特の音色(倍音成分)があるのでなかなか手放せない。
ピアノだとベーゼンドルファーに似たイメージを持つといえば分かってもらえるであろうか?

これは大袈裟でもなんでもなく、彼はこのギアを使ってその表現の頂点をこの時期に極めたと私は考えている。
このソナーのセットと当時のスイス製パイステ社のフラットやスイッシュなどのシンバル類。
このコンビネーションは後に続くECM大好きドラマー達の一つのスタンダードとなった。

三曲目(Ki)はバラード。文句なしの名演だが、ここで一度ブレスをして気持ちを整える。
そしていよいよアルバムのメインディッシュ、四曲目(Snow Leopard)へと突入する!

ECMの録音でその後よく聴かれるようになった”高速レガート”からスタートする。
高速レガートはECMの2大ドラマー ジャック・ディジョネットとヨン・クリステンセンによって見出された手法で、言わば伝統的なジャズのシンバルレガートの超アップテンポ版である。但しそれにはベースのウォーキングラインは付けずに、コントラストの距離を保つ。
これだけで一気に空間の緊張感が生まれ、フロントが自由にメロディを乗せるための土台が整うのだ。

ムラーツのヴァンプが加わりトリオのリーダー=バイラークを迎える。もう既にピークレベルに達するくらいの勢いでパフォーマンスは進んでゆく。この時コンソールルームで迫真の演奏を繰り広げるメンバー達を見守るエンジニアやアシスタント、ひょっとしたらそこにマンフレッド・アイヒヤーも居たかも知れない。
居合わせたメンバー全員が「やった!」と満面の笑みだったに違いない。

ビル・エバンス・トリオで衝撃のデビューを果たし、チャールズ・ロイド・カルテットからマイルスのグループでも活躍したディジョネットのガッツ剥き出しのプレイがメンバーを触発する。トリオの演奏はさらにヒートアップしていき、大見得を切って昇天する。 そして空白の数秒間、、、再びイントロと同じくディジョネットの高速レガートからムラーツのソロへ、
この時ベースのブース内で”唸り声”のようなものが聴こえるではないか、あのクールなムラーツの気合いが伝わってくる!「Go、ジョージ!」

ひとしきりソロが終わるとシフトダウンして、船は次の方向へと船首を向ける。もうこの辺りはフリーの即興演奏に近い。
ここからディジョネットのドラムソロになだれ込み再びボルテージを上げていき、ドラムスの独壇場へと向かう。怒涛の中全てを語りきり渾身のフィルインで見得を切る。この展開は多くのECM作品で聴かれるこの時期の彼の常套句でもある。まさに水戸黄門の印籠現象(笑)

幾度ものクライマックス、アップダウンを繰り返して再びイントロのレガートに戻り徐々にクールダウン。ムラーツのパターン提示から8分音符のグルーヴになり安定のランディングを迎える。アルバムジャケットの”滑走路らしき絵”とイメージが重なる。

そして五曲目、アルバムの最後を飾るのはリッチー・バイラークの名作 ELM!この時代バイラークは盟友デイヴ・リーブマンとのコラボレーションでその絶頂期を迎えていた。
このドラマチックな楽曲で、その巨大な船は暗闇の中に消えてゆく、、、、
全てが終わった。

もうそこに我々は乗り合わせてはいないが、更に航海は続く、、、
辺りが無音になると、暫くこの静寂を楽しみたい、耳に一切音を入れたくないという気分になる。

今回また久しぶりに聴いてみたが、どこまでも丁寧に構成されたアルバムだと感じる。最後にこの時期のディジョネットのECM参加作品の多くを捉えてきたエンジニアMartin Wielandのサウンドワークもこのアルバムを名盤に押し上げた一因であるのは言うまでもない。

以上、今から40年前、ほぼリアルタイムに当時のECM作品に多数出会ってしまった私ですが、その後自分の音楽人生に大きな影響を与えたという意味でこのアルバムを「私のこの一枚」とさせて頂きます。


ECM 1142

Richard Beirach (Piano)
George Mraz (Double-Bass)
Jack DeJohnette (Drums)

Recorded May 1979, Tonstudio Bauer, Ludwigsburg
Engineer: Martin Wieland
Produced by Manfred Eicher


池長一美 いけながかずみ
ドラマー。京都市出身。‘80年代後半に鈴木勲、金井英人ほかと活動後、’89年にバークリー音楽大学の全額免除奨学生として渡米。’91年に米国政府から滞在芸術家としてアイオワ州のルーサー総合大学の特別講師として招聘される。5年の米国滞在を終え1994年に帰国。中牟礼貞則、石井彰、中川昌三、山口真文など国内の実力派ジャズアーティスト達と活動する傍ら、バート・シーガー、マグナス・ヨルト、クリスチャン・ブーストなどアメリカや北欧のアーティストとのレコーディングやツアーを重ねる。欧米各地のジャズフェスティバルにも多数出演、参加CDは50作品以上。国際的に活動している。現在は自己のグループやその他のセッションなどで活動を継続中。2002年より洗足学園音楽大学の非常勤講師として後進の指導にあたっている。2021年ジャズドラムの歴史書『52nd street beat』(ジョー・ハント著) を翻訳出版。
公式ウェブサイト graphic-art.com/ikenaga/Facebook:池長一美ライブ情報/全スケジュール

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