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特集『私のジャズ事始』

山下洋輔ニューヨークトリオ『SAKURA』 野田光太郎

先日、知人と一緒に山下洋輔の17枚組CDボックス・セット(2枚組を勘定に入れると18枚)「 Complete Recordings Of Yosuke Yamashita On Frasco ピアニストを聴け!」をざっと聞き返す機会があった。私がこのCDを買ったのは大学生の頃で、山下洋輔と富樫雅彦(per)のデュオを檜原村の山中にある野外ステージにまで聴きに行ったりと、自分の中の「ヤマシタ熱」が頂点に達した時期だった。

私のジャズとの出会いは「山下洋輔」という名前を知ったことに始まる。最初は筒井康隆の小説を読んで、筒井のエッセイを通じて知った山下や平岡正明の本にのめり込む、というお定まりのパターン。「世界で一番すごい音楽はヤマシタだ」といった刷り込みを徹底的に受け、そこまで言うんなら聞いてみようと、人生で最初に買ったCDが当時の山下洋輔ニューヨーク・トリオの新譜である『SAKURA』。童謡をモチーフにした比較的短い演奏という、今考えれば山下のアルバムではもっとも聞きやすい部類に入る作品だが、初めて聞いた時は何が何やらわけがわからず、ひどく困惑したものだ。

なにしろ、ジャズという音楽がどういうものかまったく知らず、「ウッド(アコースティック)ベース」や「ドラムセット」なるものも実物を見たことがない。したがって何の音がどこから出ているのか見当もつかない。おまけに童謡のメロディを演奏しているというが、それが変形されていてわからない。ようやく聞き取れたと思ったメロディがどこかに行ってしまい、わけのわからない音がたくさんあふれ出してくる。こちらは「アドリブ」という概念を知らないのだ。こんな音楽はお手上げだと思いつつも、せっかく買って「何が何だかわからない」のでは悔しいので、何とか理解してやろうと対峙すること十数回。ようやくジャズ演奏のパターンなるものがおぼろげに感じ取れるようになってきた。

そんな時期に発売されたのが同じくニューヨーク・トリオの『クルディッシュ・ダンス』。これはニューヨークの空気感が漂う名盤ですぐに気に入ってしまった。なんといってもタイトル曲での躍動感に満ちたリズム・セクションに自然と尻が弾む。呪文のようにループを繰り返していたピアノが突如として雷鳴のように駆けずり回る! ゲストとして加わったジョー・ロヴァーノ(ts)のスモーキーなサックスもじつにかっこよく感じたものだ。

このアルバムにハマり、他にも山下洋輔のCDを少しずつ買い集めるようになる。当時はまだ町のレコード屋さんが健在であり、比較的簡単にジャズのアルバムを見つけることができた。棚を前に「山下洋輔」という文字をひたすら探し求める。他は眼中にない。金が全然ないので、とにかく時間をかけてジャケットとにらめっこをする。裏面のデータを読む。曲名を見る。試聴はできない。勘が頼りだ。

これで自分にもジャズという音楽が何となくわかってきたぞ、という自信をつけて次に手を伸ばしたのが、山下洋輔のフリージャズ時代の名盤とされている『クレイ』だった。これは図書館にあった。盤をトレイに載せると何やら不穏な音階が。いきなり雰囲気が暗いです。メロディもリズムも見境がつかない。今度こそ何が何だかわからないぞ。そこへもってきて天から降ってきたようなドラムのとてつもない大爆音。と、すべての楽器が一斉に無茶苦茶な音を、全部出す! 嵐のようなすさまじい騒音。何だこれは!? こんなデタラメが許されていいのか・・? イスから転げ落ちそうになる。それにしても、こいつらどこまで続ける気なんだ・・。とてつもないパワーにあっけにとられていると、しかしこれライブ盤ということもあり、フィニッシュとともに客席から「ウワアーッ」という圧倒的な大歓声が。雨のような拍手の音を聞きながら、「この世には、こんなものもあるのか。こんなことをやってもいいのか」という驚きと、プロレスの場外乱闘にでも巻き込まれたような衝撃を受けたのだった。

今振り返ってみるとこの『クレイ』も、山下トリオのもっともわかりやすい演奏がパッケージされた、エンターテイメント性すら感じる典型的なフリージャズなのだが、当時は何をやっているのかまったく理解できず、これが山下のエッセイで言っていた「ドシャメシャ」ってやつなのか、とのけ反るばかり。またクレイというのがモハメド・アリのことだと知ったのもかなり後になってからだった。

そこから先は中古CD屋もマメに覗いて新旧のアルバム集め、そして山下洋輔のライブ演奏にもこわごわ足を運ぶ。ソロピアノ、ニューヨークトリオ、ゲストにラヴィ・コルトレーンが入った時も聴いた。オーケストラを引き連れての「ラプソディー・イン・ブルー」、和太鼓の林英哲とのデュオ、そして前述の富樫とのデュオなどは印象深い。とりわけ富樫雅彦の演奏には深く胸を打たれ、私が「ヤマシタ」一辺倒から脱却するきっかけともなった。また山下のソロを聴くために某所の「ジャズ・ストリ-ト」なるイベントにも足を運び、そこでついでに「普通の」4ビート・ジャズを初めて実際に聴く。何しろコルトレーンやマイルスも後になって知ったほどである。それほど「フリーじゃなければジャズじゃない」という入り方だった。そこから先の物語は、また別の機会に。

野田光太郎 

野田光太郎 Kohtaro Noda 1976年生まれ。フリーペーパー「勝手にぶんがく新聞」発行人。近年は即興演奏のミュージシャンと朗読家やダンサーの共演、歌手のライブを企画し、youtubeチャンネル「野田文庫」にて動画を公開中。インターネットのメディア・プラットフォーム「note」を利用した批評活動に注力している。文藝別人誌「扉のない鍵」第五号 (2021年)に寄稿。

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