JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 480 回

特集『私のジャズ事始』

巨泉のシャバドビア 原田正夫

自分にとって初めてのジャズは、小学1~2年生(6~7歳/1959~1960年)の頃に観ていた日本最初の探偵推理TVドラマ『日真名氏飛び出す』(ラジオ東京テレビ/現在のTBSテレビ)のエンディングに使われていたグレン・ミラー・オーケストラの“ムーンライト・セレナーデ”でした。
当時は曲名も、この曲がジャズとも知らずに聴いていたのですが、旋律の切なさとトロンボーン等の管楽器の柔らかな音の重なりに毎回感動。音楽が琴線に触れた、これが最初の体験となりました。
30代になってジャズを聴くようになると管楽器の音の重なりや編曲にすぐに耳がいくのは、この“ムーンライト・セレナーデ”を子供時代に毎週のように聴いていた影響があると思っています。

小学1~2年生の頃の思い出はもう一つあります。
この頃は銀座の外堀通りの旧日航ホテルのそばにあった一軒家に住んでいて、夜に布団に入ると近所のキャバレー(銀座8丁目にあったショーボート)の生バンドのジャズ演奏がかすかに聴こえてきたのですが、特に覚えている曲が“チェリー・ピンク・チャチャ(Cherry Pink and Apple Blossom White)”。
コンガ入りのラテンぽい演奏で、主旋律をとるトランペット奏者が伸びのあるとてもきれいな音だったので記憶に強く残っているのです。後年、ジャズを聴くようになり、リー・モーガン/ブルー・ミッチェル/ブッカー・リトル/ジョニー・コールズ等好きなトランペッターの音を聴くと、時に懐かしさを覚えるのはこの記憶のせいかもしれません。

そして17歳(1970年)になり、いよいよ私の「私のジャズ事始」を迎えることになります。
60年代後半からラジオの深夜放送がブームとなり、若いリスナーが深夜12時過ぎから始まるTBSの“パックインミュージック”やニッポン放送の“オールナイトニッポン”等を聴くためにラジオにかじりついていました。私は高校3年生(17歳/1970年)の頃からTBSの“パックインミュージック”にハマり出したのですが、深夜の“パックインミュージック”に向けて午後9時過ぎから自分の部屋でTBSにダイヤルを合わせ「ながら聴き」をしておりました。
この時に毎回、聴くのが楽しみになったのが、平日に毎日午後10時から放送していた大橋巨泉のジャズ番組でした。番組名は失念していましたが、このWEBサイトJazzTokyoで写真家の上原基章さんが連載されている『ジャズ事始』で触れておられるTBSラジオのジャズ番組“巨泉のシャバドビア”がその番組だと思います。
当時、大橋巨泉といえば日本テレビの『11PM』で松岡きっこや朝丘雪路と組む司会者という認識しかなかったのですが、ジャズ評論家でもあったと知ったのはこのジャズ番組“巨泉のシャバドビア”のおかげでした。

深夜の“パックインミュージック”へ繋げる「ながら聴き」だったのが、耳を傾けて聴く番組に変貌するのに時間はかかりませんでした。番組で取り上げるジャズ・ミュージシャンの紹介やジャズのスタイルの解説にとどまらない、その人生にまで踏み込む大橋巨泉の語り口に魅了されたからです。
ルイ・アームストロングとホット・ファイブの米国内楽旅(ツアー)の人種差別を含む苦労話、マイルスのマラソン・セッションやモンクとのケンカ・セッションの裏話、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンが渡欧すると米国内と違って「アーティスト」として扱われることに感動して欧州に留まるという60年代~70年代の話等々、社会や人生の機微まで音楽話に溶け込ます巨泉の話術は、当時やっとビートルズやハードロックを聞き出した高校生だった自分にも十二分に楽しみ味わえるものだったのです。

80年代に入ってからロックから転換してジャズを本格的に聴くことになるのですが、ジャズのディスクガイド本を買って勉強を始めた時、そこに登場するジャズ・ジャイアンツの名前を全て予め知っていることに自分で驚くことになります。なんで知っているんだろうと考えた時に思い出したのが、自分が高校生だった頃の“巨泉のシャバドビア”の聴取体験でした。若かったからでしょうか、そして話が面白かったからでしょうか、ミュージシャンの名前がちゃんと頭に刻み込まれていたのです。

モダンジャズからフリージャズ、フリーインプロまで幅広く聴く自分ですが、デキシーランドやスウィングの時代のジャズメンとバップ以降のジャズメンが共演して見事な調和を見せるスウィング・モダンのジャズもまた自分は好んで聴きます。きっかけは、エリントン楽団の名クラリネット奏者ジミー・ハミルトンと同楽団のアルトサックス奏者ジョニー・ホッジスを好きになりアルバムを集め出したことにあります。
そして、このスウィング・モダンの日本での呼び名が「中間派」であるのは廃盤店で諸先輩に聞いてすぐに知ることになったのですが、その命名者がジャズ評論家時代の大橋巨泉だと知ったのはインターネット時代になってからでした。

私がジャズを楽しみ、深掘りをする端緒に大橋巨泉の存在があったことは間違いありません。


原田正夫 はらだまさお
1953年東京生まれ。製本会社、紙媒体の編集業務、情報処理会社を経て1989年に喫茶店「月光茶房」を原宿に開業、現在にいたる。2010年刊行『ECM Catalog』初版の執筆・制作に参加。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください