#06 三上寛+神田綾子

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Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Lorenzo Menghi ロレンツォ・メンギ
art/design: mysterycuts.com

2021年12月6日(月) 入谷・なってるハウス

Kan Mikami 三上寛 (vocal, guitar)
Ayako Kanda 神田綾子 (voice)

(ファーストセット)
1. 甘丹香草
2. あれから~青氏
3. ダニィ坊や
4. 弥三郎節
5. 十三の砂山
6. 楢山節
7. 十九の春~夢は夜ひらく~明日のジョーなんか嫌いだ~戦士の休息
(セカンドセット)
8. 虹・レインボー~印・スタンプ~葉書・カモメ~故郷・ホームタウン
9. 高木恭造「まるめろ」~かけら
10. 負ける時もあるだろう
11. 大感情

初共演であり初対面である。たしかに三上寛は昔からアヴァンギャルドであり、先鋭的な即興ミュージシャンと同じ場を共有することは珍しくもない。独特のヴォイスを出す演者ということなら友川カズキや灰野敬二とだって共演している。だがかれらは同世代であり、同じ夜の空気を吸ってきた者たちなのだ。一方の神田綾子が活動してきたフィールドは日本のアンダーグラウンドではなく、東京やニューヨークの現代即興シーンである。リハーサル時はなごやかであったものの、その場には来るべき音に対する緊張感が隠しようもなく漂っている。三上はにやりと笑って「絡もうぜ」と呟いた。

はじまってみると、三上のうたに神田が近づいてゆくかたちとなった。もちろん神田の音は合いの手でも伴奏でもない。あたりまえのようだが、林栄一、川下直広、あるいは浦邊雅祥といった強い力を持つサックス奏者であっても、三上との共演では歌伴的になる。それとは異なり、声と声との重なりにより、三上の「ことば」による物語世界はすぐに三上と神田の音世界へと変貌した。

時間が経過するにつれ、三上が言ったように、ふたりのサウンドがギターの大きなうねりとヴォイスの大きなうねりとの「絡み」となっていった。うねりの山どうしが重なるのはたとえば「ダニィ坊や」における叫びと叫びであり、うねりの色が異なるのはたとえば「十九の春」における三上の当事者的な語りと神田の身体を借りた何者かの語りだった。

セカンドセットに入り、三上は「故郷・ホームタウン」においてなんどもなんども形容しようのない濁流を放ち、聴く者の情を溢れさせた。神田も別の化身となる。三上が咽び泣くような「かけら」では神田は鬼となり(魂という字には鬼が入っている)、「負けるときもあるだろう」においては慰撫さえもしてみせた。

最後の曲「大感情」となり、神田がステージを降りて三上だけを残したのは、決して三上を立てようとしたのではないだろう。今後の共演があったとして、それは神田の即興ヴォイスが三上のうたに寄り添ったり打ち負かそうとしたりするものではありえない。かれらは次の機会のなにか別のかたちをみているにちがいない。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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