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FeaturesNo. 217GalleryR.I.P. 菊地雅章

#32 Pooさんの靴

僕が電通の委託を受け、当時菊地さん(Pooさん)が専念していた Real-time Synthesizer Performance の音源の仕上げに菊地さんのチェルシーのロフトを訪れたのは1986年の12月の初めだった。当初はロフトからブルックリンのグリーンポイントにあるスタジオまでパートナーのダイアンが送迎を担当してくれていたのだが、4、5回も通ったところで送迎ドライバーが僕の担当になった。マンハッタンのでこぼこ道からトンネルを抜けてブルックリンのスタジオまで1時間弱。途中、ベーグル屋に寄ってスコティッシュ・サーモンとクリームチーズのサンドイッチを仕入れ、スタジオ近くのスーパーでコーヒーや紅茶を買い込む。胃に持病を持つ菊地さんには紅茶は良くないと思ったが、1日に何杯も紅茶を飲む。たばこは決まってViceroy。時にチャーオ。

10日もあればCD1枚分の編集はできるとたかをくくっていたのが大間違いで、クリスマスが近づいても遅々として作業は進まない。僕の自宅は里山の尾根の近くにあったので買い物にはクルマが必須。正月用品を買い込む必要があったので、クリスマスを過ぎた頃帰国を告げると、電通からは「正月用品は手配するから、心配するな。原盤が仕上がるまでNYで作業を続けて欲しい」のお達し。結局、1ヶ月以上かかって原盤を仕上げてやっと自宅にたどり着いた僕を待っていたのは、「その原盤はボツ」の菊地さんからのメッセージ...。

帰り際、さすがに申し訳ないと思ったのか僕に靴とフランネルのパンツをくれた。新品ではなく菊地さんのお古。当時、菊地さんは最新流行のReebokのスニーカーを愛用していた(僕もこっそり1足買い求めていた)。靴は茄子紺といったら良いのか本革のセミブーツ。お洒落好きの菊地さんらしい逸品である。パンツはチャコールグレーだった。有難くいただいて帰ったが未だに一度も履いたことがない。菊地さんが物故してしまった今、遺品として家族に返すべきだろうか...。(稲岡邦弥)

 

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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