連載第40回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
パトリック・シロイシへのインタビュー

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インタビュー: シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley
編集: ガブリエル・ジャーメイン・ヴァンランディンガム-ダン Gabriel Vanlandingham-Dunn
写真: Turbo
翻訳: 齊藤聡 Akira Saito

パトリック・シロイシ Patrick Shiroishi(bandcamp)
>> https://patrickshiroishi.bandcamp.com/

ロサンゼルスを拠点とするアルトサックス奏者パトリック・シロイシが、Thin Wristレーベルからまもなく新譜『Descension』を出す。この盤で、シロイシは強制収容所での個人的・政治的な領域を掘り下げている。彼の家族の歴史に関係することだからであり、また移民やマイノリティへの現在の抑圧にも通じるからだ。それは、音楽によるアクションに他ならない。

シロイシは言う。「2016年の秋から、第二次世界大戦時の日系アメリカ市民を対象とした強制収容所について真剣に調べ始めました。子どもの頃、両親が日系アメリカ人国立博物館に連れていってくれました。たくさんの当時の写真や文書があったけれど、何が起きたのかよく理解できませんでした。父方の祖父母はトゥーリーレイクの収容所で知り合い結婚したのですが、祖母は、亡くなるまでそこでのことを私に話すことはありませんでした。そのあたりに入り込み始めると、自然にインプロヴィゼーションにも浸透してきました。調べているとき、たまたまロブ・サトウ Rob Satoという日系アメリカ人アーティストに出会って話しました。彼の家族も収容所にいたのです。私たちが同じように当時のことを作品に反映しようとしていることがわかって、ロブは『Descension』のカバーアートを提供してくれました。」

シロイシは思い出す。「この盤のすべては、出てきたままの順でワンテイクで録音しました。セッションの前にメロディや形を準備することはしませんでした。レイヤーとノイズを演奏することを予想していたからです。私が現在の恐怖をどのように捉えているのかを示すようなものになりました。それはアメリカだけでなく、スーダン、ミャンマー、イラク、シリアでのジェノサイドで人の命が失われることの悲しさ。移民の子どもが両親から引き離されて収容所に入れられることへの怒り。いま、祖父母が育ったころと本当に怖ろしいほど似ていることへの不満。」

2018年に、ロサンゼルスのカフェで、音楽とその背景についてシロイシにインタビューを行った。

シスコ・ブラッドリー(以下CB): どんなふうにして、クリエイティブな音楽にたどり着いたのでしょうか。

パトリック・シロイシ(以下PS): 4歳のときにピアノを始めました。母親はその前から私がクラシック音楽を演るんじゃないかと信じていたそうです。お腹にいたころからそれで調子が良かったとかでね。ミドルスクールの5年生のとき、バンドでサックスを手にしました。いちばんクールじゃないかなと思ったのです。大学でサックス演奏を専攻したかったのですが、入ってみると、全員が統制されているのでした。技術的に自分より進んでいて威圧されました。そしてクラシック・ギターと音楽療法の専攻に行き着きました。いまでもサックス・カルテットやウィンド・アンサンブルやらで演奏できますよ。大学を出てから真剣に取り組み始めました。実験的な音楽に関しては奥手なのです。また、ジャズを聴き始めました。ソニー・ロリンズ  Sonny Rollins が最初です。二十歳かそこいらです。人生を変えた存在はジョン・ゾーン John Zornのネイキッド・シティですね。その前はソニー・ロリンズとジョン・コルトレーン John Coltraneの初期作品。それからゾーンの作品を聴いて、ぶっ飛ばされたわけです。これが自分のサックスへの道です。The Smellの近くで育ちました。私にとってずっと本当に大事な場所です。

CB: The Smellについてお話いただけますか。

PS: ジム・スミス Jim Smithが経営しています。彼は偉大なコミュニティをつくったのですよ。奇怪なロックが演奏されていて、そこでさらに音楽にさらされました。私に本当にインパクトを与えたバンドはふたつあって、バッド・デューズ Bad Dudesとイプシロン・アクルックス Upsilon Acrux。のちに共演したときは嬉しかった。はじめて自分自身の何かを発見した感覚で、それが美しいものだったのです。超濃厚な音楽で、ほとんど即興はありませんでした。奇妙な時間感覚で、繰り返しは限られていました。本当にハマりました。フリー・インプロヴィゼーションや創造的な音楽はそのあとです。

CB: 家庭ではどんな音楽を聴いて育ったのでしょうか?

PS: 母親がクラシックとジャズを聴いていましたけれど、私たち兄弟にはピアノのレッスンを受けさせました。出かけて音楽を見つけようとするのは高校になってからです。そのころは、昼食代をケチって、母親が弟を火曜日のバスケットボールの練習に連れていくときに、モールまで自転車で乗りつけて、CDを3枚か4枚買っていました。すぐに踵を返して帰宅したので、母親は私の外出には気付きませんでした。

CB: 当時これだと思った盤はどんなものでしたか?

PS: ええ、良いものもゴミも。Blink 182、Green Day、Dr. Dreなんてラジオでたくさん聴きました。懐かしいですね。いまそんな話をしているなんて変。ラジオだけでしたしね。盤は何度も聴かなければなりませんでしたし、だからそれがゴミなのか、それとも「おお、クッソ、実はめっちゃヤバいじゃん」なのか判断できたのですよ。

CB: はい。でも聴く体験はいまもみんなやっていることですよね。私が育ったときとまったく違うのが面白いです。ラジオで既に流れているのでなければ、先行して聴こうとはしなかったのですね。なんというか、「ああこのバンドを聴いたけど良かった」とか「最新盤を聴いた」とか。

PS: それか、「カバーが素晴らしいな、聴いてみよう」とか。

CB: 「新しい音楽」がなぜ刺さったのでしょうか?

PS: 音楽がそんなふうに聴こえるとは思っていませんでした。すべてのルールを壊してしまったのです。エネルギーに満ちていて、観にいくとそれを体感できました。そんなわけで、さらに惹きこまれたのだと思います。何もクソつまらないバック転をしたりギターを回転させたりスティックを空中に放り投げたりといったしょうもないことをしていたわけではありません。いくつかは旋律がかなり複雑で、まるで静かなものでしたし。

CB: ソロでの録音プロセスについて教えていただけますか。

PS: 最初の作品は祖母が亡くなったあとに書きました。2番目の作品は祖父が日本で亡くなったあと。両方とも喪失が反映されています。2番目のものは1日で書き上げました。『Tulean Dispatch』では、より日系アメリカ人の過去に入り込みました。私の祖父母は第二次世界大戦の間収容所に抑留されていたのです。そこで彼らは出会い、結婚して、出てから家族生活をはじめました。そのときの本当の話が教科書に書かれているわけではありません。歴史の本に記述があって、それについて祖母に尋ねたところ、黙り込んでしまいました。そのあと祖母に同じ話はしませんでした。大人になってもういちど考えてみると、再びそれが起きうると思いたくはなかったのでしょうね。日本人だけでなく、誰にでも。私にとっても正気とは思えません。だから…それがまた現実のものになる前に、誰かに伝えて感じてほしいのです。入って、抑留されて、出たあとのことを。

CB: 重たいですね。それを捉えた作品『Tulean Dispatch』はJazz Right Nowでも取り上げて、ライターのガブリエル・ジャーメイン・ヴァンランディンガム-ダン Gabriel Jermaine Vanlandingham-Dunnがレビューを書きました。個人的には、彼との間で、抵抗の音楽、特に黒人の革命的な音楽やジャズのさまざまなレベルのことを話していました。ブラック・パワーの時代、肌の色が黒や褐色であることに対する政治的な捉え方を変革してきた時代のことを。今もその松明を掲げて先鋭的なことをやっている黒人アーティストのありようについて、彼は話しました。そういったことをやめてしまった黒人アーティストのことも。あなたの盤を聴いて、彼は、「この盤!抵抗と、抑圧への闘いの音楽だ」と言いました。あなたがそれに対してどう反応するか、興味があります。

PS: ああガブリエルが。私には大きいことです。ミュージシャンは何かを表現するために音楽を創っているのだと思います。私がどこから来たのかを彼は理解できたということ、それが大きい。収容所抑留はもう誰の身にも振りかかってほしくないことです。このことを読んで髄から震撼しないのだとすれば、もっと調べて、人びとが何を体験したのかを理解する必要があります。アフリカ系アメリカ人にいまだに起きていることでしょう?ひでえクソみたいなことがたくさんあって、でも視ないふりをされている。

CB: アートを議論する際にこうしたことを関連付け続けることは大事です。『Tulean Dispatch』はソロとして4作目でしたか。

PS: サックスの4作目です。そう、ソロ4 作目(※『Descension』はサックスソロの5枚目となる)。リスナーがすべてを聴きとるコンセプト・アルバムであって欲しいです。経験をなぞった音楽です。静かにはじまり、本当に暗くなります。3曲目はとても不快・暴力的で、終わりには希望があります。アルバム全体でプリペアドピアノを使っていて、私のやったことはサステインペダルを踏むこと。ピアノの蓋・屋根を開けて、弦の共振を捕捉するため3本のマイクを設置しました。多くの時間は速いアルペジオの旋律で、そうやって対話を創り出すことができました。しかし同時に、記憶のように感じられるものにもしたかった。

CB: 『Black Sun Sutra』から『Tulean Dispatch』まで、どのように発展したのかお話いただけますか。

PS: 『Black Sun Sutra』ではじめて突破できたのです。私が最初に設定した目標は、毎年(自分の誕生日あたりに)、ただ個人的な発展のためにソロを書き録音することでした。この盤では、サックスにギターペダルとコンタクトマイクを使うという実験をやりました。最初の2枚はオレンジ郡(※カリフォルニア州)の同じ教会で、ノア・ゲバラ Noah Guevara が録音しました。私の好きな作品にエヴァン・パーカー Evan Parkerの『Whitstable Solo』(psi、2008年録音)がありますが、それも礼拝堂か教会で録音されたものです。聴くと、リヴァーブのような別の声が付加されていることがわかります。それで『Ima』で、フィールドレコーディングや他の要素を含ませようとし始めたのです。『Tulean Dispatch』では、『Black Sun Sutra』でやったようなアコースティック・スタイルに近づこうとしているのだと感じています。Thin Wristから出した『Descension』では、ギターペダルを再び使いました。コルトレーンへのオマージュのようなものです。私はずっとテナーサックスから距離を置いていたのですが、それは、コルトレーンがすべて可能なことをやり尽してしまい、自分にいったい何ができるのだろうと考えたからでした。でもオーネット Ornette Colemanだってクレイジーなことをやっている。私は単に圧倒されただけなのでしょう。アルトは本当に好きです。これが確かに私の声なんだと本当に思います。

それから、『Ima』的な世界を再訪してこの盤を完成させました。フィールド・レコーディングが沢山入っています。母親は、祖父の(日本語で)書いた詩を引用しています。祖父は短歌を書き、生涯で5冊の本を出しました。アートにも詩にも通暁した人でした。だからこの盤は面白いです。友人のロブ・サトウがアートワークを手掛けてくれたのですが、彼もまた日系アメリカ人です。彼とは、収容所跡を訪ねることや、将来何があろうとどうすれば同じことを起こさないようにできるかについて何度も話をしてきました。

CB: そうだろうと思っているのですが、スートラ(経典)は祈りのようなものでしょうか。

PS: はい。私は仏教徒として育てられました。『Black Sun Sutra』の1曲目は友人の僧侶のことです。彼は経典を読みながら即興もしていました。私の一部ですし、いまも私が創る音楽の一部でもあります。

CB: 何か仏教音楽のようなものに影響されたでしょうか。

PS: それはありません。実際に没入したこともないですね。私が聴いたものはほとんど日本で入手したものです。主にトランスとドローンです。

CB: なるほど。それとあなたはアンサンブルと共演して2枚出していますね。『Niño Pequeño y Hombre Gordo』はギタートリオですか?

PS: ギターソロです。ヘンリー・バラハス Henry Barajasとノア・ゲバラが1曲ずつ入ってくれました。私はギターを遠ざけてきましたが、それは、私よりもずっと良くて独自のことをやっているギタリストがそこいらに大勢いるからです。「何でやるの?」みたいな感じです、おわかりですか。

CB: 特に尊敬してきたギタリストはいますか?

PS: 何人かいます。ノア・ゲバラ、ポール・ライ(イプシロン・アクルックスで演奏)。ダン・ゲルチク Dan Gerchik(バッド・デューズ)、ヘンリー・バラハス。4人とも自分自身のサウンドを持っていますし、それが私の望むものです。それから勿論、メアリー・ハルヴァーソン Mary Halvorson。

CB: 『Anfinsen’s Landmark』はクインテットでしょうか?

PS: はい。マーティン・クーヘン Martin Küchenのことをご存じでしょうか?スウェーデン出身のサックス奏者で、いろんなことをやっています。ソロ、トリオ、Anglesというビッグバンド。ソロを演るのとは違う感覚で、クインテットと比較しても並外れた旋律です。『White Sun Sutra』ではギターペダルを使い、できる限りそれに倣いましたが、それでもグループのコンテキストとして聴いても面白いものになったと思います。友人たちも協力してくれて幸運でした。

CB: いいですね。今ふたつのバンド名が出てきました。イプシロン・アクルックスとコリマ Corima。両方とも激しいプログレなのでしょうか?どういうわけでイプシロン・アクルックスに入ったのでしょう?

PS: 観に行って、そのシーンに没入することになった最初のバンドのひとつです。さっき言ったように、高校のとき友人と連れ立って行ったのです。前の形は解散していて、ポールは新しい音楽を見出し、その結果、ツインギター・ツインドラムのカルテット(ポールとノアがギター、マーク・キンブレル Mark Kimbrellとディラン・フジオカ Dylan Fujioka がドラムス)に決めたのです。ユニットを結成してから2年くらいあと、ポールが Womb(私とディランとが組んでいるサックスとドラムスのデュオ)の演奏を観に来てくれました。ポールはその場で、試してみたいからすぐに加わってはどうかと訊いてきました。私はこのバンドから多くを学びました。彼は私たちが何をするのか、本当に何も言いませんでしたし、自分たちのパートを書く自由を与えてくれたのです。自分の演ることに焦点を当てて書くのは素晴らしいことで、だから創造的に前に進むことができました。

CB: 最初の盤を出したころにそのバンドに入ったのでしょうか?

PS: ええ。そのとき既にコリマに入っていました。創造的なセッティングでサックスを吹いたバンドとしては、ひとつめかふたつめでした。

CS: しかしそれにしても…。あなたはヒップホップ、激しいプログレ、それからあなたの言葉を借りるならば実験的、フリージャズ的、創造的な音楽が好きということですね。それはひとつのところに収まっているのでしょうか?2016年のヨーロッパツアーはどのようだったのでしょう?

PS: ええ、2016年にひと月ほどヨーロッパに行きました。はじめてでしたけれどアメリカよりはるかに良かった。夕食だって出してくれるんですよ!「はい、バド・ライト(※ビール)。2本目からは払ってくださいね」みたいな感じのところがあったり、飲み物も部屋も提供してくれるところもあったり。彼らは本当に温かい人たちで、もっといろいろくれるんじゃないかと感じたときも多かったです。たとえ観客が12人だったとしてもですよ。ここでは特定の場所でなければそんなところを見つけるのは難しい。今までに演奏したことのない場所に行くのは素晴らしいことです。もっと自由な音楽を演るために本当に戻りたい。まったく異質な体験だったと思います。

CB: どこで演奏しましたか?どこが飛び抜けていました?

PS: イタリア、フランス、チェコ共和国、スウェーデン、ドイツ、英国、ノルウェーで演奏しました。中でも「Rock in Opposition」フェスですね。夢がかないました。マグマ Magmaと共演して現実とは思えませんでした。ルインズの吉田達也も来ていました。それから最後の演奏は Cafe Oto でした。長いこと評判を聞いていた、もうひとつの場所でした。

CB: コリマには誰が?

PS: コリマのメンバーは、パコ・カサノヴァ Paco Casanova(キーボード)(ナカタ Nakataというデュオでも一緒に演っています)、セルジオ・サンチェス Sergio Sanchez(ドラムス)、ライアン・カミヤマザキ Ryan Kamiyamazaki(ベース)、アンドレア・カルデロン Andrea Calderon(ヴァイオリン)。今まで2枚出していて、もう1枚は完成間近です。

CB: 楽しみです。あなたは主にLAを拠点にしてきたのですよね。他の都市のシーンにつながったりはしていますか?

PS: 彼らは共演することができたなかでも間違いなく傑出したバンドでした。イプシロンの東海岸ツアーでは、セントルイスでヨーウィー Yowieと共演しました。ヒーローです。アヴァ・メンドーサとは Trans Pecos で共演しました。彼女がサンフランシスコに戻ってきたときにはコリマと共演もしたのですよ。ヨーロッパでは Honey Ride Me A Goat とやりました。英国で4日間共演しました。人が良くて、音楽は本当にヤバい。

CB: LAシーンについてもう少し話してもらっても?どこか特別な場所が思い浮かびますか?

PS: 私にとって特別な場所がふたつあって、The SmellとPehrspace(もうやっていない)。ここでやっていくのは大変で、すごくお金がかかるということでしょう。ですが、PehrspaceとThe Smellの偉大な点は、ほとんどヴォランティアによって支えられているところです。本当のコミュニティのように感じます。今では多くのクールな新しい場所がありますが、LAでは難しいと思います。新しい場所は1年か2年続いて、消えてしまいます。

CB: ニューヨークみたいですね。たぶんシーンを支える音楽は十分なのに、高級化させなければならないプレッシャーとか資金不足とかがある。ベイエリアだってシカゴだって。LAは音楽で何かしようとする人たちを引き寄せるところになっていますか?

PS: そう思いますよ。サンタアナにもクールなシーンがありますが、やっぱり同じことで、とても小さい。

CB: 地域シーンを代表するサウンドの要素は何かありますか?

PS: 「オー、彼らはニューヨーク出身なんだ」とか「オー、彼らは西海岸出身なんだ」とか「彼らはシカゴ出身なんだ」とか何とか言う人、いませんか?まず最初に、自分は語ることができるほど十分にLAシーンを知っているとは思いません。実際にアヴァ・メンドーサと話したことですが、ベイエリアは寛容で人びとが本当に聴いてくれる。ニューヨークの美学のひとつは超高いエネルギーを必要とするし、人びとはある意味で競争している。ひょっとしたら他の地域でもエネルギーがそんなふうかもしれません。

CB: LAの観客は?誰が演奏を観に来るのでしょう?

PS: 良い質問です。素晴らしいことに、あらゆる年齢層なんですよ。

CB: あらゆる?

PS: ほとんど。でも私について言えば、はじめて The Smell に行ったとき16か17くらいでした。新しい音楽に飢えたり、実際にアクティブに探し回ったりする年齢だと思います。友人に何がクールなのか訊いたり、ショウを観に行ったり。クソみたいなバンドがいることを知らなくても、それでも行ったりする、そんなものでしょう?それに、それが大事なのだと思いますよ(少なくともLAで育った私にとっては)。最近ソロ演奏をしたときもあらゆる年齢層がいました。16か17の子どもがふたり演奏していて、後で話をしました。飢えがまだそこにあるというのは本当に凄いことです。

CB: ニューヨークだとほとんどのショウが21歳以上です。これが本当に若者を切り捨てていると思います。しかし、16、17、18歳のときにはあらゆる年齢層が来ていたと話すミュージシャンたちにインタビューしたことがあります。彼らが21歳になったらたぶん引っかからないのかもしれないのだから、大事なのですよ。この年齢層の人種やジェンダーのこともあるし、LAシーンが少し違ったもののように思えます。ニューヨークではシーンでの黒人の存在の大きさが全体を左右してきた長い歴史があります。たとえばウィリアム・パーカー William Parker の世代ではたぶん80%が黒人でした。その後の世代は逆転しました。たぶん白人が80%くらいでしょう。シーンに人種間の緊張が多くみられる点は本当に対照的です。LAには、この音楽(そして他のすべて)の異なる歴史があります。ここでの創造的な音楽シーンの人口統計はどんなもので、どんな区分があるのでしょう?連帯できる点はある?見通しはどうでしょうか?

PS: もちろん男性に支配されていますね。今のところ、人種に関してはよく混ざっています。アジア人やメキシコ人がいて、白人が優勢とばかりは言えない。私たちは女性が公平に扱われるようサポートしなければならない、敬意をもって。確実に、人びとは女性を下に見て、違うように扱っています。クソですが真実です。

CB: その手の狂気はそこかしこにありますね。道を行進する生徒たちもいます。銃の暴力、警官の蛮行だってある。こんなことが残っている社会では、人びとへの影響は明らかに大きい。もしかしたら、あなたが最近のショウで感じたことと同様です。

PS: ありがとう。すべてが自由即興で行われています。本当に何と言うべきなのかわからない。明らかに誰しもの心の中にありますよね。皆に場所と機会を提供して互いにコミュニケートできるようにする、思いつきですけれど。

CB: シーンに至るまでの道はどんなものでしょう?音楽学校を出る?多くのミュージシャンが独学?コミュニティや組織はありますか?

PS: 今それを考えていました。少なくとも気付いている以上には、ストレートアヘッド・ジャズのシーンは USC(南カリフォルニア大学)やセロニアス・モンク・インスティテュート(※現ハービー・ハンコック・インスティテュート)を出てきていますかね。CalArts(カリフォルニア芸術大学)を出て、さらに前衛的なことをやっている人も多い。私が一緒に共演する人たちの多くは独学。私は音楽学校にも行った。クラシックギターを学び、サックスはまったく勉強しなかったことは、後から考えたら嬉しいことです。

CB: やっていたらどうなったでしょうね?

PS: 違ったように演奏していたでしょう。私は自分の経験からしか話ができません。しかし、それは違うエネルギーだろうと推察します。

【翻訳】齊藤聡(Akira Saito)

環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley

ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭(文化史)をとる傍ら、2013年にウェブサイト「Jazz Right Now」を立ち上げた。同サイトには、現在までに30以上のアーティストのバイオグラフィー、ディスコグラフィー、200以上のバンドのプロフィール、500以上のライヴのデータベースを備える。ブルックリン・シーンの興隆についての書籍を執筆中。http://jazzrightnow.com/

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