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InterviewsNo. 273

#214 .es(橋本孝之&sara)+林聡インタビュー:アートと音楽の未来へ向けて

Interviewed by 剛田武 Takeshi Goda / December 2020

2009年の結成以来、音楽とアートで革命を企てるコンテンポラリー・ミュージック・ユニットとして独自の存在感を放ってきた.es(ドットエス)が、ソロ・アルバムを含む3枚のアルバムを同時リリースした。3枚とも7インチアナログレコード仕様ジャケットに現代アートが高品位に印刷され、解説カードやCD盤面、さらにCD収納袋にまでこだわった美麗な装丁になっている。今回の3部作リリースに合わせ、.esメンバーの橋本孝之とsara、そしてプロデューサーの林聡にメール・インタビューを行った。アートの現場から稀代の即興音楽が生まれるまでの軌跡は?彼らはこれからどこへ向かおうとしているのか?JazzTokyo初登場のsaraと林のユニークな経歴と思想にも注目してほしい。


PROFILE

.es ドットエス:橋本孝之&sara
2009年、大阪の現代美術画廊「Gallery Nomart(ギャラリーノマル)」をホームに結成。橋本孝之(alto sax, guitar, harmonica)+ sara(piano, others)の二人によるコンテンポラリー・ミュージック・ユニット。 現代美術ディレクター林聡がプロデュース。

結成当初より現代美術をはじめ様々な表現領域とのコラボレーションを行い、国内外にて活動を展開。2013年 P.S.F. Recordsよりアルバム「void」リリース。領域を縦横無尽に横断する音楽家として独自の存在感を放っている。

アートシーンでは2011年「させぼアートプロジェクト」(長崎)、2013年 静岡市美術館、2016年 大分県立美術館にて招聘公演。2017年 / 2018年「龍野アートプロジェクト」(兵庫) 連続出演。

音楽領域においては、即興、ノイズ、電子音楽、ジャズ、ロック、クラシック、現代音楽など国内外の音楽家達とのコラボレーションによって生まれるボーダレスな世界― “音”と“音楽”の間(ま)で交錯する感覚を表現する。

 

林聡 Satoshi Hayashi(ノマル・ディレクター / .esプロデューサー)

photo by 金村 仁 Hitoshi Kanamura

大阪教育大学教育学部美術学科卒業後、1989年に株式会社ノマルの前身である「版画工房ノマルエディション」のディレクターに就任。1994年にデザイン編集スタジオを設立し、作品制作や出版にデジタル技術をいち早く導入。1999年よりギャラリー開設(現 ギャラリーノマル)、2009年より前衛音楽のレーベル/発信拠点も稼働。
30年以上に亘り現代を生きるアーティスト達との共創を続け、ノマルは「稀有なアーティストの交流拠点」「奇跡の実験工房」と評される。
Nomart(ノマル):Nomade(遊牧民)+Artの造語。決まった形をとらずに、根っこは張り巡らしても定住せずにあらゆることにチャレンジしていくという姿勢を表している。

 

橋本孝之 Takayuki Hashimoto(サックスプレイヤー/ギタリスト/ハーモニカプレイヤー)

photo by はたさちお Sachio Hata

1969年大阪生まれ。幼少時代をインドネシア、中学時代をフィリピンで過ごす。15歳の時にギターから音楽を始める。同志社大学経済学部卒業。2009年、林聡、saraと「.es」を結成。ソロアルバムとしては、サックスソロ『COLOURFUL』(2014年)、藤本由紀夫作のオルゴールギターソロ『Sound Drops』(2014年)、ハーモニカソロ『SIGNAL』(2016年)、『ASIA』(2017年)、『CHAT ME』(2020年)、をリリース。2015年、kito-mizukumi rouber(キト-ミズクミロウバー)に加入。2016年、アルバム『グンジョーガクレヨン』にフィーチャーされる。2017年、内田静男とのユニット「UH(ユー)」を結成。

橋本孝之ロングインタビュー

 

sara(ピアニスト etc.)

photo by 笹岡克彦 Katsuhiko Sasaoka

5歳からクラシックピアノを始め、10代より濃厚な音楽活動を重ねる。.esの語源でもあるフラメンコ(舞踊)も30代より継続。
ノマルのマネージャー/クリエイティブ・ディレクターとしての長年の経験と、同時代を共に生きる現代アートのアーティストたちとの深い関わりから、創る力は最強のサバイバルツールであると考える。表現者を支え自らも表現する活動をミッションとする。
音楽表現/ピアノ演奏においては、自らの体験を比類なき音楽言語へと昇華。ジャンルレスな独自の音楽世界を切り拓く。

Gallery Nomart website

.es website


INTERVIEW

■生い立ち

Q:橋本さんには以前のインタビューで詳しい生い立ちをお聞きしたので、林さんとsaraさんのプロフィールをお尋ねしたいと思います。まず、お生まれは?

林:1964年大阪生まれです。現在56歳。

sara:広島生まれ、大阪育ちです。
広島はエンジニアだった父の仕事の赴任先で、5歳の時に父の出身地である大阪へ引っ越して今に至ります。

Q:どんな子供でしたか?

林:ごく普通です。マセていたかなー。高校で落ちこぼれるまでは勉強しないのに成績は良かった。友達は不良ばかりなのに自分は成績は良い、いわば影番的存在でした。隠れて悪い事するタイプ(笑)

sara:大人からは「とても感受性が強い」という言葉をもらうこともありましたが、子供でも大人でもない、複雑な存在だとずっと感じていました。小学校高学年になると既に高身長で大人顔、まず子供には見られないし、内面的にも周りの子供との違いに困惑してばかり。
何のために生まれて来たのか、自分は何者かと悶々としていたり―15歳の頃、ある日ふと、周囲は自分が感じていることを何も感じていない!と気づいて途端に気が楽になりました。感じすぎる性質への自覚から一周して、どんどんタフになっていった。

Q:音楽との出会いを教えてください。

林:小学生の頃からお小遣いでギターを買って、ロマン派クラシックのレコードも聴いていて。
でもホルストの惑星のオーケストレーションに惹かれたり変わった聴き方でした。高校ではギター・マンドリン合奏クラブに所属し、そこで指揮者として棒を振り、編曲なんかもしました。
音響そのものにも興味があって、子供の頃から自分でスピーカーやアンプを作ったりしていた。2014年に「FACTORY HOUSE」というブランドを立ち上げて自作のスピーカーを大小5点とその時に最高だと思っていたオーディオシステムを仕入れてノマルで展覧会をしました。入れ込み過ぎて倒れて、今は周囲に止められていますがまたいつか続きをやりたい。

Q:.esに通じるような実験的な音楽は聴いていましたか?

林:サティやブーレーズの実験音楽は聴いていました。でもそれよりストラヴィンスキーやバルトークの方がかっこいいと感じていた。

Q:saraさんの音楽との出会いは?

sara:兄と姉がピアノを習っていて、母のお腹の中でその音を聴いていたのが最初だと思います。母はコンサートや映画、バレエの公演、美術館へもよく連れて行ってくれましたが、劇場での音体験には鮮烈な記憶があります。

5歳からピアノを習い始めましたが、練習はサポってばかり…小学6年から独学でギターを始め、弾き語りなどしていました。中学生になるとロックど真ん中、エレキギターを弾きたくて軽音楽部に入部。ピアノもロックやポピュラーをアレンジして弾く楽しみを覚え、ピアノの先生をがっかりさせていたので、高3で進路を音楽に決めた時、あなたがクラシックを選ぶなんて!と驚きつつも喜んでくれたのを思い出します。そして大学ではピアノを専攻。振り返ると多くの学びを授かりました。

幼い頃から教えを受けた先生はロマン派の美しい音色を愛する方でタッチや歌心を受け継ぎました。高校生の時、ドビュッシーを弾いてみたいと言うとああいう音楽はやらなくていい、と(笑)。対して大学のピアノの先生はドビュッシー、ラヴェルなど印象派を得意とする方でその響きに魅せられました。レッスン中に「あなたはロマン派の音がする」とやや否定的に言われたことがありましたが、逆に感心したのを覚えています。「練習」は相変わらずしませんでしたが、二人の先生から歌心とニュアンス、両方を吸収していると思います。

今、ドットエスのホームであるギャラリーノマルに常設しているピアノは、母のお腹でその音を聴いていたピアノ、そして生まれて初めて弾いたピアノで、ドットエスのほとんどのアルバムはそれで録音したものです。昔は絶対に弦を触っちゃいけないと言われていましたが、今は素手で引っ掻いたりマレットで鳴らしたりボディを叩いたりと好き放題…でも、ピアノは許してくれてるかなと勝手に思っています。

Q:saraさんのこれまでの音楽活動を簡単に教えてください。

振り返ると、関西発の音楽シーンを語る上で欠かせない人たちと10代から何らかの形で関わって来ました。今も交流があるのは美川俊治氏。彼のノイズ初体験セッションは二十歳位の時で、その音源がアルケミー・レコードからリリースされていたのを知ったのは20年以上経ってから(笑)
電子音楽の先駆的なイベントに誘われLaptopの人達に混じってヴォイスで参加したり、メジャーデビューしたバンドに一年間ほどキーボードで在籍していたこともあります。アマチュアバンドもあらゆる音楽ジャンルを常にかけ持ちしていました。その間も、自然に即興でピアノを弾いたりしていました。即興演奏は、遊びの延長でした。

30代になった時、気が入っていなくても指を動かせてしまうことに危機感を覚え、活動を閉じてみたところ意外にも支障がなく―10年以上、ピアノにも触れていませんでした。その間はリスナーで、聴き続けられる音楽を探す旅をしていたような時期です。レコード店を巡って片っ端から未知のジャンルの試聴をしたり、ECMレーベルや民族音楽、実験音楽の類もけっこう聴いていました。旅の途中で出会ったフラメンコの音楽は一生聴き続けられる!と感じ、フラメンコのCDやビデオの虜になった時期もあります。
そんな長い旅の果てに辿り着いた地がドットエス、という気がします。

Q:好きな音楽家、影響を受けた音楽家は?

sara:特に誰かに執着した事はないのと、あまり名前を覚えないのでパッとは浮かびませんが―接してきた音楽、全てから何らかの影響を受けていると思います。
クラシックピアノは不熱心でも、好きな楽曲を弾く時は入り込みました。ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ドビュッシー、バッハetc.響きや旋律は今も影響を見いだす事があります、あくまで自分本位の解釈ですが。ロックやフュージョン、ファンクからはビートの熱を。先駆的/前衛的な音楽体験からは自由を。そしてフラメンコからはアイレ(空気感)を―。旅の途中で出会った全てが自分の血に流れている気がします。
ドットエスを始めてからは日常的に音楽を聴かなくなりましたが、自分の中に無数の音の脈があり、いつ何が掘り起こされるか自分でも分からないという点で、即興演奏に向いているように思います。

■アートへの道

Q:林さんは美術の道に進まれましたが、きっかけは?

林:大学に行こうと思ったけどこれ以上勉強するのも嫌だし、という感じで手先も器用だったし教育大の美術学科を目指すことにした。放課後、担任の先生にモデルになってもらってデッサンを始めた。高校デビューです。

Q:大学は美術専攻ですね?

林:そうです。教育大の美術専攻だから基本的に教師を目指す。僕は教職にも興味ないのでサボって遊んでいました。母子家庭ということもあって入学金免除、授業料半分免除という待遇で入学したのに2回生で落第して免除も取り消しになってしまった。素養はあったのに活かせないのは今も同じ。結局7年かかってなんとか卒業しました。起業する夢を相談した指導教官の「卒業だけはしたほうがいい」という励ましと尽力のあったおかげです。そうでなければ僕自身は中退でいいと考えていましたし、教職も卒業の必修だったので履行しましたが、もう教職員免許も失くしてしまいました。小学校から高校まで教える資格はあったはずなんですよ。

Q:saraさんの美術への興味は?

sara:大学進学の際に、音楽か美術か文学かで迷いました。弾く描く書く、感覚的にあまり差異を感じていませんでした。音楽を選んだのは、受験科目として新たに身につけるメソッドのハードルが低く感じたという単純な理由でした。
人が何かを創造する動機や瞬間、過程には、昔から強い興味がありました。それはアートでも音楽でもその他の表現であっても同じで、今なお興味は尽きません。

Q:橋本さんは、ビートルズ経由でオノ・ヨーコさんとフルクサスに関心を持ったとお聞きしましたが、美術全般へのご興味は?

橋本:もちろんあります。その中でも特に興味があるのは、マルセル・デュシャン以降の現代美術ですが、どちらかと言うと過去の名作よりも現在進行形で新しい表現の可能性を模索しているアーティスト達に関心があります。音楽も同じなのですが、世の中で既に価値が確定しているものにしか興味を示さない人が多いという現状については、とても残念に思っています。このインタビューを読んでくれている方もそうなのですが、私たちの活動に関心を持っていただいている方には、いつも感謝しています。

Q:林さんとsaraさんの出会いは?

林:大学の時、パフォーマンスのイベントなんかを企画してまして、その時のメンバーの友人としてよく練習を見学に来ていたのがsaraさんです。

sara:同じ大学で林さんは美術専攻、私は音楽専攻でした。共通の友人を介して、当時学内でも尖った表現活動をしていた林さんのグループの音とアートと演劇を一緒にしたようなパフォーマンスを見に行ったのが最初だったかと思います。
林さんは大学を卒業してすぐにノマルのディレクターとなりました。創成期は「版画工房ノマルエディション」という出版工房がメーンで、ちょくちょく遊びに行くと常に現代美術作家が居て、新作が生み出される様に高揚しっぱなしでした。
そしてやがて、見ているだけでなく自分も創造の場を担いたいと思うようになり、ノマルに腰を据えました。

■ノマル設立から.es結成へ

Q:林さんが美術家(表現者)ではなく、ディレクターの道を選んだ理由は?

林:高校の時から指揮者としてオーケストラのみんなと自分で編曲した曲を創り上げたりすることが楽しかった。ギターも弾いてたけど全体を組み立てていくことにもともと興味があった。一番大きかったのは大学生時代にアメリカの版画工房の展覧会を見に行って衝撃を受けた。それまで知らなかったスケールと今でこそ使い古されたけどコラボレーションというもの。それを日本でも実現したいという思いが起業に繋がります。

Q:ノマルは版画工房からデザイン編集スタジオ、現代美術ギャラリー、前衛音楽レーベルへと拡張を続けています。こうした変化(進化)を林さんは想定していたのでしょうか?

林:全く想定していませんでした。現代美術から自然発生的にデザイン、出版、音楽と、生まれてきました。今ではそれが必然のように僕の中でそれぞれは繋がっています。

Q:2009年にフラメンコ教室での出会いから.esが誕生するわけですが、そもそもsaraさんのフラメンコへの興味は?

sara:音楽活動の中断期に、たまたま近所にあったフラメンコ・スタジオへ入門しました。予備知識はゼロ、はじめは軽い気持ちで踊っていましたが、やがてフラメンコは単なる踊りではなく天と地の間にある深い表現で人生そのものであると思い至り―今もフラメンコは特別な存在で、踊りも続けています。
日本で生まれ育った自分がフラメンコのコンパス(リズム)を血にするのは不可能だと思うのですが、フラメンコ用語のドゥエンデ―魂を揺さぶる力とか魔力などと言われますが―その境地そのものに興味があります。最近よく使われる「ゾーン」より深い境地だと想像しますが、自分なりのドゥエンデが踊りや音で表現できるのではないかと―。フラメンコは未知の領域を含めて心身一体の確認時間でもあります。楽器演奏は指だけでなく身体や呼吸、全てが重要だと思いますので。
3年前から身体の軸を鍛えたくてバレエも始めましたが、やがて全てを合わせた表現になっていけばいいなと思います。ピアノが一番自在に表現できる手段ですが、その感覚を全身に繋ぎたい。そして楽器も、ジャンルも、何もかも境界が無くなっていくのが理想です。指も身体もやがて動かなくなるでしょうが、その時に何が残るか楽しみです。

Q:林さんもsaraさんと一緒にフラメンコ教室に通っていたそうですが、ご自分も踊りや演奏に興味があったのですか?

林:踊りはそうでもないですがパコ・デ・ルシアのCDは殆ど聴いていました。一時期はかなりのギターコレクターでした。演奏よりなんか形から入るくせがあります。でも音楽は好きでした。少しはギターも弾いた。

Q:その教室で橋本さんと出会うことになりました。第一印象は?

林:明るい好青年。でもどこか裏があるに違いない(笑)
今でもわかりやすいようでどこかミステリアス、見つけきれない裏が魅力なんです。

sara:第一印象は、よく喋りよく笑う人。そして自分も他人も全肯定出来る人。「自分自身を愛せない人は信用出来ない」と言ってたのも印象深い。
活動を始めた動機は、橋本氏のパンク精神かと。互いのことをよく知らない、音楽歴も知らない段階で彼が「何か始めませんか?」と。え?何ができるの?と思いましたが、楽観的な第一声から始まったのがドットエスで、当時は彼が即興演奏をしていることすら知らず。不思議な始まりでしたが、活動は12年目に入りました。
ジャンルも楽器も問わない、何だっていい―ドットエスは「全肯定」で自由に表現できるのが性に合ってるんです。

Q:では橋本さんから見た林さんとsaraさんの第一印象はどうでしたか?

橋本:林さんは「物静かで温厚な紳士」、saraさんは「とても華やかな人」というのが第一印象でした。

Q:出会って間もなく3人でGallery Nomartでリハーサルを重ねるようになりました。その意図・目的は?

林:音空間の良さと、何しろ僕のお城みたいなものですから。最初はそこで探るようにいろいろなことをして遊んだ。

Q:Gallery Nomartという美術の場に.esという音楽を取り入れた意図は?

林:美術を仕事にしながらも表現は垣根を超えると信じています。またデザインや出版をしていたという事も音楽に自然と繋がりました。美術教育という壁が自由を奪う面もある。でもクロスプラットフォームに表現を追求していきたい。

Q:林さんは演奏ではなくあくまでプロデューサーの立場を貫いていましたが、.esをどのようにしたかったのでしょうか?

林:学生の時やっていたパフォーマンスと同じで組み立てや全体のイメージなどがあってそれを2人の演奏者とともに創って行きたかった。今はもっと客観的に見ていてアート作品をコラボレーションで生み出す感覚に近い。

Q:saraさんのノマルのクリエイティブ・ディレクターとしての立場と、音楽家としての立場の関係は?

sara:ノマルのコンセプトは「SENSES COMPLEX – 五感を超えて、感覚が交差・拡散する地点」 です。制作工房であり、ギャラリーであり、デザインオフィスであり、前衛音楽の音響空間であり―あらゆる囚われから解き放たれた“開け”のある場所だと思いますが、それを体現するのが表現者としての自分の役割だと思っています。
実務的な話だと….林さんは「アーティストを創るアーティスト」だと昔から感じています。サーバのシステムを自分で組む、と言って分厚い専門書を5-6冊買って帰ったかと思うと、翌朝には「全部読んだ」といきなりシステムを構築し始めるような超左脳と、アーティスト自身が見えていない部分を拓いて次の道を示唆しアイデアを生み出し続ける超右脳、その極端なバランスの間を繋ぐ役割が必要で、ノマルにおいては何故か自分は敏腕マネージャーです(笑)

Q:.esの作品・活動についてはJazzTokyoでも何度か紹介されていますが、それぞれ.esの活動に於いて重要だと思う作品を1枚選んで、その理由やエピソードを紹介していただけますでしょうか。

林:『オトデイロヲツクル』。タイトルにも思いがあったしアルバムアート(中原浩大)もアルバムのために作った作品アイデアだった。CDに加えて24bitのデータ盤プレスも前提とした録音&マスタリング(能美亮士)、ライナー(鈴木創士)もランボーを引用と、フュージョンしていた。オトデイロヲツクル、まさしくでしょう。

sara:2013年にP.S.F. Recordsからリリースいただいた『void』です。その音源が生まれた背景も含めて奇跡的な作品で『阿部薫2020』にもそのくだりを寄稿させていただきました。ギャラリーノマルでのライブ音源が外部からリリースされた第1作目である事も重要ですし、それまで縁の無かった方々からのコンタクトが一気に増えるキッカケにもなりました。
もう入手不可能となってしまいましたが、それ故に思いの深い1枚となりました。

橋本:とても1枚を選ぶことは出来ませんので、最新作である『Altas』と『カタストロフの器』とさせてください。

Q:アルバム・タイトルは林さんが命名しているとのことですが、どのようにインスピレーションを得るのでしょうか?

林:直感です。心に残ってるフレーズの中からしっくり来るものを直感的に選びます。早いし悩まないで す。 最初に言葉が生まれて、そこからアルバムアート、デザインに繋がっていきます。

Q:saraさんは2015年にリーダー作『Tinctura』を発表しました。そこで得たものは?

sara:能勢伊勢雄さんとの出会いから生まれたのが『Tinctura』です。ギャラリーノマルで2014年に開催された能勢伊勢雄個展「ティンクトゥーラ展—ゲーテ色彩論から」会場でのライブ・レコーディングで、タイトルも展覧会と連動。ライブは展覧会の関連イベントとしての位置付けでした。アルバムとしての「Tinctura」はチェリストのkiyo、河端一(Acid Mothers Temple)、Yung Tsubotaj(EP-4)、橋本孝之、各人+saraのDUO構成で、実際のライブも次々に入れ替わる音楽家との即興による連続セッション。能勢さんはレコーディング、ジャケのアートワーク、ライナーノーツまでトータルに関わってくれました。
才能ある人々との交差で、ノマルならではの“歪み”を生じさせることが出来たと思います。

Q:それ以降.es以外の音楽活動はしていますか?

sara:ギャラリーノマルでの音楽ライブにソロ出演したり何人かの音楽家とセッションをしたくらいですが、数年前から活動そのものへの感覚がどんどん変化しています。
日常そのものが活動である、という感覚。それは音楽であっても何でもいいのですが、ここぞの瞬間にどれだけ集中できるかが重要で、何の変哲も無い日常の送りも、その過ごし方が音や音楽を創っていると思います。
2020年前半はコロナ事情でライブは延期、中止の嵐でしたが、演奏している時もしていない時も、研いでいますから―今、この瞬間にも、集中の演奏に入れるように。

■最新作3作について

Q:今回の3作でそれぞれ別の美術家とコラボしています。それぞれの音楽との関わり方をどう思いますか?

橋本:まずドットエスの2作品については、『Atlas』『カタストロフの器』という展覧会がテーマで、それぞれ稲垣元則さん、黒宮菜菜さんという美術作家のオリジナルなコンセプトに基づいて演奏をしています。ソロ作品の『CHAT ME』については、美術作家の山田千尋さんの作品を、ご本人に直接お願いしてアートワークに使用させていただいたのですが、アルバムの完成には、この絵が必要だという明確なイメージが自分の中にありました。ちなみに、原画も自ら購入させていただいたほど気に入っています。

Q:saraさんはいかがでしょうか?

sara:3作は、危機感と緊張感の賜物かもしれません。橋本氏のソロ『CHAT ME』はステイホームでの異質で異様な問題作ですし、彼がアートワークに迷いなく選んだ山田千尋のドローイングもこれ以外考えられないほどの添いを感じます。ドットエス+林聡の『Atlas』は、アーティスト稲垣元則がほぼ毎日ギャラリーへやってきてドローイングと展示替えをやり続けるという、コロナ禍ならではの態度を投じた個展「Atlas」空間から漏れ出た音。ドットエスとしては4年ぶりのアルバム『カタストロフの器』も、アーティスト黒宮菜菜個展「カタストロフの器」会場でしか生まれ得ない音像―演奏中の事をあまり覚えていないのですが、彼女の絵画の中で溶解していたような体験でした。
コロナ禍中で苛まれながら作品と向き合ったアーティスト達、その展示空間に在る見えるもの見えないもの、全て含んだアルバムになったと思います。

Q:橋本さんが今年6月に自宅マンションで録音したソロ作『CHAT ME』は自粛期間がなければ生まれなかったかもしれません。制作意図を教えてください。

橋本:ステイホーム期間に、そんな状況にふさわしい作品を作ってみたいと思ったのがきっかけでした。自宅で演奏が成立する、大音量に依存しないもの、あと混沌とした世の中で、あらためて自分の精神と正対するような作品を。

Q:これまでのソロ作品も「独りきり」ということを強く感じさせるものだったと思いますが、『CHAT ME』を作ってみて「独りきり」の意味は変わりましたか?

橋本:まず『CHAT ME』というタイトルですが、プロデューサーの林さんが付けてくれました。真意は確認できていませんが。タイトルから「独りきり」というイメージを強く想起されたのでしょうか?実際に録音は独りきりの部屋で行いました。フラメンコギターで今回のような奏法をやってみたのは、本作をレコーディングしたのが初めてだったので、どんな演奏になるのかもわからず、もう一人の自分が、事の成り行きを観察しているような不思議な感覚でした。また作品ということにおいては、山田千尋さんのアートワーク、ミシェル・アンリッツィさんのライナーノーツ、茨木千尋さんの和訳、ギャリーノマルのデザイナーの冨安彩梨咲さんと素晴らしいスタッフの皆様のチームワークで完成したものです。あと自分の活動をいつも応援してくれる先輩や仲間の支えがなければ、このような作品は完成できなかったと思います。

Q:デュオの『カタストロフの器』では、音源としては『オトデイロヲツクル』(2011)以来久々にエレキギターを使っています。橋本さんにとってエレキギターでの表現とは?他の楽器とはどう違うのでしょうか?

橋本:普段使用しているアコースティック楽器との違いですが、「スピーカーから音が出る」ということ、「フィードバックする」ということでしょうか。今までのソロ演奏やドットエスで、エレキギターを積極的に使用しなかったのは、スピーカーというものを全く使用しない音を追求してみたいという気持ちが強かったからです。今回エレキギターを使用した理由なのですが、当初は、『CHAT ME』のようなアコースティックギターでの演奏をドットエスのライブに持ち込むことを検討していました。それがどうもしっくりこなかったので、エレキギターに持ち替えてみたというのが経緯です。今回使用してみてあらためて思ったのが、エレキギターの最も美しいサウンドは、フィードバックにあるということでした。

Q:トリオの『Altas』で音源としては初めて林さんがLaptopで演奏に参加しましたが、その意図は?

林:ホースを使って周りの雑踏の音を演奏に取り込もうとしたことがあった。環境音と演奏の同時性の為のアイデア。音と音楽に違いはない―その ために Laptop でなにかできないかと思った。もっと誰か得意な人に意図を伝えてやってもらったほうが良かっ たかもしれないけどとにかく実験です。

Q:.esの二人の楽器演奏に、環境音(フィールドレコーディング)で背景・アンビエントを作る方法論はアート的に感じられました。林さんとして自分は音楽家ではなく美術家である、という気持ちはあるのでしょうか?

林:アンビエントになってしまったかもしれないけどネットで拾ったフリー音源です。たまたま落ちてた音。たまたま鳴っている音。僕は自分を音楽家とも美術家とも思ったことはない。表現者ではあるのだけど、高校生の時していた指揮者のような位置かもしれません。

Q:.esのおふたりは林さんが入ることでどのような化学反応があったと思いますか?

橋本:アートをやりたいと思っている一方、まだ心のどこかに、音楽としても及第点を取るべきだという考えに執着している部分があったのですが、林さんが入ることで、より多角的な視点を獲得することが出来て、よりニュートラルになれたと感じています。

Q:saraさんは?

sara:化学反応と言えるのかどうか分かりませんが、演奏もアルバムも、音楽家ならやらないよね?の連続でとても新鮮でした。これまでもノマルからリリースしたアルバムのほとんどは林さんがマスタリングをしていますが、すべて独特だと感じています。いわゆる音楽的では無いというか―『Atlas』がどう受け止められるかは分かりませんが、色々異質という点で愛着があります。
実はマスタリングの際にもう少し音を加えたいと林さんが言っていたので、何日間かレコーダーを持ち歩いて色々とフィールドレコーディングしてみたのですが、全て不採用で(笑)。ネットに落ちている程度の音、というのは拘りがあったのでしょう。

林:そう、拘りがあった。

Q:今回リリースの3作はすべて2020年コロナ禍の録音ですが、コロナ禍以前と比べて、制作者としての意識に変化はありましたか?

林:あります。2020年年末にギャラリーノマルで企画したグループ展「Self Portrait」—アーティストが自身の作品だけでなく広くアーティストとしての自身というものを考えるというテーマがありましたので、それはコロナでより切実な意味を持った。ドットエスは3枚のアルバムで3種の側面を、そしてデ ータではなくアルバム自体を愛おしいものにしたかった。

sara:2019年はノマル30周年で『アートの奇跡』という周年記念本の編集に8ヶ月間向き合ったことで、ノマルの活動に自信と使命を持ち、同タイトルで『阿部薫2020』にも寄稿させていただきました。
コロナ禍で日常も環境も変化しており日本も世界も大変ですが、どんなに長く生きてもせいぜい百年の短いスパンですから、何があろうが淡々と粛々と使命を全うするのみという気がしています。意識に、変化はないと思います。

橋本:より目指すべきことが明確になったような気がしています。現在の日本はネガティブな空気に覆われ、弱々しい精神が人々を支配してしまっているような気がしてなりません。そんな中においても、自由へと向かう精神で豊かな人生を実現することは、世の中の状況に関係なく可能だということを、演奏活動を通じて体現してゆきたいです。

■ノマルと.es-アートと音楽の未来

Q:コロナ禍以外にも様々な社会環境の変化が起こります。その中でノマル&.esとして表現活動をする意味、目的は?

林:広い意味でのアートがもっと意味を持ってくるでしょう。世界は変わりつつあります。その一助になりたい。

sara:自分の存在は何かのメディウムであり、自分の意識が及ばないところで全てが動いているような気がしています。演奏もしかり。自己・自国執着の欲が噴出している時代ですから世界の不穏は致し方なく、その中でどう生きていけるか―ノマルもドットエスもその為に在るという根拠なき確信があります。
早朝よく散歩に出かけるのですが、それは世界の声を聴く時間でもあります。とてもクリアに思考が研ぎ澄まされる気がして―いつも、ノマルとドットエスの役割を確認します。
何年か前、ベオグラードのラジオ局の方だったと思いますが、君たちはArt Gangだと評してくれたのを思い出しました。世界を変える力は持ちませんが、不穏な時代に光の刃を突き立てる「アートギャング」って、何だかいいですね。

橋本:大きな社会環境の変化が、次々と起こる時代だからこそ、アートの力が、ますます重要になってくると確信しています。既成の価値観や意識を変革することで人を救うことが、アートや文化の大きな役割だと考えるからです。ですので、ドットエスの表現活動を通じて、少しでも世の中に良い影響を与えてゆければと思います。

Q:橋本さんは2017年のインタビューで「音楽はアートを必要としていますが、アートは音楽を必要としてないような気がしています」と語っていました。そのあと、ノマルが30周年を迎え、これまで以上に美術家とのコラボレーションが多くなりましたが、アートとの関係性における気持ちの変化はありましたか?

橋本:大きな気持ちの変化はありません。少しご質問の意図からは外れてしまうかもしれませんが、最近は、ドットエスやソロ演奏でやりたいのは音楽とアートの融合ではなく、どちらかというとアートそのものだと思うようになりました。今回のソロアルバムの『CHAT ME』については、特にそのように感じています。しかしながら、主に作品が販売されているのが、ディスクユニオンさんであったり、タワーレコードさんであったりするので何の説得力もないのですが。

Q:では、林さんとsaraさんにとって、アートと音楽の関係は?

林:スプーンとフォーク。ときに使い分けるけど食べるに変わりない。

sara:アートも音楽もその他全ての表現を「アート」とするのがしっくりきます。全てのアートは同じ地平。
ただ現実にはそうもいかなくて、どの領域にも大小様々なソン(村)があり、ソンの中でも固執や因習といった囚われがあり―さらに経済世界も絡んで来るので複雑です。立ち塞がる厚い壁との闘いの日々ではありますが、過激にエレガントに、壁をぶち壊し風穴を開け続けたいです―アートギャングとして(笑)

Q:先ほどの橋本さんのお話にも関連しますが、アート作品は一点物でとても高価ですが、音楽作品・ライブ演奏は比較的低価格です。その違いをどう考えますか?

林:音楽もレコードやライブをせずユニークなものだったらそれなりの値段になるでしょう。アートもピンきりです。しかもアート作品は市場と価格が必ずしも一致しない、見栄の値段とかあるのですよ、あ、音楽も一緒か。

sara:一点物でとても高価なものもあれば、ノマルが出版し続けている版画やマルティプル(複数制作の立体)は、安価なものもあります。
音楽だけと比べると価格帯は高いかもしれませんが、人が飲食や旅行や嗜好品、ブランド品だと惜しげも無く出せる金額以下の作品も、評価が定まっていないものは販売が困難です。
マーケット価格や評価に頼らずに、アーティストや作品の本質を、自分の目と感覚を頼りに入手してくれる人が増えれば―世界も少しだけ変わるように思います。これはアートに限らない話ですが―。

Q:個人的な印象ですが、アートの蒐集家は投機目的・またはパトロン的な人が存在する点で、音楽の収集家とかなり違いがあるように思います。ノマル&.esがコネクトしようとしている対象(=潜在的ファン)はどういった人たちでしょうか?

林:アートのパトロンも音楽のパトロン(投資者)も人気があるからつくのです。人気は、多くの意味を含んでいます。歴史の中の先駆的パトロネージュをより広げたい。まだ価値のつかないものの中に価値を見出せることが大切だと思う。それは小さな投資から始めてもいい。

sara:投機目的のアートコレクターや組織が全世界に存在するのは確かです。一方で、アーティストやギャラリーのサポーター的なコレクターも多数存在します。アート作品を創るには(表現にもよりますが)、かなりの時間とコストが必要です。活動をサポートしたい、そんな善意や具体的な支援にはよく直面します。
善し悪し全て含めて、アートには世界の縮図があります。

音楽の収集家も色々な立場の人がいますね。好きな音楽家のライブへ通いアルバムを収集するというプライベートな立場で満足する人もいれば、音楽家の活動を支えたい、もっと上のステージへ行って欲しいということまで考えてサポートする人もいる。
色んな断面があるのはアートも音楽も同じだと思いますが、現代アートと前衛音楽だけに限って言えば、あまりに立場も注目度も影響力も後者は弱いのが残念でなりません。

現代アート、前衛音楽、それぞれの業界内にいる人でさえ論が異なりますが、私達の活動は全てに対する実験であり挑戦なので、嗅ぎ取ってくれる人が増えてくれたら嬉しいです。

Q:今後、ノマル&.esの活動の場がGallery Nomartの外にどんどん広がっていくことと思いますが、具体的な計画や目標はありますか?

林:コロナ以降加速度的に無国籍情報化が進んでいると思う。具体的ではないですが視野は世界です。

sara:「ギャラリーノマル」というのはノマルのいちセクションで、核は制作(実験)工房です。有名無名、マーケットに日和らず今一番面白いと思えるものをアーティストと共創するのがノマルです。
アートもアーティストも、特別な存在だとは思いません。ただ自分が信じるものに執拗なまでに拘り追求する、その活動により生み出されるものがある。根源的な人間の生命活動がそこに在ると思っています。

「From Fukaebashi to the World」とはドットエス結成時、よくメンバーで冗談交じりに口にしてたスローガンです。深江橋は大阪の東端に位置するノマルの最寄駅ですが、どこに居ようが世界と繋がれるという気持ちは当時からありました。世界中の強靭な創意と繋がって行きたい。まずはノマルへ来て、その空気から色々と感じ取っていただきたいです。

橋本:主戦場であるリアルの現場は、今後も重要なのですが、大きな可能性は、デジタルの活用と海外にあると考えています。コロナはあらゆる表現のデジタルコンテンツ化を一気に加速させてしまいましたが、このような状況の中でも、軸をぶらさずに価値あるものを世界に発信し続けてゆくことが、今後の活動の鍵になると思っています。まさしく「From Fukaebashi to the World」を実現するチャンスだという希望を持って活動してゆきたいです。

Q:どうもありがとうございました。今後の展開に期待しています。

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

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