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インプロヴァイザーの立脚地No. 319

インプロヴァイザーの立脚地 vol.25 北田学

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2024年10月17日 川崎にて

クラリネットとバスクラリネットのみで即興演奏も行うプレイヤーは極めて希少だ。その独創性は、何かに依拠することなく自分自身の価値観に合う音を見つけてきたことによるものではないか。

クラリネットは偶然に

小学生のとき、少年少女のオーケストラに出るからと友人に誘われて観に行った。取り立てて音楽に興味があったわけでもないのに、きらびやかな光景に心を動かされた。とくに興味をもったのはフルートアンサンブルだった。それを知った父親が、フルートを習わせてみようと当時住んでいた名古屋のヤマハ音楽教室のフルートコースを申し込んでくれた。

初回のレッスンから1週間が経ち、クラシック好きの父親がモーツァルトの<クラリネット五重奏曲>を聴かせてくれた。もとより楽器の形も知らないし、童謡の<クラリネットをこわしちゃった>くらいしか思い出さない。それでも、フルートではなくクラリネットのコースに通うことにした。中学校に入る直前のことである。ちゃんと音楽に相対して聴きはじめたのはそれからだ。モーツァルトやブラームスといった父親のレコードも、ラジオのクラシック番組も。

中学では吹奏楽部に入った。それほど本格的な活動をしていた部ではなく、コンクールに出ることもなかった。だが、おもしろかった。レッスンも数回目ともなるとちゃんと音が出るようになった。そして、ロングトーンを聴いた先生がしみじみと「君はプロが出すような音を出すね」と言ってくれた。北田はその気になり、自宅で教則本の練習に明け暮れた。

即興演奏との出会い

ちょうどCDの生産枚数がLPレコードを追い抜いた時代である。父親がCDコンポを買ってきた。クラシックはもちろんだが、父親が同僚から紙袋でどさっと借りてきたジャズのCDを片っ端から聴きはじめた。200枚くらいはあったのではないか。はじめに気になったのはクラリネットを演奏しているベニー・グッドマンだった。しかし、スイングジャズとは別のものとして驚かされたのが、キース・ジャレットのピアノソロ『The Köln Concert』だ。ライナーノーツを開くと「完全即興」と書いてある。北田がはじめて「即興ができたらいいな」と思った瞬間だ。「ジャズを演りたい」ではなかった。<枯葉>のピアノトリオ演奏でも、ビル・エヴァンスの『Portrait in Jazz』よりもキース・ジャレットの『Still Live』のほうに惹かれた。

そんなこともあって、中学ではクラシックのレッスンを受けつつも、ひとりでデタラメに吹く時間もあって、それがとても好きだったという。

ティム・バーン

そのころは調性感のある音楽が好きな一方で「キメキメ」のサウンドは得意ではなかった。だからデイヴィッド・サンボーン(サックス)は好み、チック・コリア(ピアノ)はそうでもない。たまたまチック名義の『Creaction』というアルバムを聴いてみたところ、雰囲気が違った。ロルフ・キューンがクラリネットを吹いており、調性感はありつつも攻撃的。いまから思えばフリー寄りのサウンドだ。興味が広がりはじめた。

あるとき『Jazz life』誌を開いて『Diminutive Mysteries (Mostly Hemphill)』を知り、はじめて新譜というものを買ってきた。日本盤ではサンボーンの名前もアタマに出ているが、本来はティム・バーン(サックス)のリーダー作である。北田にとっては聴いたことのない類の音楽だった。調性感がなくてなんだかわからないが、よく聴いた。とくにバーンが「コブシ」を効かせるところなんて、なんども繰り返して。かれはバーンを追いかけるようになった。バンド「Bloodcount」も「Caos Totale」も最高だった。

こうなったのも、ジャズをガイドブックのようなものに沿って聴くことを知らなかったからだ。当時はまだオーネット・コールマンもエリック・ドルフィーも聴いていないし、ジョン・コルトレーンもフリーに突入する前のみ。目の前にあったものが興味の対象となり続けていた。

クラからサックス、またクラへ

北田は高校で楽器をサックスに変えた。やはりジャズを演ってみたかったからだ。東京工業大学(現・東京科学大学)でもジャズ研に入り、慶応義塾大学のジャズ研にも出入りした。慶応の同世代の人たちとバンドを組み、月に1回、夜中にイヴェントを開いた。DJも入り、自分たちはバンドとセッションで演奏する。そのうちアルトから「しっくりきた」テナーに変え、さらに「より自分に近い」ソプラノも吹いた。だが、ある時点で「サックスを演るのは向いていない」と思ってしまった。演りたいことの根っコにあるのは、やはりジャズより即興なのだった。

デイヴ・リーブマンのソプラノが気に入ってあれこれ聴いていたところ、多楽器奏者ミシェル・ポルタルの『Men’s Land』を見つけた。リーブマンも参加していたが、なかでもポルタルがバスクラリネットを吹き、パーカッションのミノ・シネルとデュオで演奏している曲が印象的だった―――そういえば、自分もクラリネットを吹いていたんだと思い出した。

そんなわけで、ポルタルのアルバムを片っ端から聴いた。衝撃を受けた作品は、ポルタルとリシャール・ガリアーノ(アコーディオン)とのデュオ『Blow up』。「ああ、バスクラでこんなことができるのか!」と。

その頃、やはり多楽器奏者でソプラノサックス、クラリネット、バスクラリネットも吹くルイ・スクラヴィスの存在にも気付いた。こうして21世紀のアタマころには自分のテイストに合う3人が揃った。ティム・バーン、ミシェル・ポルタル、ルイ・スクラヴィス。(ちなみに、ギターのマルク・デュクレがそれぞれ3人と共演しており、北田曰く「キーパーソン」なのだ。)

そういった経緯があって、北田は数少ないクラリネット専門のプレイヤーとして活動しているわけである。名手を含めクラリネット奏者の名前は何人も挙げることができるが、専門、かつインプロヴィゼーションを演る人は極めて少ない。

曲とインプロヴィゼーション

伊藤志宏とのデュオユニット「audace」は、当初は『Blow up』の「真似」だった。ピアニストの伊藤がアコーディオンを弾き、かれらの曲やミュゼットなんかを演る。そのうちに自分たちのオリジナルが増えてきて、独自のサウンドになった。もともとジャズ研でも「演るんだったら自分たちの曲だ」と考えていたし、インプロヴィゼーションも並行して演る。このふたつを追求するのは北田にとっては自然な行為だ。むしろ両者の垣根は明確ではないという。

「audace」は伊藤との双頭バンドであり、一方で自分のバンドもやりたいと考え、湯浅崇(power bass)、今枝洋輔(シンセサイザー)と組んでの「golden splashers」をはじめた。自分の曲を作ることが前提である。

もちろん他の人との即興も続けており、輪が広がるおもしろさがある。

米国でのワークショップ

十年前、2014年のこと。すでに自分のバンドも始めておりインプロの世界を拡げたいと思い、米国でのワークショップを探してみた。ちょうど「School for Improvisational Music」(SIM)が受講者を募集しているところだった。毎夏ニューヨークで開かれるワークショップだ。講師陣をみると、ラルフ・アレッシ(トランペット)、ジェラルド・クリーヴァー(ドラムス)、マイケル・フォルマネク(ベース)らに加えてティム・バーンの名前があった。北田は目を疑った。そして音源を送ったところ、審査に合格したとの通知が来た。

SIMでの2週間は刺激的なものだった。技術論だけでなく、参加者が即興に対するいろいろな考えを述べる時間も多い。受講者には4枠のプライヴェート・レッスンが与えられ、北田はフォルマネク、トニー・マラビー(サックス)、そしてバーンを2枠選んだ。なにかを感じたかった。

バーンとはあれこれ話し、一緒に音を出した。たまたま示し合わせたように共に3音を出して終わることがあったりもして、良いインプロヴァイザーだと言ってくれた。おもしろいのは、演奏の内容を振り返り、言語化してくれたことだ。自分自身ではそうすることはなかったが、感覚とその言語のイメージとが合った。

アレッシの助言は「そんなにくっついてこなくてもいいよ」。すなわち、なにか相手の音に即応するコール・アンド・レスポンスが必ずしも良いわけではない。自分は自分で音を選び、相手をコントロールすることはできないのが即興だ。それらが重なり、近づいたり離れたりして音を織りなすことで、良い即興音楽が生まれるということだ。

こういったことはメソッドとして伝えるとつまらないものになるのだという。知識の積み重ねだけでは即興本来の魅力を発揮できないものであって、実践を通じたものであるべきだ。北田は、それがワークショップの良いところだと話す。

北田は3年続けてSIMに参加し、  4年目は普通にニューヨークでのライヴを演ってみようと思った。3回目にバーンが「マナブ、ツアーやろうぜ!」と言ってくれたこともあった。バーンに持ち掛けたところOK、ドラムスのチェス・スミス、多楽器奏者のオーロラ・ニーランドを加えた編成で、ブルックリンのKorzoでプレイした。

自分たちの前はジェームズ・カーニー(ピアノ)とラヴィ・コルトレーン(サックス)が演奏していた。かれらもバーなどの場で日常的に演奏し、それはツアーや特別な演奏機会とは異なるありようだ。

やがてコロナ禍が訪れ、ニューヨークへの訪問もティム・バーンとの再演も途絶えてしまった。しかし、新たな展開はまだまだこれからだ。

ディスク紹介

その他デジタルアルバム
https://manabukitada.bandcamp.com/

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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