インプロヴァイザーの立脚地 vol.41 田嶋真佐雄
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 (except for the front photo)
Interview:2026年5月24日 オンラインにて
田嶋真佐雄の音楽的な柔軟さは異彩を放っており、コントラバス奏者としての類型で語ることが難しい。その不思議な強さはどのように培われたのか。
はじめからベースだった
川崎の実家はパン屋である。音楽好きの父親は、高校生のときには学校帰りに新橋なんかに寄ってジャズを聴いていたらしい。ミュージシャンになりたかったが長男だから家業を継ぐことになったのだということは、田嶋が大人になってから聞かされたことだ。だから家の中には音楽があり、兄はふたりとも楽器をやっていた。
中学1年の終わりころ、学校の仲間が楽器を触りはじめた。田嶋もやりたくなり、エレキベースを貯金を叩いて買った。バンドで演奏するのは流行りの曲や洋楽のロック。それまで音楽の「実技」となると学校の授業くらいであり、田嶋はそれが嫌いだった―――人前で歌うなんて恥ずかしすぎる。なんてことさせるんだ。
エレキベースを選んだのは、ドラムは兄と同じだから避けたいし、ギターはみんなが始めるからなあ、というくらいの理由。サックスかベースで選ぶとしたら、いろいろ出番もありそうなベースがいいんじゃないかと考えた。やってみると、父がギターを弾いていたからなのか、さほど苦労せずに弾け、すぐにのめり込んでいった。
父や兄の棚に割とアルバムがあって、いないときに探っていた。そんな影響もあって、高校2年になったころ、オスカー・ピーターソンあたりからジャズを聴き始めた。興味の方向はやはり楽器であり、コントラバスを弾こうと決めた。それどころか、進学のことを考えなければならない時期でもあり、音大なる学校の存在を意識するようになった。教師や親に相談したところ、どうやら学費もそれなりの額らしい。だから、「現役で合格しなかったら諦めて一般大学を受けなおす」という約束をせざるを得なくなった。当時は楽譜も読むことができず大変だったが、なんとか東京音楽大学のコントラバス科に入ることができた。
大学、仕事
大学で教わるのはクラシックで、永島義男に師事した。一方で田嶋はジャズもやりたいと思った。4年生のとき、先輩から誘われて水橋孝(ゴンさん)のボーヤを務めたのは、そういうわけだ。運転免許を持っていないゴンさんのため、千葉や北関東などの仕事での運転手などをやった。晩年のジョージ川口ビッグ・フォアに所属していたころである。2年ほどボーヤを務めた間、包容力や歌心のある音をどうやって出せるのか、食い入るように見ていたという。ブルースの基本的なベースラインも習った。その後、藤原清登にフレンチ弓の使い方も教わった。
卒業してから多少はバイトもしたが、ほどなくして、音楽だけで生計を立てられるようになった。当時の仕事はホテルのラウンジや結婚式といったところ。稼ぎながらライヴも演った。スタンダードジャズやサポートのような形が多かった。
板倉克行
しばらくそのような生活を続けたが、モヤモヤしたものは自分の中から消えない。即興に出会ったことが、田嶋にとって変革のきっかけだったことは間違いない。その道に引きずり込んだのは板倉克行(ピアノ)である。2007、8年ころ、あるフルート奏者に誘われて、板倉と共演した。ちょっとショックもあったが、おもしろかった。場所は、横濱エアジン、新宿ピットイン、なってるハウスなど。その頃の板倉の共演者は、レオナ(ダンス)、神田綾子(ヴォイス)、カイドーユタカ(コントラバス)といった面々だ。
板倉はなんだかヘンな人でもあった。リハーサルで板倉の曲を演っても、本番は譜面なしの即興。もともと興味のあったことだが、はじめは闇雲にやるしかない。板倉は、田嶋の演奏についてなにか言うことはあまりなかったが、「違う」となるとまるで子供のように口を尖らせて怒っている表情を浮かべた。
1年くらい空白があって、久々に声をかけてもらったのが板倉との最後の演奏であり、最初で最後のデュオになった。そのときの感じはとてもよかった。演奏を任せてくれる局面が多いこともうれしかった。板倉が事故で動けない身体になったのは、その2週間後くらいのことである。
齋藤徹(*1)
板倉との共演を続けているうち、齋藤徹(コントラバス)との出会いがあった。もともと齋藤の音楽にとても興味があったが、そこに触れるのはちょっと怖いという思いもあった。
横濱エアジンに齋藤と井野信義とのコントラバス・デュオを観に行ったときのこと。休憩時間に、なぜだか十人くらいの客がどやどやと入ってきた。だがセカンドセットの演奏が始まると、みんな帰っていった。井野も齋藤も「馬鹿野郎、どうだみたか」といった感じで平然と演奏を続けたという。それが田嶋には衝撃だったし、自分の音楽を考え直すきっかけにもなった。齋藤の音楽にはなんともいえない魅力があった―――なんなんだろう、これは。
実際に共演するきっかけは、2010年に鶴屋弓弦堂の鶴田敬之が紹介してくれたことだ。ベースアンサンブルのDVDを制作するから「誰か志願兵はいないか」という齋藤の意向に応じ、鶴田が田嶋と田辺和弘を紹介した。こうして、齋藤、田辺、田嶋に加え、瀬尾高志、パール・アレキサンダーの5人のコントラバス奏者によるベースアンサンブルが結成された。ツアーは、2011年3月11日の東日本大震災をはさんで行われた。
そしてDVDが完成し(*2)、2013年にはベースアンサンブル弦311として米国ロチェスターのイーストマン音楽学校におけるISB(国際ベーシスト協会)のイヴェントに出演することができた。そのとき、世界のベーシストたちの動きをナマで観たことが、田嶋にとって大きな刺激になった。「もっと自分のことをやんなきゃな」ということだ。33歳にしてソロ演奏を始めた動機は、そのあたりにあった。
コントラバス
ガット弦に本格的に取り組み始めたのも、齋藤と一緒に演っていたころの2011年である。試してはみても止めてしまう人が多いのは、たとえばアンプのセッティングが難しかったり、弦の張りや太さがまるで違って慣れなかったりすることが原因でもあるという。だが、田嶋にはガット弦のほうがフィットしていた。もちろんちゃんと向き合わなければならない。いま田嶋がたまにスチール弦を鳴らしてみると、楽に弾ける一方で物足りなくなってくるという。だからもう戻れない。
以前は4本とも裸のガット弦だったが、2年ほど前に楽器を変えたこともあって、下の1本だけは芯がガットの金属巻きにしている。もっと強く重い低音を求めてのことである(円安が続くのを危惧してもいた)。最近では、同じコントラバス奏者の座小田諒一が作る弦を使っている。
田嶋によれば、奏者によって異なる音は楽器によるものではなく、奏者のアプローチによるところが大きい。だから、仮に瀬尾が田嶋のコントラバスを借りても出てくるのは瀬尾の音である。
田嶋もまた「太っとくて迫力がある音」を出したくもあるが、「隣の芝生は青い」。手はさほど大きくないし、身体の線もさほど太くない。だから、目指す音は「遠くまで通る音」であり、「そこにいる音」でもある。
とはいえ、自分の音に対する悩みがなくなることはない。ジャズであっても自分の中に他のジャズベーシストのようなビート感は薄い。では即興の人なのかというと、自分でもよくわからない。だから続けているところもある。
田嶋は幼少期から手先が器用で、ミニ四駆やプラモなどの工作が好きだった。そのうちに自分で設計して素材を選び、何かを作ったりもした。そうやって創意工夫することが好きだった。そのような性質がいまの音楽に通じているかもしれないという。
共演者
大学はクラシックであり、平行して取り組んでいたジャズは「一段下」にみられることがあった。二十代になっても、バップに入り込めないためか「こんなのバップじゃない」といったような目で見られることがあり、肩身が狭かった。おもしろいと評価されるのは最近のことだ。
自分自身のことだけではない。共演者は田嶋が直感で「おもしろい」と感じた人が多い。自分の演奏を知ってもらった上で、声をかけてもらったら、最初は断らないのがかれの行動原則である。
いまの活動は、ソロ、ベースコレクティブ(田辺、瀬尾とのコントラバスのトリオ)、ミヤマカヨコ(ヴォーカル)との遊楽園、サポートなど。芳垣安洋(ドラムス)、藤井郷子(ピアノ)、吉本章紘(サックス)、かみむら泰一(サックス)、荻野やすよし(ギター)といった人たちとの共演はとても楽しいし、共演者からもおもしろがってもらえる実感がある。芳垣からは「アコースティックに近いアンサンブルが作れる」と、質感を評価してもらっている。
ダンスとの共演も二十代の頃から重ねている。伊宝田隆子のプロジェクト「立ちたさ」は、寝ているところから時間をかけて立ち上がるものであり、共演したところおもしろかった。岩下徹もさすがの力がある。庄﨑隆志との共演も長くなった。皆藤千香子とは日本でもドイツでも共演した。
2013年に米国で刺激を受けたあと、田嶋は1年くらいソロに取り組もうと考えていた。そのタイミングで一緒に音楽を作りたい人たちに出会った。アコーディオンの熊坂路得子、うたのLUNA、ホーメイ・口琴・イギル(南シベリア/トュバの民族楽器)の尾引浩志だ。だから、ユニット「倍音の森」ができた。田嶋はときどき喉歌を披露することがあるが、それは尾引がやっているのを「見よう見まね」で始めたものだ。ノイズがコントラバスのそれと似ているのだという。
ソロ
あらためてコントラバスソロを作ろうと考え、2019年に作ったアルバムが『Self Portrait』だ。このとき、まだ曲に依拠しない即興ではない。
とはいえ、田嶋の中では曲と即興を明確に分けているわけではない。曲の中でも即興はある。その一方で曲により方向づけられる情感や情景はもちろんあり、それゆえに演奏が総体として保たれているところがある。即興だけだと、その場ですべて作っていかなければならないのだ。この時点では、まだ田嶋の中では納得できる段階ではなかったということである。2026年の終わりに、渋谷の公園通りクラシックスが閉じることになった。ライヴも重ねた田嶋は、この大切な場で録っておきたいと思った。即興ライヴの『My Cosmos』である。だから2019年のソロとは違うわけではあるが、この機会に聴き手として自身の2枚のソロアルバムを比べてみると、「曲は自分の想像するファンタジーでどこへでも、どんな非現実にでもいけるが、即興はどこまで突き詰めてもリアルな自分」だという印象を抱いたという。―――「どちらも自分に同居していることで分けてやっている感覚はあまりありません」
ソロはこれで終わりではない。かれはソロをライフワークとしてとらえている。
最近の模索
沼尾翔子(ヴォーカル)、遠藤ふみ(ピアノ)、阿部真武(ベース)などの若いミュージシャンとは共演を始めている。
阿部と古和靖章(ギター)、白石美徳(ドラムス)を加えたツーベースカルテットを始めたきっかけは、阿佐ヶ谷のマンハッタンでのセッションだった。かみむら泰一がオーネット・コールマンの音楽をコンセプトに始めたものであり、かみむらが京都に移り住んでいたタイミングで古和から声がかかった。
沼尾との初共演は、charu(タップダンス)が声をかけてくれて実現した。コントラバスは西嶋徹と田嶋のふたり。うただけでなくヴォイス的なことができるのもおもしろいと捉えている。結構低い音も出る。
ベース奏者との共演はわりと多いというが、そのことについて、田嶋は「他の楽器は音色や音域的に自然と棲み分けができるが、ベース同士だと同じ住処にいるような共感や独特な共鳴感がある」と話す。ただ、「気を付けないと、同じ方向に進んでしまう」。
山本昌史(コントラバス)、森定道広(コントラバス)、栗田妙子(ピアノ)、飯塚直(リコーダー、声)、マクイーン時田深山(箏)、深堀絵梨(ダンス、役者、演出)、関谷友加里(ピアノ)も興味深い存在である。
そして自分のリーダーユニットを始動させたい気持ちもあるという。
田嶋真佐雄ウェブサイト
https://mhouse0401.themedia.jp/
(*1)齊藤聡『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』(カンパニー社、2022年)に詳しい。
(*2)齋藤徹『Strings & The Moon』(KADIMA COLLECTIVE、2012年)
アルバム紹介
(文中敬称略)
フリー・インプロヴィゼーション, 田嶋真佐雄













