インプロヴァイザーの立脚地 vol.15 池田陽子
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡 and m.yoshihisa (front photo)
Interview:2023年12月2日 五反田にて
池田陽子はクラシックからロックを経て即興に入ってきた人である。2021年の終わりころに意に沿わぬ難聴を抱えてしまったが、それを機に、自分の音楽のあり方を見つめなおしている。それは音楽活動というものを考えるにあたり本質的なことにちがいない。
クラシック、ロック
彼女は3歳のときにクラシックのヴァイオリンを習いはじめた。師事した津田吉男(2023年に94歳で逝去)は厳しい教師で、自分なりに心を込めて弾いていると叱られた。譜面とは神聖不可侵なものであり、ほんのわずかな逸脱も許されなかった。もちろん一律にそうであったとは限らず、ある水準に達するまでの話であったかもしれない。
だが、彼女はあるときからクラシックを続けられなくなった。なにも自分の表現が許されなかったからではない。自分自身がいまここで出すべき音なのか、出した音になんらかの必然性や切実さがあるのかといった疑問を抱いてしまったからだ。
ロックに出会ったのは23歳のとき。そのあと、いくつかのロックバンドで活動した。曲の途中で長い時間ジャムる、フリーっぽいバンドが好きだった(ただ、ロックの世界にはあまり好きなヴァイオリン奏者がいなかった)。クラシックとは対照的に、好きなことをやっていいということ自体が衝撃だった。即興というものも知らなかった彼女は、これが何なのか、ともかくも手探りをはじめた。ディスクユニオンの掲示板でメンバー募集の紙を見つけて応募し、ポストロックのバンドをはじめたりもした。プログレ・サイケの要素があって、曲の間にインプロヴィゼーションのパートがあった。
即興
そんなことを続けていて、三十代前半のころ、公募のインプロヴィゼーションのオーケストラに参加したところ、公文南光(チェロ)と知り合い、さらにその縁で杉本拓(ギター)や木下和重(ヴァイオリン)といった面々とのつながりもできた。
木下は「Segments」という実験音楽の試みを行っており、池田も参加した。それは、彼女にとって世界の見方ががらっと変わるようなパラダイム転換の体験だった。時間と空間の捉え方であり、実践を通じた体感という意味では演奏者の役得であるともいうことができた。演奏者でないとしても、なにを行っているのか説明を聞かないとなかなか愉しさは解らないはずだ、と彼女は言う。
もうひとつの大きな即興体験は、実験音楽とは異なるフリー系の音を聴いたことだった。とくに、さがゆき(ヴォーカル等)と坂本弘道(チェロ)とのデュオを観たときは衝撃的で、ぽろぽろと色んなものが剥がれ落ちるような感覚を得た。池田は、このように剥き身のものがボロンと出てくるありようを「生きている証の音」だと思った。
彼女の即興観には、この対照的な両方が影響している。そして、クラシックから離れたときにも考えたことが、いまも池田を動かすものであり続けている。それは、「自分の表現をする」ことではなく「自分にとって必然的な音を鳴らす」ことの希求である。後者について、彼女は「こぼれ出ざるを得ない状態」と話す。
難聴
2021年の終わりころ、スタジオでロック系のリハーサルに参加して、騒音性難聴に襲われてしまった。轟音の中で自分の居場所を把握するために、メトロノームと自分の音(返し)を大きな音のイヤホンで聴いて演奏した。それが直接の原因だった。
症状は大きく分けて3つ。4,000ヘルツあたりの高音が聴きにくいこと、耳鳴り、過敏症である。とくに過敏症がきつく、聴きにくい音に対して神経が過剰反応する。それまで、池田の持ち味はヴィオラをパワフルな音で弾くところであり、ロックを演るときにも振動で皮膚が震えるほどの轟音が好きだった。ところがそのように弾くと、たとえ耳栓をしていても、音が顎からの骨伝導で聴覚神経にダイレクトに伝わり、暴力的に突き刺さるようで非常にきつい。ヴィオラはヴァイオリンと比べて低音が特徴的な楽器ではあるが、倍音が豊かで高音域にも広がっているのだ。微音で演奏しはじめても、演奏の過程で熱量が上がって意図せずいつもの音量となり、後悔してしまうことがある。
まずは、自分への音の曝露量を減らすことにした。古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバを使いはじめたのも同じ理由である。ただ、演奏がとても難しい楽器でもあり、使いこなすのはまだまだこれからだ。
いまの取り組み
池田は「一生のあいだに聴ける音は限られている」と考えるようになっている。たしかに、かつてはなんであれ経験が力となっていたし、やること自体に意義があった。いまは、ひとつひとつ大切に弾いてゆくこと。ライヴは月に一本までとし、間隔を長めにとるようにしている。
まずは人数を絞り、デュオかソロをしっかりやる。予測不能な要素が多くなるし、それを原因として共演者に制限をかけたくもない。
耳に意識を集中させ過ぎるのも良くない。野口整体(*1)で知った考え方に「耳を使わずに聴く」「目を使わずに見る」といったものがある。そこから、池田は自分自身の方向性を「耳をそばだてるのではなく身体をそばだてる」ということなのかなと考えたりもしている。
これまでのような演奏が難しくなったとき、彼女は「生きる価値がないな」と思ってしまった。―――音楽があったから「ダメ人間」でも生きてこられたのに、これではただの「ダメ人間」だ。けれども「メシ食って寝てれば人は生きる」。そのように演奏から離れて過ごしていくうちに、いろいろな感情からも切り離されてニュートラルな状態になっていった。そして、あらためて音楽に惹かれ、しみじみとヴァイオリンが弾きたいと思った。だから、もはやライヴでなくてもよい。当面の目標はソロアルバムを作ることだ。さらには、音を出さないときに考えた、演奏を前提としない実験音楽の曲集についても構想している。
インプロヴァイザーたち
大蔵雅彦(リード等)は曲へのアプローチがおもしろく、また、ストリート・カルチャーからつねに新しい方向を見出していく人だと感じている。
いちど共演したマクイーン時田深山(箏)とは、もういちど演りたいと思っている。音の響きが印象的で、型にはまらない柔軟さ、自由さがあった。
また、山田衛子(リコーダー)との共演も楽しみにしている。
ディスク紹介
(*1)野口晴哉(1911-76年)により創始された方法論。人がもともと持っている力を引き出す考え方を特徴としている。
(文中敬称略)
池田陽子、フリー・インプロヴィゼーション