インプロヴァイザーの立脚地 vol.17 武田理沙
Text by Akira Saito 齊藤聡
Photos by Akira Saito 齊藤聡 and m.yoshihisa (noted)
Interview:2024年1月7日 多摩川にて
武田理沙が『Pandora』でシーンに衝撃を与えてから5年以上。いまだスタイルを定めず分裂気味に突き進むこと自体が、彼女の独創性である。
ピアノ漬け、大学、東京
北海道生まれ。3歳からクラシックピアノを習い始めた。長いことピアノ漬けの生活を続けていたが、高校2年生のときに止めてしまう。コンクールで入賞することも無理だし、ましてや東京藝大に入ってクラシックピアノのプロになるなんてどだい無理だと悟ってしまったからだ。その一方でポップミュージックやゲーム音楽からは大きな影響を受けた。
彼女は一浪して弘前大学医学部保健学科に入った。音楽自体から離れるんだと思っていたにも関わらず、またピアノを弾きたくなり大学のジャズ研究会に入ってしまった。初めて先輩たちの演奏を見たらドラムがカッコいいと痺れ、まったく経験もないのに演ることを決めた(ジャズ研ではピアノを弾いていない)。こうなるとドラムを続けたい気持が強くなり、東京に出て就職した。そして機会を得て、2011年から13年の3年間ほど、ブルースセッションのホストとしてドラムを叩いた。
※このころの詳細については、大島輝之(ギター)と大谷能生(文筆家、サックス)による動画のインタビューシリーズ「密」を参照されたい(*1)。本インタビューは主にそれ以降のことを対象としている。
フリー・インプロヴィゼーション
2012年のこと。武田がブルースセッションでドラムスを叩いていたとき、即興セッションによく出るという人が来ていた。ギタリストのヤンマー島村だった。かれに誘われて歌舞伎町のゴールデンエッグに出かけていったところ、衝撃を受けてしまった。まずはドラムで即興を演り始めてみたが、いろいろとやりたいことが出てきて、どうもドラムだけでは表現しきれない。
彼女はピアノに戻ってみることにしたが、それまで楽譜に基づくクラシックの演奏しかしたことがない。そんなわけで、はじめはアンチ楽譜。まるでセシル・テイラーになったような雰囲気でめちゃくちゃに弾くのが正解だと思った。一方で即興仲間と話したり、ずっと自分でも考え込んだりして、「弾きまくる」のは正解ではないのだと思い至った。つまり、そんなに単純な話ではない。
ソロ演奏を始めたのは2016年のことだ。フランク・ザッパのメドレーを弾いたりして注目された(*2)。翌年あたりからはPCやMIDIを使ったマシンライヴを始め、いまに至っている。即興でのピアノソロは彼女にとって「飽きる」ものだ。それよりもさまざまな機材を使って頭の中を再現したい。
ピアノ、シンセサイザー
武田は「ピアノはピアノの音しか出ないから、いらいらする」と言う。それは相手によっても異なる。たとえば、坂田明(サックス)や林栄一(サックス)と共演するときにはピアノが合うし、モジュラーシンセ奏者と演るときには武田もシンセを弾いたりする。加藤崇之(ギター)との共演では両方弾き、自然にリラックスできる。
ピアノはスピード感があって、出音そのものが音楽になる。ノイズの海の中でピアノを弾くときなんて、音が浮かび上がってきて好きだという。エレクトロニクスの場合には、そこでの時間や空間を意識する。最近ではピアノを生で使うだけでなくエフェクターを付けることも始めている。
即興を始めたころは、まだシンセを扱うことができる前。ピアノによる定形的な演奏の延長が、彼女にとっての即興だった。やがてシンセの演奏が上手くなってくると、環境音も含めてさまざまな音からイメージがわくようになってきた。それまでは周囲の音を音楽の一部として認識していなかった。
ドラムス
武田自身もドラマーだが、他の個性的なドラマーともよく共演する。
吉田達也とは2019年ころから共演を始めた。最初は数か月に1回程度だったが、2021年に10日間のツアーを行ってから頻繁になり、いまでは年に20、30回も一緒に演っている。吉田の反応はとても速く、手が勝手に動いているのではないかという感覚。だから相手の音を待たず、自分が先手を取って次々に展開を変えるのが好きだ。裏切ったり、付いていったり。リズムよりもメロディが主導するありようだ。
対照的なのがマニ・ノイマイヤーとのデュオだ。吉田とはタイム感がずいぶん異なり、比較的ゆっくりと楽しめるのが良いと思っている。この場合は武田がノイマイヤーに合わせ、かれが演奏を変えてくるのを武田が察知して呼応する。音楽のかたちが出来ていって、それを解体することを繰り返す。
もちろん一緒に演るドラマーはかれらだけではない。中村達也はビート感がどっしりしていて、ロックっぽい中で武田もピアノやシンセを弾くとカッコいい。石原雄治とは長く、最近では清水一登(ピアノ)とのトリオ、竹下勇馬(自作楽器)とのトリオなどで共演している。パーカッシヴなプレイでニュアンスを出すのがうまい。
逆に自分がドラマーとして入る場合にはピアノっぽい延長として演りたい―――ときにはサックスのチャーリー・パーカーのように。これは音色の問題でも音階の問題でもない。内なる「衝動」を反映し、音を変化させるということである。ただ、ドラムソロだけの演奏はやらない。それだけではなく曲として演らないと愉しくはない。
ドラム演奏は誰にも教わっていない。大学に倉庫があって、ひとりで毎日4時間くらい練習した。3年ほどそれを続けていたら次第に勉強が忙しくなってきて、そのあとはセッションでの演奏自体が練習。武田にとってのドラムはノリ重視で、ジャズとロックとの中間くらいが演りやすいという。だからジャズでもロックでもないトニー・ウィリアムスなんかが好みのドラマーだ。
作業、ライヴ
武田は、すべて自分だけで作曲、編曲、演奏、多重録音をこなしたソロアルバムとして、『Pandora』(2018年)、『Metéôros』(2019年)、『魔術師の城 / The Sorcerer’s Castle』(2022年)をものしている。だが、それは自分の作業の延長なのであって、ライヴとなるとソロだけでは愉しめない。それに、家でやっている「架空の世界」の実現をライヴで演ってもおもしろくはない。一方で即興プレイヤーの自分が行うライヴでは、ピアニストとしての自分自身が邪魔をすることもある。
この自分の作業とライヴ演奏との乖離を埋めるにはどうすればよいか。武田は、そのために作曲を追求したいと考えている。ただ、作譜を始めたのは29歳のときでわりと最近であり、まだまだ時間がかかる。
彼女自身にとっても、表現の方向性はまだ定まっていない。エクスペリメンタルでもフリーでもない、なにか。特定のスタイルで自分を示すものはない。あえていえば、空気や水に近いかもしれない。
そして、ライヴでは愉しめる演奏をしたい。エンタメを死ぬ気で演るのだ!!
インプロヴァイザーたち
ライヴでの共演となると、人が多いのもちょっと苦手で、デュオなどでがっつり組むくらいが良いという。とにかく、他の人がどうかというよりもまず自分だ。共演相手にとってなんのメリットがあるのか。自分とはなんなのか。自分自身と距離を置きたくもある。
おもしろいと感じる人を挙げるなら、たとえば、宮坂遼太郎(パーカッション)、アキオ・ジェイムス(ドラムス)、本藤美咲(バリトンサックス等)。そしてこれから新たに一緒に演奏するとしたら、「狂っている人」を望む。もちろん社会生活ではなく、音楽表現において「圧倒的に何かが狂っている人」だ。演奏にまで「謙虚で良い人」でなくても良い。
ディスク紹介
(*1)密~Live & Interview Series 2~【ゲスト:武田理沙】(2023年8月28日収録)
前編 https://youtu.be/48WHsIzqywY?si=C7kur122UW54FxSS
中編 https://youtu.be/8_14fT4obmI?si=HcLg54mhMa39TsFj
後編 https://youtu.be/9PQMq2RI6YU?si=kXR1rXmOZ53dhvDh
(*2)安藤誠による本誌インタビュー(『JazzTokyo』No.244、2018年)
https://jazztokyo.org/interviews/post-29921/
(文中敬称略)
武田理沙、フリー・インプロヴィゼーション