ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第10回 ムハル・リチャード・エイブラムス~内側の焦点に共鳴する音~
AACMとの出会い
ニューヨークで、ジャズと呼ばれる音楽の断片を拾い集めることを始めて、気づけば12年の月日が経った。音楽家として、そしてひとりのオーディエンスとして、音楽を探索する過程を何よりも豊かにしたのは、様々な表現方法を持った音楽家達との出会いの数々であった。その中で、私がAACMの活動に少しずつ触れる様になったのは5年程前のことだったと思う。そこには友人でもあるドラマー、タイショーン・ソーリーの影響が少なからずあった。彼をはじめとして、ニューヨークの即興音楽・ニューミュージック・ジャズなどを繋げるシーンを牽引する若手の音楽家達は、AACMに対する絶対的な信頼と尊敬の念を抱いている。彼らと音楽の話をする時に、AACMや、ムハル・リチャード・エイブラムス、ジョージ・ルイス、アンソニー・ブラクストンなどの名前が出てくる度に、その会話の文脈の中で、AACMのメンバーが若い世代の音楽家達にとってどれほどの影響力を持ち、どれほどの音楽的信頼を得ているのかを垣間見ることができた。
私が実際に彼らの音楽に触れたのは、確かマンハッタンの教会で開かれたAACM主催のコンサートでの厶ハル・リチャード・エイブラムスの演奏が始まりだったと思う。そのコンサートの内容は、ピアノよりもシンセサイザーとエレクトロニクスを主体とした演奏で、とても実験的でコンテンポラリーな印象を受けた覚えがある。その頃から、私はヘンリー・スレッギルのコンサートを見に行ったり、アミナ・クローディン・マイヤーズから指導を受けたりと、彼らの現代の活動を通してAACMの世界を覗き始め、次第にその底のつきない魅力に引き込まれていったのだった。そこから時を遡り、エイブラムスの『Afrisong』(Whynot, 1975)でのソロピアノ演奏と出会い、また『Young at Heart/Wise in Time』(Delmark, 1974)でのアンサンブルとソロの即興演奏と出会い、彼の音楽的表現の幅の広さ、そして時代を感じさせない普遍的なサウンドに魅了されていった。と同時に、AACM関連の音楽家達の作品群にも少しずつ触れ、そのひとりひとりの個性的な表現に多大な興味を抱くばかりだった。
頬を刺す風の鋭さに、冬が本格的に始まったと誰もが感じた極寒のある日曜日。ムハル・リチャード・エイブラムスの新しいオーケストラ曲の公開リハーサルを見に行ってきた。オーケストラの前に立ち、びっしりと音符の書き込まれた譜面を広げて指揮をとるエイブラムスは御年85歳。少し背の曲がった後ろ姿と、その明瞭でいて温かい、やわらかな春の陽射しの様な語り口調からは、「長老」という呼び名がしっくりくる様な気がした。エイブラムスを真剣な眼差しで見つめ、演奏についての質問を投げかけるオーケストラのメンバーの表情を見てもそう感じる。だけど、本人はきっと「人の上には立たない」という思想を持って、その呼び名を嫌がるのかもしれない。
今回のリハーサルでは、エイブラムスの新しいコンポジションの断片を聞くことができた。パズルのピースの様に、その断片に映る曖昧な色彩とその色彩が示唆する全体像を思い浮かべると、完成作品の発表がとても待ちきれない。
ここからは、自身も作曲家であるフランク・J・オテリによる今年4月に行われたエイブラムスへのインタビュー(前編)になる。このインタビューの中でエイブラムスは自身の音楽に関する哲学から、AACMの発足の経緯まで幅広い質問に答えており、その内容をすべて翻訳して読者に提供するために、2回に渡ってのシリーズにしたいと思う。
“Think All, Focus One” – フランク・J・オテリ
私達の交わしてきた対話の中でも初めの段階で、ムハル・リチャード・エイブラムスは自身が「未だかつて誰の教師であったこともない」と断固として主張した。だが、私には今までに受けた音楽の講義よりも、彼と話をしたほんの数時間から学んだことの方がずっと多い様に感じられた。にもかかわらず、何を学んだのかということを的確に説明するのはほとんど不可能に近い様にも思えるのだ。禅の公案の真似をしているつもりはないけれど、説明のできない曖昧さ、それこそが、今回の学びそのものだったのかもしれない。
だけど、私は敢えてこの感覚について説明をしてみたいと思う。エイブラムスにとっては、境界線というものは存在しない。
一定の形や枠のあるコンポジションまたは能動的インプロビゼーション、団体または個人、古い音楽または新しい音楽、こういう風にラベルを貼っていく行為は人工的であり、物事の可能性を狭めてしまう。彼の目から見れば、すべての二元性は互いの極に包括されている。すべてのインプロビゼーションはコンポジションであり、すべてのコンポジションはインプロヴィゼーションとして始まる。ソロ・パフォーマンスにはいくつかの異なった人格が共存するかもしれないし、オーケストラが「多元的な個人性」の具体化されたものであると捉えることもできる。古さと新しさに関して言えば、エイブラムスの言葉を借りると、「そういう概念にリアリティはない。なぜなら、古いと表現される状況がのちに幾度も再訪されて将来的目的のために有用であるとみなされることがあるし、逆に新しいと表現される何かが古い何かを思い起こさせるものであったりもするからだ。」
85歳、作曲家でピアニストのエイブラムスは、ジャズの歴史の中でも象徴的な存在だ。にもかかわらず彼が「ジャズ」という語彙を避ける理由は、その言葉で説明のつくことが彼のつくる音楽のほんの一部分にすぎないからだ。
「ジャズという言葉は誤解をまねきがちです。」 エイブラムスはこう言う。 「だけど単に『音楽』と表現すれば、枠組みに関わらずどこでも行けるのです。ただの音楽であると表現する。そうすると次に出てくる質問はおそらく、『どんな種類の音楽か?』でしょう。オーケイ。何の種類の音楽でもありません。ただの音です。わかるでしょう?それは音なのです。」
もちろん、過去70年間の間にエイブラムスの作った音楽は、リスナー達によってブルース、ラテン、クラシック、そしてスイングからバップからフリーまであらゆる種類のジャズとしてカテゴライズされるだろう。彼はエレクトロニクスによる実験音楽さえも試した。 「音を創るという行為は、どんな方法をとっても可能なんだ。」 エイブラムスはこう説明する。 「言ってみれば、『ただの』エレクトロニックな音ということになる。だけど音というのは・・・音楽が音楽という名前で呼ばれる以前の段階で、『ただの』音から手懐けられ、何らかの形を与えられなければならない。音楽というのは『音』の副産物だ。その『音』それ自体が鍵なんだ。」
エイブラムスの作る音楽は極端に個人主義的であると同時に、彼の謙虚さ、そして共同体への深い信頼も反映している。このコラムのタイトル、“Think All, Focus One”(全体として考え、ひとつに集中せよ)は、ブラック・セイント・レーベルから21年前にリリースされたアルバムに収録された最後の曲―この曲はエレクトロニクスを使った素晴らしい音楽的探求の成果である―からつけられた。一生といういわば短い創作期間の中でこんなにも広範囲の芸術的観点を包含し調和させることのできる創作者について要約するのには、このタイトルが一番簡潔で的確な表現であるように思えたのだ。
フランク・J・オテリ(以下F): 1987年に出された『Colors in Thirty-Third』(Black Saint, 1987)というアルバムのライナーノーツの中に、あなた自身の述べた言葉で、「過去、現在、未来がすべてひとつとなり我々の前に現れますように。」ということが書かれていますが、この言葉はあなたが音楽に関して信じていることをうまくまとめているように思えます。
ムハル・リチャード・エイブラムス(以下M): 私はどこの時代にも属したくなかった。どちらかというと、可能な限り「無限」という背景で物事を考えたかったのです。何を述べたとしても、その言葉はどの時代に属することもいわば可能なのです。それはなぜかというと、その言葉を聞く側であるあなたの「中心的な部分、内側の焦点」に共鳴するからです。
F: あらゆる人々が、音楽のことを「古い」とか「新しい」という風に表現しますね。だけどその境界線というのは時として非常に曖昧です。例えば、ジャズに関して言えば、スタイルの変化というのは非常に早い速度で起こりました。つまり、スイングからバップ、クール、そしてフリーへという移り変わりは、どちらかというとかなり短い期間の間に起こったということです。あなたの作る音楽は、これらのすべてのスタイルから派生する要素を取り入れています。あなたにとってはこれらの要素すべてが、ひとつの言語に属するというこということなのではないかと感じます。あなたの音楽を聞いていると、我々にも、「すべて」を表現することは可能だと思わされます。
M: 人間的言語のひとつであるという表現の仕方もできるかもしれません。私達は常に思考を表現し続ける生き物ですから、他者から自分自身を切り離すということはできません。私自身は音楽という媒体を通して表現をしますし、詩人である誰かは文学的媒体を通しての表現をします。ですけれども、リズムの動きということを全体として考えたときに、この様な異なった領域のものがリズムという共通項を持っていることに気づくのです。すべての人間はリズムを持ち、呼吸をします。古いとか新しいという感覚の話に戻りますが、あなたが古いと思えばそれはあなたにとっては古いものだし、あなたが新しいと思えばそれはあなたにとっては新しいものなのです。だけど結局は、新しいとか古いという言葉は、ただ単にそういった表現をする本人の感じている特定のムードやフィーリングを表現するのに便利だというだけのことだと思います。つまり新しい、古いという概念には真実性はないのです。古いと呼ばれるものが、なんらかの将来的目的の為に役立つこととして再発見されるということがよく起こるからです。女性、または男性のファッションもそうです。私達は毎日そういったことを目撃しています。もちろん、音楽という場面でも。ベートーベンやバッハが現在でもごく頻繁に我々の世界に登場するのは何故でしょうか?デューク・エリントンが今でもきわめて重要だとみなされるのは?例えば彼をひとりの創造者であるという観点から見た時に、そこには学ぶべきことが沢山あります。一個人の発信した表現を、一個人である私達が観察するとプロセスに、本物の教育の土台というものを見出すことができるのです。
F: 少し前の質問の中で、あなたは「他者が詩を通して表現することを私は音楽を通して表現している」とおっしゃっていましたね。このインタビューの録音を始める前にビジュアル・アートについて話しましたが、これに関してもひとつの個人的表現であると言うことができます。あなた自身は、どのようにして音楽という表現媒体と出会いましたか?
M: 私の表現は、ビジュアル・アートから始まりました。そこまで長い期間は続きませんでしたがその頃は、あらゆる表現方法に同時に魅力を感じていました。ビジュアル・アートから始まり、その直後に音楽という表現媒体に圧倒されていったのです。
F: 何かを聴いて、アイディアが結晶化されていく様な特別な瞬間があったのでしょうか?
M: 記憶し始めた時だと思います。ビジュアル・アートにおいてもそうでしたが、「学ぶ」必要はないと感じた時に、物事を記憶することを始めました。もちろん練習は必要でした。すべてにおいて練習は必要です。練習しないということは素晴らしいアイディアを受け取り、育むという過程において自分を騙しているようなものです。記憶することを始めてから、音楽的記憶というものが私の頭の中の大部分を占めていきました。こういう風にしか説明ができない。音楽の記憶が支配していったのです。だから、とにかく音楽に集中するしかなかった。
F: 子供の頃に家ではよく音楽を聴きましたか?
M: 私はシカゴで、音楽に囲まれた幼少期を過ごしました。ブルースの中心地でもありましたから、あらゆるタイプのブルースを聴きました。子供の頃、近所にマディ・ウォーターズや彼の取り巻きも居れば、素晴らしいジャズ・ミュージシャン達も居ました。彼らジャズ・ミュージシャン達は、クラシックも演奏できて、それに対して私は非常に感心したものでした。それからしばらくして、所謂クラシック音楽というものを聞く機会にもめぐまれました。それはとても素晴らしい体験で、私自身もあらゆる種類の音楽を作曲できるようになりたいという願望を持ち始めたのです。その当時の私の音楽の経歴は、ストリートの即興演奏家の様なものでしたから。スタンダードを習得したりなんかしました。だけど、私の場合いつもそこには二極性があり、常に何か前例のないものを作り出すと同時に、既に誰かによって作られたものとも共存していました。すべてが同時に起こっていたのです。
F: あなたの辿ってきた音楽の経歴とその軌跡について、私がいつも感心してしまうのは、ピアノや作曲の教師を持たずにほぼ独学で学んできたということです。これは並はずれた経験ではないかと。もちろん、同じような経歴を持った人は他にも居るかもしれませんが、あなたの様なレベルの表現者にはそうそうは居ない。皮肉なのは、あなた自身がメンターを持たなかったにも関わらず、周りの同世代または若い世代の音楽家達の多くがあなたをメンターとして慕っていることです。
M: 確かに、シカゴ時代にそうやって慕ってくれた人も居ましたし、彼らからは沢山のことを学びました。だけど、私は自分のことを教師だとは思いません。教師という立場を主張したこともありません。もし誰かが、私の近くに居ることで何かを学ぶことができたというのであれば、それは素晴らしいことです。人と人との関係性の中でそういった学びは自然に発生すると思います。だけど、メンターとか教師という言葉に関しては・・・もしそういう言葉を使いたいのであれば、それは結構だと思います。だけど私は自身のことをそういう風に見ていないのです。若くても年を取っていても、何かを他者とシェアし、共同制作することほど楽しいことはありません。人それぞれの個人性から学ぶことは必ず何かあります。もし私があなたと何かしらの関係性を持つのであれば、あなたの個人性は私にとって未知の領域の何かを教えてくれるはずです。そして私の個人性はまた、同じ効果をあなたにもたらすかもしれない。なぜなら我々は皆、一個人として、他の誰にもない独自性を持っているからです。前にも述べた様に、私にとってはこれが人間の教育の根本である様に思えるのです。
F: アメリカ史における、小規模のアンサンブルでの即興型演奏というのは、それをジャズと呼ぶにせよ何にせよ、人が積極的に共同で創造活動をし、互いに反応し合っていくという点で非常に人間的な音楽であり、そういう意味でとても変革的なものであると思います。誰か一個人の独自性を(演奏を通して)聞き、それをきっかけにあなたの中で何らかの道が開ける、そしてまた誰かがあなたの表現の独自性を耳にして、彼らにとっての新しい道が開ける。そういう風に個人と個人の間で流動的な会話がなされていくというのは素晴らしいことではないかと。
M: この会話の中でもジャズという言葉がでてきましたが・・・どんな音楽を表現する名詞に関してもそうですが、特にジャズという言葉は時に混乱を招きがちです。少し前に話した様に、「古い」何かが好きだとか、「これは新しい」という表現があったりとかするのですが、多くの人々にとって、ジャズという言葉が特別な種類の活動に限定されてしまい、その枠組みを超えたものに関しての説明がつかなくなってくる。だけど単に「音楽」と表現すれば、枠組みに関わらずどこでも行けるのです。ただの音楽であると。次に出てくる質問はおそらく、「どんな種類の音楽か?」でしょう。オーケイ。何の種類の音楽でもありません。ただの音です。わかるでしょう?それは音なのです。我々が音楽と呼ぶ何らかの形式に綺麗にまとめられる以前に、そこには音があります。時の始まりからなされてきた真剣な創造の試みのすべては、確かなものだと思います。ひとつの音楽的スタイルに名前をつけることは、視野または焦点を狭めることに繋がり、それは結果として多くの人々にとってフェアではない状況を作り出してしまいます。
F: ジャズが人々にとって一定の関連性を想起させる様に、クラシック音楽にもその様な部分があります。あなたが「いわゆるクラシック音楽」という表現をしたのには興味をそそられました。
M: そうですね、同じことです。名前をつけることで、広大な領域の活動に対して制限をかけてしまう。ところで、人は、互いから学びを得ることができるということが言及されましたね。クラシック音楽も同じです。もちろん、記譜されたコンポジションが多くを占めますが、素晴らしい作曲家達は、皆、数多くの即興演奏もしてきました。実際に演奏を聴いてみると分かります。ただの機械的な響きではないからです。ラフマニノフは、ピアノの前に座って、浮かんでくるアイディアを試し、そして「これを曲にしてみよう。」と言ったと思うのです。きっとショパンもそういうやり方をしたでしょう。彼らは修練を積んだ音楽家達でしたから、和音、リズム、旋律といった材料をどの様に扱うべきかわかっていました。彼らの音楽の中に垣間見える人間らしいフィーリングや動きについて考えると、(作曲の工程が)ただ単に機械的なものであったとはとても思えないのです。作曲家としては、もしあなたが今私の前に五線紙を出してきたら、ピアノがなくても何かを作曲し始めることはできます。どんな音が出るかということを知る必要は必ずしもありません。組み立て方を知っていますから。これはひとつの方法です。一方で、ピアノの前に座って何かを弾き始め、「これはいいな、書き留めておこう。」という作り方をしたものは、また違う響きを持っているでしょう。つまり、ラフマニノフやショパンはきっと即興演奏を沢山したと思いますが、その結果として生まれたものは、即興演奏自体にフォーカスを置いた音楽的経験を持つ人のアウトプットとはかなり違ってきます。彼ら(ラフマニノフ、ショパン)の場合は、作曲自体にフォーカスを置いていた。
F: では、即興演奏をもとに記譜された曲を創る場合、その境界線というのはとても流動的で曖昧なものになり得るということですね。あなたのおっしゃる通り、結局はこういった(即興と作曲における)性質は普遍的であるのだと思います。では、ある瞬間において積極的に概念化されたもの、そして理論的には、また別の機会にも同じ様に何度も繰り返す衝動に駆られる類のアイディアに関してはどうでしょうか?そこには「作曲性」という要素は存在するでしょうか?こういった場合、どこからが即興で、どこまでが作曲なのでしょう?
M: 私は他の人の代弁をすることはできませんが、私の答えはいつも大体同じだと思います。ある(音楽的)要素を書き留めたいと感じる時、そこには大抵いくつかの理由がありますが、多くの場合その衝動というのは、その音楽的要素から「何かを学んだ、啓蒙された」という感覚からくるのだと思います。もしかするとずっと疑問に感じていた何かを解決する糸口をその要素が与えてくれた、だからそれを書き留めたいのかもしれない。どんな感じになるか試してみよう、うん、これは書き留めておかなければ。という風に。
F: そういった経験はいつ頃から始まりましたか?
M: 常に経験していましたよ。
F: でも、最初に音楽をやり始めた時は即興演奏をしていたとおっしゃっていましたが。
M: 作曲も同時にしていました。
F: では演奏しながらそれをすでに書き留めていた?どの様にして記譜法を学んだのでしょうか?
M: ある時期から、作曲においての技術的な部分をもっと伸ばしたいと思うようになり、独学で学びました。和音についての本があって、その本に基づいて和音を教えている人などもいましたが、私は本を買いに行って、自分でそれを読んで学びました。自分の目で見ることができたので、教師は必要としなかった。教師に対して尊敬がないということではなくて、これはただ私の個人的な感覚でした。私は、どんなに習得するのが難しいことでも、時間をかけて学ぶ忍耐力が自分には備わっていると感じていたので、情報源さえ手に入れば、独学は難しいことではないと思っていました。
F: 音楽を通して仕事をしていく中での学びというものもありますね。多くの音楽家達にとって、誰かのグループでサイドマンとして演奏するということは、ほとんどそのバンドリーダーの生徒になるようなものです。あなたの場合、シカゴでマックス・ローチやデクスター・ゴードンなどの素晴らしいミュージシャン達と演奏する機会があったはずですが、この経験から沢山のことを学んだのではないでしょうか。
M: ステージでの学びですね。その時代は、本当にその場面に何かを貢献することができなければステージにあがる機会は得られませんでした。
F: その機会はどのようにして得られましたか?マックス・ローチはどのようにしてあなたのことを知ったのでしょう?
M: Jazz Showcaseというクラブを経営していた、ジョー・シーガルを通してです。彼は後にいくつかのクラブを持ちましたが、すべてはルーズベルト大学でのジャム・セッションから始まりました。私達はそのジャムセッションに皆で参加したものです。それからしばらくしてジョーは国内外のミュージシャンをシカゴに呼ぶ様になり、その都度私達をサイドマンとして雇ってくれたのです。
F: ルーズベルト大学には短い期間在籍していたとか?
M: とても短い間ね。どのような道を辿って学べばいいのか模索していました。だけどすぐに大学は自分には必要ないと気づいた。
F: どこかで読んだことがあるのですが、あなたは音楽を学びに大学へ行き始めたものの、そこで教えられていた内容があなた自身の音楽的経験とあまりにも違っていた、と。
M: すごく基本的すぎたのです。私は当時、大学で教えられていた内容よりもずっと進んだ種類のことをすでにステージで演奏していました。彼ら(大学)に対してフェアな言い方をすると、教師というのはものを教える時には、基本中の基本から始めるものです。私がストリートでの演奏で学んだ内容を超える様な情報を彼らが提供していなかったからといってそれを責める気はありません。先程も述べた様に、大学である文学を教えているのであれば、私はその文学を手に入れて自分で勉強することを選びます。そうすることで、自分のペースで学ぶことができる。例えば三和音が明るさと暗さのどちらかの音を持つことを、あなたは2日で習得しても、私には6ヶ月かかるかもしれない。
F: マックス・ローチとあなたの共演したパフォーマンスが録音されていないことが惜しまれます。
M: 録音はしませんでした。だけど彼との共演は素晴らしかった。いわば博士号を取るくらいの素晴らしい学びでした。
F: デクスター・ゴードンは?
M: 同じくらい素晴らしかった。それからソニー・スティットも。
F: それから、彼女の名前はもっと知られていてもいいはずなのですが、素晴らしいシンガー、ルース・ブラウンとも共演しましたね?
M: そうですね。それからパーシー・メイフィールドも。彼の“Please Send Me Someone to Love”という曲は覚えていますか?
F: ルース・ブラウンとの共演はどのようなものでしたか?
M: 彼女の持つフィーリングは素晴らしかった。毎晩、そのフィーリングに上手く添えるものを演奏するのは確かな挑戦でした。ですが、シカゴでブルースとその周辺の音楽を演奏してきた経験がとても役に立ちました。
F: あなた自身がどう感じているか興味があるのですが、あなたのピアノ演奏についてよく聞くのは、その旋律の豊富さです。メロディが飛び上がっていくような感じ。あたかも歌っている様に聴こえる時さえある。リズミックだったり、パーカッシブだったり、和音が力強かったりと様々な種類のピアニストが居ますが、あなたのピアニズムは浮遊するメロディの美しさにあると思います。
M:そうかもしれないですね。私の中では、様々な(音楽的)世界観を同時に感じていて、それぞれに対してのリスペクトもあります。パーカッシブなものもそうです。私もそういう風に弾くこともあるんですよ。私の場合、基本的に、作曲しているということに尽きます。ですから、ピアノを弾いている間は、即興性のある作曲をしているか、または作曲性のある即興をしているかのどちらかなのです。これまでと、現在、そしてこれから、そのすべての記憶がそこから生まれます。
F: マックス・ローチ、ソニー・スティット、パーシー・メイフィールド、そしてルース・ブラウンとの共演のどれも録音はされていませんが、 Modern Jazz Two + Threeというグループとはレコーディングをした?
M: そう、その録音が私にとっては初めてのレコーディングでした。
F: ずっとそのレコードを入手したくて探し回っているのですが、誰かがそのアルバムからの一曲であなたの作品である“Temporarily Out of Order”という曲をYouTubeにあげていました(※)。
(※)MJT + 3 featuring Muhal Richard Abrams “Temporarily Out of Order” 1957
M: 数年前に、ジョージ・コールマンがこの曲の話を私にしてくれて思い出したのですが、ジョージはよくこの曲を弾いたり、歌ったりしていました。私自身、彼がその曲について覚えていたこと自体が驚きでしたけどね。
F: この曲には素晴らしいメロディーと興味深い和音の進行がまずあるのですが、私がより興味をそそられるのは、この時期のすぐ後にあなたがExperimental Bandで試みた内容との決定的な違いについてです。先程話したアルバムの全体像をまだ私は知らないのですが、例のYouTubeにあげられた一曲を聞く限りでは、実験的音楽という風には聴こえません。どういったきっかけで、ストレートな演奏からより開かれた、幅の広い演奏(注:「オープンな(開かれた)演奏という表現はフリー、即興的演奏のことを指す)へと移り変わっていったのでしょう?
M: 単に、もっと開かれた自由なアプローチでの表現方法をする必要性を感じるようになっただけのことです。誰でも、進化というものを遂げていくものです。その地点にたどり着く過程の中で、作曲をしながらそういった可能性を目にしてきたので、音楽をもっと広げてみようと決めました。当時、シカゴにはそういったやり方に賛成してくれるミュージシャンが何人か居ました。それで、一緒にもっと柔軟性のある音楽を探求し始めたというわけです。
F: 非常に興味深いのですが、シカゴであなたとあなたの周りのミュージシャン達に起こったことは、同じ時代のニューヨークやロサンジェルスでのフリー・ミュージックの発展とはかなり違った性質のものでした。先程おっしゃっていた様に、音楽に柔軟性を持たせる試みをしながらも、前時代の音楽史、またはその当時のポピュラー音楽にもきちんと注意を払っていた。ただ単に「実験的であるため」の実験音楽ではありませんでした。未来のための音楽を作り、過去をすべて忘れる様なやり方ではなくて、過去、現在、未来のすべてに対して同時に注意を払いながら開かれた音楽的視野を育んでいく、というようなスタンスだったのではないかと思います。
M: 私はそれはちょっと不可能ではないかと思います。そういう風にもしできたらそれは素晴らしいことですけれど、シカゴの場合、ミュージシャン達は単純に作曲も即興もできる、独自性を持った音楽家であることを目指してきたのではないかと。この様に一個人の独自性を重要視することで、多くの強い個性を持った音楽家を輩出したAACMの様なシーンが出来上がってきたのだと思っています。シカゴでは多くのコンサートで、できる限りの独自性を表現することが求められました。そういう要求に常に応えられる様にするというのは簡単なことではありませんでした。
F: 過去、現在、未来はすべて連続した時間ですから、一旦数十年前へ飛んでもう一度戻ってきましょう。80年代に、『View from Within』(Black Saint, 1985)というタイトルでアルバムをリリースしましたね。このアルバムに収録された音楽の幅の広さには目を見張るものがあります。曲目の中のひとつはラテン音楽とも言えるもので、また別の曲はシカゴブルースそのものです。
M: まさにそうです。
F: それに加えて、クラシック音楽の様な聞こえ方のする曲もあれば、ストレート・アヘッドなジャズの様な曲もある。私が面白いと感じるのは、これらの曲のすべてをあなたが「外側からの眺め」ではなく、“View from Within”「内側からの眺め」であるという風に表現していることです。
M: 他のものに対して敬意を払うことで、上手くバランスが取れるのです。他者の持つ情報から何かを学びとることはとても重要なことです。
F: バランスということに関していうと、60年代にリリースされたあなたの2枚目のLP、『Young at Heart/Wise in Time』(Delmark, 1974)は、完全に異なったふたつの録音とも言えます。先程、あなたが演奏においてリズミックだったりパーカッシブにもなれるという話をされた時に、このLPが思い浮かびました。アンサンブルの面、”Young at Heart”では、パーカッショニストのサーマン・バーカーとあなたの間で、脈打つ様なとても激しいインタープレイが繰り広げられます。ですが、もうひとつの面、”Wise in Time”は、ラフマニノフを思い起こさせる様な瑞々しく美しいピアノソロになっています。
M: アート・テイタムやラフマニノフなんかの演奏をじっと座って聞きながら、この音楽家達のやったことにどのようにして音楽的に敬意を払えるかを考えました。ラフマニノフ、ショパン、アート・テイタム、モンク・・・彼らの音を聞いて、ピアノがどんな音を出せるかという可能性について探索していったのです。そういういきさつだったと思います。
F: 『Young at Heart/Wise in Time』に関しては、2つの面を持つLPで聞くのが賢明ではないかと。CDやオンラインのストリーミングで聞く場合、(このアルバムにとって重要な)「二面性」という体験が欠落してしまいますから。
M: (アナログレコードという媒体には)限界もあったけど、同時に必ずしもそうとは言えなかった。
F: 作曲と即興の境界線の話に戻りますが、このアルバムの中で聞くことのできる音楽のどの程度があらかじめ設定されたもので、どの程度が完全に能動的な即興演奏だったのでしょうか?
M: ピアノソロは完全に即興でした。
F: 完全なる即興?
M: 先程も話した様に、ただ座って、ピアノの音の可能性をできる限り探索していく努力をすることがいかに大切なことであるかという事実を尊重したのです。そうすることで、ラフマニノフ、ベートーベン、ショパン、モンク、デューク、それから私が最も古くから影響を受けたキング・フレミングに敬意を表しました。フレミングの名前を出したのには理由があって、彼は、私が初めて耳にした、「クラシック音楽の指導を受けた上でジャズを演奏した」ピアニストだったのです。彼の演奏を聞いていると、ジャズやクラシックのどの文脈も頭においた上でピアノがどんな音を出せるかについてどれほど彼が知識を持っているかがわかりました。彼は自身と同じ様な背景を持つピアニストを聞いていました。テディ・ウィルソンにアート・テイタムのような。だけど私にとって、ピアノがどんな風に響くべきかということに関しては、キング・フレミングの影響より大きいものはありませんでした。そういう弾き方のできるピアニストで、親しくなれたのはフレミングが最初のひとりだったのです。彼は大編成のバンドを組んでいて、そのバンドの編曲を担当していたのはトランペット奏者のウィル・ジャクソンでした。彼の名前もあげておかなければいけない。この二人からは本当に多くのことを学びました。ジャズ・バンドでの演奏の仕方はフレミングから学び、ジャズ・バンドのための作曲の仕方はジャクソンから学びました。彼らはもうこの世を去ってしまいましたが、もっと多くの人が彼らの名前を知るべきだと思っています。
F: リーダーとして最初に録音されたアルバムでは、あなたはピアノだけでなくクラリネットも演奏していますね。
M: 自分の体が触れるもの何に対しても音楽的な感覚があるのです。クラリネットを弾きたいという気持ちがあったので、その感覚を尊重して、練習しました。もっと長い間クラリネットを弾くこともできたかもしれませんが、当時のコンサートでやろうとしていた内容を演奏するには十分な時間を割いたと思います。
F: クラリネットは呼吸を使って音を出すという点で体と楽器の関係性がピアノとはかなり違いますね。そういう身体的な体験の違いを通して色々と見えてくるものがあったのではないかと思います。
M: そうですね、技術的に異なった操作をするので、そこで生じる感覚というのも違いますね。
F: マルチ・プレイヤーであるということはAACMのメンバーの特徴でもありますね。AACMの始まりに関して言うと、あなたは創始者であり最初のリーダーでもあった。あなたを通して数多くの素晴らしいミュージシャン達が一同に会したわけですね。だけど、階級主義的な意味合いはあなたにとって、そしてAACMの美学にとって正反対の位置にあるものだった。これについては?
M: 階級というものは存在しませんでした。お互いの意見を合わせることもできたし、逆に互いの意見に反対することも許される関係でした。そして、基盤として存在していたのは、独自性を表現する努力に関しては、互いに必ず支え貢献し合うという暗黙の了解でした。
(次号に続く)
This interview originally appeard in NewMusicBox, the web magazine from New Music USA, and is reprinted in translation with permission.
このインタビューは、 New Music USAによって刊行されるウェブマガジン「NewMusicBox」に掲載された記事をもとに、許可を得て翻訳され転載されたものである。
(全文訳:蓮見令麻)
1970年代に日本の旧トリオレコードからリリースされたDelmark原盤の「シカゴAACM」シリーズ以来、日本ではあまり語られることのなかったAACM、わけても ”神秘のレジェンド” 的存在のムーハル・リチャード・エイブラムスがインタヴューを通して自らの言葉で語るAACMと自身の音楽、音楽感を全訳という形で日本のリスナーに届けて下さった蓮見令麻さんの卓見と労力に心から感謝の拍手を送りたいと思います。次号に掲載予定のインタヴューの後半が待ち遠しくてなりません。
先月の転居の際見つかった1975年のAACM設立10周年記念イベントのスナップと共に僕も次号で当時の思い出を記す予定でおります。