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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江InterviewsNo. 341

#57 ゴードン・グルディナ 〜 RU’YAについて語る

text & photo by Kazue Yokoi  横井一江

ゴードン・グルディナは、バンクーバーを拠点に既成のジャンルにとらわれず世界的に活動するウード奏者/ギタリストで、ソロ・アルバム『China Cloud』でカナダ最高峰の音楽賞 Juno Awards の2019年度 Instrumental Album of the Year を受賞している。

子供の頃にギターを始めていたグルディナだが、13歳の時に初めてウードの演奏を聴き、衝撃を受ける。そして、2002年にはウードの演奏も始めた。彼はまた20代の頃、ゲイリー・ピーコックに師事しており、最初の録音はゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンとの『Think Like The Waves』(Songlines, 2006)。これまでフランソワ・ウール、ブノワ・デルベック、マシュー・シップ、武石聡、ケニー・ウィーラー、トニー・マラビーなどと共演してきた。

ジャンルにとらわれず幅広いミュージシャンと協働してきた彼は、ジャズ、即興演奏、ロック、アラブ音楽(マカーム)などを融合させた独自の音楽を展開する。マット・ミッチェル Matt Mitchell (p) とジム・ブラック (ds) とのNomad Trio。The Marrow(ザ・マロウ:マーク・ヘリアス Mark Helias (b) ハンク・ロバーツ Hank Roberts (cello)   ハミン・ホナリ Hamin Honari (ペルシャ打楽器))、Square Peg(スクエア・ペグ:マット・マネリ Mat Maneri (viola) シャーザド・イスマイリー Shahzad Ismaily (b, moog)  クリスチャン・リリンガー Christian Lillinger (ds))、ハミン・ホナリも参加しているQalandar(カランダール)、また大きな編成のHaram(ハラム)など、多彩なグループを率いてきた。

2025年にグルディナは、RU’YAというプロジェクトを立ち上げる。そのステージを今年2026年のメールス・フェスティヴァルで観ることができた。RU’YAとは、アラビア語で「ビジョン」を意味するという。メンバーはグルディナ(g, oud, カナダ)、ガリア・ベナリ Ghalia Benali(vo, チュニジア)、Eylem Basaldi(vln, トルコ)、エリアス・ ステメゼダー Elias Stemeseder(p, synth, オーストリア)、ハミン・ホナリ Hamin Honari(perc, イラン)、クリスチャン・リリンガー Christian Lillinger(ds, ドイツ)で、国籍もバックグラウンドも異なるメンバーからなる。アラブ音楽(マカーム)、ペルシア音楽、即興演奏などが融合することで織りなすサウンド、またベナリの存在によって詩やヴォイスが大きな要素として作用していた。彼女はパレスチナの詩人ナセル・ラバの詩も朗誦した。詩人の言葉は深い。会場にいるほとんどの人はアラビア語が分からないものの、発せられた言葉はサウンドとしてなにがしかを伝える。現在も続くパレスチナでのジェノサイドに抗する政治的なメッセージがあった。心に響く、音楽的にも稀に見るステージで、聴衆がスタンディング・オベイションで讃えていたのが印象的だった。

そこで、あらためてグルディナにRU’YAというプロジェクトについて、2度来日して道場(八木美知依、本田珠也)と巻上公一を初めとするミュージシャンと共演していることについても尋ねてみることにした。


 RU’YAについて

── RU’YAというプロジェクトを立ち上げた理由を教えてください。初演はベルリンのピエール・ブーレーズ・ザール(Pierre Boulez Saal)とのことですが、どのような経緯で公演に至ったのでしょうか。

自分が関心を持っている音楽の要素をすべて組み合わせ、活動しているさまざまなアンサンブルを繋ぐようなプロジェクトを作りたいと考えていました。自分が取り組んでいるすべての活動を、より包括的に表現できるプロジェクトを探していたのです。ピエール・ブーレーズ・ザールのピョートル・トルキエヴィチPiotr Turkiewicz と新しい委嘱作品のコンサートについて話し合っていた際、それを実現するための共演者について話題が及びました。この繋がりがきっかけとなり、プロジェクトを実現するための最適な環境と支援が得られることになったのです。

── とてもユニークな楽器編成のプロジェクトですが、どのような観点からこのような楽器編成にし、参加ミュージシャンを決めたのでしょうか。

私は普段からプロジェクトを立ち上げる際、楽器編成よりも「特定の人物」を中心に考えることが多いです。音楽的には、Nomad Trio(ノマド・トリオ)のために書いていた音楽と、自身のグループであるThe Marrow(ザ・マロウ)や Qalandar(カランダール)の要素を橋渡ししたいと考えていました。

また、ケベックのFIMAV(Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville  ヴィクトリアヴィル国際現代音楽祭)で面白い体験がありました。主催者のミシェル・ルヴァスール Michel Levasseur が、私のグループであるSquare Peg(スクエア・ペグ)とThe Marrowのどちらを出演させるか決めきれず、結果として両グループが短めのセットを演奏した後、最後に合同の大型アンサンブルとして1つのセットを行ったのです。そこでクリスチャン(・リリンガー)とハミン(・ホナリ)が初めて共演しました。2人が融合したサウンドがとても気に入り、個人的にもすぐに意気投合していたことが大きな決め手となりました。

グループのリズムの核としてその2人を迎えたいと考えたほか、The Marrowと、モントリオール出身のConstantinople(コンスタンティノープル)、そしてガリア・ベナリによる対バン公演を行った際、彼女の地に足のついた、それでいて完全に自由なインプロヴィゼーション(即興演奏)の感覚と、マカーム(アラブ音楽の旋律法)の独自の使い方に魅了されました。彼女はこの新しいアンサンブルに最適だと確信しました。ハミン・ホナリはその夜、両方のアンサンブルで演奏しており、ガリアとも素晴らしい音楽的繋がりを持っていたのです。

私は、複雑な音楽を書く自由を持ちながら、それを美しく解釈し、理解してもらい、さらに別の人の音楽的言語を通して次のレベルへと発展させられるようにしたいと思っていました。それができるという点で、マット・ミッチェルは素晴らしい才能を持っています。私たちはそれまでにもかなり長いあいだ一緒に仕事をしてきたので、その関係を続けたいとも思っていました。

そこで、この二つの世界を橋渡しできるメロディ楽器の奏者を探していた際、バンクーバーでエイレム・バサルディ Eylem Basaldi とトルステン・ミュラー Torsten Müller を加えたトリオで演奏したときに、とても素晴らしい経験をしました。彼女がトルコ音楽やアラブ音楽、そしてマカームについて幅広い知識を持っていることは知っていましたが、私たちがトリオで演奏したときは完全に自由な演奏で、実にさまざまな方向へ展開していきました。それが魔法のような体験だったのです。

このグループなら、アーティスト同士の間にある程度の親しみを保ちながらも、未開拓の領域も残されているため、そこからインスピレーションが生まれるだろうと感じました。そして、それぞれのミュージシャンから新しい表現の形を引き出せるのではないかと考えたのです。

── メールスではピアニストが初演時のマット・ミッチェル Matt Mitchell ではなく、クリスチャン・リリンガーとデュオでも活動しているエリアス・ステメゼダー Elias Stemeseder に変わりましたね。何か理由があったのでしょうか。

ピエール・ブーレーズ・ザールでのコンサートは素晴らしかったです。私たちは2セットとも非常に長い演奏をしましたが、観客は最後までずっとついてきてくれました!このプロジェクトを続けていきたいと思っていましたし、曲にはさらに練り上げる必要がありました。私たち自身も一緒に演奏する時間が必要だったので、その年の11月にカナダ・ツアーを組むことができたのは幸運でした。ただ、マットはそのツアーには参加できなかったんです。

ツアーのために誰に頼めばいいのか、私は途方に暮れました。マットは独自の技術を持っているだけでなく、アーティストとしての推進力や強さ、明確な個性を持っていますから。そこでマットがエリアスを推薦してくれました。私はクリスチャンとエリアスのデュオが大好きですし、以前にも何度か彼らと演奏したことがあって、とても楽しい時間を過ごしていました。エリアスはすでに、私が「もっと一緒に仕事をしたい」と心の中で思っていたアーティストでもあったのです。

エリアスはすぐにグループに溶け込み、ツアーの間にバンドは本当に一つにまとまっていきました。演奏する時間だけでなく一緒に過ごす時間もあったので、グループがまるで家族のように感じられるようになったのです。そしてツアーの最後にアルバムを録音しました。現在、そのリリースに向けた最終的な調整を行なっているところです。エリアスがシンセサイザーを加えたことで、プロジェクトに新しい次元がもたらされ、私はそれをとても嬉しく思っています。

── ジャズ、即興演奏、アラブ音楽、ペルシャ音楽といった全く異なるバックグラウンドを持つ音楽家たちがひとつのユニットで演奏するのは、とても難しいことのように思います。どのようにプロジェクトを発展させ、形作っていったのでしょうか。

ここに至るまでに、いくつかの要素が発展してきました。一つは、私がこれらすべての音楽の世界で長年活動してきたため、自分の中の音楽的な耳(心の内耳)において、それらをそれほど明確に区別しなくなっているということです。作曲する際にはそれらが融合し、一つの全体的なものとして響くようになっています。

もう一つは、特定のグループのために曲を書く際、常に具体的なミュージシャンの音を思い浮かべ、彼らが組み合わさったときにどんな化学反応が起きるかを想像し、聴こえてくる音を楽譜に書き起こすようにしてきました。そうすることで、プロセスは非常に有機的でシンプルなものになります。

どのようなサウンドになるかのイメージが湧き始めると、過去に別のグループで作った楽曲が可能性として浮かんでくることがあり、その場合は過去の曲を編曲したり、新しいセクションやパートを書き加えたりします。私自身、長年にわたってこの方向性に向かって取り組んできたため、このグループでもそうしたプロセスが頻繁に起きました。過去の楽曲の中に、道を示してくれる「設計図」が見えたのです。

── RU’YAにはガリア・ベナリが参加しています。彼女はこれまでのキャリアを通じて、詩を自分の音楽に取り入れてきました。彼女の存在が、このプロジェクトにもう一つの次元を加えているように感じます。彼女とは、どのようにして知り合ったのでしょうか。

私にとって最大の未知数だったのは、ガリアと一緒に仕事をすること、そしてアラビア語の詩を扱うことでした。完全に初めてというわけではありませんでしたが、決して十分に慣れていたわけでもありません。こういった意味で何かに居心地の悪さを感じるときは、たいてい、それこそが自分の進むべき方向であることが多いのです。

私たちはゲント(Ghent)で出会いました。私がHA Concertsでクリスチャンとデュオ・コンサートをやったときのことです。すぐに意気投合して、そこでバンド名を考えました。それがきっかけになってどんどん話が広がり、とても居心地のいい制作環境が生まれていったんです。彼女は素晴らしいミュージシャンで、とても直感的で冒険心がある。それが私自身のスタイルと本当によく合います。彼女は作品の中でもっとも難しいセクション、つまりアトーナル(無調)な領域に入っていくような部分でも歌ってくれました。伝統音楽にこれほど深く根ざしたアーティストにそんなことを期待していたわけではなかったので、本当に刺激的でした。

また、彼女はアラブの詩の専門家でもあり、引き出しには取り上げることのできる作品を豊富に持っているため、詩と書かれた楽譜が見事に調和しました。彼女の存在がプロジェクトにさらなる次元を加えていることは間違いありません。彼女は多岐にわたる分野や環境で活動しており、非常にインスピレーションを与えてくれる存在ですが、その創造性の中でもこのグループは特別な位置を占めています。

私たちのバンドには、まだ成長していく余地がたくさんあります。このプロジェクトには、まだ録音されていないもの、いや、まだライヴで演奏さえしていない要素もたくさんあるのです。メンバー全員が地理的に離れた場所に住んでいるため発展していくのに時間がかかっていますが、私たちはみんなこのプロジェクトに取り組み続ける意思を持っていますし、一緒に集まるたびに多くの新しい情報が加わっていくでしょう。

── メールスで観た時にガリア・べナリが朗読した詩は、パレスチナの詩人 ナセル・ラバ(Nasser Rabah)の詩でしょうか?(MCを上手く聞き取れなかったので確認です)。カナダやヨーロッパではナセル・ラバはよく知られているのでしょうか。(マフムード・ダルウィーシュの日本語訳詩集は出版されていますが、ナセル・ラバは知られていないので。)

その詩はナセル・ラバの『Kayfa Ousamehoni(ここでどう許せばいいのか)』という作品です。あの曲こそが、まさにこのバンドの始まりとなりました。ハミンが彼女に私たちの「Gaza」という曲を聴かせていたのです。ハミンは私に「『Gaza』という曲があるのだから、ガリアに聴かせない手はないよ」と。

彼女はその曲に即座に反応しました。以前録音していたナセルの詩に基づく曲が、私たちの曲に文字通りぴったりと重なったのです。彼女はその二つを組み合わせて私に送ってくれました。私たちは瞬く間に最初の一曲を手に入れたんです。

それ以前、私は彼の詩を知りませんでした。現在、ガリアは彼と友人ですが、もともとは共通の友人がいて、ガリアがその友人を通じて、自分がこの作品を歌っているバージョンをナセルに送りました。彼から返事が来て、「今、私たちの頭上に爆弾が落とされている。もし朝まで生きていたら、それを聴くよ」とありました。彼はその攻撃を生き延び、そして音楽を聴いて「あの日、自分に何か良いことが起こったことが嬉しい」と言ってくれました。それ以来、二人は友人になったのです。

彼の詩が、カナダや日本でももっと知られるようになればいいと思っています。日本語訳はありませんが、フランス語とヘブライ語の翻訳はあります。彼の作品の英訳はこちらから出版されています。
https://citylights.com/general-poetry/gaza-the-poem-said-its-piece-pp-64/

── ガリア・ベナリはアラビア語で歌い、詩を朗読します。詩と音楽についてどのようにお考えでしょうか。

アイデアの伝達というのは、常にいくつものレベルで起こるものだと思います。私はいつも、まず音楽を聴きます。ポップ・ソングでさえ、何度か通して聴くまでは歌詞をほとんど聴いていません。平均的な音楽リスナーにとっては、これはおそらく普通のことではないと思います。言葉のほうが最も認識しやすいものなので、それも当然でしょう。私は普段、歌詞を覚えたり細かく分析したりすることなく、そこに込められたアイデアやコンセプト、感情的なメッセージを感じ取ります。もちろん、そのせいで歌詞が意図していたことを間違って理解してしまうこともあります。でも、ときには自分自身の解釈のほうが、作者の意図よりも自分にとって意味のあるものになることもあります。

本当に詩的な文章であれば、当然、さまざまな理解や解釈が生まれやすくなります。そして、スポークン・ワードの背景として音楽があるとき、私はそれをよりはっきりと感じます。このプロジェクトでは、私はアラビア語を理解していないので、その瞬間に歌詞が意図している意味を理解しているわけではありません。でも、そこにある感情的な意図と音楽的な意図は受け取っています。ガリアは作品を深く理解していて、その中に重層的に込められた意味を説明することにも長けています。それに翻訳が加わることで、音楽により大きな深みと重み、そして理解がもたらされるのです。

音楽は感情を伝えます。それは必ずしも具体的なものではありませんが、とても重要なものです。この世界には、表現する必要があっても、それが具体的ではなく、言葉にすることさえできず、認知的に理解することすらできないものが、あまりにもたくさんあります。詩は、具体的でありながら、同時にそうした抽象性を指し示すことができます。だからこそ、詩と音楽はどちらも、人間が表現するための不可欠な手段なのでしょう。もちろん、フレージングやカデンツ、リズム、メロディなどによる自然なつながりもありますが、私にとってより刺激的なのは、こうした「儚く捉えがたいものの表現」が持つ、より深い共通性なのです。

── RU’YAを通して、私は現在進行しているパレスチナでのジェノサイドに対する抵抗の意志とともに、世界各地で起こっている紛争、また多文化共生に失敗し、完全に混乱してしまった現代社会に向けたメッセージを感じました。このプロジェクトは、ミュージシャンやアーティストが自らの作品を通して政治的な関わり方、その一つの例を示しているように感じます。

これを聞いて、偉大な詩人イェフダ・アミハイが、かつて東京での講演で語った言葉を思い出しました。質疑応答の時にアイルランド人からの質問に答えて、彼はこう言いました。

いわゆる政治的にコミットした詩、社会的に関与した詩と、そうでない詩を、私は区別しません。すべての詩は政治的です。詩を書くために象牙の塔へ逃げ込んだとしても、それもまた政治的な表明です。それは『私は関心がない』と言っていることになる。そして、関心を持たないこともまた政治的なのです。

政治と音楽の関係について、そしてミュージシャン、アーティストとしてのあなたにとって「政治的にコミットする」とはどういうことなのか、ご自身の考えを聞かせてください。

私は、このグループが一緒に活動するあり方や、即興そのものの中に、より健全な社会の強力なメタファーを見ることができます。即興音楽においては、個々の人間が自分自身を表現し、時には互いに衝突しながらも、それぞれの創造や成果を尊重し祝福するための余地が残されています。誰もが、自分自身を超えた大きな何かの一部になることを目指しています。そこには妥協はありますが、個人の表現やアイデンティティを妨げるようなものではありません。そこには、ギブ・アンド・テイク、相互性、尊敬、そして称賛があります。この概念こそが、音楽的にも、個人としても、詩的にもRU’YAの中心にあります。この作品自体が、非常に強力でポジティブな政治的メッセージとなっているのです。

社会においてこれが崩れてしまうのは、自分たち自身の権力や経済的利益のために、私たちの恐怖や、「声を聞いてもらいたい」「自分を表現したい」「好奇心を育てたい」「互いから学びたい」という根本的な欲求を操り、支配しようとする力が存在するからだと思います。

もっと一般的なレベルで言えば、私はあらゆる芸術表現は政治的だと感じています。なぜなら、たとえ象牙の塔に逃げ込んで詩を書く人であっても、少なくとも個人的な芸術表現や創造について何かに時間を費やすことを選んでいるからです。資本主義が「重要なものはすべて価格(値段)がつけられなければならない」と宣言している時代に、それを行うこと自体が政治的なのです。それは、芸術が人間であることの重要な一部だと表明することです。人生は、利益に貢献するものだけで成り立っているのではない。メンタル・ヘルス、未知なるものとのつながり、自分自身のより深い部分とのつながり、そして人間性とのつながりを見つけるための重要な手段も、人生には必要なのです。

そういう意味では、真摯に芸術に取り組むアーティストは、それぞれがいわば自分自身の「ミューズ」に従っているのであり、最も誠実な作品を生み出すために、どこまで公然と政治的な姿勢を示すのかを決めるのは本人次第です。自分が何者であるかは、隠そうとしても、あるいはそれに向き合って進もうとしても、良くも悪くも、結局は自分の芸術の中に現れてくるのだと思います。もちろん、これは知的で抽象的な思考のプロセスであり、そこには美しさがあります。私が愛する芸術の多くが、こうした知的な領域で語られていることも分かっています。しかし、私自身が本当に心を動かされる偉大な芸術の多くは、もっと深遠で原初的な場所から生まれているのだと思います。それは誠実なものであると同時に、時に知的かつ抽象的な議論を内包するものでもあります。

とはいえ、二重表現(ダブルスピーク)が現実を曖昧にし、黙らせ、混同させるために使われている今、罪のない人々や子どもたちが大量に殺され、強制的な追放が行われ、政府が社会の一方の集団の優越と、もう一方の集団の従属を公言し、さらに、声を上げる人々から職業上、政治上、そして個人的な安全さえも奪われている。そういう状況において、抑圧する側をなだめるための言葉遣いについて、実りのない議論に埋没している場合ではありません。個人として、どちらの側に立つのかを明確にする責任があります。なぜなら立場を明らかにしないということは、抑圧する側の立場を取ることになるからです。権力を持つ者たちは、あなたの承認を得る必要はありません。ただ、物事を曖昧にしてしまえばいいのですから。

悲しいことに、私は今こうして話しているのが歴史上のどの時代のことでもあるように思えてしまいます。そして現在について言えば、多少の違いはあれ、スーダン、シリア北部、コンゴなどについても同じことが言えるでしょう。

それぞれの紛争の内部で何が起きているのか、その複雑な構造や文脈、歴史的な意味、そしてそこにある感情を、深く研究し、省察することなしに本当に理解することは誰にもできません。しかし、ガザとパレスチナにおける違法な入植地の問題は、私がここまで述べてきたことを明確に示す例です。

苦しみや戦争、ジェノサイドといった現実を目の当たりにした際、私たちはそれらと実際に向き合うことを避けるために、事象を理屈で捉えたり抽象化したりして、心のどこかに押し込めようとする防衛本能を働かせます。それは時に、私たちが日常生活を続け、自分たちの身近な範囲で善い行いをするためになされることでもあります。しかし、このジェノサイドを単なる理屈や概念として処理する段階は、とうの昔に終わりました。ジェノサイドは終わらせなければなりません。抑圧者に対し、世界的な抵抗を起こす必要があるのです。

Moers Festival 
May 25,2026

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日本を訪れて

── 話が変わりますが、あなたは2019年と2024年の2度来日し、日本のミュージシャンと共演されていますね。彼らと出会った最初のきっかけは何だったのでしょうか?

最初に道場(八木美知依、本田珠也)と巻上公一に出会ったのは、ヴロツワフで行われたJazztopad(ピョートル・トルキエヴィチがキュレーションを務めたもう一つのフェスティヴァル)でした。それぞれの存在は知っていましたが、直接会ったこともライブを見たこともありませんでした。彼らの音楽を個別に聴いても、一緒に演奏しているのを聴いても素晴らしいと感じ、「絶対に共演したい」と思いました。それが日本との最初の繋がりです。

マーク・ラパポートがいくつかのコンサートと録音のセッティングを手伝ってくれ、アルバムを制作することができました。私たちはGOK Soundスタジオに入り、巻上とのデュオ、八木美知依・本田珠也とのトリオ、そしてカルテットで3時間以上の音楽を録音しました。それは驚くべき体験であり、アーティストとしての彼ら一人ひとりのユニークな表現に圧倒されました。その後、私はその音源をミックス・編集して約70分の長編作品にまとめ、それがアルバムとなりました(『Gordon Grdina’s The Twain feat. Dōjō and Kōichi Makigami』)。冒頭とエンディングがアナログ盤に収録されており、全編はデジタルで聴くことができます。(→Bandcamp)

それから、武石聡とのカルテットもあります。彼は長年ニューヨークに住んでいますが、毎年数ヶ月間は日本で過ごしています。実際に日本で会ったことはないのですが、彼は非常にパワフルなミュージシャンであり素晴らしい人物で、彼と話す中で日本の音楽コミュニティについて多くを学びました。

── 私が見た公演の中では、JAZZ ART せんがわでの道場(八木美知依+本田珠也)と巻上公一との共演が特に印象的でした。日本で共演したミュージシャンの中で、特に強い印象を残した方はいますか。

それ(グルディナ+道場+巻上)は、The Twainという名前の非常に多様性に富んだインパクトのあるグループです。メンバーの一人ひとりが自身の音楽的な系譜におけるマスターでありながら、そこを大きく超えて独自のサウンド世界を創造しています。私たちが集まると、共有された歴史や理解と、多くの神秘や未知が混ざり合い、音楽的に瞬時に引き込まれ、深く繋がることができるのです。あの公演と公演の間は全く演奏していなかったのですが、JAZZ ART せんがわでのステージでは、最初の1音目からあたかも何年も一緒に演奏してきたかのように音楽が展開していきました。強力な個性を持ったメンバーによるグループで、近いうちにまた共演できることを願っています。

同じ訪日期間中(2024年)、藤井郷子、田村夏樹、井谷享志、須川崇志、太田惠資といった素晴らしいミュージシャンたちとも演奏することができました。また、大友良英や灰野敬二とはデュオで共演しました。どの体験も、それぞれ私にとって深い意味を持つものでした。これらのセッションのいくつかは録音できたので、近いうちに音源としてリリースしたいと考えています。

── 音楽的、個人的、それ以外のことでもいいのですが、2度の来日で得られたものがあればお話しいただけませんか。

訪問した時間は、個人としても、音楽的にも、文化的にも非常に深い体験となりました。私自身の歴史に結びついた極めて儚い(感覚的な)ものもあれば、これほど多くの人々が密接に暮らすための優れた方法についてのアイデアなど、非常に実践的で論理的なものもありました。カナダでの経験とは大きく異なるものでしたが、バンクーバーでは日本の影響を強く感じることがあるため、共通点を感じる部分もありました。最初の旅の後、絶対にまた戻ってくると確信し、もっと頻繁に訪れる方法を模索してきました。まだ東京と横浜しか探索していないので、やりたいことがたくさんあります。

音楽的にはまだ表面をなぞった程度に過ぎませんが、すでに世界レベルのプレイヤーたちが活動する多様なシーンに対し、深い敬意と称賛の念を抱いています。私の経験した範囲では、音楽への真摯な姿勢や献身的な取り組みには、大いに刺激を受けていました。ジャズや実験的なアヴァンギャルドのコミュニティには素晴らしい歴史があり、私はそれを理解し始めたばかりです。その最初のきっかけは菊地雅章でした。彼はアーティストとして「自分に誠実であること」の意味を体現する、実に素晴らしい道標のような存在です。彼に直接お会いする機会はありませんでしたが、会ってみたかったですね。

今後、このような卓越したミュージシャンたちのコミュニティを、もっと本格的に探求できる機会が得られればと思っています。個人的には、家族も連れて日本全国をツアーで回ってみたいと思っています。それから、最近サーフィンも始めたので、沖縄を訪れて、この国の自然の美しさをもっと発見したいです。

 

JAZZ ART Sengawa  
January 13,2024

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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記念本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 https://kazueyokoi.jimdofree.com

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