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Jazz and Far Beyond

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Interviews~No. 201

# 122 Meg Okura (violinist/erhu-player/composer/arranger/band-leader)
メグ・大倉(ヴァイオリニスト/二胡奏者/作曲家/編曲家/バンド・リーダー)

Interviewed via emails in November, 2013
Translated by Kenny Inaoka

メグ・大倉 (Megu Okura)
東京都青梅市出身。5才から桐朋学園「子供のための音楽教室」でヴァイオリンを学ぶ。桐朋女子高等高校を卒業後渡米、ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学ぶ。作曲を学ぶ過程でジャズにスピンアウト。NYダウンタウン・シーンのさまざまなバンドで腕を磨きながら、デイヴィッド・ボウイー、フィリップ・グラス、ハービー・ハンコック、クリスチャン・マクブライドなどと共演するに至る。現在、パン・エイシャン・チェンバー・ジャズ・アンサンブル(PACJE)を率いる他、トム・ハレルのチェンバー・アンサンブルなど多くのバンドのメンバーとして活躍。NY在、一女の母。9月に新作『坂本龍一の音楽』をリリース。

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♪ YMOは小学校入学前後から聴いていた

Jazz Tokyo(JT):坂本龍一がジャズから離れて久しいのですが、坂本の楽曲をチェンバー・ジャズで取り上げようと思った理由は? 

メグ・大倉(メグ):坂本さんがトリオの結成にあたって世界中のヴァイオリニストにあたっていたとき、私も候補のひとりだったんです。オーディションで演奏するため彼の作品の何曲かを編曲しました。最終的には、ジュリアード時代の同級生のジュディーが選ばれましたが、それまで何年も聴いていなかった彼の音楽が耳から離れなくなって。それがきっかけで、彼の作品のレコーディングの許可をもらうことができて、1枚のアルバムに必要な楽曲を思い付くままに選び出したというわけです。

JT:子供の頃からの坂本ファンだったようですね。

メグ:正しくは、子供なりに彼のファンだった、ということです。6、8才のときにハマりました。NYに移住後も折りにふれて聴き込んでいましたが、ジャズに興味を持ち始めてからは、勉強や仕事のために聴かなければならない音楽で時間がいっぱいになってしまい、それ以外の音楽に触れることがまったくなくなっていました。

JT:子供の頃にハマった坂本の音楽というのは、YMOのテクノポップですか? 

メグ:そうです。YMOのアルバムは、2歳年上の兄が、新しいLPが出るたびに、小学生のお小遣いをはたいて、すべて買っていました。兄には、作曲者は誰かと、1曲ずつ、すべてテストされました。百発百中、必ず分かりました。

JT:選曲のポイントは? 

メグ:聴き馴染んだ曲を選びました。収録したのは編曲にあたって原曲にあたる必要のないほど聴き込んでいる曲ばかりです。

JT:坂本龍一が音楽を担当した映画も好きですか? 

メグ:『戦場のメリー・クリスマス』や『ラスト・エンペラー』が公開された頃はまだ幼くて...。後になって『ラスト・エンペラー』は観ましたが、『戦場のメリー・クリスマス』はまともに観たことはありません。そのうちに、と思っています。

JT:パン・エイシャン・チェンバー・ジャズ・アンサンブル(PACJE)の他のメンバーの坂本の音楽に対する思いは? 

メグ:坂本の音楽はおろか、坂本龍一自身についての情報を持っていた者はメンバーのなかに誰ひとりおりませんでした。しかし、結果的にはそれが良かったのです。既成観念にとらわれることなく新鮮な視点でどの曲にもアプローチすることができたのですから。私が心から望んでいたことは、彼らが“音楽”そのものに集中してくれることであって、“制作物としての結果”や、原曲の編曲や楽器編成にとらわれることなく、音楽の普遍性が全編を通して一貫していることでした。

JT:編曲にはどれくらいの日数がかかりましたか? 

メグ:日数を数えたことはありません。オーディションのために何曲かは編曲を済ませておりましたし。ある曲を除いてはどの曲についてもある程度よいアイディアがありましたので、ほとんどの曲については時間をかけずに済ますことができました。

JT:ちなみに、ある曲とはどの曲ですか? そして、その理由は? 

メグ:アルバムのクローザーに収録した<パースペクティヴ>です。メロディーのラインとラインの間にかなりのスペースがあり、連続していないトリッキーな作りになっているのです。それでもなおこの曲にこだわった理由は、コード進行の面白さです。このアルバムはジャズのCDなので、まず私たちがコードの変化に乗って演奏を“楽しめる”ことが重要になりますが、<パースペクティヴ>にはそのコード進行の面白さが勝っていたのです。いろいろトライしているうちに、この曲にはヒップホップのフィールが合っていることに気が付き、嬉しくなりました。

♪ このアルバムはあくまでジャズ・アルバムです

JT:編曲のポイントは?(できれば1曲ずつお願いします) 

メグ:オープナーの<グラスホッパーズ>(註:『千のナイフ』1979収録)の編曲は、ちょっとしたエスニック風味をまぶせたチェンバー・ミュージックにしました。曲のバランスを取るために最初の部分を長めに取ってあります。原曲ではシンセのルバートで演奏されていますが、書き譜のフルートのカデンツァの出来には大満足です。中間部は3/4のジャズ・ワルツにしてサンのピアノ・ソロをフィーチャーしましたが、すばらしくスイングしています。

2曲目は<ライオット・イン・ラゴス>(註:『B-2ユニット』1980収録)のファンキー・ヴァージョンです。原曲のFからF#に移調した結果、ヴァイオリンはBメロをフラジオレットで演奏することができました。さらに、思いっきりグルーヴィーでファンキーにしたかったのでテンポを少し抑えました。とてもシンプルな曲ですので、坂本の原曲ではテクスチャがポイントでしたが、私のアレンジではグルーヴとソロのフィーチャーに的を絞りました。サンのピアノと私のヴァイオリンからは“ハービー・ハンコック”が感じられるかも知れません。

<タンゴ>(註:『スムーチー』1995収録)は、原曲(註:作詞 大貫妙子/フェルナンド・アポンテ)のインスト・ヴァージョン。原曲で演奏されているさまざまなカウンター・メロディーを私のアレンジに組み込んでいきました。繰り返しになりますが、これはジャズのアルバムですので、グルーヴはミュージシャンに任せ、坂本のメロディーとハーモニーで彼らをインスパイアさせようと目論みました。コーラスごとにアン・ドラモンドとヘレン・サンをフィーチャーしています。イントロに技巧を凝らしたヴァイオリンのカデンツァと、曲アタマに戻る前のピアノ・ソロのエンディングあたりに“タンゴ”的な雰囲気を書き加えました。

4曲目の<グリーフ>(註:『Discord』1997収録)では、シンフォニックな原曲をクインテット・ヴァージョンに編曲するのに大変手こずりましたが、この作業は、どれほど経験を積んだ作曲家や編曲家にとっても同じようなチャレンジだと思います。なにしろ原曲の過半のテクスチャが失われてしまう作業ですから。
原曲は、ハープ、木管、金管、打楽器、それにピアノという大きい編成でした。私の作業は、まず原曲を解体し、フィーチャーしたい要素を選び出して組み合わせ、次いで、同様の記譜・作曲技法を駆使して、いわゆる今日のブルックリンのサウンド、若い作曲家によるラージ・アンサンブルの作品(たとえば、「ダーシー・ジェームズ・アーギュ」のような)に仕立て直すことでした。この曲では、J.C. サンフォードに指揮を依頼したほどです。ちなみに、J.C.は、ブルックリン在の作曲家、指揮者、ビッグバンドのリーダーです。

5曲目の<メリー・クリスマス、Mr.ロウレンス>(註:邦題:『戦場のメリー・クリスマス』 1983)は、編曲でいろいろ手を加えるには楽曲が知られ過ぎているので、原曲のシンプルさを失わないように心がけました。ヴァイオリンの最低音(G)が使えるように一部で転調しましたが。出来上がりはテンポがやや早すぎると私は感じますが、アメリカ人の感じたままの音楽なのでしょう。

<エンド・オブ・エイシァ>(註:邦題『アジアの果て』2009)は、アコースティック録音のエレクトロニカ・ヴァージョンではなく、“リヴァース・ミックス”のひとつとしました。つまり、テクノ曲のアコースティック・ヴァージョンを創ったのです。原曲の4/4を12/8に変え、アフロ・キューバンのフィールを醸して人間味のあるサウンドを強調しました。

<以心電信>(註:『YMO/サーヴィス』1983収録)は、私の終生変わらぬフェイヴァリットの1曲です。ジャズ・ワルツに仕立てたので、美しいメロディーとハーモニーはそのまま輝きを失っておりません。エンディングは、フルート、ヴァイオリン、アルコ・ベースのトリオ合奏としました。

<ラスト・エンペラー>(註:映画『ラスト・エンペラー』1987主題曲)も、<戦場のメリー・クリスマス>と並ぶ有名曲で、編曲には手を出しにくいですね。原曲はシンフォニックな作品で、原曲に近いアレンジに努めました。二胡とピアノのインプロによるソロをフィーチャーしています。

<千のナイフ>(註:『千のナイフ』1978 収録)は、手が込んだ編曲をしておりますので、どうぞお楽しみの上、ご判断願います。

<パースペクティヴ>(註:『YMO/サーヴィス』1983 収録)は、ヒップホップからインスパイアされた編曲になっています。和声進行は面白いのですがメロディー的には扱いにくい曲で、クインテット・ヴァージョン用のアレンジには手を焼きました。

JT:リハーサルや録音にはどれくらいの時間がかかりましたか?

メグ:リハーサルの前に1、2度譜面の確認をし合いました。初演コンサートをした翌日にスタジオ入りし録音を終えました。<グラスホッパーズ>は変拍子なので、リハーサル時間をほとんどこの曲にとられてしまいました。

JT:ミックスの苦労はありましたか? 

メグ:いいえ。全曲を通じて編成を変えていませんからミックスはシンプルでした。このプロジェクトに限らず、どのプロジェクトにも2、3の問題は付きものですが、大きな問題ではありませんでした。

JT:<ラスト・エンペラー>でメグさんは二胡を演奏していますが、二胡をマスターしたのは? 

メグ:その昔、業界で私はいつも“Asian violinist/アジア人ヴァイオリニスト”(差別的)と呼ばれていて、感じが悪いと思い、とても嫌でした。私の答えは決まって「私は、アジアのヴァイオリンという楽器は弾きません」でした。そんなこともあり、結局、二胡(別名 Chinese violin/中国のヴァイオリン)を演奏するようになったのです。ワールド・ミュージックのコンテクストの中で、いくつものユダヤ系のバンドで演奏することになるのですが、私がもっとエキゾチックで本物らしくみえるためには二胡を取り上げるべきだと考えるようになったのです(ほとんどのアメリカ人は中国人と日本人の区別を付けることができません)。事実、私はたくさんの映画やTVのために二胡奏者としてスタジオ・ワークをこなしています。二胡で演奏する内容は私自身が決めることになるので、二胡奏者として作曲者のクレジットが与えられることが多いのです。

JT:篠笛も演奏されるそうですね。 

メグ:篠笛は演奏しません。篠笛は、久保順さんや最近では宮崎信子さんにお願いしています。

♪ PACJEは、アメリカで成功できるバンドのブランディングを意識した

JT:パン・エイシャン・チェンバー・ジャズ・アンサンブル(PACJE)結成のきっかけを教えて下さい

メグ:長年数多くの有名で立派なミュージシャンと演奏してきて、たくさん勉強させてもらいました。作曲の能力と、自分自身の創造的な面を本当に発揮し、業界で本格的に認められるためには、自分のアンサンブルを結成することが必要。自分の音楽を自由に表現できればどんな編成でも良いはずですが、アメリカという国は、すべてのものごとを人種と文化的背景で識別します。そこで、いわゆる『アジア人で、もとクラシックのヴァイオリニスト』というところを強調する必要がありました。つまり、アメリカで成功できるバンドのブランディングを意識したということです。音楽的には、様々な面がありますが、名前はパン・エイシャン・チェンバー・ジャズ・アンサンブルなので誰もが納得してくれます。

JT:メンバーのピックアップはどうしましたか? 

メグ:私たちの世代の最良のジャズ・ピアニストのひとりがたまたまアジア人であり、また友人でもあったのです。ですから、ヘレンにこのプロジェクトのためのバンドに参加するよう頼みました。このバンドに彼女の以上のピアニストを思い付くことはできませんでした。彼女は最高にスイングする素晴らしいジャズ・ピアニストであると同時に、何でも弾きこなせるクラシックのピアニストでもあるのです。彼女は言うことがありません。なべて言うと、PACJEのコンセプトは絶えず変化し、発展していくことにあります。編成は、ヴァイオリンとフルートは必須ですが、それ以外はオープンにしてあります。たとえば、アルバム『ナイーマ』では、通常のクインテットの他にフルート2本とチェロ、パーカッションを加えました。このアルバムでは、ジャズのフィールを維持したいと思い、アルバムを通した一貫性が重要だったので、クインテット1本に絞り込みました。

JT:メンバーを簡単に紹介して下さい。 

メグ:フルートとアルト・フルートにアン・ドラモンド。ピアノにヘレン・サン。ベースにデズロン・ダグラスとドラムスにE.J.ストリックランド。彼らは皆よく知られた存在ですので、とくに私からの紹介は必要ないでしょう。素晴らしいNYのプレイヤーたちで、ビッグネームと国際的に活躍しています。リーダーとして自身のプロジェクトも抱えています。人間としてどれほど心優しく、親切で、素晴らしい人たちであるかはご存知ないでしょうが。一緒に仕事、録音、演奏、旅行をしてとても楽しい思いをしました。彼らをたいへん愛し、憧憬しています。音楽的にお互いに尊敬し合っているので、良い関係が保てます。偉ぶる人はひとりもいません。誰もがとても慎ましいのですが、ステージでは豹変するのです!

JT:新作はPACJEの3作目だそうですが、1作目と2作目について簡単に紹介してください。

メグ:最初のアルバムは、名刺代わりに『メグ・オークラとパン・エイシャン・チェンバー・ジャズ・アンサンブル』と名付けました。録音と制作はすべてブルックリンの私が以前住んでいたアパートのスタジオで完成させました。そもそもはデモとして録音したのですが、All About Jazzのある批評家が試聴してとても評価してくれ、リリースの予定があるのかと聞かれました。良い記事が保証されていたので、「もしあなたがレヴューを書いてくれるのなら、来週までに自己出版します。」と、とても簡単にリリースしてしまいました。
2作目の『ナイーマ』は、さらにアンサンブルの名前のコンセプトを意識したものになりました。私が実現したかったことは、“アジア的な”音がすること、ジャズのハーモニーとリズム、即興を組み込みながらも、作曲、オーケストレーション、構築がクラシックの室内楽の手法に則ったものであるということでした。アルバムでは、唐朝の詩人・王維の漢詩『鹿柴』 (ろくさい=Lu Chai;空山人を見ず) をベースにした組曲<Lu Chai>を取り上げており、この組曲は著名なジェローム基金(全米作曲家連盟)の助成によって実現したものです。タイトル・チューンの<ナイーマ>は、いうまでもなくコルトレーンの名曲です。作風は日本の音楽をスパイスにした、ドビュッシー風(フランス印象派的)なものといえます。
じつは『Las Vegas Tango』という新作がもう1枚あるのです。<ラス・ヴェガス・タンゴ>は良く知られたギル・エヴァンスの曲ですが、このアルバムは、一般の方々と生徒にクラシックとジャズを啓蒙するために制作したものです。

 

JT:PACJEはフェスティバルやコンサートにも出演するワーキング・バンドですか? 

メグ:すでに、NYCのウインター・ジャズ・フェストへの2回を含む何度かのフェスティバルへの出演、リンカーン・センターを含む、国の内外の多くのコンサートをこなしています。2006年から70回は公演していると思います。2011年に娘が生まれてからは少々ペースを落としていますが。

JT:生で新作のお披露目の予定はありますか? 

メグ:次のギグの予定は、NYのルービン・ミュージアムでのCD発売記念コンサートです。これは、多くの著名なジャズ・ミュージシャンが出演している「ハーレム・イン・ヒマラヤズ」というシリーズの一環です。アジア・テーマの美しい博物館内の素晴らしいホールですから、12月6日にNYCに居合わせたらぜひお出掛け下さい!

JT:PACJEでの来日の可能性はありますか? 

メグ:来年あたり日本で、という話はあります。

♪ ヴァイオリンを通してジャズを修得した

JT:出身はどちらですか? 音楽一家に生まれたのですか? 

メグ:東京の青梅市生まれです。母親が私の絶対音感に気付いてヴァイオリンを弾くべきと決めたのです。両親は音楽家ではありませんが、妹がプロのビオラ奏者で日本で活躍しています。

JT:幼少の頃から英才教育を受けていたようですが? 

メグ:桐朋学園の子供のための音楽教室に5歳から通っていました。

JT:その後の音楽教育の履歴について教えて下さい。 

メグ:高校を終えるまで桐朋学園で、それからクラシックのヴァイオリンを学ぶため、NYのジュリアード音楽院に入学しました。

JT:渡米した理由は? 

メグ:英語が得意だったのでアメリカ人になりたかったのです。

JT:ジャズに興味をもったきっかけを教えて下さい。 

メグ:ジュリアードに在学中、音楽理論の先生たち(作曲家)が皆、私の作曲家としての才能に驚嘆するのです。たとえば、フーガの課題で私が“Aプラス”の評価を取ると、教授がクラスで「ジュリードの25年の教員生活で経験した最高の成果だ」と言うのです。可笑しかったのは、私にしてみれば、まったく何でもない簡単な作業だったんですけどね。ジュリアードに在学中、どの理論専攻の先生も私に作曲家の道を進むように懇願するのです。私は作曲家という職業はとんでもない選択だと思っていました。だって作曲家ってまるで実践的でないでしょ!だけど、結局のところ、ジャズ・ハーモニーの研究を取り入れた作曲のスキルを勉強しようと思ったのです。それから、ヴァイオリンを通してジャズの修得を始めたのです。そうすると、もうクラシックを演奏する興味を失ってしまったのです。
それからは、ダウンタウンのミュージック・シーンの人たちと仕事を始め、ジョン・ゾーンの助けもあって何人かのアーチストへ推薦してもらうことができたのです。「シルク・ド・ソレイユ」やいくつかのユダヤ系のグループなどの初期のスイング・バンドとも演奏しました。でもジャズを上手く演奏できるようになるまでは長い道のりでした。ジャズというのは近道のないアート・フォームなのです。誤摩化そうとしても、そうは行きませんよ!

JT:NYでの主な楽歴(共演したバンドやレコーディングなど)を教えて下さい。

メグ:ジャズ以外からいきます。デイヴィッド・ボウイー、フィリップ・グラス、ルー・リード(先週、亡くなりましたね)、ファラオズ・ドーター、ジェシ・ハリス、ジギー・マーリー、ハイディ・グランド・マーフィー、などなど。ヴァイオリニスト、作曲家/編曲家、二胡奏者として多数の映画やジングル制作。
コンサート・マスターとして、ハービー・ハンコック、テレンス・ブランチャード、クリスチャン・マクブライド、などなど。
共演したジャズ・アーチストは、マイケル・ブレッカー、リー・コニッツ、ダイアン・リーヴズ、スティーヴ・スワロウ、トム・ハレル、サム・ニューサム、」ジャーミー・ペルト、ヘレン・サン、アン・ドラモンド、ヴィンス・ジョルダーノ、デイヴィッド・ベノワ、などなど。キャリアを辿っていると、何だか、年を取ったような気分になっちゃったわ!

♪ 今現在、すでにNYで夢を生きている

JT:NYに居住する最大のメリットを教えて下さい。

メグ:2才半の娘と一緒にいける野外コンサートから、幼児のための素晴らしいレッスンや、様々なイベント、あらゆる楽しい事がたくさんある事。 運転は知らないから、地下鉄とタクシーを使ってどこへでも出掛けてしまう。コンド(註:マンション)で、リハーサルや、ホーム・パーティを頻繁に行っています。ハリウッドの映画俳優やいろんなジャンルのミュージシャンやモデル、振り付け師、シェフ、その他いろんな素敵な人たちが我が家に足を運んでくれます。そんなことができるのはニューヨークだけでしょう。

JT:PACJE以外での活動は? 

メグ:トム・ハレル・チェンバー・アンサンブル、エミリオ・ソラ・イ・ラ・インスタブル・デ・ブルックリン(タンゴ・ジャズ)、ファラオズ・ドーター(ユダヤ系中東)、ジェラルド・エデリー・アンサンブル(セファルディ/註:スペイン系ユダヤ人)、クレイグ・N’ カンパニー(ユダヤ系ロック)、ニュー・ヨーク・タンゴ・クァルテット、その他、思い出せないほど...。

JT:ファミリーについて教えて下さい

メグ:夫は、この上なく優しい紳士で、この上ない働き者でひたむきなソプラノサックス奏者のサム・ニューサム。そして、来年の1月で3才になる娘のナオミ・オークラ・ニューサム。

JT:最後に夢を語って下さい。 

メグ:今現在、すでに夢を生きています。インプロヴァイザーであり、ジャズを演奏し、自身のバンドやトム・ハレルなどとツアーをし、マンハッタンに住処を持ち、いくつかのもっともエキサイティングなプロジェクトを通して若手の最高のミュージシャンたちとも演奏する機会がある...。
だけど、坂本龍一とはまだ共演したことがない。だから、彼との共演が夢のひとつでしょう。チック・コリアやハービー・ハンコック、小曽根真(彼の日本のビッグバンドと彼の演奏が大好きです)とデュオで演奏できたら素晴らしいと思う。ウィントン(註:マルサリス)、パット・メセニー、矢野顕子、ポール・シェイファー...など、ほんとうに才能に恵まれたミュージシャンと演奏できればと思います。
ジョージ・ベンソンに私のためだけに1曲歌って欲しい。 きりがないので、もう、この辺でやめておいた方がよさそうね。

* CDレヴュー:
http://www.jazztokyo.com/five/five1051.html
* YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FVWweYypBtU


*初出「JazzTokyo」 # 192  (2013,11,24)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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