Interview #39 Francois Carrier フランソワ・キャリリール

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Francois Carrier フランソワ・キャリリール(日本ではキャリア、キャリーの表記も)アルトサックス奏者、即興演奏家。

モントリオール生まれ。ヴァンクーヴァーでデビューするも1982年に活動拠点をモントリオールに移し、以後、ケベック州を中心としたカナダ・ジャズ・シーンの中心的存在の1人となる。ドラムスのミシェル・ランベールとのコンビで数々のトリオやカルテットを組み、欧米をツアー、レコーディングも多数。共演者に、ポール・ブレイ、デューイ・レッドマン、ゲイリー・ピーコック、ボボ・ステンソン、ユリ・ケイン、マット・マネリ他多数。
2015年度、2017年度、2018年度のEl Intrusoの年間評論家賞、2013年度のDownbeatのBest AltoSax Playersのひとりに選出。
2001年、CD『Compassion』(Naxos Jazz)がJune AwardのBest Contemporary Awardに選出。他の作品に、ポール・ブレイ、ゲイリー・ピーコック、ミシェル・ランベールとの『Travelling Lights』(Justin Time)、アレクセイ・ラピン、ランベールとのトリオで『Inner Spire』(Leo)他。

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 2006年5月&2019年4月

♪ ケベック州の音楽シーン

Q:生地のシコウティミョウ市はどんなところですか。

フランソワ:モントリオール市北方500キロくらいの小さな町です。“Chicoutimi”というのは古いネイティヴの言葉で「大河の果て」を意味します。近くを流れるSaguenay Riverは深さが3キロあるといわれています。

Q:どんな家庭でしたか。

フランソワ:男ばかりの5人兄弟で、僕は上から3番目。音楽家になったのは僕だけです。

Q:音楽に興味を持ったきっかけは。

フランソワ:子供の頃から音にはとても敏感でした。自然に囲まれた静かな環境でしたから。ローティーンの頃に冒険をしたくなり、カナダ横断の旅に出ました。各地でいろんな音楽やミュージシャン、教師に出会い、音楽を身に付けていきました。

Q:ケベック州のミュージック・シーンについて教えて下さい。

フランソワ:モントリオール市やケベック市には優れたミュージシャンがたくさんいます。マッギル大学やコンコーディア大学から多くのジャズ・ミュージシャンが輩出されてきますからね。インプロのシーンもとても興味深いですよ。どこでも同じでしょうが、ジャズの演奏だけで生計を立てるのはとても難しいので、教壇に立ったり、映画やダンス、場合によってはジングルやCMの音楽を書いてしのいでいるミュージシャンがほとんどです。僕の場合は、コンサート以外の仕事をして稼ぐ時間がないので本当に大変です。僕が興味のあるのは音楽と心の平安だけですから。フー!
ケベックには多くの優れたミュージシャンがいるといいましたが、正直なところ本当に傑出したミュージシャンはそう多くはありません。そういう人たちの多くはニューヨークへ出て行ってしまいますからね。たとえば、モントリオール生まれのポール・ブレイの場合は18才の時に故郷を出て行きました。

Q:コンサートやクラブの状況はどうですか。

フランソワ:僕が住んでいるモントリオール市にはジャズやインプロを演奏する場所が70以上ありますが、常時ジャズを演奏しているクラブは「アップステアズ」と「ハウス・オブ・ジャズ」の2ケ所だけです。ただし、2ケ所ともスタンダードやメインストリーム中心です。ケベック市のジャズ・クラブも2ケ所です。僕はしばらく前にクラブでの演奏から足を洗い、コンサート・ホールで音楽ファンのために演奏することに専念しようと決心しました。_

 

 

♪ ポール・ブレイをゲストに招く

Q:故郷の先輩のポール・ブレイともCDで共演していましたね。

フランソワ:ポール・ブレイとの共演は琴線に響くもので、同時に楽しい経験でもありました。そもそもの予定は、トランペットのエンリコ・ラヴァとベースのゲイリー・ピーコックがゲストだったのですが、エンリコが突然体調を崩してしまったんです。コンサートを中止しようと思ったのですが、突然ひらめいてポール・ブレイに電話を入れてみたら、その場で「OK!」の返事がもらえたのです。ポールとゲイリーが揃ったのでコンサートの翌日スタジオに入って録音したのがCD『Travelling Lights』というわけです。4人が初めて顔を揃えた時から心に通い合うものがあって、コンサートもレコーディングもとても楽しく幸せな気分に満ちていました。

Q:『Travelling Lights』はすべてインプロでしたね。

フランソワ:現在まで15年間、生活のほとんどをインプロに傾注してきました。そこで得た結論というのは、完全に自由になるためには(恐怖からも自由になることを含めて)同じ志(こころざし)を持つ自由な精神の仲間に身を置く必要がある、ということでした。そして自由を愛するミュージシャンが集まってすべての束縛から完全に自由な音楽を演奏する企画を立てたのです。規則、条件、楽譜、音符、調性、コンセプトなどあらゆる縛りから完全に解放された音楽です。
ポール・ブレイと最初に顔を合わせた時に彼が発した言葉に感動しました。「譜面は要らない。リハーサルも打合せも必要無いよ」。僕は思わず「ワォー!」と声を上げてしまいました。これが本当のインプロヴィゼーションだ!ワォー!ポール・ブレイやゲイリー・ピーコックという本当に偉大なミュージシャン、アーティストと即興演奏ができる、真に自由な精神の持ち主たちと音楽を共有できる、僕は心から幸福感に浸っていました。

Q:僕も似たような経験があります。1998年にポール・ブレイがソロ・コンサートで来日した時、ソニー・ミュージックと共同で富樫雅彦というパーカッショニストとのレコーディングを企画しました。ソニーの意向もあって富樫のオリジナルとポールがよく演奏するカーラ・ブレイやアネット・ピーコックの楽曲でレパートリーを組み、富樫のオリジナルは数曲、譜面を予めポールに送付しておきました。ところが、ホールに着くやポールは「今日はすべてインプロヴィゼーションで行く」と言い出したのです。ソニーの担当者は慌てましたが、さすがに富樫は「受けて立とうじゃないか」とまったく怯(ひる)みませんでした。彼も真のインプロヴァイザーです。ポールはECMのアルバムでも全編インプロで通したものがありますね。_

 

 

♪ マット・マネリを招く

Q:あなたの場合、ベースとドラムスを交えたトリオが基本フォーマットになっているのですか。

フランソワ:15年前にトリオで始めました。ひとつのチャレンジでした。リズムとハーモニーの両面で期するところがあったのです。ビッグバンドやコンボでも演奏していましたから、自分のグループではもっと自由が欲しかったのです。もともと何においても縛りが嫌いという性格もあるのですが。時期的にも良いタイミングでした。つまり、私生活面でもいろいろ悪い習慣を断ち切ろうと努力し始めた時期だったのです。ドラッグやタバコです。アルコールは、アレルギーがあったので一度も口にしたことはありませんでしたが。音楽面ではテクニックよりも感情の表現に心を砕くようになりました。食生活も改善しました。意識や直感力、精神や万物との接点をより高いレヴェルで実現するためにはこれらの改善が不可欠だと考えたのです。そしてその実現のためには私の場合、心の平安が必要だったのです。

Q:そして、『Happening』のコンサートとアルバムに至るわけですね。

フランソワ:そうです。『Happening』のコンセプトは文字通り「直感」にあります。今までに演奏したことのないミュージシャン、異質なアート・フォームの演奏者の表現に触れてみたいという欲求が非常に強くありました。

Q:ヴィオラのマット・マネリをゲストに招いたのも直感ですか。

フランソワ:マット・マネリの音楽についてはほとんど知りませんでした。というより正直なところ一度も耳にしたことがなかったのです。彼の父親ジョー・マネリのサックスを、ECMの録音でしたが、ラジオで聴いたことがあるだけでした。とにかく僕が欲しかったのはふたつの異なる、ユニークなヴォイスでした。ニューヨークへ電話を入れ、ジョー・マネリを通じてマットを知ることになったのです。

Q:ジョーの反応はどうでしたか。

フランソワ:ジョーにはこう言いました。「ヘイ!ミスター・マネリ、あなたは僕が世界で2番目に好きなサックス奏者ですよ」「そうかい。ところで1番好きなのは誰だい?」「もちろん、僕ですよ!」彼は大声で笑い出しました。というわけでマットにコンタクトが取れ、コンサートが実現したというわけです。

Q:シタールとヴィオラというふたつの未体験のヴォイスが揃ったわけですね。

フランソワ:そうです。リハーサルはしませんでした。午後に皆で集まって簡単なサウンド・チェックをしただけです。これもCDに収録してありますよ。

Q:コンサートはどうでしたか。

フランソワ:まさに「ハプニング」でした。5人の素晴しいミュージシャンとヴィデオ・アーチストと3人のインプロ・ダンサーたち。ワォー!もちろんすべてインプロヴィゼーション。規則は無し。メロディも無い。ハーモニーも無い。打合せや事前に決められたアイディアも無い。本当にまったく縛りがない演奏なんです。本当に真の即自性だけ。本当の「ハプニング」から生まれた美の極致とでもいったら良いのか。2時間の心の接点だけ。思考や信念はまるで無かった。そして、翌日、マットはニューヨークへ引き上げて行きました。

Q:シタールのウヴェについては。

フランソワ:まったく同じことです。意図ではなく直感です。新鮮なヴォイスが欲しかったのです。

註:マット・マネリ 1969年ボストン生まれ。父親はサックス奏者でニュー・イングランド音楽院教授。幼少の頃、ピアノを与えられたが平均率に不自由さを感じ、ヴァイオリンに転向。15才の時にマイクロトーナルを演奏する父親のバンドに入る。後に、ジュリアード弦楽四重奏団の1stヴァイオリン奏者に付いて学ぶ。父親とのデュオ・アルバムがECMにある(『Blessed』ECM1997)。

 

♪ マイクロトーナル?

Q:ジョーとマットのマネリ親子はマイクロトーナル(微分音)の演奏で知られていますが、マイクロトーナルにはもともと興味があったのですか。

フランソワ:伝統楽器の音色や響きにはこだわってはいません。何れにしても音色と響きは無限ですから。どのような楽器であろうと、僕はその楽器の持つ音色と響きの持つ無限の可能性に魅せられてきました。要は、インスピレーションの問題です。宇宙はヴァイブレーションとインスピレーションで満たされているのです。必要なことは此処にいま存在しているという事実です。自我から脱却できれば望む音色や響きは自由に出すことができるのです。悲観論者のなかには、すべては言い尽くされてしまったという者もいるでしょう。だけど実際は僕らは何も知らないのです。ですから、発言し、演奏し、発見する努力を止めてはいけないのです。僕にとってマイクロトーナリティというのは人間の心のもうひとつの観念なのです。もっとも大切なことは、感じたことをインスピレーションと魂を持って、音楽を通して宇宙のすべての生きとし生けるものに伝えることなのです。

Q:マイクロトーナル・ミュージックとエスニック・ミュージックの関係についてはどう考えますか。

フランソワ:正直なところ、今まで術語としての「マイクロトーナル」に考えを巡らしたことはありません。僕は自分の直感を信じているので、僕の行く先を導いてくれる譜面は必要ないのです。もちろん、マイクロトーナル・ミュージックに基づいた音楽を多くの時間と労力をかけて作曲する人もいるでしょう。今まで多くの作曲家がそういう仕事をしてきました。“ビッグ・バン”以来、つまり宇宙の創造以来音楽はつねに宇宙に存在していました。すべての人類が試みたことは音楽を通して自己を表現する方法の探究でした。そして人類は作曲の方法を発見し、第三者が他人の作曲した音楽を正確に何度も繰返し演奏できるように紙に記譜する方法を発見したのです。たとえば、クラシックや現代音楽のように。宇宙もまたマイクロトーナル・ミュージックで満ちています。自然や都市の至るところで耳にすることができます。われわれの耳に入るすべての音楽を記譜しようとすると地球上に存在するすべての紙を使っても間に合わないでしょう。そしてわれわれが聴き取ることができない音楽、たとえば、ウルトラトーナル、インフラトーナル、スーパートーナル、人間以外の種が聴くことのできる音楽については人間は語ることすらできないのです。風、雨、そして鳥の声のアンサンブルに耳を澄ますなら、自然が奏でるマイクロトーナルな音符は無数にあることに気付くでしょう。それこそ僕が関心のあるアプローチです。自然が奏でる音楽を愛と真心と精神を伴って演奏すること。これこそ真の意味のマイクロトーナル・ミュージックでしょう。これこそ真の音楽であるはずです。
繰返しになりますが、僕が本当に関心があるのは私の感じたことを音楽という共通の言語を通してできるだけ多くの自由な精神の持ち主と共有することにあります。音楽の由来は関係ありません。恐れを知らないミュージシャンであれば国籍や民族は問わないのです。たとえば、独創的で真の尺八の大家からは学び、共有するものがたくさんあるはずです。
すべてを超えてもっとも重要なことは独創的で真正であることです。ミュージシャンとして、アーティストとして、そして何よりも人間として本物であることです。

Q:マイクロトーナルを楽しみたいファンには『Happening』ではどのトラックを奨めますか。

フランソワ:Dsic1のトラック1,2、Disc2のトラック2かな。注意して聴けばCDの至るところで聴こえると思いますが。_

註:マイクロトーナリティとは、標準的なダイアトニック・スケール(全音階的音階)に、意図的に微分調律(通常の平均率ピアノの各キーの間に存在する音=三分音、四分音、六分音など半音より狭い音程)を加えた音楽をいう。

註:マット・マネリによれば、ビリー・ホリデイの歌やジョニー・ホッジス(デューク・エリントン楽団)のアルト演奏には、ブルースやフォークに由来するベンディング・ノートとして微分音が使われていた。オーネット・コールマンのアルトのピッチはつねに1/12音高いが、これも一種の微分音と考えられている。ただし、もちろんどの奏者も微分音として理解していたわけではない。ジョー・マネリはレスター・ヤング(ts)の演奏にヒントを得たと語っているが、マットと同様、ベルクやシェーンベルクもよく聴いていたとマットが証言している。 マットによれば、微分音とリズムには相関関係があるという。通常の4ビート・ジャズでも四分音や八分音は使われているが、マイクロトーナルを中心とした演奏には記譜が困難な独自のリズムが要求される。

 

♪ 『Happening』はまさに「ハプニング」

Q:『Happening』で演奏された内容を聴き返してどう思いますか。

フランソワ:コンサートの前に皆から「何を演奏するのですか」と聞かれました。僕の答えはとても簡単でした。「分かりません」。そして演奏しました。キュー(合図)を出す者はおりませんでした。皆がおたがいに接点を持っていたからです。

1曲目が始まり、そして終わりました。2曲目が始まり、そして終わりました。短いブレイクがありました。ダンサーから質問が出ました。「どの楽器でスタートするの」。僕は答えました。「分かりません。ここだと感じた時に入ってきて下さい」。4曲目が始まり、30分後に終了しました。もっとも挑戦的なことは、目的地が分からない時でもそこにい続けることです。

着地点は何ら重要ではなくなります。方向性がもっとも大事なことです。そしてこの方向性は魂、心、直感から出てくるのです。 マットと僕がデュエットを即興で演奏しながら、<ハプニング(アンコール)>、コンサートが終演を迎えましたが、これもまったく予期しないことでした。

Q:同じサックス奏者としてジョー・マネリをどう思いますか。

フランソワ:私にとって『Happening』は本当に深い経験となりました。あのコンサート以来、マットとジョー・マネリについてより多くのことを知ったと思います。ジョー・マネリの音楽により耳を傾けることになった今、彼こそ創造的なミュージシャン・アーティストであると断言することができます。彼はインスピレーションに溢れています。彼はインスピレーションを探し求めたのではないのです。そこに見出したのです。

インスピレーションを見出す唯一の方法は心と接点を持つことです。ジョーの音楽に耳を傾けることはジョーの心そのものに耳を傾けることを意味します。

 

♪ 5月にシリーズ・コンサートを予定している

Q:次の企画は具体化していますか。

フランソワ:直近の企画としては今年の5月にモントリオールで行うコンサートがあります。このコンサートにはミュージシャン、アーティスト、ダンサー、ヴィデオ・アーチスト、ペインターが参加します。5夜連続のコンサートで、マット・マネリ、ゲイリー・ピーコック、トランペットのトーマス・スタンコらが参加する予定です。すべてのコンサートを録音、録画し、公表することにしています。その後、ヨーロッパにも出掛けますが、できれば日本にも行ってみたいですね。

Q:それだけのコンサートを実施するには自治体などからの助成金も必要になると思うのですが、カナダではどのようなシステムになっていますか。

フランソワ:カナダでは複数の助成金への申請が可能です。しかし、サポートはG8(註:主要8ヶ国グループ=日・米・英・仏・独・伊・加・露)の中では最低だと思います。必要に応じて国、州、市にそれぞれ申請することができます。加えて私設の基金もあります。

Q:具体的に説明してもらえますか。

フランソワ:たとえば、5月に開催するシリーズについて説明しますと;

A:カナダ芸術協会=大量の書類と5ヶ月の待機=助成金が下りました!
B:ケベック州芸術協会=大量の書類と6ヶ月の待機=助成金が下りました!
C:モントリオール市芸術協会=大量の書類と6ヶ月の待機=却下されました。
助成金の種類にもよりますが毎年連続して申請することも可能です。
A:作曲や国外からマスター・クラスの演奏者を招聘する場合=国と市に同時申請可能
B:NoEMIのような非営利組織のプロジェクトの場合=国と市に同時申請可能。
ただし、同一プロジェクトの連続申請は不可。

審査は3,4人の審査員が行い、審査員は半年交代です。審査員の個人的な感情にも左右されることが多く、審査員が完全に客観的に審査することはほとんど不可能と思われます。自分の経験では一件も助成金が下りない年があったり、逆に3,4件の助成金が同時に下りた年もありました。ドイツでは国家予算の4%がアートに投下されますが、カナダではわずか1%に過ぎません。
とくに僕のようなインプロ系ジャズ・ミュージシャンの場合、助成金が下りる確率がとても低いですね。
僕が日本に行くことになった場合は、3ヶ月の猶予があれば渡航費とおそらく宿泊費の助成は確保できると思います。

Q:新譜の予定はどうですか。

フランソワ:9月にテナーのデューイ・レッドマンをゲストに迎えたアルバムを発売します。『Open Spaces』というタイトルで、1999年のケベック・ジャズ・サマー・フェスティバルでのライブ録音です。

Q:最後に夢を聞かせて下さい。

フランソワ:最大の夢は、たったひとつの音を演奏し、その一音で地球上のすべての生きとし生けるものの心に触れることです。

♪♪♪♪

♪ セシル・テイラーと手合わせをする

Q:インタヴューをJazzTokyoの新サイトに移植するにあたり内容をアップデートしたいと思います。その後、キャリアで経験した重要な出来事がありましたか?

フランソワ:ロンドンでアーチスト・レジデンシーを経験しました。イースト・ロンドンのBowで2011年7月1日から2002年1月7日までの約半年間でした。当地のケベック・スタジオはとても素晴らしく、スペースにも余裕があり、創造性を刺激するには最適な環境でした。そこでは新曲をたくさん作曲しましたが、なかでもフリー・オペラに集中しました。オペラのテーマは何だか想像できますか?もちろん「エゴ」です。また、たくさんのイギリスのジャズやアヴァンガルド系のミュージシャンとの出会いがありました。何度かレコーディング・セッションもあり、ストーク・ニューイントン(Stoke Newington)でのヴォルテックス (Vortex) クラブやショーデッチ教会 (Shoreditch Church) でコンサートもありました。
モントリオールに帰国後まもなく訃報に接することになったソプラノサックス奏者のロル・コックスヒル (2012年7月没)やドラマーのトニー・マーシュ(2012年4月没)との出会いには感激しました。カフェ・オト(Café Oto)では何度かスティーヴ・ベレスフォード (Steve Beresford) のロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラのコンサートを聴機会を得ました。ストーク・ニューイントンのヴォルテックス・クラブはすっかりお馴染みになり、第2の故郷のような存在になりました。エヴァン・パーカー(Evan Parker) やジョン・エドワーズ(John Edwards) を毎週聴けるのは本当にスリリングな経験でした。ジョンとはその後2017年 6月7日まで何度か共演の機会があり、アレクサンダー・ホーキンス(Alexander Hawkins)という素晴らしい若手ピアニストに出会える幸運にも恵まれました。
ポーランドのフンダチア・スーハイ(Fundacja Sluchaj)というレーベルがロンドンでのコンサートの出来に大変興味を示してくれ、『ニルグナ』(Nirguna)というタイトルの2枚組CDとして2019年の4 月にリリースしてくれることになりました。

Q:ツアーはどうでしたか?

毎年、ヨーロッパや東欧へ楽旅にも出かけました。ポーランドのテナーサックス奏者トメク・ゲデツキ(Tomek Gedecki)やベース奏者のラファル・マズール(Rafal Mazur)、フレンチホルンも演奏するマルチン・ボゼク(Marcin Bozek)らと一緒でした。2019年の11月にもマルチンとミシェル・ランベール(Michel Lambert)とポーランドをツアーする予定です。今ではツアーに夢中で、もっとあちこちツアーできないものかと待ち望んでいます。正直なところ、僕は野心的な人間ではありません。矛盾するかも知れませんが自身を表現するために自分をさらけ出したい欲求に駆られるのです。ギグを見つけるためにあくせくしたくはないというのが本音ですが、現実はそうはいきません。

JT:セシル・テイラーと共演したということですが、出会いのきっかけは?

フランソワ:2003年のことですが、教えを請うために2度ほどNYの彼のフラットを訪ねたことがあるのです。最初のときはとても面白い体験をしました。ドアをノックしたところしばらくして応答がありました。初対面の僕を見て、「僕のピッツアはどこだい?」と僕を出前のような扱いでした。そこで、「僕はフランソワです。2時間のレッスンの約束でしたよね?」と答えました。「いや、覚えてないよ。ピッツアを買ってきてよ」。そこで、ピッツアを買いに出かけ、持ち帰ったところ、「君は誰?僕はピッツアなんか注文していないよ。ただ君をからかってみたかっただけさ。僕が音楽と戯れるようにね」。途中、彼は椅子の上でうたた寝をすることもありましたが、その日はとても楽しい午後を過ごすことができました。僕らはおしゃべりを続け、そしておしゃべり以上に演奏に夢中になりました。その出会いの記録は録音に収めてあります。その演奏は公開してほしくないという彼の希望を聞き入れました。2度目は演奏に没頭し、おしゃべりはほとんどありませんでした。その後、2度と彼と会話をしたり、演奏をしたことはありません。

JT:ところで、ピッツアは食べたのですか?

フランソワ:ふたりでシェアしました(笑い)。それから僕が持参したお茶もね。当時僕は台湾のウーロン茶を入れた土瓶をいつも持ち歩いていました。今でもお茶は飲んでますよ。例えば、今日の午後は日本の煎茶を飲むつもりだよ。

JT:セシルとはどんな会話をしたのですか?

フランソワ:セシルはとてもシンプルな人間ですが、彼とコミュニケートすることは必ずしもたやすいことではありません。初対面の2時間はほとんど音楽についてはしゃべりませんでした。ふたりとも音楽について話すことには興味がなかったのです。音楽は内から湧き出てくるものですから。僕らは他愛のないことに笑い、特に彼は僕のフランス語のアクセントをおかしがりました。僕のおしゃべりについてもね。僕のおしゃべりをサウンドとして捉え、「Gooood、good、君のおしゃべりはとてもいい音をしている」と褒めてくれました。それから窓の方に目をやり、人生そのものを見つめているような風情でした。つまり、彼と言葉を交わすことが目的ではなく、このわれわれの世紀の真の意味で本物のミュージシャンのひとりと場を共有することにあったのです。

JT:2度目のミーティングはどうでしたか?

フランソワ:彼の投薬の前の短い散歩に付き合いました。歩きながら少し会話を交わしましたが、歩きながら目に入ってくるものや、匂いに付いてでした。音楽に付いては決してしゃべりませんでした。「音楽は演奏するもので、語るものではない」というのが彼の口癖でした。僕と彼はレベルが違いますが僕もいつも同じように思っているのです。

JT:セシルとの写真はありますか?

フランソワ;当時の僕は写真には興味がなかったのです。ただ、いろいろなミュージシャンと出会うことだけに興味があったのです。

JT:ロンドン時代はどうですか? 半年間滞在していましたよね?

フランソワ:僕が写真を始めたのは2006年からです。デジタル・カメラを買いました。ロル(コックスヒル)やエヴァン(パーカー)を含めていろいろなミュージシャンの写真を撮りました。だけど、自分が撮っている立場なので、一緒に写っている写真はありません。自分自身には興味がなく他のミュージシャンの写真を撮ることに興味があったのです。
時には、僕のノートに思い付きでイラストを描いてもらったり、コメントを書いてもらったりもしました。ロル・コックスヒルのとても珍しいイラストをお目にかけましょうか? だけど、彼の電話番号が書いてあるから気を付けてね。

JT:天国の電話番号ですか?

フランソワ:そうだったね。ああ、ロル!

♪ 少年の頃から日本行きを夢見てきた...。

JT:日本公演の予定はありますか?

フランソワ:日本行きは16才の時からの夢さ。当時、僕は友達に日本の聴衆を前に演奏している自分が見えると広言していたことを今でも覚えています。ある種の本能的なものですね。遠からずこの夢が実現すると思うけど、どうだろう。最近、実現しかかった計画がご破算になった例もあるし。何れにしても遠からず僕の音楽を君たちに聴かせてあげられる日が来ると思うよ。単なる感覚的なものか本能的なものか分からないけど。空を見上げると音楽が聴こえて来るんだ。

地球のそれぞれの地域がそれぞれ独自のヴァイブレーションを持っている。日本は間違いなくとても強力なエネルギーを持っている。僕が日本で聴こえる音楽を皆に聴かせてあげたいんだ。

JT:新作リリースの計画は?

フランソワ:アルバム化したい音源が20コンサート分以上たまっていると聞いたら信じられるかい?現在、写真集付きのLP5枚組ボックスセットを準備中なんだ。君も知っての通り、僕は街中の写真を撮るのが好きなんだ。

JT:他に何か言い残したことがあれば...。

 

♪ 僕の食物アレルギーについて

JT:世界各国をツアーしていていちばん困った経験は何でしょう?

フランソワ:どこでも郷に入れば郷に従えだから困ることはないんだけど。あえて、あげれば僕の「食物アレルギー」かな。

JT:どういう食物に反応するんですか?

フランソワ:食物というか、食材、素材、添加物と言ったらいいか。

JT:具体的には?

フランソワ:自宅いるときはすべて自炊しているから問題ないけど。レストランでも食事はするけど、オーダーする前に「砂糖」が入っているかどうか必ず確認することにしている。残念ながらアジアの諸国のレストランでの食事は難しいね。ほとんどの料理でMSG(グルタミン酸系の添加物)が使われているからね。僕は、MSGと砂糖はまったくダメなんだ。知らずに摂るとひどい症状を起こすから要注意なんだ。

JT:たしかに、旨味を出すためにMSGはよく使われますね。砂糖もよく使われているのではないですか。他には?

フランソワ:アルコールもダメだね。

JT:日本ではセッションが終わったあとに打ち上げで乾杯しますが...。

フランソワ:若い頃に3度酒を飲んだことがあるんだけど、3度とも病院へ運ばれたんだ。3度目は1981年9月のある寒い夜、トロントのストリートで演奏していたんだ。劇場から出てきた女性が僕が寒そうにしているのを見てコーヒーをテイクアウトしてくれたんだ。もちろん一気に飲んださ。その後のことは一切覚えていない。コーヒーの中にコニャックが入ってたんだ。気が付いたときは病院のベッドの上さ。そのとき医者にアルコール・アレルギーだと宣告された。おそらく親父がひどい呑兵衛だったからその影響かも知れない。それ以来、酒は一度も口にしていない。JT:酒は匂いだけでもダメですか?

フランソワ:いや、匂いは全く大丈夫だ。

JT:他にはありませんね。

フランソワ:いや、大豆もダメなんだ。まず、豆腐。あとは大豆製品。

JT:困りましたね。日本でもっとも一般的な調味料の味噌と醤油は大豆製品ですよ。それから、納豆、豆腐、油揚げ...。

フランソワ:味噌や醤油は食べてみないと分からないね。食べて反応を見る..。

JT:刺身などの生魚はどうですか?

フランソワ:調理した魚は全然問題ない。寿司もOK。刺身もOKだけど、醤油は付けない。ワサビも好きなんだけど、ほんのちょっぴりね。

まあ、最後は僕自身がその場で食べるか食べないか決断するんで君らはあまり心配しないで大丈夫だよ。

JT:そう言われてもねえ。
 

Lambert Mazur Carrier
♪ キャノンボール・アダレイのサックスを使っている

JT:現在、吹いているアルトサックスには驚くべきエピソードがあるそうですね。

フランソワ:そうなんだ。キャノンボール・アダレイが使っていた楽器なんだ。

JT:えっ、あのキャノンボールが。

フランソワ:そう、キャノンボール・アダレイ。『カインド・オブ・ブルー』の録音でも使ったんだ。

JT:どうやって入手したのですか?

フランソワ:それには信じられないようなエピソードがある。感動的でもあるんだけれど。

注:キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)1928年9月15日 – 1975年8月8日。フロリダ州タンパの生まれ。1955年、NYへ移住、同年死去したチャーリー・パーカーの後継者と目され、マイルス・デイヴィスに目をかけられマイルスの協力を得て『サムシン・エルス』(Blue Note 1958) を制作、 さらにはモード・ジャズの記念碑的アルバム、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』(Columbia 1959) にも起用されたが、リーダー作としては ジョー・ザヴィヌルをパートナーに1966年にリリースされた『マーシー、マーシー、マーシー』(Capitol) が大ヒット、ソウル・ジャズの立役者となった。

JT:ぜひ、聞きたいものです。

フランソワ:少々長くなるけど、キャノンボールのパーソナリティも知ってもらいたいので、できる限り正確に話してみよう。
1997年から98年にかけ、僕はガール・フレンドとケベック・シティに住んでいた。その頃、僕はミュージシャンとして活動しながら、引退したミュージシャンからサックスを買い取ってNYで売りさばき生活費の足しにしていた。もちろん、自分が気に入る楽器を探す目的もあったんだが。

JT:楽器はどうやって探したのですか?

フランソワ:60年代の古いユニオンの名簿が役に立ったね。

JT:どれくらい集めたのですか?

フランソワ:3、4本まとまると、隔月ごとにNYへ出かけていた。買い取りには必ずオーナーが納得する代金を支払っていたから口コミで広がってね。

JT:その過程でキャノンボールのアルトと出会ったのですか?

フランソワ:その通り。
1998年の9月だった。2本のアルトに出会った。セルマーのSelmer Mark VI, 1 Tenor Cigar Cutter とキングのSuper 20, Silver Sonic – the Cannonball Adderley hornだ。キングのオーナーはケベックに住んでいたBeaulieu(ブーリュウ)という名の 83歳の人物だった。電話でアポを取ってから1週間後に彼の自宅を訪ねたんだ。奥さんが手焼きのクッキーとコーヒーで僕を迎えてくれた。部屋の隅に立てかけてあるアルトが目に入った。電話の内容は、「使わなくなったKingのアルトとマウスピース5、6個、それにLebrancのクラリネットがある」ということだけで、まだ売るかどうかは決めていないということだった。 彼はプロのミュージシャンではなかったけど、地元のビッグバンドで数十年、趣味でプレイしていたというんだ。音楽の話が一段落して、彼がアルトとマウスピースを持ち出してきた。いつものように、楽器を取って試奏していると、じっと耳を傾けていた彼の目から涙が溢れてきたんだ。

JT:涙が?

フランソワ:そう。そして、涙を流しながら、「このアルトは君を待っていたんだね。このアルトでそれほど美しい音を出せるなんて。まだ若いのに..。」と言って。そのアルトにまつわるストーリーを語り出したんだ。
「このアルトは、1961年、僕らがハネムーンでNYに出かけた時、彼女が僕に買ってくれたんだ。2週間の旅だった。僕らは、大のジャズファンで、、僕はマイルス、コルトレーン、それからとくにキャノンボール・アダレイが好きだった。NYに到着したその日の夜、早速、バードランドへキャノンボールを聴きに出かけた。その音色の素晴らしさに感動のあまり、彼のアルトをどうしても吹いてみたくなってしまったんだ。思い余って、キャノンボールに “そのアルトを僕に売ってはくれないか“と口に出してしまったんだ。キャノンボールの答えを想像できるかい? ”あんた、気は確かかい?“ 僕は、答えてやったさ、”もちろん、正気じゃないけど”。 キャノンボールは1週間のレジデンシーで毎晩セットを変えながら演奏していた。僕らは、毎晩、キャノンボールを聴きに出かけた。そして、毎晩、彼にそのアルトを売る気はないか確かめたもんさ。礼を尽くしてね。最後の晩の終演後、ワイフが意を決して彼に直談判したんだ。そうしたら、キャノンボールから答えが帰ってきた。“そこまで言うのなら、明日、クイーンズの自宅まで来てくれ。母親と相談して決めるよ”と言って、自宅の住所を手渡されたんだ。僕らは、それが本当の住所かどうか半信半疑だったけど、ともかくクインーズまで出かけてみた。なんと、たどり着いた自宅でキャンボールと母親が新婚の我々を出迎えてくれたのさ!

JT:TVのドキュメンタリーならここでCMが入るところだけど...。

フランソワ:ブーリュウ氏の話を続けると、彼の奥さんがキャノンボールの自宅に到着したところから8ミリ・フィルムに収めてたんだね。新婚旅行の思い出のひとコマとして。なんと、その8ミリ・フィルムには、自宅に到着して、キャノンボールと握手を交わすところから、ブーリュウ氏がキャノンボールのアルトサックスを抱えて自宅を辞去するところまですべて写っているんだ。

JT:結果として、それが動かぬ証拠になったわけですね。

フランソワ:その通りさ。そろそろ、ブーリュウ氏の話をまとめよう。
1954年にキャノンボールがKING社とスポンサー契約することになり。マネージャー役だった母親がKING社に最高のサックスを提供するように求めたんだ。当初、KING社は彼とエンドースメント契約を予定していたのだけれど、やり手の母親がそれを覆し、最終的には何本かのアルトの提供を受けることに成功した。そして、ブーリュウ氏は奥さんのおかげでキャノンボールが1954年から1961年までのあいだ使っていたアルトを手に入れることができた。当時としてはかなりの金額を支払ってね。その時、彼がキャノンボールと交わした契約の内容には、彼が現役の間はその楽器を第三者に転売しないことが条件として含まれていた。ブーリュウ氏は僕にその契約書とキャノンボールとの写真、8ミリ・フィルムまですべて見せてくれたけれど、コピーはさせてくれなかった。キャノンボールが若い新婚カップルの願いを聞き入れて自分の楽器を譲ったというのはじつに感動的な話だったね。1954年から1961年まで吹いていた楽器となると、キャノンボールがマイルスに可愛がられ『サムシン・エルス』(1958)や『カインド・オブ・ブルー』(1959)で演奏した時期に当たる。

JT:そうすると、ブーリュウ氏がキャノンボールと交わした契約書や、写真、8ミリを自身で確認しているのですね。

フランソワ:さきほど言った通りさ。ひととおり見せてもらった。ところが、数年前にブーリュウ氏が亡くなったことを知ったんだ。書類を探そうとしたが彼らには子供もいないし、実兄は彼より先に亡くなっていて、なす術がなかった。 この話で重要なポイントのひとつは、僕がどうやってもこのアルトでキャノンボールの音は出せないってこと。僕は僕自身のサウンドとトーンをもっているしね。先週も、ポーランドでSelmer Mark VIの5桁のシリアル・ナンバーのアルトを吹く機会があったのだけど、フィル・ウッズに近い音しか出せなかった。楽器との相性ってそういうものなんだ。

*初出:JazzTokyo # 48  (2006年6月5日)

追記:2019年11月26日、パリ経由マドリッドから到着したフランソワ・キャリリールにさらに楽器の詳細について確認することができた。

JT:到着早々ですが、楽器を見せていただけますか?
フランソワ:どうぞ、どうぞ。
JT:実際には、キャノンボールはKing社から何本アルトを入手したのですか?
フランソワ:10本だ。マネジャー役だった彼の母親が、通常のラッカー塗装ではなくゴールドの楽器を10本特別仕様で作らせたんだ。そして、Bbのキーの裏に名前を刻印させた。刻印はリペアするときに確認できる。彼の母親は腕っこきでね、弟のナット・アダレイにも同様の契約を取り付けたんだ。
JT:なるほど。それでは1枚写真を撮らせてもらいます。
フランソワ:どうぞ。どうぞ。


稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

One thought on “Interview #39 Francois Carrier フランソワ・キャリリール

  • 稲岡編集長
    2019年11月23日 at 6:48 PM
    Permalink

    2019年11月29日から12月07日まで Japan Tour 2019を予定しているモントリオール発のアルトサックス奏者フランソワ・キャリリールについて、「食物アレルギーについて」と「キャノンボール・アダレイのサックスを使っている」を追加しました。来日にあたってはキャノンボール・アダレイが1954年から1961年まで吹いていたKing社製のアルトを持参します。キャノンボールが『Somethin’ Else』(Blue Note 1958)、『Kind of Blue』(Columbia 1959) で演奏したサックスです。

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