連載第38回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
アンナ・ウェバーへのインタビュー

閲覧回数 940 回

Text by シスコ・ブラッドリー(Cisco Bradley)
Translated by 齊藤聡(Akira Saito)

作曲家・多楽器奏者のアンナ・ウェバー Anna Webberは、2008年にニューヨークに出てくるや主役として躍り出た。彼女は、Skirl Recordsからトリオでの『Simple』(2014年)や『Binary』(2016年)をリリースするなど、一連の革新的な作品群をものしている。そして最近作はセプテットでの『Clockwise』であり、2019年2月にリリースしたばかりだ。

彼女のパフォーマンスや録音には、作曲的なアイデアと洗練されたインプロヴィゼーションが横溢している。この5月20日には、Spectrumにおいてマッテオ・リベラトーレ Matteo Liberatore(ギター)、レスリー・モック Lesley Mok(ドラムス)と共演する。また6月9日には、クイーンズ美術館でカナダ人サックス奏者アンジェラ・モリス Angela Morrisとともにビッグバンドを招いて演奏する。

シスコ・ブラッドリー(CB): どのようにして音楽家になったのでしょうか。

アンナ・ウェバー(AW): 高校生のとき(※註 カナダでは中学が7~9年生、高校が10~12年生にあたる)、音楽の授業でジャズに参ってしまった友人が何人かできました。それで、10年生のとき一緒にジャズコンボをはじめて、週末や放課後に集まって練習していました。情熱的だったからできたのだし、友人たちがいなかったらそこまで情熱的にはなれなかったでしょうね。メンバーのほとんどは音楽の勉強に進み、いまではプロの音楽家になっています。私はみんなより1つ年上でしたから、ワシントン州の学校に1年間通って、高校の友人たちがマギル大学(カナダ・モントリオール市)に進んだとき、私もそちらに転校しました。

CB: もともとブリティッシュコロンビア州(カナダ)のご出身ですよね。この手の音楽は何かありましたか。

AW: いや故郷にはぜんぜん。ヴァンクーヴァーはまた違いますけれど、私は内陸のケロウナという町の出身です。たぶんアンダーグラウンドのパンクのシーンがあって、ときどきはライヴに行っていました。でも、私の最初の音楽的な影響は地元のシーンからではなくて、アルバムを聴いたり、学校の友人とつるんだりして得たものです。ライヴからはさほどではありませんでした。

CB: 他の類の音楽も聴いていたのでしょうか。音楽はやっぱり学校で始めた?

AW: 子どものとき、母親が教会でピアノを弾いていて、それに影響されたところも少しあります。高校生のとき、教会のバンドでギターを弾き始めたのですけれど、その前にも音楽のレッスンを受けていました。5歳の頃にクラシックピアノのレッスンを受け始めましたし、チェロも演奏して、7年生のときに始めたバンドではフルートも吹き始めました。ずっと音楽漬けでした。

CB: それで、マギル大学には音楽の勉強のために入ったのですか。

AW: はい、ジャズフルート専攻です。私にとって最初の楽器ではありませんでしたが、本当に安心できるはじめての楽器でしたから、それで即興を行うことを学んだのです。その頃サックスも演りましたが、それほど自身が持てませんでした。11年生のときにアルトサックスを演奏し始めて、なんどかプライヴェートレッスンを受けた程度でした。12年生のとき、ビッグバンドにテナーサックス奏者がいなかったこともあり、テナーを学ぼうと決めました。私にとっては、大学に入る前に始めた新しい楽器なのです。

大学のとき、ほとんどサックスを止めかけていました。安心したかったのかもしれません。既にフルートでやったことをまた学びなおさなければならず、いつもフラストレーションをためていたのです。友人が、2、3か月保留にしたらと助言してくれて、結果としてそれが良かった。その話のあと、楽器に向き合いました。そしてニューヨークに移り、サックス奏者として活動し始めました。

CB: どうしてニューヨークに移ったのでしょうか。

AW: マギル大学を卒業してから2年間、モントリオールでフリーランスとして過ごしていて、「私は次に何をするのだろう?わからない。修士を取るべきかもしれない」と自問自答しました。それでカリフォルニア芸術大学とマンハッタン音楽院の修士課程に応募したのですが、合格通知が来たときには、自分は単にニューヨークに行きたかったのだと気付いていました。ずっとニューヨークに行きたかったし、ずっと私の夢でした。正式に入学したのですが、ニューヨークにいたいから来たのでもありました。

CB: 新しい音楽家のコミュニティや先生を見つけましたか。それでどんな変化があったでしょうか。

AW: 私より前にモントリオールからニューヨークに移り住んだ友人がいて、ブルックリンに住み、クリエイティブな音楽シーンに加わっていました。でも自分はというと、アップタウンに住み、マンハッタン音楽院に通い、もろにストレートアヘッドな音楽の授業を受けているのです。モントリオールで研鑽し、伝統的なストレートアヘッドなものよりも実験的なところを目指していたはずが、その道から外れていることに気付きました。しかし、その手の音楽を演奏するのが幸せでした。スタンダードを演奏して自信を持つようになり、演奏中に強さと変化とを感じるようになりました。そういったことを大学生のときに学んだのですけれど、技術が新たなレベルに達したと感じもしました。

そんなわけでマンハッタン音楽院を卒業し、何人かの友人と一緒に住んで、何とか仕事を見つけようとしていました。演奏する時間はあまりありませんでした。クレイグスリスト(※註 コミュニティサイト)に宣伝を出して生徒を見つけようとしましたが、あまりうまくいきませんでした。ケベック政府から勉強のためのグラントを得て、2か月ほどは何とかなりました。結局、音楽の会議の電話セールスをやるフルタイムの仕事を見つけました。というのは、私のヴィザでは音楽に関係する仕事に就いていなければならなかったからです。

惨めでした。こんな生活のために、なぜニューヨークに住んでいるのだろう。なんの意味もありません。親友がふたりともドイツ人で、そのうちひとりはベルリンに帰りました。ベルリンを訪ねたこともあって、街が好きだし、ニューヨークを出るのも良い考えのように思えました。ドイツに住むためのヴィザを取る方法を考えた結果、学校に行くのが良い方法のようでした。興味があったのは、ベルリンジャズ大学の1年間の修士課程です。

CB: ちょっと整理させてください。いつニューヨークに来たのでしたっけ、2008年でしたか。それで授業は2010年に終えたということですね。

AW: そうです。2011年にはベルリンでの入学申請をして、試験を受けて、入学しました。授業料は半年に270ユーロで、市内の電車は乗り放題でした。それで経済的には少し楽になりました。そして、ベルリンでのその年は私にとってとても重要でした。

ジョン・ホーレンベック John Hollenbeck(ドラムス)、グレッグ・コーエン Greg Cohen(ベース)、カート・ローゼンウィンケル Kurt Rosenwinkel(ギター)がベルリンジャズ大学で教鞭を取っていました。ジョンとグレッグのクラスを取って、作曲にかなり焦点を当てました。それにベルリンの音楽シーンは、マンハッタン音楽院にいたときの小さいコミュニティよりも、フリー・インプロヴィゼーションに関して遥かにオープンなものでした。インプロヴァイザーとして拡張的な技術を身につけることができたのは、その環境のおかげでもあります。

その年の終わりにアーティストビザ(O-1)が切れて、米国に戻りました。2012年にブルックリンに移って、また全く違った人たちの輪に入りました。

CB: ブルックリンに戻ってどうでしたか。

AW: ショーに出かけたり、人に会ったり、セッションをやったり。私よりちょっと前にブルックリンに移ってきたばかりで、本当に面白い音楽やクールなことをやっている凄い音楽家たちにも出会いました。アダム・ホプキンス Adam Hopkins(ベース)、ナサニエル・モーガン Nathaniel Morgan(サックス)、ダスティン・カールソン Dustin Carlson(ギター), ケイト・ジェンティル Kate Gentile(ドラムス)、デヴィン・グレイ Devin Gray(ドラムス)、他にも大勢。マギル大学時代の友人がブルックリンに住んでいて、またつながりました。オーウェン・スチュワート・ロバートソン Owen Stewart-Robertson(ギター)、ニコ・ダン Nico Dann(ドラムス)、ジェイク・ヘンリー Jake Henry(トランペット)です。だから本当に良いコミュニティでした。みんなほとんど同い年で、全員が無数のショーを演ったり行ったりする感じでしたし、いつも一緒にプレイしていました。

コーヒーショップで仕事をするようになって、開店後のシフトの朝6時から午後1時まで働きました。それでセッションをやったりショーに行ったりする時間の余裕ができました。同じコーヒーショップで音楽家の友人も仕事し始めて、そんなわけで、この場所が音楽家たちの良い場になったのです。

CB: 何か形になりましたか。レコーディングバンドとか?

AW: ナサニエル・モーガンは良い友達で、アルトサックス奏者で、録音エンジニアでもあります。彼はサンセット・パークにある自分のアパートで録音をしていました。だから私のバンドでちょっと演奏しては、「レコードを作ろう。ナサニエルに録音してもらおう」とか言ったりしたものです。彼は実際に録音してくれました。いくつかリリースされていますが、ほとんどはそのままです。「クールだな。3回ショーをやったけど楽しかった。またレコードを作ろうよ」なんて良い気持ちです。

CB: レコードを出すことが本当のゴールとは限らないと思うのですが、その時間の記録ということでしょうか。

AW: 記録のための記録は間違いなく良い考えだと思います、それを世に出すかどうかはともかくとして。友人たちの間にはProm Night Recordsがあって、そこからリリースすることが簡単にできました。ナサニエル・モーガン、ブラッド・ヘンケル Brad Henkel(トランペット)、オーウェン・スチュワート・ロバートソンが始めたレーベルです。私はナサニエル・モーガン、リズ・コサック Liz Kosack(キーボード)と一緒に『The Hero of Warchester』を作って、Prom Nightからリリースしました。

「Simple Trio」での最初のアルバムは、作曲のグラントをふたつ得たことの成果です。私はジョン・ホーレンベックと一緒にバンドを組みたかったのです。ベルリン時代に知り合って、その時に彼とベーシストとのトリオ向けにいくつかの曲を書きました。ニューヨークに戻ってマット・ミッチェル Matt Mitchell(ピアノ)に会ったら、ピアノ、ドラムス、サックスのトリオができるんじゃないかと思いました。それで、作曲のグラントを、ジョンとマットとのトリオでレコードを作るのに充てました。ベルリンから戻って1年半後、2013年に録音しました。

CB: バンドのヴィジョンはどんなものでしたか。発展はしたでしょうか。

AW: はい、いまも一緒に演っていますよ!バンドを始めたとき、こんなふうに長く続くかどうかなんて全然わかりませんでした。単に、好きなふたりと一緒にアルバムを作りたかっただけなのです。他に大した計画もなかったのですが、このグループは、私のメインバンドになりました。彼らも私の音楽を演奏するのを好んでくれていると思います。前向きですよ。来週にはツアーもやります。

CB: 5年間ですね。

AW: はい。このバンドを始めてちょうど5年が過ぎましたし、間違いなく発展しています。誰かと一緒に演奏するとき、バンドはダイナミックに深化するものです。ツアーも結構やりました、おそらく他のバンドでやったよりも。リハーサルなしでできますし、すぐにいい感じになります。私の曲は、全般にも、ジョンとマットのために書いたものも、確実に発展しています。グループを始めたときよりももっと、作曲家として自分の声を組み込んでいると感じます。

CB: 創造の過程をもっと教えていただきたいです。あなたは作曲家として音楽に関わるのですか。

AW: 確かに、作曲家としてアプローチしていますね。彼らとインプロヴィゼーションをやることにも興味津々ですが、曲を書いているときにはそれを意識しなければならないのです。インプロヴィゼーションの制約は少なくしようとしていますし、完全に自由なセクションを普通よりも大きく取っています。インプロヴィゼーション言語のショーケースとしたいのです。私は作曲するとき書き込みすぎてしまいがちなので、それはやめました。だから、作曲することとインプロヴァイズすることとのバランスを取ることが、つねに挑戦です。

CB: このバンドで創った音楽についてお話いただけますか。

AW: 私が書く音楽は、アヴァンギャルド・ジャズの世界と新しいクラシック音楽との間のどこかにあるものです。自分自身が新しいタイプの音楽家とは思いませんが、この説明で、私が書く音楽の大体のイメージをしてもらえるのではないかと思います。拡張的な技術を必要とする複雑な箇所も、自由なインプロヴィゼーションに委ねられている箇所もあります。

複雑さはありますけれど、サウンドはすべて自然でスムーズなものにして、殊更に難しさを強調しないようにしています。自ら難しいと喧伝する「ハードミュージック」みたいなものには固執していません。ハードミュージックの演奏に挑戦することは好きですが、それが難しさのための難しさだったら、演奏したくはないです。難しさは音楽に必要なものではないからです。

頭の音楽、感情の音楽といった言葉の綾も嫌いです。このふたつは全く異なります。まったく同じにもなり得ますが、それは本当は何を聴きたいかによるのです!私は頭の音楽と感情の音楽を平等に置く音楽を書こうとしています。

CB: 素晴らしいですね。フリージャズは感情の音楽だとする視線が長いことあったように思いますが、それは、フリージャズを創り出した人たちが黒人であり、頭の音楽の作曲家として分類されることがいくぶん少なかったことに起因します。

AW: はい。それは本質的にはレイシスト的でもあります。ちょっと怖いことです。

実際には、多くのジャズ曲において「頭の」とか「知的な」とかいったことが、「ピンとこないし好きじゃない」と同義語です。しかし、それは人によって違います。コンサートを聴いて、信じられないほどの感情的な反応を覚える人もいますし、簡単には説明しがたいもの、あるいは「頭の」ものを見出す人もいるでしょう。

CB: ・・・圧倒されますね。最高のエネルギーを持つフリージャズなんかは、本当にはどうやっても分析できないのです。
あなたのいくつかのプロジェクトについても話したいと思います。セプテットはどうでしょうか。

AW: はい、『Clockwise』というアルバムを、Pi Recordingから2月に出したばかりです。私はテナーサックス、アルトフルート、バスフルート。 ジェレミー・ヴァイナー Jeremy Vinerがテナーサックスとクラリネット。ジェイコブ・ガーチク Jacob Garchikがトロンボーン。クリス・ホフマン Chris Hoffmanがチェロ。クリス・トルディーニ Chris Tordiniがベース。マット・ミッチェルがピアノ。チェス・スミス Ches Smithがドラムスとヴァイブ。曲は、20世紀のクラシックのパーカッション音楽を2年かけて分析してから書いたものです。

CB: 20世紀のクラシックのパーカッション音楽とはどのようなものでしょうか。

AW: ヨーロッパのクラシックの伝統においては、18世紀には、パーカッションのための曲を書く人がいませんでした。少なくとも私が気付いた限りでは、20世紀に始まったのです。パーカッション音楽とは、パーカッションのソロイストかパーカッションのアンサンブルのための音楽という意味です。パーカッション以外の楽器は入っていません。

私はシュトックハウゼン Stockhausen、クセナキス Xenakis、ケージ Cage、フェルドマン Feldman、ヴァレーズ Varèseなどの音楽を勉強しました。「勉強」と軽く言ったのは、特にきっちりとやったわけではないからです。ゆっくり、気楽に、長い時間をかけました。気になった音源をいくつも聴いて、ノートを取って、楽譜を読んで、その音楽に関するプログラムの記事や学術論文を読みました。ノートを取っているときには、自分が使ったり探索したりしたい部分の発見もありました。形式的なコンセプトやオーケストラ上のアイデアなんかを見出すのが、興味深いことでした。中には抽象的過ぎてあまり音楽的でないものもありました。
本当にエキサイティングでしたし、これまで作った中で最強のレコードだと思います。

CB: 作曲に関するあなたの学術的なアプローチは興味深いですね。もともとその作曲家たちに興味があったのでしょうか、それとも特にパーカッション音楽のことを考えてのことでしょうか。

AW: ドイツに住んでいたとき、「Percussive Mechanics」という別のセプテットから辿ってきたアイデアです。ドイツのPirouet Recordsレーベルから2枚出しました。ドラマーがふたりいて、彼らのために書くことが本当にチャレンジングだとわかりました。3枚目のレコードのために日程をおさえて、ドラマーふたりのために書く曲を良いものにするために、パーカッション音楽をチェックするという考えでした。

もともと、単に20世紀のクラシック作品を勉強するというだけではなく、基本書、ジャズドラムのソロ、ハイチのドラミングやガムランなど異なるパーカッションの伝統もチェックするつもりでした。残念ながら、録音の数か月前にレーベルが破産してしまい、実現しませんでした。そのことがあって、自分にとってもこのグループと演奏するためにベルリンに戻る意味がどんどん希薄になってきて、悔しいけれどバンドを解散しました。

しかし、これを新しいセプテットでの音楽を始める機会だととらえました。これまで「Percussive Mechanics」でやった楽器の構成とは、意図的に異なるものとしました。チェロ、トロンボーン、そしてテナーふたりがフロントで本当に低い重低音を担う。ドラマーはひとり。新しい曲の基礎として、パーカッション音楽を調査するというもともとのアイデアを続けることにしました。しかし、その対象は20世紀のクラシックの曲に限定しました。

CB: あなたはアンジェラ・モリス Angela Morris(サックス)と共同でビッグバンドの指揮もなさっていますね。数回は演ったのではないですか。録音はなさるのでしょうか。

AW: 録音の計画はあります。詳細はまだまだですが、デイヴ・ダグラス Dave Douglas(トランペット)のレーベルGreenleaf Musicから出すことになるでしょう。ビッグバンドを運営するのはとてもお金がかかります。ふたりで銀行をまわっています。バンドの皆が録音に100ドル出せるわけではないし、そうすべきでもないのです。本当に大変です。しかし、18か月経って、前よりは回るようになりました。私たちはまだ録音のロジをやっていますし、グラントや何やかやを充てています。

このバンドは2015年から率いていて、ショーをたくさんやりましたし、これからもたくさんやります。前の11月にはRouletteで、この3月にはJazz Galleryで演って、すべて強烈でした。本当に楽しいグループです。アンジェラか私の曲をやります。一緒に作曲することはありません。順番に指揮して、テナーを吹いて、それでうまくいっています。私は自分の曲を、そしてアンジェラは彼女の曲を指揮します。

CB: 少し話を変えましょう。今は2019年ですが、#MeTooムーヴメントはこの1年半で発展してきました。その間、私は音楽家たちとこのことについて対話をしてきました。女性がすべてに関わることのできる創造的な空間はどこにあるでしょうか。私が話した人たちは、自分が関わらなければならないセクシズムの様々な層について話したにとどまっています。

AW: いま現在?ジェンダーの公平性ということなら、ジャズの世界は他のすべてのアートシーンより何マイルも遅れています。たとえば新しい音楽の世界では、女性による作曲がひとつもないコンサートだったら恥ずかしいことになり得ます。私がみた限り、そういったシーンでは、基本的には演奏者の割合は男女50:50です。

ジャズが明らかに違うのは、誰もが、異なる人たちによってプログラムされたピースではないからです。バンドリーダーは普通はひとりだけ。バンド内で女性がひとりだけではないことは何度もありました。特にツアーに出るようなバンドの場合には…、たぶんいちどだけ、ツアーで他の女性と一緒でした。何故なのでしょうか。

旅の途中、中西部の2つの学校でワークショップをやったばかりです。そのひとつの学校ではビッグバンドと一緒に演りました。第二ビッグバンドと第一ビッグバンドです。第二ビッグバンドは女性が約50パーセント。第一ビッグバンドには女性がひとりだけ。もうひとつの学校では、たしか30人ほどの学生のグループと共演したのですが、部屋の中には女性がふたり。また、2年前にオーバリン大学(オハイオ州)で演奏したとき、ジャズのプログラムにいる女性はたしか6人でした。他の人のバンドに私が参加していて、ショーの後に彼女たちが来てくれました。曰く、基本的に学校に立ち寄ったバンドで女性が入っていたことがなかった、だからとても感謝しているんだ、と。この国ではヴォーカリスト以外の女性向けのジャズ・プログラムがとてもとても少ないです。これは本当に構造的な不均衡です。

それによって少し怒ってしまったのは私にしては新しいことです。というのは、私はいつもグループの中で唯一の女性だったから、それが普通のことで、クールだくらいに思っていました。男の子たちにぶら下がるようなものです。

しかし、ジェンダーの公平性が制度的なレベルで実現しなければ、シーンでも自然に起きることはないでしょう。学校は、プログラムを開始する段階で、仮に学生が同じレベルでなくても、物事が公平であるよう強制する必要があると思います。

そう言いながらも、私も罪深いです。私のセプテットでは私が唯一の女性です。だから、確かに私も咎められないことはない。しかし、私は、女性がわずかなマイノリティであるようなプロの音楽家のシーンを渡っているのです。今では、並外れた女性の音楽家がたくさんいますが、それでも、グループ内でジェンダーの公平性を得るためには、本当に優先度を付けなければなりません。

話は変わりますが、私はしばらく学校で教えていました。ブルックリン音楽院のグループ演奏のクラスや、他の学校のサックスのクラス、クラリネットのクラス、フルートのクラスで、4-5年ほど。いつもフルートのクラスは全員女の子、クラリネットのクラスは半々、そしてサックスのクラスは全員男の子。あの年頃でジェンダーで左右されるなんて、どうかしています。10歳の子どもたちが何の楽器を演奏するか決めているのか、それとも親が方向づけをしているのか。

CB: 興味深いですね。私が中学校のバンドにいたときも、大学でも、ひとりも男性のフルート奏者に出逢いませんでした。クラリネットもそんなものでした。女性のトロンボーン奏者はいたと思います。サックスは両方。パーカッションはみんな男でした。

AW: 小学校での経験は高校まで続き、その人たちがジャズを演奏し始めるまでつながっています。ですが、ことはもう少し複雑です。誰がジャズに惹かれているのか。イングリッド・ジェンセン Ingrid Jensen(トランペット)に何年か前に聞いた理論です。100%真実かどうか微妙なところではありますが、実際にいくぶんかの真実はあると思います。多くの人がインプロヴィゼーションを始めるときは、女の子の場合には世の中のすべてに対して超繊細なときで、男の子の場合にはもっと耐性がついているとき。明らかにこういったジェンダーのステレオタイプはすべてのティーンエイジャーに当てはまるわけではありませんが、確かに私の経験でも14歳のときは社会ドラマでちょっと頭が一杯でした。だから、バンドのクラスでインプロヴィゼーションをやることになったとして、それが極端に不安定で外部からの評価を必要としている14歳の女の子だとして、うまくやってのけたら良いけれど、ひどいソロを取ってしまって友人から意地悪をされるかもしれない。もしインプロヴィゼーションで悪い経験をしてしまったら、もういちどやろうということにはならないでしょう。それに、バンドの教師がどれだけ男の子を励まして、どれだけ女の子を励まさないでいるかなど、わかるわけがありません。

CB: ほとんどの教師は男性でしょう。私の場合も、音楽の教師が男性でなかったことはないですよ。

AW: 男性でないバンドの教師はひとりいました、7年生のとき。でも確かに男性が支配的でしたね。

CB: いろいろ披露してくださってありがとうございます。

AW: こちらこそ。お話の機会をくださってありがとうございます。

(文中敬称略)

【翻訳】齊藤聡(Akira Saito)

環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

アバター

シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley

ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭(文化史)をとる傍ら、2013年にウェブサイト「Jazz Right Now」を立ち上げた。同サイトには、現在までに30以上のアーティストのバイオグラフィー、ディスコグラフィー、200以上のバンドのプロフィール、500以上のライヴのデータベースを備える。ブルックリン・シーンの興隆についての書籍を執筆中。http://jazzrightnow.com/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。