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InterviewsNo. 256

Interview #188 トム・ピアソン Tom Pierson

トム・ピアソン Thomas “Tom” Pierson
1948年3月11日、米ウィスコンシン州アシュランド生まれ。
作・編曲家、作詞家、指揮者、映画監督。ジュリアード音楽院卒。
クラシックのピアニストとしてデビューした後、ジャズに転向。
ウッディ・アレン『マンハッタン』(1979)、ロバート・アルトマン『クインテット』(1979)、『ポパイ』(1980)などの音楽を担当。
2008年、日本に移住、映画『ターキー・ボーイ』の脚本、音楽、監督を担当。
2013年、ビッグバンドの作品を集大成した2枚組CD『Last Works』(Auteur) をリリース。
2018年、ヴォーカリスト倉地恵子のアルバム『倉地恵子/トム・ピアソンを歌う』(Auteur) のために楽曲と詩を提供。
都内のジャズ・クラブに“地下足袋” で出演、“地下足袋のピアニスト”として知られる。

Interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌 via e-mails, July 2019
photos: From collections of Tom Pierson

♫ 2枚組ビッグバンド作品集『Last Works』は、NYでデジタル録音、日本でアナログ・ミックスした

JazzTokyo:アルバムに『Last Works』と名付けた理由を聞かせてください。

トム・ピアソン:僕はロサンゼルスから始まって、NYを経て、最後には東京と40年間にわたってビッグバンドを率いてきた。過去に、『Planet of Tears』と『The Hidden Goddess』の2枚のアルバムを制作した経験があるけど、そろそろ僕の“ビッグバンド・ライフ”も終焉に近づいたと感じ、まだ録音していないたくさんの楽曲を記録しておきたい欲望に駆られたわけだ。それが『Last Works』と名付けた理由になる。

JT:このアルバムの基本的なコンセプトを教えてください。

Tom:コンセプト・アルバムではない。ポップ・ミュージックだよ。

JT:2枚のディスクにした理由は?

Tom:どの楽曲を残すべきか慎重に考慮した。すべてを残す必要はなかったのだけど、選曲した結果がCD2枚分となった。

JT:アルバム化をいつ考え、完成までにどれくらいの期間がかかりましたか?

Tom:検討を始めたのが2014年の夏頃で、メンバーの選考やらその他の準備に半年ほどかかり、録音にこぎつけたのが2015年の初めだった。

JT:楽曲はすべてストックですか、書き下ろしもありますか?

Tom:すべて僕のオリジナル作品。僕はバンドリーダーが適宜買い揃えた編曲を演奏するのではなく、特定の作曲家の作品を演奏するバンドが好きなのだ。

JT:譜面はどこまで書き込むのですか? 即興やソロのスペースは残されているのですか?

Tom:僕の作品でのソロはおそらく他のビッグバンドでのソロよりさらに重要な役割を与えられていると思う。ビッグバンドの中のソロというと、ありきたりの埋め合わせや16小節か32小節のお飾りだったり、構造的に意義があると思えないものが見受けられる。僕の作品の中でのソロの重要性は書き譜の部分とまったく変わらないんだ。

JT:制作に当たっていちばん難渋した部分はどこでしたか?

Tom:納得がいくまで8、9テイク録音した作品が1曲あった(あえてどの曲か明かさないけど!)。果たしてCDに必要な楽曲なのかどうかとまで悩んだんだ。結果的には、ある友人が“フランケンシュタイン・エディット”と名付けた編集を経て無事生き残ることになった。これがおもしろいことにラジオ局がオンエア曲に選び出す出来に仕上がったんだ。

JT:ビッグバンド作品を自身で制作するのは初めてですか?

Tom:通常はエンジニアと共同で制作することが多い。CD会社のプロデューサーときたら、スキルもないくせに大きな口を叩き、横柄な連中が多いのでね。

JT::NYではどのようにメンバーを集めたのですか?

Tom:何人かは僕の他のビッグバンドでも演奏してきた常連だけど、そのレヴェルのミュージシャンのスケジュールがいつでも空いているとは限らない。情報で集めたミュージシャンのリストから会ったこともないミュージシャンにもあえて連絡を取ってみた。たとえば、Robinson KhouryやMichael Lutzeierは僕の名前さえ知らなかったけど、譜面を送ったところ、ヨーロッパから駆けつけてくれたんだ。

JT:今回のアルバムで何か新しい挑戦をトライしたことはありますか?

Tom:僕はいつもどの曲にもなにか新しい趣向を凝らすことにしている。もちろん、録音のプロセスでもいつも新しい予期せぬ問題に出くわすんだ。録音の初日、最初の25分は不思議なハム(ノイズ)の原因の追究に費やすことになった。原因は、ベースギターの古い内臓バッテリの容量不足だったんだけど、それを突き止めたのは幸い自身がベース・プレイヤーでもあったエンジニアのRoger Rhodes だった。ちなみに、良いエンジニアは自身がミュージシャンである場合が多いね。

JT:ところで、リハーサルには何日かけましたか?

Tom:リハーサルと録音に5日間ずつ。毎日、正午から午後6時まで。

JT:ブルックリンでデジタル録音した後、日本でアナログ・ミックスしていますが、これはどうしてですか?

Tom:ProTools(註:デジタル録音用にもっとも普及しているアメリカ製ソフトウェア)はダメ。DDD(註:Digital recording/Digital mixing/Digital mastering。録音からマスタリングまですべての過程をデジタル方式で進めた場合)は最悪。冷たく、平板で、イラつく。音楽それ自体がアコースティックの楽器から発生したものであれば(つまり、テクノ・ポップ以外)、アナログで行くべきだね。このCDは、DAD、つまり録音はデジタルだったけど、ミックスはアナログ。ただし、<The Hidden Goddess>だけはアナログ録音をデジタル・ミックスしたADDだ。

JT:あなたの音楽はストーリーを語っているように思えます。つまり、あなたの音楽を聴いているといろいろな場面が浮かんでくるのです。もしそうだとしたら、それはあなたのかつての仕事、映画音楽の作曲の経験に由来していると思いますか? あなたのCDはムソルグスキーの「展覧会の絵」のジャズ版のようでした。

Tom:作曲しながら映像を思い浮かべたことはないんだ。聴覚は僕らが生まれる以前、母親の胎内にいるときに発達していると思う。その時点ではまだ目は見えていないけど、音のイメージはすでに経験しているんだ。作曲するときは、視覚を意識する以前、聴覚を意識している母親の胎内での体験に戻りたいと考えている。

JT:リスナーにとくにお薦めの楽曲はありますか?

Tom:僕の音楽はサウンドもフィーリングも多様なので、リスナー自身が聴いて「あっ、これ素晴らしい!聴いてみて!」っていうのを見つけてくれたら嬉しいね。

JT:音楽と制作の両面で満足度はどれくらいですか?

Tom:僕らはとことんやったので、もしこのアルバムを好きになれないリスナーがいたら、その人は僕の音楽が好きになれない人ということになるね!ちなみに、まともなアーティストは人を喜ばせるために作品を造ることはしないんだ。それをやるのはホステス・クラブのバーガールの仕事だよ。

JT:この音楽をライヴで演奏する計画はありますか?

Tom:ビッグバンドの仕事を再開するつもりはないんだ。この録音が終わってから最後の演奏を東京でやったけど、バンドは42名に膨れ上がってしまってね。 Youtubeでも確認できるよ。

 

♫ ロバート・アルトマンは最高のボス、ウッディ・アレンは “隠れファシスト” だ

JazzTokyo:生地のウィスコンシン州Ashlandはどんな街ですか?

Tom:Ashlandは合衆国のてっぺんにあるスペリオル湖の湖畔にある街だ。母親によると僕が生まれた日は3月の極寒の日だったそうだ。

JT:音楽一家の生まれでしたか?

Tom:両親はクラシックのヴァイオリニストでね。僕がとくにピッチとハーモニーに敏感である理由のひとつがここにあると思う。幼少の頃、僕はクラシックのピアニストになりたかったのだけど、父親は音楽のスタイルには偏見を持っていなかったので、僕がジャズの虜(とりこ)になったときも、彼は何も言わなかった。

JT:音楽に興味を持ったのはいつ頃ですか?

Tom:母親は僕が3歳の時にピアノを弾き始めたと言うのだけど、これは大げさだね。僕の記憶では5歳頃のことだと思う。

JT:音楽の訓練を始めたのは?

Tom: 5歳頃。

JT:ヒューストン交響楽団のソロイストとしてデビューしたそうですが、何を演奏したのですか?

Tom:モーツァルトの A major コンチェルト K414(ピアノ協奏曲第12番イ長調)の第1楽章を演奏した。翌年も招待され、ハチャトリアンのピアノ協奏曲を演奏した。夏のパーク・コンサートでも何度か演奏しているよ。

JT:ジュリアード音楽院では何を専攻しましたか? 同期でプロ・デビューした仲間はいますか?

Tom:ジュリアードには音楽理論と音楽以外の素晴らしいクラスがあったけど、ほとんどの学生は楽器の訓練に夢中でクラスには興味を示していなかったね。僕はクラスが好きだったのだけど...。同期でプロ・デビューしたピアニストにはサントリーホールで演奏したエマニュエル・アックス、ミッシャ・デヒター、ギャリック・オールソンなどがいる。

JT:プロとしての最初の仕事は何でしたか?

Tom:リンカーン・センターで「ウェストサイド物語」のリハーサル・ピアニストを務めたとき。このときのベーシストはロン・カーターだったけど、彼はなんとエレキベースを弾いたんだ!

JT:レナード・バーンスタインの「ミサ」曲と「キャンディード」を演奏したそうですが。

Tom:そう。「ミサ」曲のリハーサル・ピアニストから指揮者のアシスタント・ピアニストになり、ケネディ・センター、フィラデルフィアのミュージック・アカデミー、そして最後にはメトのオペラハウスのマチネーでも演奏した。指揮者のモーリス・ペレスが不在の時は僕が彼の代役を務めたし。僕が25歳の時の古い写真には、ヒッピー風の長髪にタキシード姿で、メトの指揮者専用の楽屋に座っている僕が写っているよ。いつもは世界のトップクラスの指揮者が使っている楽屋なのにね!

JT:ウッディ・アレンの映画『マンハッタン』 やロバート・アルトマンの『クインテット』の音楽を担当したそうですが。

Tom:ボブ・アルトマンは最高のボスだった。ウッディは隠れファシストだね。

https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/robert-altman/1000001123

JT:ジュディ:コリンズの<センド・イン・ザ・クラウンズ>はいかがでしたか?

Tom:当時は、ブロードウェイの「ア・リトル・ナイト・ミュージック」のアシスタント・コンダクターだったけど、「ア・リトル・ナイト・ミュージック」とジュディのアルバムの編曲者だったジョナサン・チュニックからレコーディングのピアニストの依頼を受けたんだ。オバマ大統領がその曲をスマホの着信用に使っているという記事をどこかで読んだことがある。僕のピアノが何秒間か彼の耳に届いていることになるのかな!

JT:カーネギーホールでオーネット・コールマンと共演したのですか?

Tom:フランス人のベーシスト、フランソワ・ラバトが“世界最高のベース奏者”と銘打ってカーネギーホールでコンサートを開いたことがある。彼の友人だったオーネットがゲストで出演したんだ。小さなリハーサル・スタジオにやってきたオーネットはガールフレンドふたりを連れてきてね、僕が吸ったこともない最強のマリファナを持っていたよ。彼は新曲を2曲書いてきたんだけど、 僕が彼のバックでフリーを演奏しているときのこと。彼は僕のところにやってきてこう言ったんだ。「いいかい、(ピアノの鍵盤を指差しながら)C#とEbは内側で、F#とBbは外側で弾くんだよ」。彼の意味するところはまったく理解できなかったけど、僕は「OK!」と返事した。もう一度合わせが終わると僕のところにやってきて「イェー!それでいいんだ!」って言うんだ。

JT:一時演奏していたエレクトリック・バンドについて説明願います。その当時は電気ピアノも演奏していたのですか?

JT:一時エレクトリック・クインテットを率いていたようですが。当時は電気ピアノを弾いていたのですか?

Tom:: もともと「Turning Point」(ターニング・ポイント)という6人編成のセクステットだった。サックスがBlue Lou Marini(『Last Works』でも演奏している40年来の付き合い)、エレクトリック・アップライト・ベースがGeorge Mraz、キーボードがBen Aronov(本来ビバッパーだが、上手くエレクトリック・ミュージックに転向した)、ドラムスがHank Jaramillo、パーカッションがEric Cohen(チャイムやティムバレスなども演奏するクラシックの打楽器奏者でもある)。ベニーと僕が、ハモンド PortaBや、ピアノ、Arp2600、クラヴィネット、フェンダーローズを弾き、音を変調するためにエコープレックスやワーワー、ディストーション・ペダル、フェイザーなども駆使していたんだ。アルバムを制作する頃にはバンド名も変え、メンバー・チェンジも終わっていた。ベニーが抜けクインテットになったけど、オバーダビングを使ってとても5人編成のバンドとは思えないサウンドをできたんだ。誰かがこのアルバムを無断でデジタル化し、最近、ネットを賑わしたようだけど!僕らの音楽を聴いてもらえるなら名誉なことだろうけど、そんなに儲かっているとは思えないね!

JT:ジョージ・ムラーツは日本でも人気のベーシストですが、アップライトとはいえエレクトリック・ベースを弾いていたのは知りませんでした。NYでの華々しいキャリアに見切りをつけ日本に移住する決意をした理由はどこにありますか?

Tom:NYのミュージシャンで居続けることは浜の真砂の一粒でいるようなものなんだね。NYで作曲家が生活していくためには他人のために編曲したり、映画音楽を書く以外に道はなくてね。ギル・エヴァンスでさえ余裕のある生活はしていなかたんだ。僕より狭いアパートに住んで居たんだよ(ロケーションは僕より良かったけど)!実を言うと、NYを離れた本当の理由はNYが危険な街だったから。僕は7回襲撃されているんだ。

JT:ギル・エヴァンスとは個人的な関係にありましたか?「知られざる最高の作曲家」というあなたへのギルの賛辞はどの作品が対象だったのでしょう?

Tom:僕は幸いにもそれぞれ異なる音楽の3分野で三人のメントー(信頼すべき良き師)と出会うことができた。若いときに出会ったクラシックの世界で最も知名度の高いレナード・バーンスタイン、ロック・ミュージカル「ヘア〜」の作曲家ガルト・マクダーモット、それからギル・エヴァンスだ。僕がギルを聴いたのは、1983年頃ハリウッド・ボウルだった。ギル・バンドで演奏していた友人のトランペッター、ルー・ソロフに会いに楽屋へ行ったんだ(ルーは、それから30年後!の僕のアルバム『Last Works』で演奏してくれた)。僕の車でギルをホテルに送ることになって、ホテルのロビーに着いたら、ギルのドラマーがそこにいたんだ。このドラマーはコンサートの<Gone>(ポーギー&ベス)でギルのアレンジをトチったんだ。ハリウッド・ボウルのステージだよ。ギル・エヴァンスのオケだぜ!だから僕は彼をつかまえて「事前に譜面をさらっておかないとだめだよ」って言ったんだ。ギルはそれを聴いてひっくり返るほど驚いてた。その次に出会ったときにはわだかまりも溶けて終生の友になった。 後になって、僕がグッゲンハイム・フェローシップを申請するときにギルに推薦文を頼んだんだ。ギルからは、「この人物は僕が知る限り知られざる最高の作曲家である、とだけ書いておいたよ」と言われた。このコメントはどうしてもパブリシティに使いたくてね。だけど、グッゲンハイムは受からなかったんだ! ギルに関して最高の栄誉といえば、ギルが最後の南米ツアーに出る前だったけど、僕の作品「Duo Concertante」(オーケストラとトランペット、バス・トロンボーンのための作品)のテープを聴かせて欲しいと言われたとき。ギルはジュリアードでこの作品のプレミア(初演)を聴いていたんだ。 そして、もう一度、聴きたいと。信じられなかったよ。ギルが僕の音楽を聴きたいと言ってくれたんだ!

JT:ところで、日本に来る前に日本についての知識はお持ちでしたか?想像していた通りの国でしたか?

Tom:NYに日本人の友人が何人か居り、東京には本来のジャズ・シーンがあることは承知していたよ。そういうわけで、未知の東京に出かけることに心が躍ったね。大都市は、タクシー、ホテル、地下鉄、レストラン、市中の人々、どれをとってもどこも大差がないと考えていたんだ。事実、東京に移住してきて私の人生は蘇ったといえる。すぐに仕事の話が来たのも幸運だったね。

JT:東京での最初の仕事『Turkey Boy(ターキー・ボーイ)』はどんな作品ですか?

Tom:僕は映画音楽を作曲してきた人間だけど、俳優や脚本をサポートするためにBGMを書くだけではなく、映画そのものをまとめてみたいと思い始めていたんだ。手始めに、ピアノを習う少女とメトロノームをテーマに短編映画を作ってみたんだけど、ラップトップで編集する作業がとても面白くて、そのうち劇場用映画を作ってみたくなったんだ。「ターキー・ボーイ」のストーリーを書いて中山市朗という友人の映画俳優に見せたところ、突然、コーヒーショップから仲間を呼び寄せて、1時間もすると全員でテーブルを囲んでこのプロジェクトについて語り合っていたというわけだ。僕は日本人のソングライターを使いたかったんだけど、中山に受け入れてもらえなかった。プロジェクトに関わる日本人の仲間から歌詞は英語でも良いと言われたので、曲を書き、歌詞まで書いてしまった(初めてだったけど!)というわけだ。おまけに脚本から監督までこなした。素晴らしい経験だったよ。

JT:あなたは“地下足袋のピアニスト”として知られています。“地下足袋”自体昨今珍しい履物ですが、どこで見つけたのですか? ピアノを弾くときにもどうして履いているのですか?

Tom:初めて日本に着いたとき作業員が地下足袋を履いているのを見つけたんだ。試してみたいと思っていたら友達が1足プレゼントしてくれたんだ。なんたる履き心地の良さ!それ以来ずっと履き続けてるわけさ(“公式”の面会の時以外はね)。地下足袋を履いて歩くと足がマッサージされ血の巡りが良くなるんだよ。

JT:2018年にリリースされた倉地恵子さんのアルバム『Keiko Kurachi Sings Tom Pierson Songs 倉地恵子/トム・ピアソンを歌う』では曲と詩を提供されていますね。倉地さんの才能のどこに惚れ込んだのですか? ヴォーカル曲を作曲するのは好きですか?

Tom:倉地恵子は素晴らしい歌手だと思うよ。僕は音楽業界がどの歌手に目を付け、どの歌手を無視するか、その取捨選択に驚きを禁じ得ないでいる(はたして彼らプロデューサーたちに才能を見る目はあるのだろうか?)。歌ものを書くのは大好きさ。僕にとって、シンフォニーを書くのも、ビッグバンド用の曲を書くのも、ポップソングも、詩も、語りも、映画も、便りも、ダンスなどなど、どんな対象に限らず曲を書くことは同じ作業なのだ。皆が好きな素材(音色、言葉、身体的な動作、視覚的イメージなどなど)から連続性を導き出し、それに物語を付与していくことなんだ。

JT:おふたり(Tomと倉地さん)の共演を東京近辺で楽しむことは可能ですか?

Tom:最近はあまりやっていないなあ。

JT:ところで、日本で生活を維持していくに充分な仕事を確保できていますか?

Tom:社会保障と音楽ユニオンの年金で生活している。手頃なスーパーも見つけたし。

JT:それでは最後に夢を語ってください。

Tom:生涯最後の仕事として今、オペラを書いている。僕の夢はそれを完成させてから逝くことだ!あなたは作曲しているときに物語を想像したり、何か映像を想像していますか?

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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